乙女心 (85-597)

Last-modified: 2008-03-31 (月) 23:04:43

概要

作品名作者発表日保管日
乙女心85-597氏08/03/3108/03/31

作品

カーテンの隙間から差し込む光ってのはどうしてこうも人の眠りを邪魔するのかと思ったことはないだろうか。
全くいつも決まったように出てくるくせに、なければないで困っちまう。まったく誰かさんみたいだ。
とそんなことを考えながらも、部屋の温度が徐々に暖かくなりつつあり、布団の中でうずくまっている俺は、実の妹からのダイビング爆撃を受ける事も無く、シャミセンのなま温かい体温を足元に感じ、こんなに気持ちの良い朝を迎える事できるなら、まあ多少は我慢してやってもよいと思いながら、徐々に起き始めた頭をそれなりに回転させて、今日の予定を改めて確認した。
壁にかかっているカレンダーはいかにも真っ白で、春休みのスケジュールがもう少しあってもいいんじゃないかとの無言の訴えを、それとなくスルーし、唯一赤い字で記された――昨日ハルヒからの電話で書き込むことになった――文字に目をやる。
「10時、喫茶店、ハ」
どうせ何時に行っても俺が一番最後なんだろうと思い、布団のなかでもう一眠りしようかどうしようか迷ったが、俺の平穏を減らすことにやっきらしい古泉からの電話で起こされ、どうやら昨日からハルヒが例の巨人を大活躍しているそうで、さすがの古泉たちにもそろそろどうにかできなくなってきている、との内容を聞かされれば否応でも起きなければなるまい。
全く、機嫌が良くないと会う前から解るのと、会ってから解るのだと果たしてどちらが幸せなのかね。
 
朝のすがすがしい空気を吸いながら、自転車で駅前までやってきた俺は、駐輪場まで行くのがめんどくさくなりまあ少しくらい大丈夫だろうと、銀行横のスペースにマイサイクルを駐車して、喫茶店へと向かった。
自動扉なんて便利なもののおかげで店の前で心の準備をすることも出来ず、俺は奥の席にさも当然のように座っている我らの団長をいとも簡単に見つけることが出来た。おいハルヒ、その席は四人がけだぞ、図々しい。
「遅い。罰金」
アイスティーに添えられているストローを口ではさみながら怒るハルヒ。予想通り機嫌は悪い。
いつもより低いトーンだが、これはこれで怖いものだ。そして、どちらかといえば俺は悪くないぞ。
「もうちょっと早く来ると思ってたのよ」集合時間の20分前に着いたにも関わらず怒られるという一般大衆には理解しがたいであろう理屈を聞きつつも、俺はハルヒの向かい側に腰を落ち着ける。
「だったら集合時間を早くしろよ」
「関係ないでしょ、そんなこと」
おおいに関係あるだろ。と言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。やはりハルヒの様子はおかしい。
いつもだったら笑顔で誰もが思いつきもしないトンデモアイデアを、猫型ロボットが万能秘密道具を例のポケットから取り出すような調子で紹介するくせに、今日に限ってハルヒの目はいつもの輝きを失っているばかりか、俺と目を合わせようともしない。
普段からは考えられないことだが、俺とハルヒによる言葉のキャッチボールが行われることなく、と言っても普段からハルヒに投げかけた言葉はキャッチされるどころかほとんどの場合バックヤードまで飛ばされるのだが、今日に限ってハルヒのやつはバッターボックスに入る事すらせず、つまりしばらくの間、無言の時間が流れたわけだ。
 
「…その、あんた、あれなんでしょ……」
しばらくしてから言葉を選ぶようにしてしゃべるハルヒは、いつになく小さく見える。
「この間、また有希と一緒に図書館に行ったらしいじゃない」
「…は?」
「だから、有希と図書館に行ったんでしょ?」
どうやらお前は黙っていても問題だが、口を開いても問題しか出来ないつくりらしいな。
確かに俺は長門と、一昨日の出来事だったか、図書館に行っていたが、それは長門から呼び出されたわけだし、そうそう、たしか図書館のカードの更新をお願いしたいとかで、だから特に問題があったり、トンデモ発言があったわけではない。
そう説明する俺を、取調べ中の刑事みたいなまなざしで観察するハルヒ。
俺の説明をどう受け止めたのか、それからもしばらく俯いて黙りっぱなしだ。
何を考えているのかわからんが、普段の騒がしさが懐かしく思えて、今度からうまいことバランスとってもらいたいね、などと考えつつも特に話すことも見つからなかった俺は、飲みたいわけでもないのにコーヒーをお代わりしたり、ハルヒが食べそうなケーキを注文してみたりしたが、ハルヒは食べるだけ食べたものの、それ以外の口の使い方を忘れちまったらしく結局のところ財布の中身に対する不安が増えただけで効果的な役目を果たさすことはなかった。
 
「みくるちゃん、この間一人で買い物してたんですって。古泉くんもアルバイト忙しそうよね…」
退屈そうに話し出したハルヒの瞳は、わずかに潤んでいるように見えないでもない。いや、きっと見間違いだろう。
だが、ハルヒの様子は間違いなく落ち込んでいるわけで、一体何が原因なのかさっぱりだ。
 
先程からのハルヒへの説得交渉を試みた俺だったが、そんな努力も実ることはなく早くも暗礁に乗り上げてしまっている。
そもそも俺はそんな技術を持っていないし、数少ない人生経験をひっくり返してみても、そんな経験があるはずないのだから仕方ない。
健全な一高校生である俺にいくらなんでも今回の任務は重すぎるような気がする。そろそろ誰か助けてくれないか。
「キョンくんじゃないかっ!! 何してるのさっ?」
前言撤回。このテンションはいくらなんでも今の雰囲気ではない。しかも朝比奈さんもご一緒に。
「向こうから見てたんですけど、涼宮さんの様子がおかしそうだったので、つい」
ああ朝比奈さん。あなたは本当に優しいですね。って俺たち見られてたのか! 
「もしかして勘違いしちゃったかなっ?」
なにを想像されていたのかは知りませんが、おそらく今回は鶴屋さんの間違いみたいですよ。
「そっか…それはすまないことをしちゃったね。…よしっ、ここはキョンくんに任せようっ。じゃっねっ」
俺の視線が通じたのか、鶴屋さんは朝比奈さんを連れて、いかにも申し訳なさそうにそそくさと店のレジへと向かってくれた。
しかも俺が払う予定だった伝票を持って。すみません。あとでちゃんと報告にいきますね。
「俺たちも出るか」
そういってハルヒを店の外へと促がす。また誰が来るとも限らないし、俺も色々と考えがまとまらなくなってきてるからな。
ここらで散歩でもすればハルヒもちょっとは落ち着くかもしれん。ハルヒは俺の発案に僅かに頷いてくれたが、下を向いたまま、まるで病気にかかったシャミセンのように俺の後ろについてくる。まったくどうすりゃいいんだよ。
 
「ああ、それじゃあな。」
店を出た後、携帯電話での会話を終えて俺は、ハルヒを伴って商店街の通りをとぼとぼと歩いている。
「古泉のやつが宜しくってよ」
「そう……」
「長門だってお前にそんな思いをさせちまって申し訳なく思っているだろうよ」
「そう……」
さっきから俺は一体誰と話しているのだろう。ただ歩くのがこんなに疲れるとは思わなかったね。
「これから…どこ行くのよ」
ぶっきらぼうに聞いてくるハルヒ。まあ待て。もうちょっとの辛抱だ。頑張ってくれ。
「ちょっとそれどういうことよ」
文字通りの意味だよ。無い頭必死に振り絞って考えたんだ。たまにはちょっとくらい付き合え。
「意味わかんない」
それで結構。俺だってお前のことをよく解ってなどいやしない。だからな、
「ほら、見てみろよ」
そういってハルヒを促がした先にいたのは、萌え要素抜群の上級生と、にやけた顔をした時期はずれ転校生と、無口キャラの読書係だ。結構大変だったんだぞ。呼び出しの説得。
 
「お待ちしておりました」
「まだかなって話してたところだったんですよ~」
「……次の指示を」
 
つまるところ、俺はお前が何を悩んでいるのか、残念ながら検討がつかんかった。それはすまんと思う。
だが、まだ打つ手はある。三人よればなんとやらと言うだろ? しかもそれぞれお得なオプションつきだ。俺以外。
「なんかあるなら皆で解決しようぜ」
そうすりゃなんか解決策の一つでもきっと思いつくさ。さ、何で悩んでたんだ、言ってみろよ。
「…もう解決しちゃったじゃない」
ぽつりと呟くハルヒ。そして徐々に笑顔を取り戻して行く。
「バカなんじゃないの! さ、みんな不思議探索ツアーよ!! 行きましょ、みくるちゃん」
朝比奈さんの手を奪い取るかのように引き寄せてハルヒは走り出した。ちょっと待てよ、相談はどうした。
「そんなの関係ない!! いいから行くわよキョン!」
 
「みんなが自分のために集まってくれた。その事実が彼女のわだかまりを消してくれたようですね」
極度の疲労感を全身に感じていた俺は、ありがたくも少しばかりの休憩時間を頂いたわけだが、ここぞとばかりに今回の解説役に回り始めた古泉が声をかけてきた。
「涼宮さんは不安だったのです。いつも自分がリードしてきたが、気が付けば回りに人がいなくなっていた。自分という存在よりも優先すべき事柄がある。それはつまり、自分は特別な存在として見られてないんじゃないか、という風にね。強気に見せていますが、人一倍寂しがりやなんですよ、彼女は」
本当にそうなのかね。大体誰もがそうなんじゃないのか。
「おそらく涼宮さんも理解されているのでしょう。ですから僕たちはそれぞれの活動を行う事ができる。涼宮さんが本当に望めば、僕たちはSOS団の活動しか出来ないようになってしまいます。その人が大切にするものは尊重したい、しかし自分のことも見てもらいたい。複雑な乙女心というやつです」
やれやれ。解ったようで解らんな。
「…根本的な原因が誰なのかは、当分解ってもらえそうにありませんね」
ん? 何かいったか古泉。
「いえ。何でもありません」
そういう古泉はちょっと疲れた表情をしていた。何かへんな事言ったのか、俺。
 
不思議探索ツアーはその後2時間も続けられた。というか、俺と古泉とでどうにか説得したんだ。
そうでないと明日の朝までやっていたのかもしれん。全くあいつに病み上がりなんて言葉は通用しないのだろうか。
解散後、時間も遅いということで俺はハルヒを家まで送ることになったんだが、最後の最後で俺はある決断を迫られることになった。
それは次のハルヒの質問から始まった。
「それで……あんたはどうなの? あたしたちと一緒にいて…楽しい?」
完全アウェーの予想斜め上を狙った質問だ。
「俺か? そうだな…」
いささか動揺した俺は、その動揺をハルヒに悟られないように空を見上げる。
周りから見る分には楽しいだろうが、当の本人には甚だ迷惑な話なわけで。結構大変なんだぞ、世界を救うのも。
だが、そんなことを伝えるってわけにもいくまい。
「悪くないぞ」
「…そう。そうなの」
ハルヒは、また俯いてしまった。
あー、そうじゃないんだよ、俺が言いたいことは。だがその何と言うか、男には意地というものがあってだな、それに今更照れるじゃないかよ、認めたくないってやつだ。大体いつもベタ過ぎるんだよ展開が。
そろそろお前だって分かってるんだろ?
「…………」
無言かつ不安交じりの表情で俺を見てくる。長門みたいなハルヒを見れるのもこれが最後かもしれん。
しかし、俺の口から出てくる言葉は、何が間違っちまったのか、なかなか俺の感情をうまく表現してくれない。
まあ俺がなんだか解ってないんだからそれもしょうがないって話だろ、いや、そんな誤魔化しも今は許されそうも無いか。
なんか、こういうの一回あったな。あれは、もっと灰色な空間だったけど。
「ちょっと何黙ってるのよ」
そんな目で見るなよ。俺だって色々迷うところなんだ。
なにせこれは現実世界で、この間みたいな夢落ちに出来ないんだぞ、ってお前に言っても解らんのか。
 
父親に教えられたことがある。長い人生にはどうしても決断しなければならないときがあると。
誰もがこういう話をきいたときはそんな事態になるのはずっと後のことになると思うものだが、とかいう俺だってそうだったわけだが、まさか、こんなに早く、しかも何の前触れもなく、唐突に来るもんだったとは思いもよらなかったね。と言ってみてもなんら考えが整理できるわけでもなく、いつもだったら夕方の商店街は人通りの多いはずなのだが、どういうわけか店はシャッターがしまり、通行人はゼロと来たものだ。
なにやら宇宙的なパワーと組織的な動きを背面に感じつつ、俺はとうとう覚悟を決めた。
 
「ハルヒ…」
「なっ…」
 
ここから先の描写は遠慮させてもらいたいね。俺だって思い出したくないんだ。
だが、相変わらず俺の切り札の効果は確実だったらしく、夕日の赤さと混じってハルヒの顔も真っ赤になっている。
もっとも俺もそうなっているんだろうがな。