七不思議セブンデイズ (126-110)

Last-modified: 2010-04-09 (金) 21:55:37

概要

作品名作者発表日保管日
七不思議セブンデイズ126-110氏10/04/0710/04/09

 
季節はずれですが、バレンタインデー後の話です。

七不思議セブンデイズ

1-1 プロローグ

 
 冬が来るたびに、はて去年の冬はこんなに寒かったっけなと疑問に思うわけだが、まだ十数年しか生きていない若造が言うにはじじむさい言葉かと反省しつつ、まあ夏になったらなったで去年の夏はこんなに暑かったっけと思うわけだ。
 今の俺には気候の変動をいぶかるに足る理由がある。その理由とは、もちろんSOS団団長涼宮ハルヒの存在だ。夏は暑く、冬は寒いもの――ハルヒがそう思えば思うほどエスカレートしていくんじゃないか、と。
 気団の動静に影響を与えるかもしれない唯一の人間は、別に人型気象兵器ではなく、むしろ天気そのものといったほうが正しい。ハルヒの心ひとつで風が吹き、雨が降り、大雨が降り、でも晴れて虹も出たりする。
 
 今週の月曜日はバレンタインデーだった。
 予想をはるかに上回るごたごたの末、なぜかきれいに収まってしまったバレンタインデー。しかしハルヒがやることの余波はまだまだ続いていたっていうのが今回の話。と言っても超能力誘拐団や存在自体が嫌味みたいな未来人野郎に出番はなく、ただ一つこじれにこじれていたのはまあいつもの通りハルヒの気持ちってわけだ。

1-2

 登校中に合流した谷口とともに俺が教室にたどり着くと、ハルヒはすでに席についていた。
 先日のバレンタインデーイベントで一仕事終えたハルヒは、満足げな様子で俺のひとつ後ろの席に腕を組んでふんぞり返っている――と思ったのだが。頬杖をついて、曇り空の町並みを眺めている。拒絶オーラ全開で、隣の席のやつと談笑するでもない。
「おはよう、ハルヒ」
 殊勝に挨拶を発した俺に対し、ハルヒは己の虫の居所の悪さを見せ付けるように頬杖のまま目だけを動かし「……おはよ」とだけ言った。
 ったく。どうせ朝ごはんに目玉焼きがなかったとか、つまらん理由でむくれているのだろう。こんなときはそっとしておくのが一番だということを俺はこの一年で学んでいた。俺の弁当の冷凍食品が自然解凍して食べられるようになるころには、ハルヒの機嫌も直っていることだろう。
 ところがそれを学んでいない谷口ことアホが、俺とハルヒのいる方角を見てニヤニヤとアホ面を決めている。月曜日に俺とハルヒの間になんか甘酸っぱい出来事があったんだろうとか妄想をたくましくしているのかもしれんが、ねーよ、んなもん。つうかお前も中学からハルヒと一緒なんだから少しは扱い方を学びやがれ!
 校外の監視作業を続けていたはずのハルヒが目ざとくこの視線に気付いた。すぐさま俺の椅子の脚に蹴りをくれ、襟首をつかんで恐るべき膂力で引き寄せる。
「っぐぇ」
「あんたまさか、谷口のバカにこの間のことしゃべったんじゃないでしょうね!」
 俺がつぶれたヒキガエルのような声を出しつつ窒息の恐怖におびえていることも気にかけず、ハルヒが尋問してきた。
「……言って、ない」
 ふん、と鼻をならすと俺を解放した。
「あれは俺たちだけの秘密だろ」
「……ばっ、ばか!誤解されるような言い方やめてよね!」
 再び頬杖状態にもどって、ハルヒ。
 ……同じ“ばか”でも谷口に向けられたものとは、なんとなくニュアンスが違うような気がした。

 ふと目をやると、廊下を見知った姿が通り過ぎた。
 そいつは特にこちらを見たわけではないのだが、なんとなく俺は追いかけなければならないような気に駆られる。幸いにもハルヒは今度は気付いていないようだ。
「ちょっとトイレ」
「いちいち言わないでよ、汚いわね」
 悪うござんしたね。言わなければ言わないで、どこに行くのか尋ねるくせに。
 
 廊下の柱をバックに男子がモデル立ちしていた。朝から無駄にさわやかさを振りまく美男子であり、薄目で見れば女性向けアイドル雑誌のグラビアに見えないこともない。
 こいつと文芸部室以外で話すことは俺にまったくいい予感を抱かせない。で、結果的には今回もその予感は当たっていた。
「なんだ、古泉?」
「おはようございます。お呼び立てしてしまってすみません」
 やっぱり呼ばれていたのか。以心伝心するならこいつじゃなく、朝比奈さんや長門相手がいいぜ。
「僕はうれしいですよ?言葉も交わさずに伝わる仲なんて、少年マンガのようではないですか」
 うっさい。早く用件を言え。
「昨日、今日と閉鎖空間発生の頻度が上がっています」
 なんだって?ハルヒは月曜日のあれで満足したんじゃないのか?
「僕もそのように思っていたのですが。なにか心あたりは……ないようですね」
 
 閉鎖空間とはハルヒの機嫌が悪くなると発生するらしい不思議空間のことだ。逆に言うと機嫌が良いうちは発生しにくく、ハルヒは月曜日以来機嫌がいいはずなのだが。月曜日に何があったかと言えば、当然バレンタインデーだ。先週一週間のあれやこれやの果てにたどり着いた鶴屋山。俺と古泉はそこでSOS団女子部からチョコを譲り受けた。
 ハルヒは2月上旬をこのイベントのために費やし、成功させて満足したのではないのか?それとも他の何かがハルヒを悩ませているのか?
 女心は、いやハルヒの心は分からん。
 
 結局この日はずっとハルヒの機嫌は優れなかった。
 印象的なのは朝比奈さんだ。普段だったら不機嫌なハルヒに対しては口内炎に薬を塗るようにおっかなびっくり接するのが常だが、今日は違った。言葉少ないハルヒに対してかいがいしく世話を焼き、ハルヒもまたされるがままであり、どうもハルヒが不機嫌になっている理由を二人は共有しているようだ。まあ長門はいつもどおりだったのだが、俺と古泉はただ頭の上にハテナを浮かべることしかできず、なんとなくイマイチなまま一日が過ぎていった。
 事件と呼べそうなものが表面化したのは翌日だった。

2-1

 明けて翌日、といっても既に放課後だが、今日も今日とて俺はSOS団が営巣する文芸部室に向かっていた。廊下の窓からは、空一面を覆う分厚い雲が見える。曇りの日は、旧館の廊下は廃墟同然に薄暗い。なぜか誰も蛍光灯つけないんだよな。
 床から迫ってくるような冷気に身震いする。早く朝比奈さんのお茶で温まりたい。
 通過儀礼としてドアをノック。当然ウイスパーボイスの返事を期待するわけだが、返ってきた返事は、「キョン、遅い!」というハルヒのものだった。部室には俺を除く全員が集まっており、ハルヒは映画撮影に使ったデジカムを装備していた。どうやら出かけるところのようで、下校時刻でもないのに長門が本を閉じているのが新鮮だ。
「どこか行くのか?」
「キョン、3秒でカメラ用意して!今日は旧館を探索よ!」
 ハルヒは今日は平常営業だった。授業中も今も、SOS団結成当時のようなやり場のない謎パワーに満ち満ちていた。
 旧館の探索だって?何だ、今更。
 
「あたしは驚くべきうわさを耳にしたわ。それは学園の七不思議!そのひとつ、旧館の座敷わらしが目撃されたのよ!これは信頼すべき筋からの情報よ」
 
 ……七不思議とはまた古典的な題目だな。
 巨人やら宇宙カマドウマやら時間移動者やらとのしょっぱいイベントに遭遇してきた俺からすると、一周回って目新しく感じる。まあこいつはそんなこと知る由もないが。
 ハルヒは自分で言っていてテンションがあがってきたのか、ポーズをつけて続ける。
「あたしとしたことがうっかりしていたわ。学園の七不思議といえば学校生活イロハのイじゃない!」
 お前がうっかりしていることには全面的に賛同するが、普通イロハのイといえば新入生ガイダンスとかじゃないのか。それからここは県立高校であり、学園じゃないぞ。
「もうっ、そんなことはどうでもいいの!ほらキョン、カメラの準備できたの!?」
 いっそデジカメもこんな間抜けな目的に使うなとボイコットすればいいのに、バッテリーもメモリも十分であった。
「さ、座敷わらしちゃん捜索に出発よ!見つけたら丁重におもてなしするんだかんね!」
 殺菌作用でもありそうな笑顔だった。

2-2

「なにやってんのよ、キョン!駆け足!」
 マラソンランナーを沿道で追いかける子供のような顔だ。
「ぐずぐずしてたら、よその誰かに捕まえられちゃうかもしれないじゃない!」
 俺は文芸部室のドアにのんびりと鍵をかけている小柄な少女に声をかけた。
「でないよな?」
「座敷わらしはでない」
 オーケー。長門の保証つきなら安心だ。
 
 ハルヒは帆船レースの中に1艘だけ混じったガスタービン船のごとく単身突撃してしまったので、俺は普通の音量で併走する古泉に話しかけた。
「なんで今更七不思議なんだ?」
「今の涼宮さんにとってみれば、普段通りのSOS団の活動に戻すことが重要なのでしょう。学園の七不思議を探すなんて、いかにもSOS団らしいじゃないですか」
 言われてみれば確かにそうだ。SOS団の創立目的は、不思議現象を探し出して一緒に遊ぶ、だったっけ。最近はシーズンごとのイベントを追いかける涼宮ハルヒの団となっていたのはハルヒでも否定できないだろうし、俺は創立目的に至ってはすっかり忘れていた。
「“普段通りの”ってどういう意味だよ?SOS団はSOS団だろ」
「バレンタインで随分と恋愛関係のほうに傾いていましたから、引き戻したいのではと想像します」
「恋愛関係ねえ。あいつは義理だって言ってただろ。聞いていなかったのか?」
 俺の否定を聞き、古泉はライバルの引退宣言を聞いた囲碁棋士のような複雑な表情を浮かべた。
 なんだよ?
「いえ、別に。ところで気が付きましたか?先ほど我々が下りた階段。13段ありましたよ」
 ……それも七不思議のひとつか。と言っても俺は元の段数なんて知らないからイマイチ驚きようがないけどな。
「それにほら、ここに教室がひとつ増えていますよ。涼宮さんはあれだけのスピードで走っているから気付かないでしょうが」
 
 廊下の端でハルヒが立ち止まっていた。
「ねえ、どこにいると思う!?」
 ノープランかよ。

2-3

「はぁ、ふう、みな、さん足、速いです……」
 飛び出したハルヒを追いかけて全員が集合し、メイド服朝比奈さんが息を整えているところで、いきなりハルヒがしゃべりだした。
「えー、こちらSOS団、こちらSOS団」
 何ごとかと思ったらデジカムで自分撮りをしていて、おそらく記録映像モドキを撮りたいらしい。撮った映像は次回の文化祭で朝比奈さんの主演映画と同時上映しようとか企んでいるのだろう。
「あたしたちはいま旧館2階の廊下にいます。なんと!これからあたしたちは北高恐怖の七不思議のひとつ、旧館の座敷わらしのうわさを検証します!心臓の弱い人以外は見逃しちゃダメよ。驚きの展開はこの後すぐ!」
 こんな薄暗い廊下で撮影しても画面は真っ暗で何も見えないだろうと思ったら、準備のいいことに長門が懐中電灯でハルヒを照らした。が、懐中電灯は電池が切れかかっているのか、チカチカ点滅した。
 ハルヒのおどろおどろしい(つもり)の表情が下方から照らされて珍妙な雰囲気が出ているのは確かで、朝比奈さんは「ひっ」と悲鳴を漏らし、俺は「ぷっ」と失笑を漏らしてハルヒに睨まれた。
「あたしの予想によると、座敷わらしちゃんはおとなしい薄幸系美少女ね!黒髪おかっぱで、おとなしいって言っても有希とは別のベクトルだわ。鞠突きとかで遊んでて、はずんだ鞠を追いかけて道路に飛び出しちゃうタイプよ!」
 それは薄幸系というよりおっちょこちょい系だ。だいたい鞠を追いかけて道路に出るって時点で座敷わらしのアイデンティティーが崩壊しているだろ。
「有希はどう思う?」
「栗色の髪の毛を結んでいる」
「でしょ!」
 なんでもいいのか。
「……そうね。座敷って言うくらいだから畳にいるのかしら。朝比奈隊員、確か旧館に茶室ってあったわよね?」
「えっ、私ですか!?ええと、確か1階の端っこに……隊員?」
「よし、総員茶室に急行!見つけ次第確保よ!」
 
 まあこの程度で小難しい顔をやめてくれるのなら、付き合ってやるにやぶさかでないね。長門の保証付きだ、なにも出やしない。どうせ適当な女子に座敷わらし役をやってもらって幕引きとなるだろう。
 ロバート・キャパ賞をとったかのような笑顔のハルヒ隊長には悪いけどな。

2-4

 一人突撃したハルヒは茶室の前で発見された。
 ハルヒは興奮した面持ちで茶室のドアに聞き耳を立てている。こいこいと手招きするので俺も息を整えつつ並ぶと、確かに中から人の気配がする。
 この茶室は正確には元茶室であり、今はもう使われていない。物置になっているわけではなく完全なデッドスペースとなっているので、従って中に人がいる理由がない。
 しずしず歩いてくる長門を見やると、俺の視線を知ってか知らずか、表情筋はひとつも動いていない。大丈夫……なんだよな?
 
 ドバン!と、ハルヒはいきなり元茶室のドアを蹴り開けた。鍵は開いていたのだと思いたい。もしはじけとんだ鍵について器物破損の罪を問うのであれば、SOS団ではなくハルヒ個人にお願いしたい。
「座敷わらしちゃん、逃げても無駄よ!抵抗はさらに無意味と知りなさい!」
 笑顔を満面に貼り付けたハルヒは、右手をピストルの形、左手をそれに添える格好。丁重にお迎えするんじゃなかったのか。
 元茶室のカビっぽい埃のにおいが廊下までもれてきた。ハルヒピストルの先には確かに少女がいた。元茶室には薄手のカーテンが引いてあり、少女は逆光でシルエットとして浮かび上がっていた。
 しかし、「ふぇ……?」と、わらしちゃんがびっくりして漏らした舌っ足らずの声に、俺は聞き覚えがあった。というか今朝も聞いた。いやSOS団全員に聞き覚えがあるはず。
 当然だ。
「妹ちゃん!?」
「あー、ハルにゃん!」
 紛う方なき俺の妹だった。こりゃ一体……?
 茶室から出たわが妹は、ハルヒに抱きつき、長門に抱きつき、走ってふうふう言っている朝比奈さんに抱きついた。うらやましい。
 さすがのハルヒもぽかーん顔を隠せていない。もちろん俺もだ。
「な、何で妹ちゃんがここにいるの?あんたの仕込み?」
 んな訳ないだろ。何で俺たちがお前にそこまでサービスせにゃならん。
 こんなときに古泉はどうしたと思ったら、茶室の中で何かを確認していた。出てきて何か適当なこと解説しろ。
 朝比奈さんのメイド服をしげしげと見つめている妹に、ハルヒは膝を折って聞いた。
「ね、どうしてここにいたの?」
 それに対し妹は「えーっとねぇ……」と、俺の顔とハルヒの顔を交互に見て、
「えっとねぇ、シャミが家出しちゃって、追いかけてたらここまで来ちゃったの」
 猫が電車乗って長い坂道登ってここまで来るのかよ。昔そんな映画があったな。
 
 なんて油断していたら、妹がいらんことを口走った。
「それよりもね、ハルにゃん。キョン君はぁ、ハルにゃんのチョコレートすっごく喜んでたんだよ」
「お、おい!なに言ってるんだ!」
「だって、ケータイで写真とってたもの!」
 妹としては状況をごまかすために言ったのだろう。その目的は確かに成功し、ハルヒはびっくり眼に笑った口という面白顔のまま固まっている。俺は古泉の視線を感じ、なんとなく言い訳の必要性を感じた。
「そりゃあうれしかったさ。ただし、宝探しの結果チョコを手に入れたのが、だ。労働に対する報酬、イベントの帰結としてうれしかったってことだ」
 一息に言い終えると、ぴしりと家鳴りがした。ハルヒはとたん無表情になった。おかしい。なぜか廊下の天井が落ちてきそうな圧迫感を感じる。
「あっあのう。キョン君、ちょちょ、ちょっと待って?」
 妙な流れを感じたのか、朝比奈さんが割って入るが、ハルヒはそれを無視し、
「なにそれ。どーゆー意味?」
 ハルヒは無表情をキープしており、それがむしろ恐怖を感じさせる。
 妹もなんか変だと感じたのか、長門の元へ逃げる。
「端的に言うとだな、義理チョコありがとうってことだよ」
 
 
 自分でもよく分からないセリフだった。この悪い雰囲気をなんとなく終わらせるには次善のセリフだとは思うが、まるであてつけじゃないか。
 空気にひびが入ったような、寒い廊下がさらに寒くなったような、しかしなぜか汗をかく。
 いわゆる“地雷を踏んだ”ってやつだ。
「…ョンだったら…かってくれる…ってお…ってたのに」
 ハルヒはさらに表情を凍えさせて、
「ばか」
 今回の“ばか”はひどく乾燥して、昨日とはまたニュアンスが違うような気がした。
 
 
 多数の非難の視線を感じる。
 なんだよ。あいつ何怒ってんだよ。言わなきゃわかんないだろ。
 しかし俺もなんであんな事言ったんだ……?

2-5

 ハルヒは怒って文芸部室に帰っていった。
 長門は文芸部室の鍵を閉めてしまったので、ハルヒの後についていった。妹は朝比奈さんに事態の解説を求めている。
「僕のバイトをあまり増やさないで欲しいものですね」
 すまん。
「まあそれはいいです。報告しますと、窓はすべて鍵が閉まっていて、鍵には埃がたまっています。しばらくは誰も触っていませんね」
 そうか、ハルヒのことで忘れていたが、妹の件があったんだっけ。
「妹さんがドアを開けて入った可能性も無くは無いですが、涼宮さんが召喚したと考えるのが妥当でしょう。この場合の召喚と言うのはRPG的な”召喚”ですよ」
 ……召喚ねえ。いや、本当にハルヒが召喚魔法でも使ったのかもな。さっき確認したら、妹は財布持っていなかった。俺の家と北高の間は小学生が一人で歩いて来られる距離ではない。
 ハルヒがやったと仮定して、しかし何で妹を呼び出すようなまねをしたんだ?
「個人的な推測ですが、バレンタインチョコに対するあなたの家での反応を聞きたかったのではないでしょうか」
 古泉はいつもより温度の低いため息をし、
「結局あなたはものの見事に地雷に吶喊してしまったわけですが」
 すまん。
「謝る相手が違います」
「悪いが俺、もう帰るよ。妹を送っていかなきゃならんし」
「分かりました。あなたの鞄は僕が部室から回収してきましょう」
 ……すまん。
 
 いつもより早い、妹と二人だけの帰り道。恐る恐る聞いてみた。
「おまえ、本当はどうやってここまで来たんだ?」
「んー、わかんない。学校で遊んでて、気がついたらあそこにいた」
 マジにハルヒパワーかよ。首筋に変な金属片とか埋められてないだろうな。エイリアン・アブダクション的なやつ。
 ……って、ちょっと待てよ。ハルヒに聞かれたとき、お前よくでっち上げできたなあ。
「正直に言っちゃダメってキョン君の顔に書いてあったよ」
 つまりあの一瞬で自分の身に何が起こったか推測し、俺とハルヒの顔色から自分が言うべき内容を想像したってのか!?
 子供だ子供だと思っていたのに、いつの間にそんな能力を……
 妹は無邪気そのものといった笑顔を俺に向け、
「ねえキョン君、なんか甘いもの食べたいなぁ~。ハルにゃんには黙っててあげるからぁ」
 わが妹ながら恐ろしい娘!

3-1

 明けて金曜日。突っついたら降り出すんじゃないかというくらいの曇天だ。
「……おは、よう」
 ―――――
 今朝も窓の外に意識をやっているハルヒに思い切って挨拶するが、3点リーダーすらない、完全な無視。機嫌はまったく直っていなかった。
 俺は授業中も背後にキングコブラが潜んでいるような気配を感じ、1時限目の半ばには
「謝ろうすぐに謝ろう」と意思を固め、午後の授業に至っては半死半生であった。
 最後の時限の終業チャイムが鳴って、さあ謝るぞと振り返ったが既に空席だった。
 とにかく周りの哀れむような視線が、ただひたすらうざったい。
 
 昇降口で確認すると、まだハルヒの靴は残されていた。ずる休みはせず、SOS団に行ったのかも。とりあえず文芸部室に移動だ。
 
「ハルヒは?」
「まだ」
「……古泉は?」
「アルバイトだそうです」
 ……しばらく待つか。能動的にハルヒを探し出して謝罪を済ませるという手もあるが、正直に言うと気鬱な事を先延ばしにしたかったのだ。

3-2

 パイプ椅子に座り、授業中からからに乾いたのどを朝比奈茶で潤す。
「ちょうどいいや、長門に聞きたいことがあったんだ」
 ち、のあたりで顔を上げる長門。
「昨日なんで妹が来ていたこと黙ってたんだ?長門は分かっていたんだろ?」
 いや、責めているんじゃないぞ。単純な疑問だ。 俺の質問に対し、長門は振り子時計のたっぷり3往復分フリーズし、また本に目を落とした。なんか博士が密室に入って冷たいとかいうタイトルだ。俺が再び湯飲みをあおったときに、長門が思い出したようにぽつりと言った。
「聞かれなかったから」
 うーむ。出会った当初にこのせりふを聞かされていれば、なんて機械的なやつだと思ったに違いないが、今はむしろ人間的な言い訳に聞こえた。
 理由は何でもいいんだ――ハルヒに退屈しのぎのタネを与えたかった、俺を驚かせたかった、あるいは、長門も家での俺の反応を聞きたかった――思い返してみれば、黙っていたほうが面白いだろうという長門の意思が感じられた。
 ……なんてな。全部俺の思い込みだけどな。
 俺は去年の12月以来、長門が人間らしい行動を見せると喜んでしまう悪癖を身につけたのさ。
 
 姿勢正しくお茶を飲んでいた朝比奈さんが立ち上がった。
「あの、ね、キョン君。聞いてください」
 どうしたことだ、この真剣な顔と潤んだ瞳。切ない思いをその立派なお胸に抱えているのがもう限界だというのがありありと分かる。分かるったら分かる。
 聞きます。超聞きます。朝比奈さんの口から出るものなら、あくびだって高僧の説法よりはるかに価値があることでしょう。
「あたし、キョン君に言わなきゃダメなことがあるのです」
 このとき俺は油断していたらしい。
 無理もないのだ。雨露にぬれた山百合のような朝比奈さんに見つめられて油断しない男などいやしない。
 だから、ドアの外に足音が近づいていたのに気付かなかった。

3-3

 ガチャコッ、とノブが回る音。しかしドアは開かず。
「痛っ……鍵閉まってんのかしら」
 ハルヒだった。あいつはいつも強烈にドアを開ける。今回もそうやって、しかし開かなかった分反動が手首に返ったんだろう。
「ちょっとキョ……みくるちゃん、いるんでしょ!鍵開けてちょうだい!」
 鍵なんて閉めてないんだけどな。あいつがいつも無体な扱いをするからドアだか蝶番だかがストライキに入ったのかもしれん。
 こっちから開けてやろうとドアを引くが――開かない。もちろん鍵などかけていない。
 ふと気付くと長門がいつの間にか立ち上がっている。……嫌な予感がする。
「キョン君、見て!」
 朝比奈さんの悲鳴ももっともだった。ついさっきまで薄日が差していた窓の外は、グレー一色。風景も何もありゃしない。
 まるで画像処理ソフトを使って50%グレーで塗りつぶしたかのようだった。
 何度か訪れた閉鎖空間ともちょっと違う。これはむしろ――
「この部屋の情報連結の解除が実行されている」
 長門の口から久々に聞いたその言葉。去年の5月に俺は朝倉によって殺されかけ、長門によって助けられた。そのときの長門のセリフが、情報連結の解除。問答無用に対象の存在をなかったことにしてしまう反則技。
 閉じ込められたってのか?
「涼宮ハルヒによる情報改変と観測される。この部屋はじきにこの次元から消滅し、ここにいる私たちも当然に消滅する」
 長門のセリフに理解が追いつくのに時間がかかった。ハルヒが、俺たちを消滅させる?うそだ、いくら長門のセリフでもそれは信じられないぜ。俺はともかく朝比奈さんや長門をハルヒが拒絶するなんてこと、……冗談だよな?
 俺の問いに、しかし長門は何も答えない。
「だめ……なんで?」
 朝比奈さんがへたり込む。
「時間移動なら逃げられるかなって、許可をもらおうと思って、つ、通信したんだけど」
 血の気の引いた白い顔で、
「だっ、……ダメなんです!完全に途絶しちゃって……未来と通信できないのっ」
 長門が右手をかざし、早口言葉を開始する。すまん、長門。頼れるのはお前しかいない!何度も何度も俺の窮地を救ってくれた長門の情報改変能力。今回だってきっと、長門だったら何とかしてくれる!
 ――が。長門は早口言葉をはじめた瞬間、貧血のように冷たい床にひざをついた。
 間一髪、倒れこむ長門は俺が受け止めたが、体は熱を帯び、瞳は頼りなく揺れている。
「情報統合思念体との交信が断絶している。私だけではこの情報連結解除を阻止することができない」
 長門にもどうにもできないってのか……?
 
 一体何が引き金だったんだ。
 ハルヒ、お前はSOS団で1年を過ごして、いいほうに変わっていったんじゃないのか?最近のお前は、浮き沈みはあるにせよ、楽しそうに見えたのは俺の錯覚か?
「ハルヒっ!!」
 木製のドアを壊すつもりで強く叩いて呼びかけるが、返答はない。
「すでに時間的空間的連続性が絶たれている。こちらの音は届かない」
 長門の絶望的な宣告にも、俺はドアを叩くことを止められなかった。
「おっかしいわね、キョンとみくるちゃんの声がしたような気がしたんだけど……。どっか出かけたのかしら。ケータイっと」
 なにしろハルヒの声は聞こえるのだ。
「……なによ、みくるちゃんったら電源切ってるじゃない」朝比奈さんはあわててかばんの中から携帯電話を取り出すが、ふるふる首を横に振る。着信はなく、電波も全滅だった。
 俺も携帯電話を取り出してハルヒにかけてみるが、流れるのは固定メッセージのみ。
「ああもう!みんなどこ行ったのよ……」
 寒いのか、ハルヒは鼻をすすっている。くそっ……寒いならその馬鹿力でドア開けて入って来いよ!
 
 微震が始まった。部室の窓側の隅がゆっくりとしたペースで、さらさらと砂のように零れ落ちてゆき、その下のグレーが覗いている。朝比奈さんが俺に身を寄せてきた。
 俺のミスか?俺がお前の機嫌を損ねちまったから、デッドエンドなのか?お前はこれで満足なのかよ?俺はまだホワイトデーのお返しだってしてないんだぞ!去年の12月、俺がどんな思いでこっちの世界を選択したと思ってんだ、俺はまだまだ続けたいんだ!
 
 ドアの覗き窓の向こうはやはりグレー一色だが、なんとなく俺には廊下の風景が見える気がした。ハルヒは今きっと、廊下にうずくまってドアに背中を預けている。くそ寒いだろうに、ちっちゃくなって。
 ちくしょう、開けよ!俺はここにいるんだ!ハルヒ、ハルヒ、ハルヒ――!
 
 
 俺がつかんだままだったケータイが振動した。あわててフラップを開くと、メールが1通届いていた。送り主には心当たりがある。今ここにいないSOS団員といったら古泉しかいない。
 だが、送り主、宛名、本文、すべてが意味不明な文字列……PCの文字化けメールのようになっていた。なんだこりゃ。
「見せて」
 長門は平素から白い顔をさらに青白くして、震える手を伸ばしてくる。大丈夫かよ、長門……
 俺は床にへたり込んだ長門を後ろから抱え込むようにしてディスプレイの文字化けメールを見せてやる。
「古泉一樹からのメール。内容を読み上げる」
 やっぱり古泉だったか!長門が古泉の文字化けメールをデコードし、かいつまんで説明する。
「現在涼宮ハルヒは極度に自信を喪失している。昨日のあなたとの喧嘩が原因と推測される。あなたに涼宮ハルヒを説得してほしいとのこと」
 できるのか?空間がずれちまって声は届かないんじゃないのか?
「可能。私があなたの声を量子化する。古泉一樹がその量子情報を他の超能力者と協力して現実世界に伝送し、再生する」
 古泉たちは赤い玉になるだけではなく、どうやらいろんな隠し芸ができるようになっているらしい。
 しかし説得するって、一体何を話せばいいんだ?今のハルヒが俺の言葉を聞いてくれるのか?
「キョン君」
 驚くほど落ち着いた朝比奈さんの声。先ほどまでの取り乱しようが嘘のようだ。朝比奈さんと朝比奈さん(大)がダブって見えた。同一人物なのだから当然だが。
「涼宮さんからは言っちゃダメって言われてるんですが、今だから言っちゃいますね。……あのね、涼宮さんはあの時義理チョコだって言ったことをとっても後悔してるの。キョン君も気付いていると思うけど、涼宮さんはキョン君だからチョコをあげたんだよ。イベントだからとか、そういうのじゃないの」
 朝比奈さんの優しさが涙となって、ぽたりぽたりと床に円いあとをつけた。
「この間は気にしてたことをキョン君に指摘されて怒っちゃったけど、本当はキョン君のほうから近づいてくれるのを待っているんだと思います」
「急いで。時間がない」
 見れば、もう部屋の3分の2くらいまで消滅している。
「今キョン君が思っていることをそのまま伝えればいいと思いますよ」
 春の到来を告げる女神のような微笑だった。

3-4

 
 俺の腕の中で、長門は右腕を水平に上げてくるくると回した。
「つながった」
 すまん、長門。ありがとう。一応古泉もな。
 羽毛布団ほどの軽さしかない長門を朝比奈さんにお願いし、俺は立ち上がった。ドアの向こうのハルヒに話しかける。
「俺だ、ハルヒ。いいからそのまま聞いてくれ」
 どうやら旧館のスピーカーに俺の声を流しているようだ。
「時間がないんで手短に言うぞ。バレンタインのチョコありがとな。今まで食べたどんなのよりうまかったし、お前からもらえるなんて、すごくうれしかった。……そんで昨日は悪かった。なんで俺もあんなあてつけみたいなこと言ったのか分からなかったんだが、よくよく考えてみたら、どうも俺は義理だってことをお前に否定して欲しかったのかもしれない。正直なところ、お前に義理だって言われたことを地味に気にしてんだぞ、俺は」
 しゃべってたらだんだんノッてきた。ハルヒの驚く顔を想像すると、楽しくて仕方がない。
「一個だけわがまま言うぞ。格好悪いって笑ってくれていい」
 鼻から大きく息を吸った。勇気を出すんだ!
 
「俺は、お前手作りのハート型チョコが欲しい!お前は形なんてどうでもいいって言うかもしれないが、俺にとっては重要なことなんだ」
 
 言ってから激しく後悔した。俺史上最高レベルのみっともなさだ。もし谷口や国木田に聞かれていたら、俺は悶死するしかない。
 
 
でも、本心なんだ。

3-5

 俺がまだ何か言うことはあるかと思案していると、
「うわっと」
 驚きの声とともに、ドアが開いてハルヒが雪崩れ込んできた。どういう物理法則だか、俺の胸にすっぽりと収まった。
「あれ、キョン!?あんた放送室にいたんじゃないの?」
 そうか、古泉が俺の声をスピーカーから流したせいで、ハルヒは俺が放送室にいると思ったのか。
 
 ……あれ?ドアが開いたってことは……解決したのか!?
 
 見渡せば部室はすっかり元通りだった。朝比奈さんは泣き笑いだが、長門は既に平常モードに戻って定位置にて本を広げていた。早っ。
 俺の腕の中のハルヒ。見るとも無しにお互いを見ていると、ハルヒの顔がみるみる真っ赤になっていく。
 ばばっ!と、ハルヒは決闘中に居眠りしたガンマンのように大急ぎで俺の腕から逃げていった。
「何、いったい何なのよ……あんたがここにいるってことは、やっぱりいたずらだったのね。団長を締め出すなんて言語道断よ!それにあんな恥ずかしい放送して……」
 どういうつもり!と、ハルヒは俺を指差す。指先から怪光線が出そうだ。
 まさか情報連結解除を食い止めるためだとも言えず、俺が得意先でプレゼン資料を忘れたことに気付いた新米サラリーマンのような気持ちになっていると、いつものニヤケスマイルの古泉が割って入ってきた。
「すみません、これはドッキリです。彼が昨日のお詫びをしたい、しかし面と向かっては言えないと主張するものですから、ひとつ舞台を設けました。さっきの放送は事前に収録したテープです」
 なんだか俺がものすごく恥ずかしい野郎になっているが。
「思いの丈をすべてぶつけると言っていましたが…くくっ、これほど言っていただけるとは……」
 古泉が体を揺らしている。このやろう、好き放題言いやがって……
 ハルヒは足元に視線を固定している。
「もう怒ってないか?」
「怒ってない。あんたも同じ気持ちだったって分かったし……それよりっ」
 顔を上げた。ハルヒは大魚が潜む湖のようなすまし顔で、
「ふーん。そう。あんた、そんなにあたしのチョコがうれしかったんだ。あ、そう」
 まあね。もうそれは否定しねえよ。うれしかった!
 ハルヒは華麗な180度ターンを決め、くねくねした。
「やっ、やめなさいよ恥ずかしい!」
 ああ、もっと言ってやるさ。俺はハルヒのチョコをもらえた幸せ者だ!
「ばっ、ばかぁ」
 ハルヒのぽかぽかパンチを胸に喰らい、あやうく俺までくねくねするところだった。
 
 首まで真っ赤にしてうつむくハルヒは、冗談ではなく、本当に可愛かった。
 分かってるさ。ハルヒは俺たちの誰かがいなくなれ、なんてこと考えるやつじゃない。ただ自分の心をコントロールすることに慣れていないだけなんだ。なにしろ朝比奈さんや長門が怒っていないんだ。だったら俺が怒る余地なんてあるはずがない。
 
 本から顔を上げた長門。疲れた笑みの古泉。ご苦労さん。遠赤外線でも出ていそうな素敵笑顔の朝比奈さん。結局みんなのおかげだ。ありがとう。
 あんな事件の後で俺が落ち着いていられるのは、特別な訓練を受けているからじゃない。ただ、ハルヒが望んだお祭り騒ぎはこんなもんじゃ終わらないんだろ?っていう確信めいた予感があるからだ。誰かを欠いてエンディングを迎えるなんて事があるはずがない。この5人がそろって「ああ楽しかった!」って満足するまで、まだまだ終わらないのさ。たとえ難局に遭遇したとしても、それはその後の場面が盛り上がるための前振りに過ぎないんだ。
 
 ハルヒはこほんとせきをひとつ、眉をきりりと引き締めつつ。
「業務連絡よ。明日の土曜日、SOS団は休暇とするわ。市内探索もナシ。家でゆっくりぬくぬくと過ごすがいいわ」
 で、再び俺を指差した。
 生まれたばかりの赤ん坊のような肌は、薄暗い部室で自ら発光するようだ。神様の気まぐれとしか思えん美貌に自信がみなぎっている。全身からあふれ出るハルヒパワーで周囲の背景が揺らいでいる錯覚がする。つまりハルヒは今、絶好調なのであった。
「キョン、あんただけは別メニューよ。駅前に午前10時。一日開けておくこと!」

4.エピローグ

 
 土曜日。
 休日は惰眠をむさぼることを信条とする俺には珍しく、つとに目が覚め、二度寝もできず、朝早く待ち合わせ場所に向かった。
 ……さすがに早過ぎた。まだ9時前じゃんか。
 気温は2月らしく厳しい寒さを誇っていたが、真冬らしくカラリと晴れて日差しは暖かだ。待つのはそれほど苦じゃない。
 
 余談になるが、昨日あのあとハルヒはホワイトボードになにやら飾り付けをしていた。
『ホワイトデーまであとXX日!』
 俺と古泉は思わず目を合わせ、どちらからともなくつぶやいた。……やれやれってな。
 
 さらに余談になるが、古泉は俺の声をハルヒに届ける際、全校のスピーカーに流したそうだ。しかもその日は自由参加の補習とやらがあって、いつもの放課後より人が多く残っていたらしい。つまり、俺のあの珍放送が多数の生徒及び教師の耳に届けられたということだ。
 ……今ほど月曜日が来ないことを祈ったときはない。
 
 やがて駅に向かう人の中から、あいつが現れた。
 なぜか口をへの字にして、むすっとしている。つとめてそうしていないと、口元がふにゅふにゅに緩んでしまう、とでもいった面持ちだ。
 ハルヒが歩を進めるにつれ、何人もの男が振り返っていた。モデルか、芸能人か。いや違う、そいつは単なるSOS団団長だぜ。
 ハルヒは姿勢よく、一直線に俺を見据えて歩いてきた。
 
 ハルヒには珍しく動きづらそうな服装だった。
 タイトかつミニなニットワンピースに、カジュアルなライダースジャケット。ニットワンピは白黒ボーダーだ。スタイルのよさを存分に引き立てている。太ももを惜しげもなくさらし、膝下丈ロングブーツの黒が肌の健康的な白さを一層強調している。
 で、髪を後頭部でまとめていた。
 なるほど、みんな振り返るわけだ。
 
 
 むっつり顔のまま、ハルヒは俺の目前にやってきた。うお、化粧してる。
 ポニテハルヒが発した第一声は「待った?」でもなく、「早かったわね」でもなく、こうだった。
 
「何ニヤニヤしてんのよ。だらしないからよしなさい。……ああ、それからこれ。あんたのリクエスト通りハート形で作ってみたから。味なんて変わんないと思うけど。邪魔だからとりあえず駅のロッカーにでも入れておいて。……のど渇いたわね、なんか飲みたいわ。って、だから何ニヤニヤしてるのよ!」
 
 紙袋を俺に突き出しつつ、ハルヒは一息に言った。恐るべき早口であった。
 
 ニヤニヤしているかどうか、念のため鏡を出して確認しようと思ったが、できなかった。
 俺の右手はハルヒ謹製のハート型チョコケーキがふさいでいるし、反対の手はハルヒがつないでしまったからな。