寝ぼけハルヒ (79-400)

Last-modified: 2008-02-08 (金) 20:13:04

概要

作品名作者発表日保管日
寝ぼけハルヒ79-400氏08/02/0708/02/08

作品

 
 下校時間をとっくに過ぎたある日の文芸部室。
 ここに居るのはこの俺と、団長机に突っ伏してすやすやとお休みになっておられるあの団長様の、計二人だけだ。
 こいつにはいつぞや、俺が寝てた時にもこうして待ってて貰った事もあったしな。礼代わりといったところだ。
 それに起きた時に誰も居なかったら、こいつでも寂しいだろう。
 ちなみに他の三人は、俺が残るつもりでいるらしいと分かると、なぜか何の迷いも疑いもなくとっとと下校していった。
 全く、面倒な役割を人に押し付けやがって。薄情な連中だ。ああ、もちろん朝比奈さんだけはそんな中でも麗しかったがね。
 古泉曰く、「それは僕たちの結束が軽薄だからではなく、むしろあなたを、そしてお二人の関係を信頼しているからですよ」だとか。何のこった。
 
「ん…、キョン…」
 お、ようやく起きたか。ほれ、さっさと帰るぞ。俺だってもう腹減ってんだからな。
 そう声を掛けたが、ハルヒはうずくまったままで一向に起き上がろうとする気配が見えない。どうした?
 俺はいぶかしんでハルヒの傍らに立ち、その肩を両手で軽く揺する。
 おいどうした、具合でも悪いのか?
 そう思い、上体を屈ませながら顔を近づけたその時だった。
 ガバッとそいつは唐突に起き上がったかと思うと、その両腕を俺の首元に絡ませてきやがった。それはもうガッチリとホールド。平たく言うと抱きついてきたのだ。
 突然の重しが不安定な角度の上半身に掛かった俺は、咄嗟に片手を傍の机に伸ばして何とかバランスを崩さずに持ち堪える。
 おわっ、お、おいハルヒ、本当どうしたお前? おかしいぞ。大丈夫か?
 しかしハルヒの顔は俺の胸辺りにうずめられているので、その表情は伺えない。そして頭部は俺の顎に密着してる。未だかつてなく、近い。
 柔らかく綺麗な黒髪がこの顎をサラサラと撫でる。すると髪の毛の間から、なんだか甘い香りが漂ってきて鼻をくすぐる。
 
 ややあって、ハルヒが再び口を開く。
「バカキョン…、もう、そんなに食べられないわよ…」
 ………。
 …おい、お前もしかしてさっきのも寝言だったのか?
 やれやれ、心配して損したよ全く。まあ杞憂に終わって良かったが。
 俺のその考えを証明するかの様に、やがてハルヒのスースーという寝息が胸の辺りから聞こえてきた。
 俺は無理矢理その腕を掴んで引き剥がそうとするが、ハルヒの腕は万力の様に固まっていて外れる気配がない。腕だけに力を入れながら眠るなんて器用な真似しやがる。
 それに今まではしばらく思考停止していて気付かなかったが、脇腹あたりに何やら柔らかいものが押し付けられていることに気付く。
 おいおい、この状況はちょっとヤバいんじゃないのか、色んな意味で。
 
 といっても、せっかく何やら気持ち良さそうに夢でも見てるみたいなのに、大声で起こしてしまうのもちょっと忍びない。
 だが、身を前方に屈めたまま机に手を付いてこの身を支えているという体勢も、流石にだんだん辛くなってきた。
 俺が手を支えにゆっくりと上半身を縦に起こしていくと、やはりというか、腕で固定されているハルヒの身体もそのまま一緒に浮き上がって付いてくる。眠っているくせに大したロック力だよ。
 しかし勿論、その途中で突発的にこいつの腕から力が抜けたりすると危険なので、自分の空いてる方の腕をハルヒの背に添えてやる。…言っておくが仕方なく、だぞ。勘違いするなよ。
 その過程で自然と、今まで俺の胸に押し付けられていたハルヒの顔が徐々に肩の辺りまで上昇してくる。
 うおっ、そうしたら二つの柔らかい感触も、脇腹をまとわり伝いながら、だんだんと胸部のあたりまで迫ってきやがった。そしてその俺の胸が内側から、なんか音を立ててきてるのが自分でも分かる。
 
 俺は自分の上半身がやや持ち上がってきた辺りで、机に立てていた方の腕をハルヒの膝裏の関節部へと、二人の隙間から滑り込ませる。
 よし、ちょっと不恰好だがこれで所謂お姫様抱っこという奴で持ち上げられるな。よいしょっと…意外と重いもんだ。
 ああいや、こいつの体重がその他の連中と比較して、じゃなくて人間というものがもつ重さは、だからな。これも念の為に言っておくが。
 もし今の失言をこいつに聞かれでもしたら、いくら一般的な女の子のもつ価値判断基準を大きく逸脱しているこいつだって凶暴に襲い掛かって来ることだろう。もっとも、凶暴なのはあくまでもこいつだけだが。
 そうして涼宮ハルヒという存在の重みを文字通りこの身に確と受け止めながら移動し、手近な壁に自分の背をもたれ掛けると、そのまま下方へとしゃがみ込んで床に直に腰かける。
 そしてハルヒの両足だけをそっと床面に下ろし、腰は痛くならないよう俺の膝の上に乗せ、ハルヒの背面と膝裏に添えた両腕はそのままの状態を維持しつつこの体勢を支える。
 
 やれやれ、ちょっと回りくどかったが、これでひとまず体勢的にはそこそこ落ち着いたな。
 とりあえず今は他にどうしようも出来ないので、この普段はハタ迷惑な天上天下唯我独尊娘の、珍しく見せる大人しい姿の観察にでもいそしむこととするか。
 ちなみにもちろんこいつの両腕は、依然として俺の首に巻きついたままだ。顔もやはり俺の鎖骨付近に密着させたままなので、その寝顔を窺い知ることは叶わない。
 しかし普段は特別意識しないが、こうしてみると意外と小柄な身体だな。いつもその内部から溢れ出ているエネルギーを周囲に迸らせながら暴れ回っているから、なかなかそう感じさせないが。
 腰つきなんかも案外華奢だし。それでいて出るべき部分はしっかり出ている。女の身体ってのはよくこんなひょうたんみたいな構造で、バランスを成り立てていられるもんだな。
 ハルヒの行う規則正しい呼吸は、その胸をゆっくりと上下させる。その感触が直にこちらの身にも伝わって来るので、何だかこっちまで安らかな気分になってくる。
 それに加えて何やら甘い香りまで漂っている。何とも喩えられない、女の子の香り、としか言い様がない甘さ。しかしこいつが香水なんぞをわざわざ使うとは考えられないから、やはりシャンプーの香りか何かなのかね。
 
 時折なぜかハルヒの顔面が左右に振れて俺の肩にぐりぐりと擦り付けられ、それと共にその流れる様な髪が頬をくすぐる。…前言撤回、やっぱ寝ててもあんま大人しくないな、こいつは。
 せめて制服によだれとか垂らすなよ。
「んーふふふ、ねえねえキョン~」
 ハルヒのくぐもった、でもどこか幸せで胸一杯といった感じの声が俺の肩に響く。
 何だ。
 …ったく、そもそも一体何の夢みてんだよこいつは。まあせいぜいが俺をおもちゃにして遊んでるってところなんだろうが。
 
「もう、だから…、あたしが一緒に…って、…」
 ん?
「…えへへー」
 いきなり変な声を出すな。さっきからお前の中には一体どこの新キャラが乗り移ってんだよ。ああ、これが方々で噂に聞く異世界人とやらなのかね。いや、うちの妹か?
 
 と、思うとハルヒは今度は打って変わって、唐突に真面目くさった声を出した。
「キョン」
 だから何だって。
「大好き」
 ………。
「きゃー」
 そう言ってまた顔をぐりぐり、そして今度は両脚までバタバタさせる始末。
 いや、きゃーってお前な…。おい馬鹿暴れんなよ、脚とかあんま動かすな。見える、何か捲れてきて見えるっつーの!
 
 それからもハルヒは時折、よく意味の通らない断片的な言葉をゴニョゴニョと俺の肩に向かって途切れ途切れに呟き、その度に何やら頭や身体を悶えさせ、くねらせ、ジタバタさせていた。
 忙しい寝言と寝相だ。こんな奴今まで見たことないぞ。でもまあハルヒだからな…。
 しかしそういうのは眠っていても疲れてゆくものなのかどうか知らないが、しばらく経つと徐々に言葉や動きも少なくなってきて、ただくっついてスヤスヤと眠っているだけに近づいてきた。ようやく落ち着いてきたのか?
 そうこうしている内に、何だかおぼろげに幼い日の妹(もっとも今でも十分幼く見えるが)を抱っこしていた頃を思い出してきた俺は、安心させる様に背中に添えていた方の手でそこをポンポンと軽く叩いたり、優しく擦ったりしてやった。
 すると、それに応える様にハルヒは「ん…、んん~」とちょっと色っぽく唸り声を上げる。…何かだんだんこっちが変な気分になってきたな。
 
 その時ふと、いつだったかの古泉が「背後から抱きしめてアイラブユー」とかどうとか血迷ったことをぬかしてたのが一瞬頭を過ぎった。
 普段見馴れないハルヒの姿を見て、しかも身体を密着し続けていたせいで何だか妙に気分が浮ついていたのか俺は、ハルヒの膝の方を支えていた腕をそっと抜き、両腕でその身体を強く抱きしめてから、
「俺も愛してるぞ、ハルヒ」
 気付くととんでもない台詞を吐いていた。
 と同時に、あーなんかいきなり妙な事口走っちまったな…。まあどうせ寝てるんだし関係ないか、と思った。
 しかしその瞬間、ハルヒのその小さな肩が、俺の腕の中で もの凄いビクッと震えた。
 
 …おい?
 沈黙。
 さっきまでは眠りながらも何やかんやと、断続的に何かしらのアクションを起こしていたこのハルヒが、突如全く黙り込んでしまった。そんな静けさが逆に耳に痛いくらいだ。
 突然サーっと自分の顔から血の気の引いてゆくのがありありと分かる。それはもう、今まで適温だった筈の周りの空気が肌寒いと感じられる程に。
 …え? え? もしかして起きてんの、これって? え? …いつから?
 もう頭の中が真っ白にパニクってしまって上手く状況が判断出来ず、動くに動けない。
 しばらくの間、全くの無言状態で固く抱きしめ合っている俺たち二人。ここでまた谷口あたりが出し抜けにこの部屋の中に乱入してきたら、今度は一体どうすればいいんだろうね。
 今更だが、密着しているハルヒの何でもない肌や肉付き、そしてその奥の骨格などの感触が、制服越しでもやけにリアルに、生々しく感じられてきた。だって今まではそんなこと、ちっとも意識してなかったんだよ。
 
 すると次第に、特に俺の肩の辺りから もの凄い熱量が発生してきて、やがて水蒸気までがふつふつと立ち上り始めてきた。下手すると制服が溶けちまいそうな程の勢いだ。
 俺の首を絞めつけていたこの両腕も、ワナワナと振動し出す。
 いつの間にか胸がバクバクと音を立てている。これは俺の音? いやハルヒの音? いやいや両方?
 
 俺の耳元から、ついにはヤカンの笛が立てる様な鋭く乾いた音が鳴り響き始めたあたりで、ハルヒは不意に自らの腕をバッと開いて、同時に俺の腕までをも強引に振りほどき、そこから勢い良く身を引いた。
 そして立ち上がりつつ一歩後ずさると、今更驚愕した様な強張った表情を浮かべて俺を見下ろす。その顔は林檎かトマトみたいに、耳まで真っ赤に染まっている。ついでにどこか悔しそうにその身をプルプルと震わせる。
「な、なな、何よ…!」
 いや、お前がいきなり何よ。
「ば、ばばばばばバカキョン! あんたねぇ、を、をを、女の子がね、ねねね寝てるのを良いことにな、何てことしてんのよ! このエロキョン! 変態! 女の敵! 近寄んなバカ! あんた、このあたしに一体何する気!?」
 お、おいおい待てよ、落ち着けって。まずはこういう状況にまで至った経緯をだな…。元はと言えばお前が…。
「うっさい! 言い訳すんな!」
 ハルヒは錯乱して俺の頭部に向かって回し蹴りを放ってくる。辛くも俺は寸でのところで頭を下げ、何とかギリチョンそれをかわす。すぐ頭上の空気が真っ二つに切り裂かれる。ヒュー、危ねぇ…って、うわっ、何か一瞬脚の奥の方に白いものがチラッと…!
「バカー!!!」
 更に赤みを増して咄嗟にスカートを手で押さえながら、ハルヒはスカした方の足を着地させて俺に背を向けると同時に、その脚を軸として身体全体を一回転させながら遠心力を利用して今度はもう一方の足の踵を飛ばしてきて…、
 ずわしっ
 もう逆に、これはどっちかって言うと心地良いんじゃないかとさえ思える程に軽快な効果音付きの鈍い衝撃と共に、それは今度こそ俺のこめかみにクリーンヒットした。お前、その流れる様な動き、バー○ャファイター…、さながら、か…!
「え…、キョ、キョン…?」
 この土壇場での渾身のツッコミもままならずに、俺の身体はものの見事にスローモーションでその場に崩れ落ちてゆく。ああ、無念だ。実に遺憾を覚えるね。ツッコミ。
 次第に薄れて、再び真っ白に飛んでゆきつつある意識の中で、俺が最後にこの目に焼き付けたものは、何やら呆然として俺を見下ろしているハルヒの青ざめた表情と、その下の、まるでこの途絶えていかんとする意識の様に純白な、スカートの中の…。
 
 …。
 ……。
 ………。
 一体どれだけの間、俺は卒倒していたのだろう。
 気付くと俺の上半身は、床にしゃがみ込んだハルヒにしっかり抱きかかえられ、頭をその胸の中にぎゅっと懐かれていた。まるでさっきまでと反対の構図だな。
 未だにじんじんと痛んでいる俺の側頭部を、優しく撫でているハルヒの掌の動きが妙にくすぐったくてむず痒い。
 時折、か細い声で呼ばれる俺の名前。というかアダ名。そして謝罪の言葉。死んじゃ嫌だ…って、いやいや流石にそれはない。
 俺の頭上には、この髪の中にうずめられているのであろうハルヒの頬の感触。どうやらハルヒは静かに、すすり泣いている様だった。
 俺の頭部を包み込むこの柔らかな胸も、時たま小刻みな嗚咽に連動して上下しているのを感じた。
 そして何よりこの、ハルヒに一身に包まれている状態の中で俺は、今度こそハッキリと感じ取ることが出来た。ハルヒがここに確かに生きて、血が通っているんだということを示す、胸の奥の鼓動を。
 
 おいおい、なに涙なんて流してんだよ。お前にはそんなの似合わないだろ。それも、俺なんかの為に、さ。
 お前は何だかんだ言っても、やっぱりあのハイビスカスみたいな笑顔を浮かべているのが一番なんだよ。
 本当なら、もうしばらくの間だけこいつの腕の中で、この春の晴れ渡った日曜日に吹く、新鮮で柔らかなそよ風の様に繊細で心地よい感覚を味わっていたいところなんだがな。
 一刻も早く、こんな様子の我らが団長様をここから最大限に元気づける為には、さて俺は一体どんな奇抜な起き方をしたものかね、と――。
 
   -end-