唯我独尊な日々 (137-822)

Last-modified: 2011-01-18 (火) 00:23:48

概要

作品名作者発表日保管日
唯我独尊な日々137-822氏11/01/1611/01/16

作品

 結成からそれなりの時が経過したにも関わらず、一般学生及び教師たちの間では相も変わらず「何をする集団なの?」と疑問が飛び交う謎組織であるところの『S(凄まじく)O(横柄で)S(素頓狂な)団』は、今日も今日とてその活動に有意な点を見出せないまま、団長閣下(+団員その2)によるお決まりの合図で本日の業務を終えた。
 まぁ行き交う人々から上記のような無言の疑問を投げかけられたり、傍目には極めて無為な時間を過ごしているようにしか見えないことも、それこそ日常茶飯と化して久しいので今更異論を唱えるまでも無いし、またそのつもりも無い。
 無いのだが、果たして華の高校生活このままでいいのだろうかと一抹の疑問を抱かざるを得ない境遇にある俺の心情も、諸兄らにはお判りいただけるのではないだろうか?

 つまるところ俺は、ここしばらく続いている平穏な日常に些か退屈していたのだ。

 

「おや、今日は随分と珍しいことを仰いますね。平々凡々を旨とするあなたらしからぬ意見だ」

 女性陣の帰宅準備…というか主に朝比奈さんの着替えを待つ間、男子2人は廊下で待機。これもいつもの光景だな。そんな中でふとこぼれた俺の呟きに、隣に立つ古泉は律儀に反応してきた。

「僕としましては、このような穏やかな日々がいつまでも続いてほしいと願うところですよ。最近は涼宮さんの精神も極めて落ち着いていますしね」
「そりゃまぁ、アイツが大人しくしてくれたらそれが一番だってことは理解してるさ。でも俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな」

 ある意味で世間知らずなこのイケメンに、一般的高校生の抱く普遍的な願望について懇切丁寧に説いてやろうとしたのだが…

「さぁ帰るわよ! ほらほら、なに男2人で顔近づけ合ってんの? 気持ち悪いから離れなさい!」

 俺が口を開く前に部室の扉が喧しい音を立てつつ開かれ、7:3の割合で常識はずれな語句を猛々しく連続発射するのがデフォルトである団長殿がご登場。
 珍しく3割の方に該当するありがたいご指摘により自分のパーソナルエリアを再展開させた俺は、いつの間にか妙に近づいていたニヤケ面を押しのけつつ昇降口へと歩を進めたのだった。

 
 

 夕日が家も人も分け隔てなく緋色に染める中を、仲睦まじげに歩く男女がそこいらにちらほら窺える。
 先ほど古泉に諭してやろうとしていた情景となんとなく重なり、そんな薔薇色ライフとは程遠い生活を送っている俺には随分と物珍しいものに思えてしまうのも無理からぬことだろう。自然と目で追ってしまうことを誰が非難できようか。

「何見てんのよ。……あれが羨ましいの? まったく、もてない男はこれだからイヤよね~」
「………」

 即効で非難されました。誰に、なんて言うまでも無いよな。

「いいだろ別に。ああいう『青春』を彷彿させる出来事に縁が無いもんでね」

 なんせSOS団の結成後にしてきた中で経験した日常的な事といえば、見目麗しい天使が注いでくれたお茶を飲んで、寡黙な読書少女が空想世界へと旅立っている様を眺めつつ、いけ好かないイケメン相手に勝ち星を増やすくらいのものだしな。今日に至るまでまったくもって代わり映えがせず、青春的な出来事とも程遠い……まぁ、前2つはむしろ望むところだし、3つ目もある意味で非常に一般的な高校生らしくはあるかもしれないが。

「まあまあ。しかし気の置けない仲間と過ごす何気ない一時にも、それと同じくらい何にも代えがたい価値があるのではないかと思いますよ」

 ……もちろん、何も起こらず平穏であることがどれだけ幸せか…なんてのは、それこそ身に染みてわかっているさ。また何かのゴタゴタ騒ぎが起これば、こんな贅沢なことは言ってられなくなるってこともな。
 それでもだ。やっぱ少しくらい、あくまで常識に則った範囲において! 何かしらこう、高校生らしい適度に刺激的なイベントがあってもいいんじゃないかと思うわけだ。わかるだろ?

「さっぱりだわ。そんなレベルの低い刺激じゃ物足りないに決まってるじゃない」
「お前にとってはそうでも、俺みたいな一般人にはそれくらいで丁度いいんだよ」

 当然ながら、先行くハルヒには俺の意見などあっさり撥ね付けられる。これも今や慣れ親しんだやり取りではあるのだが、今日ばかりは少々不服感が否めなかった。
 結果、早足になりハルヒを追い越すという多分に大人げない行為で溜飲を晴らそうとしてしまったのだが…先立って階段を降りる途中でふと思い立ち、振り返ってこんな言葉を投げかけてみた。

「例えば、恋人と手を繋いで一緒に下校するとか。平凡だろうけど幸せを感じる時間になると思わないか?」
「「「!?」」」

 いつだったかは忘れたが、ハルヒ自身そういったことに少しは興味ある、みたいな話もしてたしな。
 こいつが日常のそういった出来事の中に充足感を得られるようになりさえすれば、この夢物語も決して手が届かないモノじゃ無くなるんではないかと思ったが故の行為だったのだが。

 何だあのリアクションは?
 ハルヒ、そんな大口開けてどうした。
 古泉、唇の端が吊り上ってアホみたいな面になってるぞ。
 朝比奈さん、何もそこまで顔真っ赤にするような話題じゃ無いでしょうに。
 長門、……は別に無反応か。スマン。

 俺そんなに変なコト言ったか?

 ……深く考えないことにしよう。
 階段のど真ん中で立ち止まるのもなんか落ち着かないし、再度身体を反転させて降段を再開しようとした…

 その時だ。

「ちょ、待ちなさい! いい!? あんたに彼女なんか1000万年早っ…!!」

 
 

 突如、ハルヒの身体が不自然に傾いた。
 足を踏み外したのだと脳が答えを弾き出すより早く、俺は落下するハルヒを自分の身体で受け止め……
 内臓が引っくり返るような浮遊感、次いで呼吸を一瞬止めざるを得ない程の強い衝撃を背中に受けた。

 
 

「だっ大丈夫ですかぁ!?」
「しっかりしてください、お二人とも!! ……って……」
 正直かなりキツイ。だが背中に硬い地面と鈍い痛みを、腹側に暖かくて柔らかい感触を感じるということは、なんとか自分を下敷きにしてハルヒを守れたのだろう。

 しかし。

「ハルヒ、大丈夫か?」

 安否を確認しようと口から出かかったこの台詞は、空気を振動させることなく飲み込まれることとなる。
 それは何故か。

 

・目を開けたら目の前にハルヒの顔があったから?
 いや違う。コイツが無遠慮に満面の笑顔を近づけ、突拍子もない事を言ったりするのは別に珍しくもない。
・大きな目を更に大きく見開いて、俺を見つめ返していたから?
 それも違う。さっきのと同じく見なれた光景だし、何より意識がはっきりしてる証拠でもあるからな。
・喉がつぶれていたから?
 そんなとんでもない理由じゃない。むしろ骨折はおろか、大した擦過傷すらも負っていなかったくらいだ。
・口が何かで塞がれてるから?
 うん、それが限りなく正解に近いな。物理的に口元を押さえられては言葉を紡げないのも当然だ。
 重要なのは「何が」俺の口を塞いでいるかなのだよ、ワトソン君。

 

「……これが世に言う『事故チュー』……ユニーク」
「「!!!!」」

 

 長門が淡々と、現状を認識せざるを得ない単語を投げつけてきやがった。
 同時にハルヒがガバッと身体を起こして後退る。仮にも階段から落ちた直後だというのにお元気なことで。
「なっ……あっ……」
 数瞬前まで俺のと重なっていた唇に意味を為さない音を奏でさせたかと思うと、どこぞの俊足アメフト選手も真っ青な加速力であっという間に遥か彼方へ消え去ってしまった。
 未だ身体を起こせないでいる俺をそのままにしてな。

 
 
 
 
 

 翌日。

 

 俺はこの上なく鬱屈とした心境で、毎朝恒例のハイキング行為に従事していた。
 昨夜はほとんど寝れなかったこともあり、その疲労度はこれまでの比にもならないであろうことは言うまでも無い。昨夜寝れなかった理由も言うまでも無い。
 ……いや、できれば早めに謝るなりなんなりしてお許しを得たいところではあったんだがな。何度電話しても出ないもんだから、その時のハルヒの心境も推して知るべしと言ったところだろう。
 とにかく朝一番で謝ろう、何なら土下座する羽目になろうが構わん……といった、ある意味ポジティブ・実際ネガティブな気構えで行う即席登山は当然楽しいハズもなく。
 教室につく頃には息も絶え絶えな男子学生が一人、行き交う生徒たちに訝しげな眼で見られることになっていたのだった。

 
 

「…………」

 

 窓際最後尾と、その一つ前。それが俺とハルヒの教室内での居場所であり、その座席はつまり教室後方の出入口を開けると嫌でも目に入る位置にあるわけだ。
 室内に入る前から、お目当ての人物が何やら面妖な空気を漂わせているのがよくわかる。

 

「………よう。おはよう」
「…………」

 

 その空気を払拭すべく、勇気を振り絞って話しかける俺。今の俺を傍から見れば、あたかもヤマタノオロチに飲ませる酒をうっかり持参し忘れたヤマトタケルノミコトのような面持ちであることだろう。
 しかし当のオロチは窓の外に顔を向けたままこちらを見やりもしない。
 いつぞやの閉鎖空間帰りの朝を彷彿とさせるが……違いはポニーにしてないってトコぐらいか?
「あー、その……昨日のことなんだが」
 お、少し反応した。やはりこの空気は昨日のアレが原因で間違いないようだ……当然といえば当然だが。

 

「別に……気にしてないわよ」
「そ、そうか。ホントすまなかっ……」

 

 ……今なんて?

 

「だから気にしてないって言ってんの! もうこの話はおしまい!」
「ちょ、ちょっと待て。いや気にしてないならそれはそれで構わないというかオールオッケーなんだが」
「あんなのただの事故でしょ? だからノーカンよノーカン!…………それとも、カウントして欲しいの?」
 ………よかった……ホントよかった。一気に疲れが出てきた俺はそのまま自席へと着き頭を伏せた。
「あたしも、初めてはもっと……ってキョン、聞いてんの?」
「ん? あぁ、事故はカウントしないんだろ? 俺もそれに全く異論は無いぞ」
「そ、そう」
 ずっと背負っていた荷をやっと降ろせたような晴れやかな心持ちの中、俺は不足分の睡眠時間を補おうと、重ねた両腕に重い頭を置いた。
 試験期間明けの夜の如く、もはや後顧の憂いは無しと安堵の息を漏らしながら。

 
 
 
 
 
 

 これでこの騒動は終わりだ。蒸し返したりしない限り、この記憶も次第に風化して消えていくことだろう。

 
 
 
 

 と、そう思っていたのだが。

 
 
 
 

 あの事故から一週間が経過した。
 あれからの俺とハルヒは、別段それまでと変わるところは無く……とはいかず。
 まぁ、ある意味で変化は無しと言っても間違いじゃ無いんだろうけどな。

 

 毎日途切れることなく、事故が勃発していた。

 

「いやぁ、こうも毎日見せつけられると些か黒い感情が生まれてきそうですよ」
「そのニヤケ面を止めろ!」
「あ、あのっ! あたしはあんまり見てないから心配しないでくださいね! どーぞここころおきなくっ!」
「いやだから、事故なんです事故! わかってますよね!?」
「次はこのようなシチュエーションを所望する」
「……長門……だから参考資料は結構だ」
 
 周りもこんな感じである。……どんなシチュエーションがあったかなんて話す気は無い。全くもって無い。
 それはともかく、突っ込ませてくれ。
 何なんだこの状況は!?
「おや、とうに受け入れているものと思っていましたが」
「受け入れられるハズないだろうが! 今や出歩くごとにハルヒと正面衝突してるようなもんなんだぞ!?」
「成程、出来るならば『事故』という形では行いたくないと」
「もう黙れよお前」
 ニヤニヤと気色悪い笑みを向け続ける変態エスパーを後目に、このところ「お約束恋愛読本」なるキワモノを読みふけっている美少女宇宙人に向きなおり、問いかけてみる。
「なぁ長門、この状況は何とかできないのか? 正直身が持たん」
 心の底からの切なる願いだったのだが、
「無理」
 一蹴。
「……いや、せめてもうちょっと考えてくれ。本当に頼む」
「無理」
 一蹴。
 ……うん、思った以上にダメージはでかいぞ。
 とにかく、より気を張っていくしかないのだろうか。主に俺が。
 もちろんハルヒにも、「お互いもっと気をつけよう」と進言はしてみた。それでも効果が上がらないのはホント何故なんだろうね。
 ……あー、ついでに言っとくか。いくら事故とは言え、示談に至るまでにはそれなりに面倒臭い手続きやら何やらがあるのが常だ。しかしハルヒの奴は、
「ただの事故よ! 事故なんだからノーカン!」
の一言二言で示談を成立させてしまうという恐るべきスキルを持っている。
 事故の相手が俺だけなのがせめてもの救いなのかもしれんがな。あんな辱めを受けるのは俺一人で十分だ。
 あとは……今のところ事故を目撃しているのは、この3人だけであることも不幸中の幸いか。
 絶対にこいつら以外の目に触れるわけにはいかない。もしこんな痴態が広まる事になったらもうどうすればいいのか見当もつかん。
 そんなわけで、決意を新たにする俺なのであったが……

 
 
 

 とうとう、恐れていたことが起きてしまった。

 
 
 

 数学の授業中だった。
 成績の悪さと授業態度は必ず一致するという法則はいみじくも未だ確立されておらず、すなわち低空飛行を続けているからと言ってそこまで不真面目ではないつもりの俺は、その時まで必死に板書をノートに書き写す作業を続けていた。
 しかし人間とは失敗を重ねて成長する生物であり……まぁ平たく言えば写し間違えてしまった数式を消去すべく消しゴムを取りだそうとしたのだが、何故か見つからない。
 仕方なしに、俺の後ろの成績優秀な居眠り娘の私物を一時的に拝借しようと振り返ったわけだ。

 

 そこで事故は起きた。

 

 ハルヒは重ねた腕に頭を乗せて眠りこけており、目当てのブツはその腕と頭が象る三角形の中にあった。
 必然、それを拝借するには身体を乗り出さなければいけないワケで、その不自然な動きの気配を察知したハルヒが目を覚ますのも仕方のないことなのだろう。
 それでも。嗚呼、それでも。
 何でまた、こうも見事に重なっちゃうんだろうね。

 

「っ!? ぷぁっ!! ちょ、ちょっとキョ…」

 用意された台詞をその口が言い終えるよりも早く、教室中に黄色い歓声が谺していた。

「お前らな、TPOってもんを……ええい静かにしなさい!」
 教師が静止を呼び掛けるも、興奮の坩堝と化してしまった教室は一向に収まる気配を見せようとしない。
 上を下への大騒ぎ。もうどうしようもない。茫然自失としていた俺を誰が責められようか。
「キョン、ようやく認める気になったみたいだなぁ! まさかこんな公衆の面前であんな大それた真似…」
 誰かが俺に話しかけている…それはわかる。でも誰だか判別も出来ない、そんな余裕は無い。
 一刻も早く弁解しなければ。誤解を解かなければ。
「まぁこれで晴れて公認カップルに…」
「違う」
 自分の声が妙に響いて聞こえる。
「違う? 何がだよ。思いっきりキスしてたじゃねぇか」
「違う! これはただの事故だ!!」
 その言葉の羅列がどういう感情を意味するかなんて、考えも及ばないままに。

 

「コイツ相手にキスなんか、したくてするワケないだろうが!!!」

 

 俺はいつの間にか、フロア中に響き渡るほどの大声で叫んでいた。

 
 
 
 

「……やってしまいましたね。こちらの教室まで聞こえてきましたよ」
「……うるせぇよ」

 放課後。
 いつもなら何かしらの声や音が絶えることの無い文芸部室に、今は4人分の3点リーダが充満している。
 それぞれが示す意味はバラバラだが、少なくとも3つは根底で同じ感情を共有しているのだろう。

「いや……悪い。今回のは、間違いなく俺に非がある…んだよな」

 正直なところ、そう認めるのに抵抗が無いわけでもないのだが……俺の不用意な発言がきっかけでハルヒが姿を消してしまったのであろうことは否めるべくもない。
 
 あの後ハルヒは、直前までの熱気が嘘のように静まり返った教室を飛び出し、何処かへ走り去ってしまった。
 それを見て俺も我に返り、後を追おうとしたのだが……騒ぎを聞きつけた教師たちに職員室へと連行され、今の今まで説教されていたのだ。

「……探して…謝ってくる」

 心身ともに満身創痍な俺には、そうすることしか思いつかなかった。
 しかし、

 

「謝って……どうするんですか?」

 

 唐突に、朝比奈さんが口を開いた。

「どうするって……そりゃあ」
「どうしてあんなコトが繰り返されてたか……わからないわけ、ありませんよね?」
「…………」

 

 思わず言葉を失ってしまった。
 質問への回答を思案していたというのもあるが、どちらかといえば朝比奈さんが俺に対してこれほどまでに強い意思を示した記憶にそうそう思い当らなかったから、と言ったほうが正しい。
「キョンくん、あたしには詳しいコトは伝えられてないから、はっきりとは言えないけど……今からキョンくんがとる行動はきっと、キョンくんと涼宮さんのこれからにすごく大きな影響を与えると思うの」
 俺の目を真っ直ぐ見据えながら、朝比奈さんは言葉を紡いでいく。
「考えて。涼宮さんに、何を伝えるべきか。何て答えるべきか」

 

「僕からもひとつ、いいでしょうか」
 朝比奈さんの問いに対して顔を伏せていた俺に、古泉が言葉を投げかけてきた。
「涼宮さんは今のところ閉鎖空間を発生させていません」
「……!」
「これがどういう事を意味するか。……今の貴方なら、わかりますね」

 

 ブレザーの裾に弱い抵抗を感じた。長門が細く小さい指で摘んでいる。
「…………」
 無言。しかし2人に負けず劣らず強い意志を秘めた瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いている。
 裾をつまんでいた指から力が抜け、その腕があるべき位置へと戻された。
 そして一言。
「あなたなら、大丈夫」

 
 
 
 
 

 気付けば太陽は雲に覆い隠され、辺りは薄暗いベールに包まれていた。世界はモノクロに彩られている。
 視認は出来ないが、太陽も大分傾いているのだろう。周りの色が濃くなってきたように感じるのも気のせいではあるまい。
 灰色の世界……いつかの閉鎖空間が思い出される。
「なんだかんだで、しっかりヒントは出してくれてんだな」
 独りごちた俺は一縷の望みをかけ、しかし奇妙な確信を抱きながらグラウンドへと向かった。

 

 辿り着いたグラウンドにはほとんど人影が見受けられない。いつもなら運動部が汗を流していてもおかしくはない時間なのだろうが、明日に学会だか推薦入試だかを控えているとかで、準備の為に一般生徒は早めの帰宅を命じられていたからだ。

 

 ハルヒはそこに居た。
 あの時と同じ、グラウンドの中央に独り静かに佇んでいる。

 

「何しに来たのよ」
 近づく俺に気付いたのか、こちらに背を向けたままのハルヒがやけに平坦な声を出す。
 何、と言われてもな。実のところ俺の中でまだ答えは出ちゃいないんだが……
「さっきの事なら別に気にしないでいいわよ。あんたの言う通り、ただの事故でしかないんだから」
「……その意見にはまぁ、全面的に同意だ」
 違う。そうじゃない。
「さすがにあんな大勢の前でしちゃうのはどうかと思うけどね。恥ずかしくて思わず飛び出しちゃったわ」
「…人前で平気で着替えるようなヤツなのに、恥ずかしいなんて感覚があったとは驚きだ」
 これはあんまりだ。こんなこと言いに来たわけじゃないだろ。
「こんなところに居ないでさっさと帰んなさい。今日は団活休みにしといてあげるから」
「…………」
 言うべき事が、伝えなきゃいけない事があるはずなんだ。しかし…
「あたしも……帰るわ。だから」
 何を言うべきかわからず黙りこんだ俺を振り向き、

 

「じゃあね」

 

 笑って見せたハルヒの顔には、くっきりと涙の痕が残されていた。

 
 

『どうしてあんなコトが繰り返されてたか……わからないわけ、ありませんよね?』
 ……そうだ、あんなことが「日常」の中で頻繁に起こり得るわけもない。
 どこかで「そんな筈はない」と、感じてただろう? 認めなかっただけで。

 

『これがどういう事を意味するか。……今の貴方なら、わかりますね』
 まったくだ、わからない方がおかしいんだよな。
 お前はそんな殊勝なキャラじゃないだろうが。

 

『あなたなら、大丈夫』
 ありがとう、お陰で踏ん切りがついた。
 ようやくわかったよ。

 
 

 答えなんかとっくに出てたじゃないか。

 
 

「ハルヒ」

 

 思っていたよりも随分と小さい肩に手を置き、あの閉鎖空間でもこんなんだったっけと少々場違いな思考を巡らせながら、その名前を呼ぶ。
 間違っても「神様」なんかじゃない、ましてや「自律進化の可能性」でも「時間の歪みの原因」でもない、
ひとりの女の子の名前を。
 訝しげにこちらを見上げる大きな瞳に吸い込まれるように、俺は自分の唇をハルヒのそれと重ねた。

 
 
 
 

「何すんのよ」

 キスだな。無性にしたくなったんだ。

「これじゃ、事故でも何でもないじゃない」

 そうだな。自分の意思でしちまったから。

「…カウントしなきゃいけないじゃない」

 ああ。俺も今、人生初のカウンターが回ったよ。

「……バカじゃないの?」

 バカで結構。俺は何一つ恥じるような行動はしちゃいないけどな。

「……バカ。バカキョン」

 なんとでも言え。

「……バカキョン」

 おう。

 
 
 
 

 気付けばモノクロな世界は消失し、周囲は鮮やかな緋色に照らされていた。

 
 
 
 
 
 

 文芸部室に戻った俺たちは残りの団員3名に盛大に迎えられ……ということはなく、誰もいない室内の長机の上に俺の鞄だけがポツンと置かれていた。
「あら、もう帰っちゃったのかしら」
 まぁ活動するような雰囲気ではなかったからな……ひょっとしたら俺のフォローの為に総員待機中なのではと思わなくも無かったのだが、とりあえずこの現状は信頼の証だと考えることにしよう。
「もっと早くキョンが来てれば、今日もちゃんと活動できたかもしれなかったのにね~」
「無茶言うな。一応出来得る限りの最速は発揮させたつもりだぞ」
「どーかしらね……まぁ居ないものはしょうがないわ、今日はこのままお休みにしましょう」
 そうだな。……あいつらにはまた、あとで改めて礼を言おう。
「それじゃあ、帰るか。ハルヒ」
「…うん!」

 
 

 そんなこんなで、突拍子もない出来事から始まった傍迷惑極まりない騒動はようやく終わりを迎えた。
 もう、あんな事故が起こる事も無いだろう。起こす必要自体無くなったことを、コイツもしっかりとわかってるだろうしな。

 

 いつか夢見た平凡だが幸せを感じる時間を十二分に堪能しながら、俺たちは家路についたのだった。