メランコリ狂詩曲 (93-325)

Last-modified: 2008-07-05 (土) 23:47:37

概要

作品名作者発表日保管日
メランコリ狂詩曲93-325氏08/07/0508/07/05

作品

自分だけの記念日と言う物を、一般的な人はどれ位持っているのだろうか?
いや、そんなに持っている奴は居ないと俺は考える。
何故なら自分だけの記念日と言うのは、他人から見ればどうでも良い物であり。
それでいてその本人には、宇宙誕生の瞬間やらキリスト誕生日やら建国記念日やら、そんな日よりも遥かに重要な日であるからだ。
それには人生の転機の日なども当たるが、そんなものは大抵数年後にしか気付けないものである
気付いたとしても、その頃には既にその日はいつだったかなど覚えている奴なんてまず居ないだろう。
もちろん俺だって高校に入学するまでは、そんな日なんて一つもなかった。
これからも無いだろうと俺は思っていたさ、別に特別勉強が出来る訳でも、顔立ちが整ってる訳でも、スポーツ万能な訳でもない。
そんな普通の人間は、普通に進学して普通の会社に入り、いたって普通な人生を歩んでいくだけだ。
…いや、スマン。少し悲観的に言い過ぎたかもしれないな。
そんな人生も良い物であり、日本人の9割がそんな普通の生活を送りそれで満足しているのだから、悲観する必要は水素原子の直径程も無いだろう。
しかし何たる事かね………。俺は高校生活の内の僅か一年間で、そのような記念日を何個も持つことになってしまったのだ。
そして今日はその記念日の内の一つである。
 
俺が始めて時間遡行をした日、最も長い時間を過した日、人生のなかで一番長い(無論永眠を除いてだ)眠りについた日。
そしてこれは俺のことでは無いが、「ハルヒ」が初めて俺に会った日。
つまりは7月7日、七夕だ。
勿論ハルヒがこの日を見逃すはず無いだろうし、俺は完全に日課となった学校までのハイキングコース夏の灼熱光線付きを歩いている間に、どうせまた書く事になる願い事の二つをあらかじめ考える事にした。
またハルヒに「俗物ねえ」なんてことを言われるのは癪なので、俺なりに何か良い願い事でも考えようと思った訳だ。
しかし凡人たる俺の頭では、やはり16年後の願い事なんて俗物的な事しか思い浮かぶことはなかった。
と言う事で結局学校へと続く嫌がらせとしか思えない坂の手前で、俺は願い事について考えることを中断した。
内容は去年のを少しいじるだけでいいだろう、織姫と彦星だって毎年色々な願い事をされたら大変だろうからな。
そう妥協し願い事について考えるのをスッパリ俺は止め、遥か彼方で核融合全開の火の玉を呪いつつ早足で校門へと急いだ。
俺の登校する時間はどちらかといえば遅いほうなので、必要以上に早く来る団員および団長と一緒になることはまず無い。
俺はそう思っていたのだが………。
「おや、これは奇遇ですね。おはようございます」
ここで思わぬ顔と遭遇してしまった。いや同じ学校に通っているのだから遭遇するのは当たり前か。
どうもこいつとは学校内では放課後位しか会う事はほとんどないからな、少し意外だった。
爽やかな声で俺にあいさつをし、取り繕ったニヤケ面の超能力者が俺に近づいてきた。
何が奇遇だ、どうせ俺が来るのを待ち伏せしていたのだろう。
そう俺は言ってやると、古泉は爽やかスマイルを全く崩すことなく。
「勿論です。…所で、今日は何の日かは分かっていますね?」
弁解することなどまったくせず、古泉はサラッと話を切り出してきた。
「忘れるわけないだろ、ついさっきまでそれについて考えていた所だ」
七夕の願い事について…などとは言わない。俺がそれを考えておこうと思ったことや、何故考えようと思ったのか…。
その理由をこいつに話すのは物凄く癪だ。
「これは失礼。確認のつもりでしたが野暮なことをお聞きしましたね。
それと…分かっていると思いますが念を押しておきます。4年前の話題には気をつけてくださいね。
涼宮さんは4年前の出来事について、特に今日は過敏になっています。
うっかり口が滑らないようにくれぐれも気を付けてください」
俺はそんなに口が軽い奴だとは自分でも思わないがね…。
見えてる地雷をわざわざ踏む馬鹿がどこに居るって言うんだ。
そんな愚挙を仕出かすのはハルヒ以外に居るはずは無く、俺は約一年前のGW明けからはそんな事はしていないと言い切れる。
「ではまた、放課後に」
古泉はいつか聞いたようなセリフを言い、足早と9組の教室へと消えていった。
 
あいつが過敏にねぇ………。あの日の出来事がハルヒに大きな影響を与えたことは俺も良く知ってる。
そういえば去年の七夕の後も、少しの間あいつは憂鬱そうだった。
ただ今年は、あいつは去年と同じようなステイタスにはならないと俺は踏んでたんだがね…。
あいつも入学した時からはかなり変わった。物の見方も一年前とは全然違うはずだ。
未だに不思議を求め続けているのは変わらないが、今のあいつは日常が詰まらない物だとは思っていない。
むしろ大いに日常を楽しんでいる、SOS団に置ける活動が日常的な事だと言えるかはさて置くとしてだ。
それでもまだ七夕のことについて過敏になっていると言う事は…。
どうやら俺が思う以上にハルヒは、あの夜の出来事をもっと深く考えているのだろう。
…って何を俺は長々と考察しているんだ!こういうのは古泉の分野だろうに、思考中止!
 
 
 
「キョン、あんた去年片付けた笹の葉どこに置いたか知ってるわね。どうせ暇でしょう?昼休み窓に立てかけといて。今年も使うから」
既に登校していて窓の外を眺めていたハルヒは、俺が席に付くや否や出し抜けにそう言った。
まあ予想していた事だし、それくらいならお安い御用だ。
竹林に行って一番ぶっとい竹を刈り取ってきなさい!とか命令されるより何倍もいい。
あいつの事だから新しい竹でもまたぶった切って来るのかとも思っていたが…。
去年散々やぶ蚊に刺されたのが効いたのだろう、もしくは多少の常識をこいつも身に付けたかだ。
あそこの竹林は私有地だからな、去年あいつは何の躊躇もなく掻っ攫って来たが…。
しかし何だろうか?古泉が言ったようにハルヒの様子が少しおかしい。
どう言う事かずっとハルヒは熱心に空を見続けている。俺も習って窓の外を眺めてみた。
勿論変わったものはあるはずも無く、清々しい青空と憎たらしい太陽が浮かんでいるだけだ。
しばらくそうしていること数秒、その後岡部がやってきていつもの様に挨拶をした後、またいつもの様に出席をとり始めた。
俺の本名が呼ばれる数少ない場面である。
さて、これから数時間の我慢大会だ。俺の精神はどこまで持つだろうかね。
 
 
 
結果を言うと、二時間目開始数分で俺は敗北した。
窓は開いていると言うものの、入ってくるのは湿った生暖かい風のみ。
熱と湿気の波状攻撃に、俺のもともと最大値の低いやる気は初期レベルでラスボスと戦う勇者御一行のごとくこちらがコマンドを選択する暇も与えないほどの勢いで全滅し、俺は机にへばり付く肉塊となった。
何かの話にもあるように、教育には環境がだいじだとしみじみ思ったね。
クラスの約半分が俺と似たような状態になっていたのだから、別に俺は責められたりはしないだろう。
それよりも気になっていたのは、いつも後ろから来るシャーベン攻撃が未だに無いことだ。
まさかハルヒもへばっているんじゃないだろうなと後ろをチラリと窺う。
どうやらダルそうな表情をしながらも意識ははっきりしているようで、大きな目で俺を睨みつけ直ぐに目線を窓へと逸らした。
 
それからの数時間のことはよく覚えてない。意識をはっきりと取り戻すのは授業終了間際くらいだったからな。
その他の時間は、俺は幻想世界と現実世界を何度も行き来していた事しか思い出せない。
直ぐ近くに迫っている期末テストのことを考えるとぞっとするが、まあ何とかなるんじゃないだろうか…。
後ろでアヒル面をしている奴にご教授願うと言う、あまりお薦め出来ない最終手段もある。
 
それからしばらくしてようやく授業終了の鐘がなり、拘束から逃れた開放感と数十分後に再び始まる授業への倦怠感が入り混じった昼休みに入った。
俺は新入女子生徒のランク付けについて熱心に話している谷口。
期末テストの話を出してその谷口のテンションを下げる国木田の話を聞き流し気持ち悪い温かさになっている弁当をそれなりの速さで片付けた。
前者の話はどうだっていいし、後者の話は俺も聞きたくはない。
幸いここを離れる口実がある訳で、俺は団長様に命じられた任務を果たそうと席を立った。
 
はてさて?ここは風の通り道にでもなっていたのだろうか?
部室棟の文芸部部室までに通じる廊下は比較的涼しい風が吹いており、俺は今日初めての爽快な気分を味わった。
教室にもこれくらいの良い風が吹いてくれると助かるんだがね…。
冷房機具を置く気が無いなら、せめて校舎の通気性くらいは考えてくれても良いものの…。
爽やかな気分になれる廊下はすぐに終わり、もう少しここを歩いていたいと言う気持ちを残しながら部室の扉を開けた。
部室にいたのは予想通り長門のみで、手にはいつものハードカバーではなく小さな文庫本が乗っていた。
俺が声を掛けると、長門は俺に3秒程顔を向け直ぐに本に顔を落とすと言うお決まりの動作をし、また手以外を動かさなくなった。
思えば昼休みにも放課後にも長門が部室にいなかった事はほとんどなかったな。
文化祭の時も思ったが、こいつはクラスの奴らとも仲良くやれているのか?
お前も仕事なのは分かるが、色々な奴らとの交流を深めるのもいいもんだぞ。
さてと…、さっさと言われた事を終らして帰るとするか。
笹の葉は部室の片隅に立てかけられており、短冊も付いたままだ。
これは取っておいたほうがいいだろうな。
短冊を手荒に外していると、ふとハルヒが書いた短冊が目に止まる。
もし15年後本当に地球の自転が逆になるんじゃないかと少し恐怖した。
バカバカしい………。
本気でハルヒもそんなこと望んでいないだろう、多分そんな事態にはならないだろうさ。
 
古い短冊をゴミ箱の中に放り込み、役目を終えた俺が部室を出ようとしたときだ。
「…あまり深く考える必要はないと思われる」
後ろから涼しく無機質な声が聞えてきた。
振り返ると、文庫本を鞄にしまい教室に帰る準備をしている長門の姿が目に入る。
「何の事だ長門?」
俺がこのとき考えていた事は二つで、どちらも深刻と言えば深刻、下らないと言えば下らないことだった。
俺の心を長門が読んだのかは分からないが、こいつならそんなことくらい簡単にできるだろう。
「煩はしかりつることはことなくて、やすかるべきことはいと心苦し」
長門は何かで読んだ覚えのあるような言葉を口にした。えーと…何処で聞いたっけな?
「徒然草、第百八十九段」
………すまん長門、俺には思い出せん。
 
 
教室に戻った頃には昼休みも残り僅かで、ハルヒも含めほとんどのクラスメイトは教室に戻っていた。
「なあ、お前昼休み何処に行ってたんだ?」
ハルヒは昼休み、SOS団活動があるとき以外は大体学食にいる。
しかし帰りに通り過ぎた時にそこでも見かけなかったので少し気になり聞いてみる事にした。
いや別にこいつがどこで何をしているかに興味がある訳ではなく、何か企んでいるんじゃ無いだろうかと心配になっただけだ。
「別に何処に居たっていいじゃない、屋上よ屋上」
屋上?はて何故にそんなところに―――
訳を聞こうとしたとき、鐘と共に英語教師が教室に入ってきて会話は中断された。
まあいい。あいつの表情は何か企んでいる時の物とは違ったし、今日は七夕だ。
願い事を書いて吊るす以外に特にイベントはないだろうよ。
 
 
 
さて…、皆さんなら分かるはずだ。昼休み後の授業で気を保つのは難しいと…。
無論俺だって襲い来る睡魔に抵抗した。だがな、睡魔に抵抗するにはよほど何かに集中してないといけない訳で。
そんな集中力など端から持ち合わせていない俺は直ぐに睡魔に屈服し―――
 
「なーにボーとしてんのよ」
アップ顔のハルヒが俺を覗き込んでいた。
…どうやらホームルームが終っていたらしい。
確かに鐘の音を二回ほど聞いたような気はしたが………まったく、我ながら情け無い…。
「ほら、時間の無駄!さっさと部室行くわよ!」
ほとんど寝起きの俺の腕をハルヒはいつもの様に強引に掴み、部室に向かって俺を引っ張っていった。
「お、おいっ!鞄くらい持たせろ!」
と言うか恥かしいから腕を引っ張るのは止めなさいそこ!
通り過ぎるときに北高生達が「またか…」と言いたそうな顔で俺達を見るのがクソ忌々しい。
ハルヒはあっという間に俺を引っ張りながら部室前まで走りぬけ、乱暴に部室の扉を開けた。
そろそろやばいんじゃないかこの扉も…
「おっ待たせー!皆揃ってるわよね!」
部室には既に長門、朝比奈さん………、あと古泉。つまり全員揃っていた。
ハルヒはようやく俺の腕から手を離して団長席まで歩いてき、椅子にドカッと座ってから言葉を続けた。
「今日は皆分かってると思うけど七夕だからね。勿論今年も願い事吊るしをやるわよ!」
ハルヒは拳を上げて高々と叫んだ。やはり、と言った所だろう。
予想はしていたが対策はしていない、さて何を書いたら良い物だろうか…。
「じゃ、また短冊渡すから。ほらキョン皆に回しなさい」
と、何処からとも無く出したSOS団団員数の二倍はある数の短冊を俺は受け取り………。
………待て、一人二つ?まさか今年も馬鹿らしい願い事を二つ書けと言うのか団長様は。
おいおい…、一つでも苦しいと言うのに全く…。
何とか妥協して貰えないかという、望み薄なお願いをしようと俺はハルヒに言った。
「なあ、今年も二つ書くのか?」
「見れば分かるでしょ」
ああ、分かってるから言ったんだが…。
「頼むからせめて一つにしてくれ、未来の願い事なんて考えるだけで一苦労だ。去年書いた奴以外にまた二つ書けとなると、流石に俺には考え付かん」
さあ言ったぞ俺は。どうせハルヒの反応は俺を馬鹿にするか、不機嫌になるかだと思っていた。
古泉にはバイトに行ってもらわなければならなくなるかもしれんと、心の中で古泉に謝っていた。
だからハルヒの反応は以外だった、拍子抜けと言うかなんと言うか…
「何言ってるのよ、また去年と違う願い事書けなんて言うわけないじゃない」
「……………は?」
ハルヒの言った事がいまいち理解できなかった俺は思わず声が出てしまった。
「は?って何よキョン。だいたい毎年違う願い事書いて、それを全部叶えて貰おうなんて図々しいとは思わない?」
俺はお前の口から図々しいなんて単語が出るとは思わなかったよ。
「だったらその短冊には何を書くんだ、まさか去年と同じ願い事を書けってか?」
「当たり前じゃない、それ以外に何を書くのよ?」
それだったらやる意味が無いだろうが、織姫と彦星だって二つも同じ願い事が来たら困惑するだろ。
ハルヒは「分かってないわね」と言うような顔をし。
「いいキョン。地球からのベガとアルタイルの距離は25光年と16光年あるのよ。
そんなに距離があったら、道中で願い事に邪魔が入って届かない事があっても不思議じゃないわ」
いったいどんな邪魔が入るって言うんだ、そもそも願い事の邪魔とか意味が分からん。
「ブラックホールに吸い込まれたりとか未知の生命体との接触とか、とにかくそんなものよ。それにもしかしたら、織姫と彦星が届いた願い事を忘れているかもしれないじゃない。これは忘れないように念を押すための短冊よ。流石に二回言われて忘れる奴なんていやしないわ!」
やれやれ…、ここらへんで言い合うのは止めておこう。
どうやら俺の懸案事項の一つは解決されたようだし、変に突付いて蛇を出す必要もあるまい。
遠巻きに俺たちのやり取りを見てニヤニヤしている超能力者の顔が気に障ったのも理由の一つだが。
 
「はい、じゃあ皆去年と同じ願い事を書いてね。出来るだけ一字一句違わないようにしなさいよ」
ハルヒの一声と共に、俺たちはそれぞれ去年書いた願い事を再び短冊に書き―――確かに見れば見るほど俗物だな…もう少し夢がある事を書けばよかったか?―――去年と同じ様に笹に吊るした。
短冊を吊るし終わった頃には、既に部室の空気は日常的なものに戻っていた。
長門は文庫本を取り出し、朝比奈さんはお茶を煎れにコンロに、古泉は俺を囲碁に誘ってきた。
ただだらだらと過ぎ去っていく部活時間。
一年もたった今では、ハルヒが持ち込んでくる厄介事も日常の一つになっているように思える。
このような休息時間の合間に、月に一回ほどの割合でハルヒは俺たちを奔走させる。
迷惑だとは思うが、これも中々楽しいと思うときもあり、俺の好きな日常の一部となっていた。
開始数分で勝敗が見えてきた碁盤から目を離し、ほんの少し暗くなった空を俺は見上げた。
 
どうやら今日は絶好の七夕日和みたいだな。
 
 
 
パタッ…と本を閉じる軽い音がした。長門が本を閉じた音であり、SOS団活動終了の合図でもある。
外に出ると夕焼けになっていた。気温も下がりこの時間帯は過しやすいと言えるだろう。
SOS団御一行は前に三人娘、その少し後方に野郎二人と言うお決まりの陣形で帰路に着いていた。
その途中、ふとハルヒが立ち止まり。
「あたしちょっと寄る所あるからあんた達先に帰っててね。みくるちゃんと有希は暗くなる前に帰りなさいよ、暗い夜道をうろついてたらキョンみたいな男に襲われるかもしれないわ」
何だその例えは、俺は健全な男子高校生であり暴漢ではない。そもそもそんなことする度胸持ち合わせちゃいねえよ。
ハルヒはじゃあねと手を振って横道に逸れ、直ぐに見えなくなった。
俺がハルヒが消えた道の角辺りを見てると、横から可愛らしいお声が耳に入ってきた。
「どうしたんでしょうね?涼宮さん。部室にいた時も何となく元気なかったような気がしますし…。それに今日は…。キョン君、涼宮さんから何か聞いてませんか?」
本当に不思議そうな顔をして、朝比奈さんが俺に聞いてきた。
「いいえ、何も言われてませんよ。また何か企ててるんじゃないですかね?」
朝比奈さんはまだ考え込んでいるような顔をしている。
「考え過ぎじゃないですか?どうせ大した事じゃありませんよ」
………多分な。
朝比奈さんは納得していない顔をした後、不意に耳の後ろに手を当てた。
野球大会の時も見たことがある、俺が考えるに未来との交信でもしているのだろう。
朝比奈さんは耳の後ろに手を当てたまま、始めは険しげな表情、次には諦めた表情となった。
「えっと………、朝比奈さん?」
あのーどうしましたかー?朝比奈さーん、もしもーし?
それから7の階乗を暗算で求めるくらいの時間が経った後、ようやく朝比奈さんは耳から手を離した。
「残念ですけど…、私が出る幕ではないみたいです」
少し残念そうな顔と声色で、静かに呟いた。
「どう言うことですか?何かまた…」
「ああいえ、大した事じゃないんです。あ、これは私達の組織にとっては大したことじゃないって意味ですけど」
いやそう言われると気になるんですが…。
「私にも詳しく教えて貰わなかったの。『今回の件には関わる必要はない』とかそれと…」
朝比奈さんは何かを言いかけたように見えたが、途端に口をパクパク開けるだけで言葉が出てこなくなった。
「…すいません。これ以上は禁則みたいです」
………少し気になったがまあいいだろう。それに未来が関わってこないという事は、そんなに重大な事ではないようだし。
「私も気になりますけど、これじゃあ私にはどうにも出来ませんし…」
途端に朝比奈さんは俯き始めた。これはイカン、フォローしなければ。
「朝比奈さんが気にする必要ありませんよ。大事ではないんでしょう?」

俺がそう言うと、朝比奈さんはしばらく悩んだ顔をし。
「そう…ですよね…、明日になれば多分分かる事でしょうし…。それじゃあ私はお先に失礼します、また明日キョン君」
それから俺達全員にさよならを言い、朝比奈さんは下を向いて何かを考えながら歩き出した。
考えながらの歩行は危ないですよ朝比奈さん、特にあなたは。
俺は朝比奈さんの姿が小さくなって行くのを見送った後、何となく隣にいた超能力者に視線を移した。
その古泉はと言うと怪訝な顔をし、携帯電話を取り出して誰かと通話しながら今来た道とは反対方向に歩いていった。
その途中で古泉は俺にアイコンタクトを取って来たが、悪いな古泉。お前の意思は俺には読み取れん。
と言うか一言くらい何か言ってくれれば良いものの…、黙って行かれると不安になるじゃないか。
それにしてもハルヒは何処に寄るつもりなんだ?古泉の行動からすると何かヤバイ事のような気がするが…。
しかし朝比奈さんの話では大したことではないようだが…?
まあしかし、考えてみればそんなこと俺が気にしたってしょうがないし仕方が無い。
何かが起ったとしたって俺にどうしろと言うんだ?
俺は止めていた歩みをまた動かして家へと帰ろうとした。
しかし数歩程歩き出したのも束の間、後ろから長門が声を掛けてきた。
「追いかけた方がいい」
その声に深刻な響きが含まれていたように聞えた俺は、すぐさま振り返り長門と向かい合った。
「追いかけるって…ハルヒをか?」
「そう」
長門は即答すると、すぐさま言葉を続けた。
「あなた一人の方が好ましいと思われる」
…俺一人でだと?何でそんな…、それにハルヒの姿はもう見えないし、あいつも何処に行くとかは俺たちには言わなかった。
何故追いかける必要があるかはさて置き、何処に行ったかも分からなかったら追いかけられないじゃないか。
「今日は何の日?」
長門は珍しく疑問系で聞いてきた。考える必要もない、七夕だ。
「あなたは涼宮ハルヒが何処に向かったか、見当が付けられるはず」
そんなこと言われてもな…。
「大丈夫」
そういい終えると長門は踵を返し、スタスタとマンションまでの道のりを歩いていった。
夕暮れの道に取り残された俺は一人、なんか寂しいものだ。
長門は俺がハルヒの居場所の見当が付けられると言った。
確かに長門に今日は何の日だか聞かれたときに、俺は何となく見当は付いていた。
織姫と彦星、二人へのメッセージを書いた校庭の巨大宇宙文字。………ジョン・スミス。
 
東中だ。
 
何を思って今更そんなところにハルヒが足を運ぶのか俺は分からなかったが、とにかく行ってみるしかないだろう。
しかし東中までの道のりを整理しながら歩き始めるや否や、今まで雲ひとつ無かった空が俄かに曇り始めた。
おいおい…、確か天気予報では雲ひとつ無い星空が眺められるんじゃなかったのか?
妙な不安を感じ、俺の足は自然と早足になりはじめる。
その直後だ、突如俺の嫌な予感を増幅させるが如く大粒の雨が降り始めた。
くそっ!夕立もいい所だ、傘なんて持ち合わせてないぞ…。
 
何時の間にか俺は走り出しており、しかし降り注ぐ雨は中々の強さで東中の近くに来るまでに俺は完全に濡れ鼠と化した。
まったくやれやれだ。これで東中に居ませんでしたとかは勘弁してくれよ。
もうここまで来たらいくら濡れても同じだろう。俺はゆっくりとした足取りで東中校門まで歩いていき…あらあら…、なんつう事だ。あいつはどこかで雨宿りしようと考えもしなかったのか?
俺と同じくずぶ濡れになったハルヒが、校門の柵の前からひたすらグラウンドを見つめていた。
「おい!」
俺は降りしきる雨の音に負けないように声を張り上げる。
「なっ………!?」
ハルヒは俺の声に1cm程飛び上がり、何か恐いものでも確認するようにゆっくりと首を動かした。
ただでさえ大きな目を見開き、驚いた表情で俺の顔を5秒程直視していたが、俺だと言う事をようやく確認したのだろう。
その表情がしだいに驚きから残念そうな表情に変わっていった。
「あーもう…、紛らわしいことするんじゃないわよキョン。それに何しに来たのよアンタ?」
「それは俺のセリフだ。お前が何しにここに来てるのかまず教えろ。それと紛らわしいって一体何………」
ここまで言いかけて俺は口を噤んだ。
全く忘れていた…。俺のさっきの第一声は、4年前に俺がハルヒに声を掛けた時のセリフと全く同じだと言う事に。
途中で言葉を切った俺をハルヒは訝しげに見ていたが、すぐにそっぽを向き。
「別に…」
と一言。それからスッパリと黙ってしまった。
こうなるとハルヒは自分からしか話し出さないだろう…。俺も黙るしかない。
聞えるのは降り注ぐ雨の音と、たまに遠くから聞える車の音のみ。
こう言うのを静寂と言うんだろうな。その静寂が少しの間続いた。
そして静寂を破ったのは、やはりハルヒからだった。
「あたしが中学一年の時、七夕の日にここの校庭に巨大文字を書いたのは聞いたことあるわよね?」
勿論だ。聞いたどころか直接その現場に居合わせた訳だが。
「あれね、あたしが一人で書いたわけじゃないのよ。この柵を越えようとしたとき変な………、そう変な奴!そいつがいきなりあたしに声をかけてきたの。そりゃあ怪しかったけど悪い奴じゃない気がしたから、あたしはそいつに文字を書くのを手伝わせて…。今思うとホント変な奴だったわ。普通の奴ならいきなり手伝えって言われて、はいそうですかって承諾すると思う?」
俺は普通の人間だと大きな自信をもっているがね。お前が知らない奴だったら俺も手伝ったりしなかったよ。
俺の回答を待たずにハルヒは再び口を開いた。
「あまりに変な奴だったからあたしも試しに聞いてみたのよ。宇宙人未来人超能力者異世界人はいると思うかって…。バカにされるかキッパリ否定されるかどちらかだと思った。そしたらそいつの回答は、異世界人とはまだ会ったことないけど、その他の三者は知り合いみたいな事を言ったのよ。適当に返されただけかもしれない。でもあたしにはそいつは本当のことを言ってるように感じたの。勿論名前は聞いたけど匿名希望って言って軽く躱された。顔はよく見てなかったから余り覚えてないけど…。うん…、なんとなくあんたと似ていたような気がしたわね。北高の制服も着てたし」
俺は既にビッショリの背中に冷や汗が湧き出るのを感じた。
いいかそれ以上思い出すなよ、思い出すな………!
俺の願いが通じたのか、ハルヒは俺を疑うことなくまた語りだした。
「ホント無理にでも名前聞き出しとけばよかったわ。北高の前に張り込みもしたし、全員の顔写真も調べてみたけど、それらしい奴はいなかった。もしかしたらあの夜みたいに変なことをしてれば、またそいつが現れるかも知れないとも思ったの。だから………。ほら、あんたも聞いたことあるでしょ谷口に。あたしが東中でやったこと」
学校中に変なお札を張り付けたり、屋上に星マークをペンキで書いたり、朝来たら教室の机が全部外に出されていたり。
去年谷口が言ってた事を俺は思い出した。
 
「そうそれ。不思議を探そうとしてやったってのもあるけど、大体半分はあいつにまた会うため。まあ結局現れなかったけどね。告白断らなかったのも同じ理由、もしかしたらあたしに近づいてくる奴の中にあいつが…。あいつが居るかもしれないって思ったから…。でもどいつも分かりやすく平凡だった。何も不思議な感じはしなかったし、話題も行く所もありきたり。谷口なんて特に分かりやすいから受けてすぐ振ったわ」
やはり五分で振られたのはあいつだったのか、そりゃああの時焦ったわけだ。
それにしてもハルヒがそこまでジョン・スミスを熱心に探していたとは…。何か悪い事をしたような気がする。
それから何故かハルヒは少しづつ早口になりはじめた。
「他にもやったことなんて色々あるわ。次の年の七夕にも期待半分で校門前で待ち伏せてたりもしたの。その次の年もまた次の年もね…。毎年来てるのよ、ここ。もしかしたらーって考えたの。…でも結局会えなかった。北高に入って、全部活動とか、卒業名簿とかも調べたけどそれもスカ。未だにあいつが何者なのか、分かってないのよね、あたし…」
 
…なんだ?最後の方で妙に息継ぎが多かったような…。それに声の調子がいつもと少し違っていた。
ハルヒはずっと俺と同じ方向を見て、つまりそっぽを向いて話しているため、どんな表情をしているのか俺には分からない。
「あの時みたいに夢だったのかもしれないわね…。あたしがあいつに会った事も全部…」
ハルヒはボソリと呟いた。俺の脳内に瞬時にあの灰色空間での出来事がフラッシュバックする。
気のせいだろうか…?今のハルヒの声が少し―――
 
震えていた………?
 
「この世に不思議な事なんて…。もしかしたら無いのかもしれないわね…。どれだけやっても見つからない…。人一人見つける事すら出来ないっ…!」
…ちょっと待て、どう言うことなんだ…?明らかにハルヒの様子がおかしい。
ハルヒの…、涼宮ハルヒの口からこんな弱気な言葉が出るとは俺は思わなかった。
「もういい…」
ハルヒは震える声で言った。
「帰る。何であんたなんかにあんなこと話したのかしらね、さっき言った事全部忘れていいわ。あんたもさっさと帰りなさいよ」
最後まで俺の方を向かずにハルヒは早足で歩き出した。

その時、俺の中の何かがハルヒを引き止めろと警報を鳴らし、気付くと俺は去っていくハルヒに向かって走り出していた。
「ハルヒ!」
思わず言葉が口から吐き出され、気付くと俺の手はハルヒの腕を掴んでいた。
「何よっ!」
俺に腕を掴まれたハルヒは、振り返り俺を睨みつけてくる。
ようやく俺は、ハルヒの顔を正面からよく見ることが出来た。
俺と同じく顔もずぶ濡れで、肩辺りで切り揃えられた髪は濡れて顔に張り付いている。
しばらくは雨のせいで気付けなかった。髪から滲んできた水が整った顔を通り顎から滴り落ちる。
髪以外の所からも滴り落ちていた。目蓋に何かが溜まっている…。
……………涙?
 
 
涼宮ハルヒが泣いている…!?
 
ハルヒの腕を掴みながら、俺はしばらく何も考えることが出来なかった。
涼宮ハルヒが泣いている。何故だ?何が原因なんだ?
…いや、原因が何かは分かっている、………俺だ。
ハルヒは4年前のこの日から、ずっと俺を、ジョン・スミスを探し続けていた。
どんな手を使っても手懸りすら掴めず、何度絶望した気分に陥ったかは俺にも分からない。
会えるはずもない。ジョン・スミスたる俺は去年の七夕まで、長門宅の一室にて時間を凍結されていたからだ。
話に聞いた奇行は全部、俺と会うためだったのか?
周囲に奇怪な目で見られながらも、他人には理解出来ない行動を続けていたのは…。
「ちょっとキョン!いい加減手を離しなさ…」
俺は自分はジョン・スミスだとハルヒに明かしたい衝動に駆られたが、辛うじて押さえることが出来た。
 
しかし残念なことに…もう一つの衝動は押さえ切れなかった。
 
 
「ち、ちょ、ちょっとキ、キョン!?い、いきなり何し」
 
なぜこんな行動に走ったかなんて俺には聞くな。その…あれだ、思わずって奴だ。
俺はハルヒの腕から手を離し、代わりにハルヒを強く抱きしめていた。
第三者がこれを見たら、酷く俺を非難するだろうが言わないでくれ。
二つの衝動を同時に押さえ込むなんて俺には無理がある。
この状態でしばらくじっとしていたいとも思ったが、このまま沈黙が続くと鳩尾に強烈な手刀を喰らう気がしたので俺は口を開いた。
「ハルヒ」
ずっと俯いて何やら言葉にならない小さな声で呻いていたハルヒが顔を上げる。
…くそ!続く言葉が頭に出てこねえ!考えろ、考えるんだ俺!
「…何お前らしく無い事を言ってるんだ。それにそいつがいくら探しても見つからないってことは、そいつはお前が探している不思議な存在ってことじゃないか。お前が諦めずに探し続ければ絶対に会えるはずだ、ああ何となく俺には分かるさ。一人で探すのが辛いんだったら、それなら俺も一緒に探してやる。ああ、最後まで付き合ってやるさ。それに俺だけじゃない。朝比奈さんや長門や古泉だっている。お前は一人じゃないはずだろ、問題を一人で抱え込んでないで俺達に相談くらいしろ」
ここまで言って言葉が詰まる、さて…他に何を言うべきだろうかね?
いや分かってるさ。こんな行動をしといて言わなかったら、ハルヒだけじゃなく女全員の敵になっちまう。
「あのな、ハルヒ」
俺は大きく息を吸う。いい加減覚悟を決めろ俺、ずっと前から気づいていた事じゃないか。
「お前は自分勝手だ。いつも自分で何でも決めて、他の奴らの言葉なんて余り聞かずに突っ走って行っちまう。追いかける側の身にもなってみろ、かなり大変なんだぞこれ」
ハルヒは俯いたままだ、俺だってそんなことを言いたいわけじゃない。
「だけどなハルヒ、俺はお前のその行動力に感心さえもしていた。羨望って言った方がいいな。俺が既に諦めた事を今でも諦めずに探している、そんなお前の姿勢は俺の憧れでもあったんだよ」
まったく…、いい加減言いたい事を曲げるのは止めろ。ほら言うぞ、覚悟はいいな俺?
 
「ハルヒ、こんな事した後で申し訳無いんだが…言わせて貰うぞ。俺はな…ハルヒ、お前のことがs」
「ち、ちょっとま、待って!ストップ!」
ようやく口を開いたハルヒの声が、意を決して言おうとした俺の言葉を遮った。
見ると顔を真っ赤に染めており、俺と目が合うと目線だけをプイッと逸らした。
やれやれ…。俺だってそれなりの覚悟で言おうとしてたんだから遮らないで欲しいね。
「ひ、卑怯よキョン!あたしが黙ってるからって一方的に話し続けて!そう言うことはね、あ、あたしから言わせなさいっ!」
 
………スマン、今何と?
「二回も言わせんなっ!バカ!」
まったく…やれやれだ、すっかりいつもの調子に戻っている。
それじゃあ聞かせて貰おうじゃないか。
ハルヒは真っ赤な顔で、今度は顔まで完全に俺から逸らし。
 
「あ、あたしもキョンの事が…その、……………ボソ………」
 
最後の言葉は物凄く小さいものだったが、俺にはしっかり聞き取れた。
「…そうかい」
俺はハルヒの背中に回していた手を離し、ふと気が付いて空を見上げた。
俺に釣られてハルヒも同じく空を見上げる。
空を覆っていた分厚い雨雲は、いつの間にか綺麗サッパリ消えていた。
こんな短時間で雲は一体何処まで飛ばされたんだと思う程、夜空には大量の星が散らばっている。
「雨、いつの間にか止んでたんだな。随分強かったんだが…」
「ほんと、濡らされるだけ濡らされたって感じよ。あったま来るわねあの雨雲」
それ所かかなり暖かい風まで吹いてきている。おいおい…、熱帯夜の季節はまだ先だろ。
「あーもうっ!靴の中までビショビショね。明日までに鞄も乾かさないと…。ほらキョン!風邪引く前にさっさと帰るわよっ!」
ハルヒは先ほどまで泣いていたとは思えない100Wの笑顔を俺に向け、俺の手を握って横に並んで歩き出した。
心なしかハルヒはいつもよりゆっくりと歩いており、俺もそれに合わせてゆっくりと歩く。
俺の隣で輝いている太陽を見ていると、雨に濡れた服なんて直ぐに乾いてしまう気さえした。
 
 
 
俺はいつの日か、恐らく何も起らなくともハルヒに本当の事を全て話してしまうだろうと思った。
SOS団メンバー全員の正体のこと、ジョン・スミスの事、ハルヒの力のことも。
いつになるかは分からない。だが俺は絶対に話してしまうだろうと何故か確信が持てる。
それ以前に今俺は、ハルヒに全てを話しても大丈夫だと考えてさえいる。古泉らの考えとは異なるだろうが。
たとえ全てを知ったとしても、ハルヒは世界を狂わせたりはしない。
 
そう感じることが出来たんだ。
繋いだ手のほのかな温かみと、こいつの嬉しそうな声。
 
それになにより…、この満面の笑顔を見ているとな。