フラッシュメモリー (80-150)

Last-modified: 2011-04-18 (月) 02:15:07

概要

作品名作者発表日保管日
フラッシュメモリー80-150氏08/02/1308/02/13

作品

雪が降ってきた。
窓から見える町の景色は、雪が降ってきた事を祝うように、幸せそうな笑顔であふれていた。
にも関わらず俺は雪を見て、わずらわしいと思う事しかできなかった。
いつからだろう雪を見てもワクワク しなくなったのは。
ガキの頃は雪が降れば無条件に喜びんでいたはずなのに・・・
何てことを考えながら窓の外をずっと見ていると
「○○さん!」
声のしたほうをみると同じ会社の岡田さんがコーヒーを持って立っていた。
岡田さんは俺より一つ年下の女性社員だ。
仕事はでき、こうしてコーヒーなども持ってきてくれるため、会社からの信頼は厚い。
さらにかわいらしく、コーヒーをもって来てくれた時には笑顔も忘れないという特典つきで、仕事で疲れた心を癒してくれた。当然、男性社員からの人気も高い。
「どうしたんですか?さっきから何度も○○さんって呼んでたのに」
ちなみに○○さんとは俺のことだ。
俺のことをマヌケなニックネームで呼ぶ人はここにはいない。
「ああ、ゴメンなんだった?」
「なんだったって、コーヒーいれたんですけど、いらなかったですか?」
寂しそうに言う彼女にあわてて
「いや、ほしい。ありがたくもらうよ」そう言うと、岡田さんは満開の笑みで
「○○さんには特別愛情をそそいだんだから飲んでもらわないと困るんですよ」
そう言ってコーヒーを俺の席に置いて自分の席に戻った。
今のは岡田さんなりのリップサービスだがそれを勘違いしたとなりに座っている上司が
「岡田さんかわいいよなー。きみほんとラッキーだね」
何がラッキーなんだ?
と思ったが否定すれば話が長引いてしまうことをすでに学習していた俺は
「そうですね」とだけ言っておいた。
 
仕事も終え、俺が会社を出ようとすると岡田さんが
「もう帰るんですか?私もなんです。そうだ、飲みに行きませんか?」
早口でそう言うと、満開の笑みで「ねっ、いいでしょ?」と言ってきた。
「かなり魅力的な話なんだが、この後、高校の時の同窓会に呼ばれてるんだ」
岡田さんはこの世の終わりかと思うくらい残念そうな顔をしたが、すぐにまた満開の笑みで
「それなら仕方ないですね、また飲みに誘ってもいいですか?」
「もちろん。今度は俺から誘うことにするよ」
岡田さんは少し驚いたような顔した後すぐに、今までで一番の笑顔を見せてくれた。
 
大学卒業後すぐに今の会社に入った。
カタカタとパソコンに向かう毎日が楽しかったはずの高校の頃の思い出を薄れさしていった。
休日という休日もほとんど与えられず、疲労は溜まっていく一方で、人間関係にも仕事の膨大な量にも正直うんざりしていた。
毎日が同じ事の繰り返しのようで、ここは俺の居場所じゃないと心が訴えているような気がした。
今はもうあの頃を思い出しても何の感情もわかない事に恐怖を感じ何度も会社をやめようと思った。
しかし、今から新しい生活を始める勇気が俺にあるはずもなく、日々は俺からおそろしく速いスピードで過ぎ去っていった。
 
同窓会の場所は俺の会社から電車に乗れば1時間くらいのところにあったので、特にお金に困っている訳ではないがタクシーをつかわず電車で行くことにした。
高校を卒業して8年になる。
同窓会は8年間でこれが2度目だが、本当の事を言えば同窓会には行きたくなかった。
8年という月日は人を変えるには十分過ぎる時間で、髪型、しゃべり方、ファッション、あらゆるものが変わった元クラスメイトを見ると、やっぱり高校の頃の思い出はウソだったんだと言われているようで辛かったからだ。
それでも行かないわけにはいかなかった。
高校時代かならず俺の後ろの席に座っていた彼女に会いたかったからだ。
 
同窓会の会場について真っ先に彼女を探したが彼女はいなかった。
1度目の同窓会は俺が大学を卒業した年に行われた。その時も彼女の姿はなかった。
なので彼女はたぶん来ないだろうとは思っていたが、ミジンコ程度の期待をして同窓会に来てしまった。
元クラスメートたちは1度目の同窓会よりもまた変化を見せており、同窓会に来てしまった俺をさらに後悔させた。
「よっ!」
肩を必要以上に強く叩かれたことで振り返ると、そこにはアホ面らの男が立ったいた。
「何だ、谷口か」
「何だとは、何だ!ひさしぶりに会った親友にその態度は!」
谷口の戯言を背中で聞きながら俺は席についた。
「ひさしぶりだねー」、「今、何やってんの?」、「給料どれくらいもらってんの?」
などの元クラスメートからのあらゆる質問を適当の流しながら俺はほとんど谷口と話していた。
それは高校の頃よくつるんでいたということもあるがそれ以上に谷口は他のみんなと違い高校の頃とほとんど変わっていなかった、それが俺を少し安心させた。
その事を谷口に言ってみると
「まあな、俺は何にも染まらない。否、染められない男だからな!」
「アホか!」
と言いつつあの頃と何ら変わらない谷口を少し尊敬していた。口には出さんがな。
そこで、ふと気づいた。
「そういや国木田は?」
1度目の同窓会の時、谷口と同じく高校の頃と変わっていなかった国木田を見たとき安心したのを覚えている。
「ああ、あいつなら仕事忙しいから来れないかもって言ってたな。でも行けそうなら遅れてでも行くって言ってたぞ」
「そうか」
仕事か。あまり今聞きたくなかったな。
そう思いながらグラスにはいっている酒を飲もうとしたら
「お前は変わったな」
「えっ?」
谷口からの予想外の一言が、驚くほど胸をえぐり俺はグラスをテーブルに置いた。
「しゃべり方も変わったし、服装だって、お洒落なんて興味なかっただろう」
そうかもしれない、一番変わったのは俺かもしれない。
大学は東京に行った。
東京では服装や髪型を気にしなければおいていかれるような気がして、俺も必死になってお洒落をした。
「お前彼女はいんのか?」
「なんだ、突然だな」
「いいから答えろよ」
「いないが」
そう答えながら脳裏に岡田さんの顔が浮かんだのはなぜだろうね。
「俺はいるぜ付き合って3ヶ月になんだが、これがまたかわいくて性格もよくっ
「もういい!、俺は人のノロケ話を聞く趣味はない!」
悪い悪いと言いつつニヤニヤ顔のこいつのツラを見ていると殴りたくなるのは俺だけだろうか?
「お前、この8年間で誰かと付き合ったか?」
と今度は急に真面目な顔になっておかしなこと聞いてきやがった。
どうしたんだこいつは。
「どうなんだ?」
さすがに俺も8年間誰とも付き合わなかったわけじゃない。
何人かと付き合ったが3ヶ月もった人はいない。
「やっぱりな」
谷口は納得と言った表情を浮かべながら何度もうなずいた。
「なにがやっぱりなんだ?」
谷口は真剣な顔で
「お前まだあいつに未練が残ってるんじゃないか?」
あいつとは彼女の事だろう。
未練とは違うかもしれないが会いたいと思っているのは確かだろう。
こうして行きたくない同窓会に来たのは彼女に会いたかったからなんだから。
「何でお前ら別れたんだ?」
「別れたもなにも付き合ってすらいねえよ」
本当に驚いたという表情をして
「そうなのか、クラスの誰もがお前らは付き合ってると思ってたぞ」
たくっ、みんな何を勘違いしてたんだか。
「けど、お前ら仲良かったよな?なのにいつの日からか全然話さなくなったよな、何でだ?」
「・・・・」
俺が無言をとおしていると
「まあいいや、今夜は飲もうぜ」
 
同窓会が終わって店を出ると、来た時よりも少し雪が強くなっていた。
こりゃ明日は積もるかもなんて事を考えながら駅に向かった。
駅までの道を歩いている最中ずっと考えていた、彼女と話さなくなった出来事を。
 
彼女がもっていた特別な力が突然失われた。
それにともなって朝比奈さん、古泉、長門は何も言わずに姿を消した。
それは本当に今までの出来事がまるでウソだったかのようだった。
どれほど思い出が薄れていっても、その時の彼女の寂しそうな顔だけは今でも消えはしなかった。
俺はどんな言葉を彼女にかけてやればいいのかわからず
何を言っても彼女が傷ついてしまうような気がして何も言えなかった。
そんな自分がたまらなく小さく思えた。
 
タクシーが俺の真横に止まったことで、俺の意識は過去から現代に戻ってきた。
タクシーのドアが開いたかと思うとそこから懐かしい顔が降りてきた。
「国木田!」
驚いたため少し大きめの声が出た。
「やあ、ひさしぶりだね」
「ああ」
寒そうに手をこすり、白い息を吐きながら
「顔を見せる程度だけでもと思ったんだけど、同窓会は終わってしまったようだね、残念だよ」
国木田は本当に残念そうな顔をして言った。そんなに同窓会に行きたかったのかねえこいつは。
「ひさしぶりに会った友達と高校時代の思い出で盛り上がろうと思ってたけど・・・でも君に会えただけでも良かったよ、どうだい今から飲みに行かないかい?」
「俺はついさっきまで飲んでいたばかりなんだが」
「そうだったね、けど単純に話しをしたいだけなんだ」
遅くまで飲むことも考えて、明日は会社は完全に休みにさせてもらいたいと言ったら、今の仕事が丁度片付いた事もあってあっさりと休みはもらえたのだった。・・・なんて事を考えていたら
「もしかして駅に向かってた?次の電車が終電だっけ?タクシー代なら僕が出すから頼むよ」
「そういう事じゃないんだが、お前は大丈夫なのか明日仕事?」
「うん、明日は休みだから大丈夫。あっ、きみは仕事だった?」
「いや、俺も明日は休みだ」
正確には休みにしてもらったのだが、それは今はいい。
「わかった、少しだけだぞ」
「ありがと」
 
それから一番近くにあったお世辞にもきれいとは言えない店に入った。
店の中は以外にもなかなかきれいで、雰囲気もよく料理もうまかった。
国木田は話し方が少ししっかりしていたがそれ以外は高校の頃と変化は見えなかった。
次は何を頼もうかとメニューを見ていると。
「きみは変わったね」
またそれか。
「谷口にも同じ事を言われたよ」
「きみの高校時代を知っている人が今のきみを見たら誰もが同じ事を言うんじゃないかな」
「そんなに俺は変わったのか?」
「うん、そうだね。見た目も変わったけどそれ以上に中身がね」
「中身がか?」
正直驚いた、同窓会でも変わったと何人もの奴から言われたが、そのほとんどが見た目の事を言っていた。
しかし、会って少し話しただけで中身が変わったなんてわかるもんなのかね。
何か言おうと思ったが、何も言えず国木田はさらに続けた。
「仕事楽しい?」
楽しいか楽しくないかと聞かれれば、間違いなく後者なんだ。
「仕事なんざ、楽しいもんじゃないだろ、みんな生活のためにやってんだろ?」
「そんな事ないよ。少なくとも僕は仕事を楽しく思えているし、誇りももってやってるよ」
またまた驚きだ。自分の仕事にそこまで言える人間がいるなんてな。
仕事なんてもんはみんな嫌々生活のためにやっているといつの間にか思っていた。
やれやれ、俺はいつからこんなにすさんじまったんだろうね。
「大丈夫?すごく疲れた顔してるよ」
心配そうな顔を浮かべて聞いてきやがった。
「そうか?」
確かに俺は疲れている。肉体的にも精神的にもボロボロで、限界なんじゃないかと思ってるほどだ。
「高校時代のきみもいつも疲れたような顔をしていたけど、毎日彼女たちに巻き込まれるきみは文句を言いつつも本当に楽しそうだった。僕はいつもうらやましく思っていたよ」
 
確かに高校時代の俺は楽しんでいたんだろう。
俺は椅子にもたれ掛かり天上を眺めながらその頃を思い出そうとした。
それでも浮かんでくるのは、やはり彼女の寂しそうな顔だけだった。
「誰を思い浮かべたんだい?」
国木田の目はすべてを見透かしているようだった。
いや、現に何を思い浮かべたではなく誰を思い浮かべたと聞いてきたからすべて見透かしているのだろう。こいつはこんなに鋭いやつだったか?
「彼女も今のきみと同じような疲れた顔をしていたよ」
何でお前がそんなことわかるんだ?
「彼女、僕の得意先の会社で働いてるんだよ」
 
ドクンと胸の鼓動が聞こえたのは気のせいではない。
心臓が速まるのを抑えきれず俺は国木田に聞いた。
「彼女と話したか?」
声が震えているのが自分でもわかった
「うん、何度か話したよ。彼女驚くほど社会に順応していた。高校時代のような振る舞いは見せてないみたいだね。仕事もできるみたいで、会社からの信頼も男性社員からの人気もすごいらしよ」
それはそうだろう。彼女は訳のわからん振る舞いさえしなければ男も選び放題だろう。
「彼女毎日楽しそうに働けてるみたいだね」
本当なら、あの寂しそうな顔をしていた彼女が楽しそうに働いているのは喜ぶべきことなんだろが、それを素直に喜べなかった。自分だけが置いていかれたような気がしたからだ。
他にも聞きたい事は山ほどあったのに俺はそれ以上聞けなくなった。
「きみは彼女に会ったほうがいいと思うよ」
突然国木田は驚くことを言った。
「なぜだ?楽しそうに働いているあいつに今の俺が会いに行って何をしろって言うんだ!」
頭で考えるより先に言葉が出た。
少し怒鳴ったようないい方になってしまったことに少しの後悔を覚えた。
それでも国木田は話をやめなかった。
「勘違いしないでほしいんだけど、さっき言った彼女の印象は会社の人たちが抱いてる印象なんだ、彼女の高校時代を知っている僕はまた違う印象を受けてるんだ」
「どういう意味だ?」
「うん、確かに高校の頃よりだいぶ周りにとけこめているけど、なんだか無理に自分を作っているように僕には見えたんだ。彼女と話してさらに違和感みたいなものを感じた。そのせいかすごく疲れているような気がしたんだ。その感じがきみと似ているよ」
「俺と彼女が?」
「たぶん、高校の頃の彼女が本当の彼女だったような気がするんだ。そして彼女が彼女のままでいられたのはきみがいたからなんじゃないかな?」
それから国木田は黙っていた。
俺も何も言わなかった。
 
結局それから店を出た俺たちは
「今日は楽しかったよ。ひさしぶりに話せてよかった」
ほとんど俺と彼女の事を話していた国木田だが本当に楽しめたんだろうか?
と思いながら国木田の方を見ると、紙切れに何かを書いて渡してきた。
そこには何かの住所のようなものが書かれていた。
「それは彼女が勤めている会社の住所だよ。彼女の家がどこなのかまでは知らないけど、そこに行けば彼女に会えると思うよ。どうするかはきみの自由だけどね」
紙切れから国木田に視線を戻すと
「初めに言ったように、タクシーで帰るんだったらタクシー代払うけど、どうする?」
「いや、いい。歩いて帰ることにさせてもらうよ。今はいろいろ考えたいんでな」
「けどここから遠くないかい?」
ここからなら電車で1時間くらいだが、歩いて行けばその何倍もの時間が必要になるが
「ああ、疲れたらタクシーをひろうかもしれんが、とにかく今は考えをまとめたいんでな」
「そうかい、僕はタクシーで帰らしてもらうよ」
国木田がタクシーに乗り込もうとドアに手をかけた時
「国木田」
俺は国木田を呼んでいた。
何か言わなければいけないような気がしたからだ。
国木田はドアに手をかけたままこっちを見た。
「ありがとよ!」
国木田は高校も頃と変わらない笑みを見せ、タクシーに乗り帰っていった。
 
それから俺は今日の出来事を振り返りながら歩きだした。
歩きだすとミシミシとわずかに積もった雪が音をたてた。
雪はまだパラパラとは降っていたが、それほど気にはならなかった。
国木田は彼女に会ったほうが言いと言ったが、俺にはそれができなかった。
彼女はおそらく俺に会いたくないと思っているからだ。
同窓会に来ないのは明確な俺への否定のような気がした。
「疲れた顔をしている」・・・か。
確かに仕事には疲れているが、今の生活に満足していない訳じゃない。
会社にだって嫌な上司もいるが好感のもてる上司や俺のことを慕ってくれる後輩、何よりも疲れた心を癒してくれ天使のようなスマイルでコーヒーを持ってきてくれる岡田さんもいる。
これで満足してないはずがない。
「はずがないだろ」
今度は口にしてみた。いや、特に理由はないが。
口からでる息が本当に白くきれいで、それがなぜだか面白く何度も息を吐いてみた。
そんな事をしている間に雪も強くなってきたため結局俺はタクシーをひろって帰った。
 
その日俺は夢を見た。彼女の夢だ。
彼女はまだ高校生のままで、俺も高校生だった。
彼女は寂しそうな顔で俺の顔を見ていた。
まるで助けを求めているかのように。
何か言わなくてはと考えていると、彼女は俺とは反対の方を向いて歩いていってしまった。
大声で彼女の名前を呼んで、手を伸ばしてもその手はとどかず。彼女は暗闇に消えていった。
 
そこで俺は目が覚めた。
まだ冬で当然部屋の中も寒いはずなのに、俺の額からは汗が流れ落ちていた。
目が覚めても、その夢は全く薄れることはなく、現実だったのではなかったのかと思わせるほど、俺の脳裏に鮮明に残っていた。
目を覚ましても、何もする気にはならなかった。
腹が減っていない訳でもないのに、朝食をとる事すら面倒に感じた。
彼女の事ばかり考えてしまう自分がいた。
俺は何をすればいいんだ?誰か教えてくれ。
彼女に会ったところで、俺に何ができる、何を彼女に言ってやれるんだ?
ただ傷つける事しかできないなら、会わないほうがいいんだ。
 
俺は夢の中でなにもつかめなかった自分の手を見た。
 
 
―お前は本当にそれでいいのか?―
 
いつも自分が傷つかない道を選んで。自分の気持ちにまでウソついて。
思い出せないなんて言ってないで、思い出せよ。
本気で思い出せ。死ぬ気で思い出せ。
 
お前が一番楽しかった日々を。一番幸せだった日々を。
いつも隣に彼女がいた日々を。
 
言い訳なんかしないで言ってみろ。
お前は彼女に会いたいんじゃねーのか?
 
―もう一度聞く、本当にそれでいいのか?―
 
会いたいかどうかだと?
そんなもん決まってんじゃねーか。
 
「俺は彼女に会いたくてしかたねーよ!」
 
 
次の日、朝早く会社に行って辞表を提出した。
初めこそ「何とかならないか」や「不満な事があれば直すようにするから」と引き止めてきたが、俺の決意が固い事を知ると、すぐにあきらめてくれた。
他の社員からは、心配しているのか哀れに思っているのかわからないような眼差しを向けられた。
会社を出ようとしたところで後ろから誰かに呼び止められ、振り返ると岡田さんがいた。
岡田さんの瞳は今にも涙がこぼれそうなほどうるんでいた。
「会社辞めちゃうんですか?私○○さんがやめちゃったら・・・困ります。辞めないでくださいよ!」
岡田さんはついに瞳から涙をポロポロとこぼしてし始めた。
「もう決めたから」
俺は、はっきりと答えた。
「そんな・・こんなときだけ・・そんなの・・だって」
岡田さんはもう何を言っているのかわからないくらい泣いていた。
そんな岡田さんの悲しそうな顔を見ても心が揺るがないことに、あらためて自分の決意の固さを知った。
俺はなるべく彼女を傷つけないように優しい口調で
「岡田さんの笑顔には何度も救われました。岡田さんがいたからここまでやってこられたんだと思います。今まで本当にありがとうございます」
これは本音だ。
岡田さんには本当に感謝している。
最後に言わなければいけない事があった。
「約束守れなくてごめん」
そう言って俺は岡田さんに背中を向けて歩きだした。
背中からは岡田さんの泣き声が聞こえたが、俺は結局一度も振り返ることなく会社を出た。
 
会社を辞めたのは、すべてを捨てなければ彼女に会う資格がないような気がしたからだ。
すべてを捨ててでも彼女に会いたかった。
俺は国木田に貰った紙切れを頼りに彼女の会社に向かっていた。
会社に行ったところで彼女に会える保証は何もなかったが、それでも彼女に会いに行かずにはいられなかった。
俺はズボズボと雪を踏みながら歩いていた。
電車は雪のせいでしばらく動かないらしい。
そのしばらくと言うのがどれくらいなのか、わからなかったが俺にはそんなものを待っている暇はなかった。
それに、待つのはもうごめんだった。なので俺は歩いて向かうことにした。
歩けばどれくらい時間がかかるのかわからなかったがとにかく歩いた。
 
俺は歩きながら考えていた。
すべてを失ったあの日。
せめて俺だけでも彼女のそばにいてやらなければいけなかったんだ。
なのに俺は彼女を傷つけるのが怖くて・・・いや、そうじゃないな、傷ついた彼女を俺が見たくなかっただけかもしれない。彼女を支えられるほどの強さが、俺にはなかった。
俺の時間はあの日から止まったままだった。
その事に気づいていたのに、必死に気づいてないふりしていた。
周りにその事を気づかれないように自分をずっと偽って生きてきた。
国木田に彼女の話を聞いた時、もしかしたら彼女もそうなんじゃないかと思った。
もちろん、俺の勘違いかもしれない。
それでも俺は彼女に会いたかった。。
 
どれほど歩いただろう。
いつの間にか夜になっていた。
今どこを歩いているのかさえわからなくなっていた。
足首まで積もった雪のなかを歩くのは俺に大いなる疲労を与えた。
雪もだんだん強くなって、俺の服はこの雪の中を歩くにはあまりに頼りなかった。
何度も休もうかと思ったが、休む時間も惜しく感じ結局一度も休まずにここまで来た。
寒さを少しでもしのぐために、自動販売機でホットコーヒーを買おうとしたが、かじかんで財布のチャックがうまく開けられずあきらめた。
この寒さのなかを手袋もせず来たことを今さらになって後悔した。
疲れはとっくにピークに達しているというのに、歩く足が止まることはなかった。
しばらく歩いていると駅が見えてきた。
その駅は彼女の最寄りの駅だった。
ようやく彼女に近づいて来たことを実感できた。
しかし、これからどうする?
おそらくもう仕事は終わってるし、彼女の家は知らないしな。
そんなことを考えていたら、ひとりの女性が俺の横をすれ違っていった。
その女性の顔は見ていない。おそらくその女性も俺の顔を見ていない。
高校の頃とは髪の長さも雰囲気も変わっていた。
それでも俺は確信をもてた。
それが彼女だと。
 
それが涼宮ハルヒだと。
 
振り返り彼女の名前を呼んだ
「ハルヒ!」
のどがつぶれそうなくらい大きな声で叫んだ。
その名前を呼んだ瞬間、俺の止まっていた時間が動きだした。
彼女が振り返った。
彼女は驚いた顔もせず、その大きな瞳でまっすぐ俺を見つめた。
消えてしまったと思っていた高校の頃思い出があふれてきた。
 
 
 
「東中学出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上。」
                     
「宇宙人や未来人や超能力者を探して一緒に遊ぶ事よ!」
  
「この世の不思議をよ!市内をくまなく探索したら一つくらいは謎のような現象が転がっているに違いないわ!」
 
「なんなら、あたしが勉強見てあげよっか。」
 
「わ、解ってるんだったらいいのよ。そりゃそうよ、団員を心配するのは団長の務めなんだから!」
 
「そう?ちょっぴり注入してあげようか?」
 
「キョン、ちょっといっしょに来て」
「さ、行くわよ。キョン」
「こらぁ!どこ行くのよ!キョン!」
「キョン・・・起きろってんでしょうが!」
「キョン!」
「」




「ハルヒ!」
もう一度、さっきよりもさらに大声で叫び、ハルヒのもとへ走った。
ハルヒを思い切り抱きしめた。
抱きしめあった瞬間心が通じ合えた気がした。
会えなかった時間も失った日々すらも埋められるように思えた。
今まで抑えていた想いがあふれて、ハルヒを本当に愛しく感じた。 
さらに強く抱きしめて
「ハルヒ」
今度はハルヒにしか聞こえないくらい小さな声で言った。
俺は笑っていた。抱きしめあってるため、彼女がどんな顔をしているかは見えなかったが、俺には彼女も笑っていると確信できた。
もう二度と離さないと心に誓った。
ハルヒが耳元でつぶやいた。
「おかえり。キョン」
ハルヒの時間も今動き出した。
 

関連作品