三丁目の涼宮さんと奇妙なデートプラン (147-165)

Last-modified: 2011-10-20 (木) 01:26:50

概要

作品名作者発表日保管日
「三丁目の涼宮さんと奇妙なデートプラン」147-165(◆UvtXkh62do)氏11/10/1911/10/20

 

作品

「もしもし」
「おれだ。例のプランはpdfにして送ったから、後ほど確認なり印刷なりしておくように。以上」
「ありがと。……でもね」
「どうした」
「メールで構わないわよ、この程度の連絡」
「んなこと言って、こないだメール着信に気づかず、予定をすっぽかして母さんにこっぴどく絞られたのは誰だ」
「それは父さんでしょうがッ」
「そうとも言うな」
「そうとしか言わないわよ!」
「ダディーと呼んでくれても良いんだぞ」
「……」
 通話時間、0分35秒。
 
   ***
 
 涼宮ハルヒという少女がどれほど傍若無人か、ということに関しては今さら説明する必要も無いと思う。ヤツにとって俺のスケジュールなんざ最初から倒れているハードルのようなもので、当然そんな些事を尊重してくださることなど一度としてなかった。仮にあったとしても俺の記憶には残っていない。
 俺としてもそこら辺はもう諦めている節があって、命が無事なら……いやもうちょっと欲張って五体満足で帰ってこられるのならもう何でもいいか、などとメチャクチャなことを自分に言い聞かせたりしていた。
 それがどうだ。
「キョン、今度の日曜日は空いてるかしら」
「無理ならその次でも、次の次でもいいんだけど」
 なにか魂胆があってのことに違いない。そう確信した俺はハルヒを質問責めにしたのだが、まともな答えが帰ってくるはずもなく。
 まあ、どうせ俺の日曜など相変わらず無為そのものである。無用な意地を張るのも馬鹿らしいので大人しくハルヒにくれてやることにした。
 それが5日前のことである。
 
   ***
 
 はたして日曜日はやってきた。
 ここのところ雨つづきだったのだが、今日はそこそこ強く照りつける太陽の周りにそこそこ綿雲がトッピングされたような初夏らしい天気である。
 ここでこうしてハルヒを待っていると、およそ一年前のことが思い出される。あの日も確かこんな天気で、俺はこんな風にしょぼくれた服を身にまとい、そしてこちらへ歩いてくる少女もあれくらいふてぶてしい表情であった。
「よう」
「待った?」
 だいたい20分といったところだ。
「まだ集合時間まで30分はあるわよ」
 そう言ってクスクス笑うハルヒ。
 ……罰金はごめんだからな。
「ふふっ」
 妙に上機嫌なハルヒはこちらが空恐ろしくなるくらいの笑顔で出発を宣言したかと思うと、競歩選手もかくやといった勢いで歩き出した。
 まったく結構なことだ。
 こいつがハッピーでいる限り世界は安泰で、灰色世界の剣闘士諸兄もゆっくりできるんだろ?
 ああ、まったく結構なことだ。
 
   ***
 
 ハルヒが俺を誘ったのはポーター役かなんかを押しつけるためだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「あんたと一回ゆっくり話がしたかったのよ」
 ペリエのグラスを傾けながらそんなことをのたまうハルヒ。
 街へ出た俺たちは、洒落た喫茶店でくだを巻いていたのである。というか話ってなんだ。普段できないような話か。期待していいのか。
 ……なんてな。ただの妄言だ。
「用件はそれだけか」
 キリマンジャロを啜りつつ無難な返答を口にする。いつになったらモカは復活するんだろうな。
「な、なによ。そもそも晩ご飯おごってあげるんだから文句なんて言わせないわよ」
 そりゃ最終的に赤字で無ければ文句はないが。いやそうじゃなくて。
 
   ***
 
 大した会話もなく俺たちは喫茶店を後にした。バカ話がそれなりに楽しかったのは認めるが、依然としてハルヒの目的は見えずじまいという次第である。そうは言っても、こいつが俺を理不尽に引っ張り回すのは今日に始まった話ではあるまい。なぜ俺はそんなことを気にしているのだろう。誰か教えてくれ。
 引っ張られるままにたどり着いた先は市民公園であった。柔らかい陽光と草の香り、それと優しい風がここの市民でもない俺たちを平等に包んでくれる。・
 我が家の近所にあるみみっちい公園とは違い、行楽にはもってこいの空間だった。ハルヒは早速レジャーシートを広げるとそこへどっかと座り、早く来いとばかりにシートをバシバシ叩いてみせる。
 俺が座るとハルヒは小脇に抱えていたトートバッグからサランラップに包んだチーズやらタッパーやらを取り出し、公園へ来る前に買ったパンと一緒に手際良く並べた。
 正直言って平均的男子高校生にとってはやや物足りない量だったが、それでも腹を満たすには充分だったし、味には文句のつけようがない。
 役得といえば役得なのだろう。
 なんとなくそんなことを考えながら食後の紅茶を楽しんでいると、突然強烈な眠気がスクラムを組んでやって来た。飯を食った後に睡眠欲がカンストして三大欲望レーダーチャートが大幅に崩れることぐらい心得ているが、いくらなんでも今日の俺は正直すぎるんじゃなかろうか。きっとこの陽気のせいに違いない。
 こんな所で寝てしまってはハルヒがへそを曲げそうな気がしたが、すでに俺は出航してしまった後である。まあ、あいつの事だから問題があれば(手段はどうあれ)起こしてくれるだろう。
 ……結論から言うと、拳骨もデコピンもくすぐりも、もちろん罵声も飛んでこなかった。
 
   ***
 
 不意に耳元へ風がかかるのを感じ、ゆるやかに覚醒する俺の意識。その風は徐々に熱を帯びてゆき……
「くすぐったいんだが」風上はハルヒだった。
「つまんない反応ねえ。飛び上がるくらいしなさいっての」
 悪かったな。というかお前が後ろから体重かけてきてる時点でそんな芸当は不可能なんだよ。
「両肩に腕を乗っけてるだけじゃない。だらしなさすぎるわ」
 こいつは俺の背後に陣取って首に巻きつける要領で腕を回したあげく、俺の胸の前で手を組んでいるのだった。飛び上がったが最後、どう転んでもロクなオチはつくまい。
 それでも、たとえば、その、禁断の果実が2つばかし俺の背中にぴったりくっついていたりするのであれば悪い気持ちはしないのだが、ハルヒもそこは心得ているようで、肩甲骨より下は触れないように姿勢を調節しているらしかった。くそ。
「なによさっきからぶつぶつと」
「べつに。ベタベタひっつかれると暑苦しい、と思ってただけだ」
 ふーっ。
「うおっ!」正確に耳孔を突く攻撃。
 飛び上がる指示を出さなかった俺の神経中枢を褒めてやりたい。
「ばーか」
 そう言い捨てて俺から離れたハルヒの声は、しかしどこか嬉しそうな響きを含んでいたような気がした。
 
   ***
 
 ひとしきりじゃれ合い、我に返った頃にはすっかり日が落ちていた。
「あらいけない、もうじき予約の時間だわ!」
 おいおい。
「走るわよ! ついてきなさい!」
「無茶言うな」と、息も絶え絶えな俺。
 お前にどれだけ消耗させられたと思ってやがる。肉体的にも、精神的にも。
「ならおぶって行ってあげる」
「つつしんで遠慮申し上げます」
 けっきょく早歩きというところに両者の妥協点が落ち着き、どうにか時間内に目的地のレストランへ到着した。
 そこはレストランというよりは南国に建てた別荘のごとき風情が漂っていて、調度品から判断するにどうやら沖縄料理の店らしい。
 俺たちはオリオンビールのロゴが入ったのれんをくぐり、カウンター席に並んで座った。
 ウーロン茶にしようかジャスミン茶にしようか悩んでいる間に、ハルヒはカウンターの中へ「いつものっ」などと注文を飛ばしていたりする。常連なのだろうか。
 ハルヒに問いかけようとした矢先、カウンターの向こう側に女性の頭がにゅっと突き出てきて俺は面食らった。飲み物の注文を訊いてくるところから察するにここの店員なのだろうが、なんというか心臓に悪い。
 ハルヒは短く「ジャスミン茶」とだけ答え、俺もそれに続いた。
「そっちの君は他になんか注文ある?」
 君とはたぶん俺のことなのだろう。
「ええと、じゃあ海ぶど──」
「もう頼んである」
「そしたらラフテーを」
「それも頼んだ」
 ……最終的に俺が頼んだのはヤキソバだけだった。ハルヒの「いつもの」は15品以上に及んでいたのである。
 胃袋の心配よりも財布(しかも今回はハルヒの財布である)の心配が先に立ってしまう小心な俺だった。
 まあ、胃袋の心配は無用だろうがな。
 
   ***
 
 しばらく横目で観察していると、女性はどうやら店長ないし料理長のような存在であるらしいことが分かってきた。年の頃は低く見積もって20代半ば、どんなに高く見ても30代前半だろう。そんな若さでそういう地位に立っているということは、彼女がよほど才覚あふれる料理人であるか、さもなくばこの店の経営がよほど危ないかの二択に絞られる。ハルヒが常連にするぐらいだから前者なのだろうが。
 顔は間違いなく美人の部類だった。谷口ならレポート用紙いっぱいの美辞麗句を並べ立てるところだが、俺はそこまで暇ではない。シャープな顔つきで活発そうな美人さん、とだけ言っておこう。
 それにしてもどうしてハルヒの周囲には美女やら美少女やらが集まっているのだろう。類友ってやつか。
「……色欲光線をまき散らしてんじゃないわよっ」
 右隣から思いっ切りつねられた。痛え。
 こいつは最近、構ってやらないとすぐヘソを曲げるのである。光栄の到りだね、まったく。
 
 そんなこんなでプチ不機嫌なハルヒ姫を適当にあしらっていると、早速お通しが俺たちの間へ置かれた。
 イカを細く切ってラー油やらキャベツやらと和えたおつまみ風の一品で、刺激的な香りが鼻腔をつついてくる。
 ハルヒの手つきは慣れたもので、取り皿の山から二枚取って机上に並べ、さっさと取り分けてしまった。
 しかし。
「おいハルヒ、これはいくらなんでも、」
「なにが不満なのよ」
「お前の取り分が多すぎやしないか」8対2ぐらいだよなこれ。
「あんたなんかマスターをおかずにしてりゃ良いのよ」
 マスター、というのは文脈からしてあの女性に違いない。今はカウンターの向こうのガス台で何かを煮つつ、笑いをこらえながらこっちの様子をちらちら窺ってらっしゃる。
 その視線にハルヒも気づいたのか、顔一面に不満の色を塗りたくりながらも資源の再分配に踏み切ってくれた。ありがたいね。
 しばらくして空の器を下げにやってきたマスター(便宜上俺もこう呼ばせていただこう)は俺達をからかうように、
「お出しする時点で半分にお分けしておく特別サービスもございますがいかがいたしましょう?」口角が不自然に上がってますよ?
 ……くそ。穴があったら立てこもりたい。
 けっきょく特別サービスとやらが俺たちに適用されることはなかった。いよいよニヤつきを隠すのを止めたマスターが「自分で分けたほうがいいでしょ」などとのたまい、ハルヒは何故か顔を真っ赤にしつつもそれに従ったのである。
 やや釈然としないがまあよしとしよう。
 
   ***
 
 食った。アホほど食った。
 現在の時刻が夜9時半ということは、優に3時間以上この店にいたことになる。
 締めの沖縄ソバを平らげ、あとはデザートを待つのみという段階でハルヒが席を立った。
 こいつの消化器官にも限界はあるんだなとか思わないこともなかったが、デリカシーあふれる俺はその考えを口に出すことなく、目だけで見送ってやる。
 手持ち無沙汰のあまり割り箸の袋をこねくり回して創作活動に勤しんでいると、
「ねえ」
 マスターが親しげに声をかけてきた。
「なんでしょう?」ていうか接客とか調理とかは?
「ぜんぶ他の人に任せたから平気。それより、」
 俺は身構えた。経験上、こういう空気に乗って発せられる質問はロクなもんじゃないと知っていたからである。
「ハルヒちゃんとはどこまで行ったの?」
 ほら来た。平静を保ったまま言葉を投げ返す。
「それは物理的な意味で、ですか? それとも人間関係?」
「もちろん後者に決まってるでしょ」
「はい。高校生らしく大変清い友人関係を築かせていただいております」
「ふうん。ただの友人とデートするなんてずいぶん色男なのね」
「デート……なんですかね」
「すくなくともハルヒちゃんは認めないでしょうね」笑っているのか呆れているのかよくわからない表情を浮かべるマスター。
「代金を請求するって言ったら白状してくれるかしら」
 ん?
「ちょっと待ってください、それじゃあ──」
「え、ハルヒちゃんから聞いてないの? 心配しなくてもあなたたちのお代はロハよ」
 えええええ。いくら常連とは言え太っ腹が過ぎるのではなかろうか。
「いやいや、ただの常連にこんな喀血大サービスする訳ないじゃない」
 カッケツ……? ああ、喀血ね……言わんとするところは分かるが、しかし場合によっては出血のほうがマズいのではなかろうか。この上なくどーでもいいが。
 ともかく、ハルヒとマスターの間にはいったい何があったのだろう。飲食代を帳消しにしてくれるというのだから相当である。
 ふとコンピ研部長氏の泣きそうな顔が脳裏をよぎった。…………。……そんなアホな。
 俺の表情に怪訝な色を見て取ったのか、マスターは微笑みを浮かべてこう問いかけてきた。
「気になる?」
「聞かせてください」
 一も二もなかった。……ほら、紙細工も飽きたしさ。
 
   ***
 
 マスターの話を要約するとこうなる。
 琉球諸島の南方に位置する小さな島に生まれたマスターはすくすく元気に成長し、16になる頃には本島の安アパートに下宿して高校へ通っていた。学校の友達などは皆無に等しく、放課後になると近所の丘で昼寝をするのが日課だった。
 ある日のこと。マスターがいつものように丘へ足を運ぶと、見慣れぬ青年がイーゼルを立てて油絵を描いていた。なんとはなしに素性を尋ねたところ、内地からやってきた作家だという。作家のくせに油絵である。彼女と終始デタラメな彼の話題が合うことは滅多に無かったが、それでも二人は互いに惹かれあっていった。
 甘い関係が終焉を迎えたのはそれから数ヶ月後になる。
 単刀直入に言おう。マスターが強姦されたのである。
 暗がりに引きずり込まれたので相手の顔は判然としなかったが、体格からして少なくともモンゴロイドでないらしいことはすぐ分かった。必死の抵抗も空しく純潔を巨砲に貫かれ、白濁を胎内に注がれる。気絶から覚めると辺りには誰もいなかった。そこからどうやって帰宅したのかも記憶にない。
 マスターはどうしても自分が許せなかった。「汚れた」身体を、愛する人と重ねたくなかった。それどころかこの身体で彼と会話するのすら憚られた。事実を受け止めた上でそれでも彼女を受け入れようとする彼の想いが、耐え難く重かった。
 少女は作家の関係を絶つことを決意する。
 作家は哀しげな表情を一瞬だけ浮かべたがすぐに真面目な顔に直り、ズボンのポケットからひっぱり出した橙色のメモ帳に何かを書き付けてよこした。
「あとで読んで」……それだけが別れの言葉。
 ちなみにマスターはこのときのメモ用紙を後生大事に保管しているそうで、俺にも見せてくれた。
「(Even if something changes your mind) Nothing's gonna change your world.」
 "今"があるのはそのメッセージのおかげなんだろうな。俺は根拠もなくそう思った。
 
   ***
 
 それから数年後。大学へ進学してしばらく経ったころには、マスターは事件に関してある程度の整理をつけていた。処女性がそこまで偏重されるべきものではないことを学んだのと、繰り返しマスメディアから吐き出される紛争や戦争の報道に心を痛め、様々な本を読んだのがきっかけだという。
「もちろんあんな行為を容認する気なんざこれっぽっちもないけどさ」マスターは静かに語り続けた。
「自分本来の意思に反して誰かを殺したり誰かに殺されてる人が沢山いて、もしかするとあの兵士もその一人だったのかもしれない。そう考えたら、こんな風に生きてるだけで丸儲けって気分になったわけ」
 レイプ被害者の全員が彼女と同じような考え方をしているわけでは無いことくらいは俺にも分かる。そのことが良いのか悪いのか、俺には分からない。でも俺は今日この店に連れてこられ、美味い飯を食って楽しい時間を過ごしている。ひとまずはそれで充分だ。
 話を戻そう。
 なんだかんだでマスターはあの作家と再開したのである。といっても運命的とか奇跡的とかそういう代物ではなく、雑誌のインタビューで彼が贔屓にしているジャズ喫茶を知ったマスターが張り込んでいたというだけなのだが。
 トランペットが情感たっぷりに響くその店の片隅で、ふたりは色々な話をした。事件からどうにか立ち直ったこと。作家としてかなりの成功を収めたこと。良好なキャンパスライフを送っていること。すでに結婚しており、ハルヒという娘をもうけたこと。
 ひとしきり盛り上がった後、涼宮氏(こう呼んでも差し障りはないはずだ)が問いかけてきた。
「大学を出たらやりたいことは何かあるのかい」
「……人を笑顔にさせる仕事がしたいわ」
「ふむ」
「欲を言うと、その顔を直接見ることができるような仕事」
「料理人なんてのはどうだ。ホテルとかじゃなく町の食堂で」
 君の料理はお世辞抜きに美味いからね。作家は照れくさげにそう呟いた。
 まったく想定もしていなかったプランゆえか、あるいはかつての想い人から発せられたアイデアゆえか、当時のマスターにとってそれは輝かしい天啓のように思えた。
 その後については語るまでもなかろう。数年にわたって修行を積んだマスターは、涼宮氏からの融資を得て自分の店を開いたのである。
 
   ***
 
「ここでこうして喋ってるのも彼のおかげってわけ。3重の意味で」
「そりゃ無料サービスが効くはずですよね」
 マスターは頷いた。
 ちなみにハルヒはまだ戻ってこない。腕時計は10時近くを指している。
「あなた達はちゃんとくっつきなさいよー。あたしら以上にお似合いだから」
 いったい誰と誰が、「くっつくですって?」
 我らが団長のお出ましである。
「息までピッタリじゃない、素敵よ」
 やめてください。火の粉が降りかかる先は俺なんです。
 ここはとにかく誤魔化さねば。いろいろと。
「……お、遅かったじゃないか」
 風呂場のカビを見るような目で睨まれた。
 
   ***
 
 トイレより戻ってからというもの終始下降線を辿っていたハルヒの機嫌は黒糖プリンひとつであっさり上昇へ転じた。なるほど。
 もう少し長くとどまっていたい気持ちもあった。が、高校生が徘徊するには不適切な時間帯が近づきつつあったので泣く泣く店を後にし、慣れ親しんだマルーンカラーの車体に揺られて地元へと戻った。
 戸外の空気は、この季節らしい優しさと寂しさに満ちていた。先導するハルヒの足取りも心なしかゆったりしたものになっている。
「…………」
 俺たちは一言も言葉を交わさなかった。場の空気、というか雰囲気がなんとなくそうさせていた。
「あ、あのさっ」
「お、おう」二人して喋り方を忘れたみたいにどもってしまう。
「ちょっと休んでかない?」
 俺は黙って首肯した。
 
   ***
 
 そんなわけで、俺たちは目についた児童公園へ足を踏み入れた。休日の夜遅くという時間帯のせいか、周囲の住宅地に人通りはほとんどない。
「今日はね」
「あんたにね」
「伝えなきゃ、いけないことがっ」
「あるの……」
 決して目を合わせず、不自然に言葉を切ってしどろもどろに発声するハルヒ。
 正直なところ、どう反応すべきか決めかねた。俺もこいつに伝えたい事があったからである。とはいえここで張り合うのは馬鹿らしいし、そもそもハルヒの話題と俺の話題が一致しているとは限らない。俺は先を促した。
 と、今の今まで明後日の方向を向いていた双眸がまっすぐこちらの眼を捉えてくる。俺は息を呑んだ。唾も飲んだ。
 
「すき」
「キョン、ずっと一緒にいて」
 びっくりするほど儚げな表情でそんなことをのたまいやがるハルヒ。一刻も早く抱きしめてやらないとどこかへ飛んでいってしまいそうな気がした。だからそうした。展開が急すぎる? 知ったことか。
「俺は……俺も、絶対離さない」
 つい腕に力が入ってしまう。
 例えばあなたに恋人(あるいは片思いの相手でも構わない)がいたとして、そいつのことを愛おしく思うようになったきっかけを本人に伝えられないとしたらどうだろう。
「無かったこと」として振る舞わなければならないとしたら。
 ……いや、忘れてくれ。俺は、そういう面倒な事情まで全部ひっくるめて背負うと決めたのだ。
 それに、いずれこいつにも洗いざらい話せるようになる気がする。具体的な時期などは及びもつかないが、きっと来るんだと思う。
 あー、こう言っちゃなんだが、俺の勘はよく当たるのさ。
 
   ***
 
「ただいま」
「ずいぶん早かったじゃないか」
「……その先は言わせないわよ」
「遅かれ早かれそういう関係になるくせに」
「あら、まだデートの結果は伝えてないわよ」
「見くびるな。んなもん顔見りゃ一目で分かる」
「へえ」
「ケンカしたとか、セックスしたとかいうのも一発だ」
「ふーん」
「おいおい、大人向けのネタを振られても怒らないとはどういう風の吹き回しだ」
「知りたい?」
「いや別に」
「…………」
「すいません嘘つきました」
「あたしはね、」
「はい」
「今、とっっても幸せなの!」
 
   -了-