未来はバラ色 (85-634)

Last-modified: 2008-04-01 (火) 02:36:25

概要

作品名作者発表日保管日
未来はバラ色85-634氏08/03/3108/04/01

作品


 
いわゆる卒業式シーズンなのであった。
3年生抜きで発足した我々SOS団にとっては卒業式など会場設営を手伝わされるくらいでほとんど関わりない行事だったのだが、全体としては3年生がいなくなった北高は閉演後のコンサート会場のような祭りの余韻を漂わせつつも閑散とした雰囲気である。
脳内常夏のようなハルヒも三寒四温の春の気候に足並みをそろえたのか、上機嫌と不機嫌を目まぐるしく入れ替え、先月のようにまた何かやらかすのではないかと俺を不安にさせていた。
SOS団が間借りする文芸部室が存するこの旧校舎に吹き込むスキマ風はまだ冷たいが、植物の内蔵メモリには日々の気温の蓄積がしっかりと記録されているようで、いくつかの植物は芽吹き始めた。
植物の芽吹きにあわせ、ハルヒの頭の中にも何か芽が出たんだと思う。
「タイムカプセルを埋めるわよ!」
……きっと大賀ハスとか、そういう特殊な芽だ。
春だからな。仕方がない。
 
「タイムカプセルを埋めるわよ!」
老朽化したドアが断末魔のような激しい音を立てて開いたと思ったら、回転数はすでにレッドゾーンに入ってしまったらしいハルヒが現れて開口一番そんなことを言った。
「……何を埋めるって?」
文芸部室には俺のほかにいつもの3人が集合しているわけだが、特に感想がないのか誰もなにも言わないので、倒れた王将を静かに引き抜きながら、俺がなおざりに声の主に尋ねる。よっしゃ、次長門だな。
さっきまで古泉と将棋をしていたのだが、あまりに弱すぎて飽きたので、朝比奈さんと長門を巻き込んで4人で将棋崩しをしているのだ。
「……」
文芸部部長にしてこの部屋の主、長門有希は片手で文庫本を読みつつ、反対の手で軽々と歩を抜き取った。本からまったく目を逸らしていないのに、その動きには一点の迷いもない。さすが対(中略)スだ。略しすぎた。
「タイムカプセルよ、タイムカプセル!みくるちゃん、お茶ちょーだい」
「ふぇ……」
声をかけられた朝比奈さんは、だがハルヒの先輩を先輩とも思わぬ言葉に応じなかった。もちろん無視しているのではない。ただ目の前の桂馬を運ぶことに夢中で、耳に入っていないのだ。朝比奈さんは息まで止めてゆっくりぷるぷると動かしていたが、どうにか駒を盤から取り除くことに成功した。
「みくるちゃん、お~茶!」
ハルヒは左腕で朝比奈さんを抱き込みつつ、無造作に右腕を伸ばして盤上の3段重ねになった駒を無音で滑らせた。
こいつの指からは何か特殊な磁力線でもでているのだろうか。
「あっ、ふぁい!」
「タイムカプセルですか、それはまた結構ですね」
イケメン超能力者が山に手を伸ばす。おまえ、そこはやめておいたほうが…古泉はそれなりに慎重な手つきで角を取り除こうとしたが、案の定軽い音を立てて山は崩れた。
 
1-1
 
さて翌日。
文芸部部室の長机にはボイジャーレコードでも収納するのかと言いたくなるほど大仰な銀色のケースが鎮座ましましていた。大きさは学生かばんの倍ほどで、中は低反発のクッションが敷き詰められている。
Sf映画の小物みたいなサイバーチックなケースと古びた机が大いにミスマッチであるが、そもそも団員からして寄せ集めなこのSOS団にはミスマッチでないものなど有りはしないので、このケースもマッチしているのかもしれない。
「いいじゃない、古泉君!SOS団のタイムカプセルにふさわしい代物だわ!」
当然派手好きな団長様は大喜びである。
「あたしたちの活動の記録を残すんだもの、やっぱりこれくらい本格的なケースじゃないとね!何トンの衝撃まで耐えられるのかしら」
いや、たかが学校に埋める程度の用途に何トンもの耐久性はいらないから。
「それで古泉君は何を持ってきたの?」
「僕はこれです」
古泉が手にしていたのはステープルされた紙っぺらの束。
「去年の夏と冬にやった推理劇の原稿です。稚拙な作品ではありますが、苦労した分思い出もありますね」
ワープロソフトで打ち出されたそれには、古泉のものと思われる乱暴な書き込みが多数あった。
まあ悪くないな。タイムカプセルにふさわしい物のような気がする。
朝比奈さんは何だろう。
「えへへ、これです……」
古ぼけた厚手の和紙……なんか見覚えがあるな。もしや。
「バレンタインのときの宝の地図ですよ」
うむ、あれはいい思い出だ。俺の人生で3人もの女の子からチョコをもらえるなんてイベントが発生するとは、全く予想外だった。たとえ義理でもうれしいものだ。
「えっ……」
なぜかハルヒが変な顔をしてこちらを睨んできやがる。なんだよ。
「なんでもない!」
今の会話のどこに不機嫌になる要素があったんだか、口を尖らすハルヒ。
「それで、長門さんは?」
古泉の助け舟に長門はコクリとうなずいて、かばんから大事そうに冊子を取り出す。
それは文芸部の会誌だった。この前怪しい生徒会長に煽られて作った、今年度唯一の活動の証。
「とても大切なもの」
「そうね……」
喉もと過ぎればってやつかな、その当時は大変なことばかりだったけど、今となっては鼻の奥がツンとするような、目が痛くなるような。案外タイムカプセルっていいかもしれん。
「……で、キョンは?」
鼻を鳴らしながら、ハルヒが尋ねる。
「すまん、正直思いつかなかった」
俺が持ってきたのは、SOS団の活動とは縁もゆかりもないCDだった。
だってそうだろ?とっておきたいほど思い出深いもので、しかし埋めてしまっても生活に困らないものなんてそんなにない。
俺は悩んだ挙句好きなアーティストのCDを持ってきた。これはリッピングしてあるから埋めても大丈夫なのだ。
「呆れた!あんたねえ、これまで一年間活動してきた成果がこれ?みんなのを見てみなさいよ、どれもあたしたちの努力と成長の証じゃない!それなのにあんたときたら……あたしは団長として情けないわ!」
言葉とは裏腹にハルヒはやたらうれしそうだ。俺に説教をたれるのがそんなに楽しいのだろうか。
「そういうお前は何なんだよ。」
「あたし?あたしは……秘密よ」
なんだそりゃ!人のこと散々けなしといて自分のは教えないのかよ。
「開けるときのお楽しみよ!あたしが最後に入れて鍵閉めるんだからね!見ちゃダメよ!」
ハルヒは俺たち4人を部室から追い出し、自分の分をケースにしまいこんだようだった。
 
1-2
 
さて、SOS団的5人の思い出を収納した立派なケースを持って我々は体育館の裏に移動した。
何しろタイムカプセルである。誰かに勝手に掘り返されては困るわけであり、加えて無認可の団体が無許可で高校の土地を掘り起こすのだから、教師などに見つかっては支障がある。
そこであまり人が来ない体育館裏に埋めるというわけだ。
移動中もハルヒのワクワクゲージは自動的に上昇を続けているようで、
「5人しかいないのに6個入ってるとか!それとも全部無くなってしまっているとか!埋めた後に失くしたものが入ってたってのも面白いわね!」
お前は感動巨編にしたいのかSF巨編にしたいのかどっちだ。
「ああ早く掘り返したい!早く掘り返して今を懐かしみたい!」
まだ埋めてもいないっつうの!
「ここにしましょう。さあ古泉君、キョン、じゃんじゃん掘っちゃいなさい!」
俺と古泉はなぜか部室の備品となっていたスコップを地面に突き立てた。
 
先月も宝を探して穴を掘ったりしたのだが、決して慣れたわけではなく、俺は掘り始めて5分もしないうちに腕が痛くなってきた。
古泉のやろう、こんなにでかいケース持ってくるんじゃねえよ。埋めやすいようにちっちゃいのにしておけよな。
「なによ、だらしないわねえ。なにも埋蔵金やオーパーツを掘り出せって言ってるんじゃないの。十分な深さと広さを確保すればいいだけなんだから、簡単じゃない!ほら、古泉君を見習いなさいよ」
古泉は掘るという行為には何か執着があるのか、熱心にスコップを動かしている。
「……」
不意に背中に枯葉が乗ったかと思うくらい柔らかい力を感じた。
振り返ると長門が手を差し出している。
「手伝う」
「いや、こんな汚れ仕事を女の子にやらせるわけにはいかねえよ」
そうだ、長門だったらこんな穴掘りくらい文庫本のページをめくるのと同じくらい簡単なことかもしれないが、女の子に任せて見ているなんてできるわけがない。それに古泉が根を上げないのに俺だけ休むなんて格好悪いしな。
「……そう」
長門はしぶしぶといった感じで引き下がった。
さて再開しようとすると、
「あ~もう、じれったいわねえ!ちょっと貸しなさい!」
とハルヒが俺のスコップをふんだくって穴掘りを始めた。
ハルヒは多分10馬力くらいはありそうな腕力でどんどん掘り進めてゆき、あっという間にケースが納まるくらいの穴が出来上がった。はじめからお前がやればいい。
「このくらいでいいかしら。あんまり深いと掘り起こすのも大変だしね」
古泉がピルトダウン人の化石を扱うかのような恭しい手つきでケースを穴に置き、俺たちはせっせと土をかけて埋め戻した。
「なあ、これはいつ掘り返すんだ?」
「……来年の卒業式よ」
ずいぶん早いんだな。こういうのは10年とかもっと長いスパンにしないと変化が感じられないのではないだろうか。
「……だって10年後にまたみんな一緒に集まれるかわからないじゃない」
ハルヒは竜宮城から帰った直後の浦島太郎のような表情をしていた。
長門も朝比奈さんも、古泉も何も言わなかった。
このお祭り騒ぎみたいな毎日もいつまでも続くわけじゃない。
朝比奈さんはいずれ未来に帰る日がやってくる。古泉はそのまま学生かもしれないが、長門だってどこかに行っちまうのかもしれない。
ハルヒは彼ら3人の素性は知らないはずだが、何か感じるところがあるのだろうか。
泣き笑いのような顔をしたハルヒに、俺は何も言えなかった。
 
1-3
 
タイムカプセルを埋めた日から数日後の土曜日。
駅前商店街に向かって自転車を漕ぐ俺の脚は、今日の天気と同様に快調そのもの。
これはハルヒの呼び出しではない、もっと重要なミッションだからだ。
昨日の帰り、下駄箱に封筒が入っていた。その封筒は驚くなかれ、朝比奈さん(大)からのものだった。また訳のわからん指令かと恐る恐る開けると、
―――明日デートしませんか?K駅前のXデパートの前で、待ち合わせ。
いや、わかってるよ俺も。朝比奈さん(大)がただデートしに来るはずがない。
なにかお使いイベント的な展開になるんだ。ああ、わかってるさ。
でもな、ただ会えるだけでもうれしいってものだろ?
待ち合わせ場所は人通りの多い歩行者天国に面するデパートの前。通りに面してデパート前にちょっとした広場ができていて、付近の待ち合わせ場所となっている。通りは駅から続くアーケードで雨でも傘を差さずにお買い物ができるようになっているのだ。
自転車を駐輪場に置き去りにし、いろいろ否定的なことを考えて顔のニヤけを抑えつつ指定された場所に到着した俺だったが、果たしてそこに待っていたのは朝比奈さん(大)ではなかった。
ところがそれで俺ががっかりしたかというと、そんなことはない。
落ち込む暇はなかったのだ。
指定された場所には一人の少女が俺に背を向けて立っていた。その子は俺の胸くらいの背丈で、ランドセルを背負っているから小学生だろう。知らない人が見れば、それはまったくどうという光景ではない。
だが俺は、トランプの束にウノが一枚だけ混ざっているような、日常に入り込んだ非日常の気配を感じていた。
デパートのウインドウに少女の顔が映っていて、その顔を見た俺はいよいよ日常を疑うことになった。
なぜなら彼女は俺がよく知る人物にそっくりだったからだ。
すなわち、涼宮ハルヒに。
 
2-1
 
「おい」
「なによっ」
振り返った少女は、もはや似ているなどという形容では表現できないほどハルヒそのものであった。
でかい目、きりりと吊り上がった弓形の眉、形のよい鼻、引き締められた口、そしてけったいなリボンつきカチューシャ。
どのパーツもハルヒであることを俺に知らせてくる。髪は今よりもだいぶ長いが。
「一人か?親とか兄弟とかいないのか?」
「なに、あんた?変態?誘拐犯?怪しいわね」
確かに誘拐犯やそれに類する者が言いそうな台詞ではあるが、俺が期待することはこいつが一人きりであることではなく、どこからか正真正銘のハルヒが現れ「あたしの妹に何すんのよ!」と怒鳴ってくれることだったのだが。
反応からして、俺のことは知らないようだ。ということはハルヒがちっちゃくなったということではないだろう。
自分で言っててなんともいえない気分になるが、こんな可能性を酌んでかからないといけないのがうちの団長様だ。
「いや、変な目的じゃないんだ。知り合いに似てたもんでな。……名前は?」
「ナンパにしたら月並みな台詞だわ。それから人に名前を聞くときは自分から名乗るものでしょ」
このよく回る口。口で競ったら勝てる気はしない。
「あたしは涼宮ハルヒよ」
どうやら今日のデート相手は朝比奈さん(大)ではなく、こいつらしい。
 
2-2
 
「このブレザーは制服じゃないの。今日卒業式でね、その帰りなのよ。……お母さんがしばらく着られるようにって大きいのを選んじゃったのよね」
ガードレールに二人並んで座る。ハルヒは器用にバランスをとって足をぶらぶらさせている。
ハルヒの言葉の通りブレザーはちょっと大きめで、肩も落ちていた。
ちなみにこのハルヒの衣装は、上はかっちりとしたグレーのブレザー。シャツはあどけなさを象徴するかのような純潔たる白。
チェックのスカートの下から、さらに白のフリルスカートがちょっとだけ覗いていて、カタめの服装ながらも少女らしいかわいらしさが無理なく付け加えられている。
重ねての蛇足になるが、そのブレザーは今のハルヒにはもう着られないだろう。……胸まわりとか。
「卒業式の後なのに一人で散歩してたのか?」
「そうよ、悪い?……本当は卒業式の後にクラスのみんなでお別れ会をしようってことになってたんだけど、全然つまんなそうだったから行くのやめたわ」
言い訳じみて聞こえた。小学生といってもいろいろ微妙な関係があるのかもしれない。
それにしても同じ小学生であるうちの妹とはずいぶんな違いだ。あいつもあと一年でこんなに変わるのだろうか?
「でもね、帰り道に不思議なことがあったのよ!道の真ん中にキラキラ光る紫色の霧が出てたの!なんだろうと思って入ってみると、まあ何もなかったんだけど……」
その霧がタイムトンネル的な何かだったのだろうか?
「さっきは何を見てたんだ?」
「食品売り場のチラシだったんだけど……なんか変なの。有効期間が2008年3月って書いてあるのよ。間違えるにしても不自然よね。」
今は2004年じゃないの、と。
ここで俺の携帯電話がバイブレーションを起こした。サブディスプレイには古泉一樹とある。
「声かけといて悪いな、ちょっと電話させてもらうよ」
古泉は俺に挨拶の間も与えず、ついぞ聞いたことがない切迫した声で話し始めた。
「すみませんが非常事態なので、いきなり本題に入らせていただきます。今涼宮さん、ええと小学生の涼宮さんと一緒ですか?」
何でお前が知ってんだ!?機関とやらも油断ならんな……
「彼女を連れて逃げてください!現在の涼宮さんがそちらに向かっているんです!」
ああ、ここにいるハルヒのほかにもう一人いるんだよな。それはやばい。
ちらりと小学生のハルヒを見ると、俺の携帯をしげしげと見つめている。
もしかしたらこの機種はまだ発売していないのかもしれない。
まだぼけっとしていた俺の頭に古泉の悲鳴が飛び込んでくる。
「世界崩壊の危機ですよ!絶対に涼宮さんには見つからないでくださいね!!」
「あらキョン!」
通話口から出てくる古泉の声に重なり、背後から声をかけられた。アーケードの反響具合から少し遠くだろうが、喧騒の商店街でも一際通る馬鹿でかい声の持ち主。もちろんハルヒだ。
すまん古泉、いきなり見つかっちまった―――
「おい、走るぞ」
「え?ちょ、ちょっと!」
俺は現在のハルヒの声には応えず、小学生のハルヒの手をつかんで走り出す!
(それにしてもややっこしいな、これから現在のハルヒを『ハルヒ』、小学生のハルヒを『ハルヒ(小)』と呼ぶぞ)
「ちょっと、キョン……こぉらぁー!」
悪いな、ハルヒ。罰ゲームはあとでいくらでも受けるから、今は見逃してくれ!
ったく、この貸しは高くつくぞ、古泉!
 
2-3
 
「ハッ、ハッ、はぁ……」
女子小学生の手を引いて、色付く春の商店街を走り抜ける。流れる景色、俺たちに注目する家族連れ。
世間は穏やかな休日なのに、ああ、まったく俺はなんだってまたこんな厄介ごとに巻き込まれているんだろうね!
「キョン、待ちなさーい!!」
相変わらずハルヒは怒号を飛ばしつつ俺たちを追いかけてくる。
「ねえ、何で逃げてるの?あの女の人誰?悪者?」
小学生とはいえ、さすがにハルヒである。全力で走る俺についてくるどころか、
ランドセルをがしゃがしゃ言わせながら余裕で話しかけてきやがる。
それにしても答えづらい質問だ!
「たとえるならあいつが剛田で、俺が野比だ」
走りつつ話しつつ考えるのは無理だ。これで納得するやつなんかいるわけねえ。
「よくわからないけど、あんたが困ってるのはわかったわ!」
そりゃどーも!
おっと、走っているので分かりづらかったが、また携帯が着信を告げている。
「もしもし!古泉か!?」
「あ、あの~キョン君ですか?」
朝比奈さん、ちょうどいいところに!助けてください!
「そのことなんですけど、逃げなくていいらしいです。えっと、詳しくは禁則事項なんですけど、禁則事項の涼宮さんが現れたのは、えと、規定事項で、あっ!もうお金が」
無情にもぷつっと切れた。もしかして公衆電話だったのだろうか。
しかしこりゃあ一体どういうことだ?
古泉は会わせるなといい、一方で朝比奈さんは会わせていいという。古泉と朝比奈さん、どっちを信用すべきなんだ?
長門がいれば正解を言ってくれるんだろうが……正直分からん。放り出してしまいたいが、世界の命運がかかってる(かも)というのなら疲れたっつうくらいで投げ出すわけにもいかないよなあ!
ハルヒ(小)は輝くような笑顔で俺の隣を走っているが、俺はもう息も絶え絶え、つないだ手は既に汗だくだ。
「おい、まだ走れるか?」
「うん!全然平気よ!!」
後ろからは「その女誰なの!」とか「雑用が団長から逃げるなんてあってはならないんだからね!」
とか聞こえてくるし、何がなんだかもう分からない!
何個目かの角を曲がる。すると進路上に見知った顔が!
「も、森さん!?」
「こちらにどうぞ」
古泉の所属する機関の一員であるらしい森さんが手招きしている。
メイド、OLに引き続き今日はパン屋さん風のゆったりしたワンピースにエプロンだ。
「ここでやり過ごします」
俺たち二人はプレハブの物置に押し込められ、背後で扉が閉められた。
しばらくすると扉の向こうで「あ、あれ?」と、ハルヒの声。どうやら見失ってくれたようだ。
そのまま行ってくれよと願っていると、もぞ、とハルヒ(小)が動く。
「ち、ちょっと……」
プレハブには物が積まれていて、俺たちはその一角に無理やり押し込まれたわけで、気づけば俺はハルヒ(小)を後ろから抱きしめる体勢になっていた。
「……わ、悪い!」
身をよじって空間を作ろうとするが、狭いわランドセルは邪魔だわで体を逃がすスペースがない。
結果的にハルヒ(小)との密着が増してしまう。暗闇に視覚が奪われたためか、体中の触覚神経が俺にハルヒ(小)の体のラインを伝えてくる。
やばい、小学生なんて妹の世話で慣れているつもりだったが、こいつは違う。顔立ちは無駄に整ってる。
細っこいくせに妙にやわらかいし、ハルヒと同じあまったるい汗の匂いがする。
狭い密室にハルヒ(小)の息と夏場の犬みたいな俺の荒い呼吸が満ちていく。
心臓はすでにドラムロールのようにビートを刻んでいたけども、ハルヒの心音を感知してさらに限界までスピードを上げて俺の全身に酸素を送ろうと暴れまわる。
ハルヒ(小)は俺の腕の中でくるりと反転し、急角度で俺を見上げてきた。
その瞳は暗闇の中でなお夏の浜辺みたいに熱に浮かされて潤んでいる。
「あんたって何者なの……?」
「言うなれば未来人かな……」
おいおい、何で俺たちは見つめ合ってるんだ!一体今までのやり取りのどこにフラグ要素があった!?
ハルヒ(小)が何か決意をしたような表情で目を閉じる。少しあごを上げて、まるで準備オッケーみたいに。柔らかそうな唇がアーケード越しの光に照らされてぷるんと輝きを放っている。
……光?
「こほん、もう大丈夫ですよ」
プレハブの戸が開いて森さんが顔を覗かせていた。前に孤島で見たのと同じ笑顔だったが、なんとなく引きつっていたような気もする。今のは見なかったことにしてください。
「通りの外れに車を手配します」
と、森さんは走り出す。
 
この通りは土日は歩行者天国なので、直接止めることはできない。だが通りの外まで行ってしまえばこの逃避行も終わりだ。
機関に送ってもらって、後は朝比奈さんなり長門なりに連絡してハルヒ(小)を送り返してもらえばいい。
「ふう、ようやく終わったか。まったくうんざりだ」
照れ隠しのため息と一緒に悪態を吐き出した俺の手に、ちっちゃい手がきゅっと絡まる。
手を握ったままだったこと、すっかり忘れていた。
「妙なことに巻き込んで悪かったな。……そんな顔するなよ。俺は楽しかったよ。……ええと、元気でな」
ハルヒ(小)は眉を吊り上げ、口をへの字にして何も言わない。見た目はあれだが、怒っているわけではないのだろう。
一年くらい近くにいたから俺にはわかる。これはどういう表情をすればいいのかわからないときの顔だ。
俺は鼻から苦笑いを逃がし、膝を折ってハルヒと顔の高さを同じにした。走ったため跳ね上がっている髪の毛を撫でてやる。
「あたしまだ―――」
ハルヒ(小)が口を開いた瞬間。
「キョンじゃねえか!」
クラスメイトの声が別れを邪魔した。
 
2-4
 
「キョッ!?キョキョキョ、おま……」
「やあキョン。奇遇だね」
クラスの友人、谷口と国木田だ。アホなのが谷口でマイペースなのが国木田と覚えればいい。
そのアホの方がハルヒ(小)を見てプルプルと震えている。まずい、こいつハルヒと同じ中学だったし、もしかしてハルヒだって気づいたのか!?
「おまっ……お前子供いたのかあ!そーか、わかったぞ!!こないだのバレンタインでキョンが涼宮を“可愛がった”んだろう!たくさん“いい子いい子”してやったから二人のラヴの結晶がたまひよクラブなんだろう!!」
「いやだなあ谷口。ハツカネズミじゃないんだからそんなにすぐ生まれるわけないじゃない」
……頭痛くなってきた。谷口は真性のアホだが、国木田、お前も楽しんでるだろう?
つうかハルヒが聞いてるかもしれないから大声出すな。
「ま、冗談だけどな。キョンのことだからもっと前から仕込んでたんだろ?」
仕込んでねえよ!
「それにしても涼宮さんに似てるよね。彼女の妹さん?」
あくまでマイペースを守り通す国木田。
「なんなの、この人たち……?」
足が96本あるタコを見るような目をしてつぶやくハルヒ(小)。気にすんな、ただのアホだ。
「こんの馬鹿谷口ーーーっ!!」
ああ、来ちまった!ハルヒイヤーは地獄耳なんだ。
谷口の笑えない冗談を聞きつけて、撒いたはずのハルヒがこっちに向かってくる。
俺と世界絶体絶命!いろんな意味で!
ハルヒ(小)が俺の服の裾をきゅっと捕む。
「うわ、やべ!涼宮もいたのかよ。じゃな、キョン!」
「僕たちは失礼するよ。涼宮さん怒ってるみたいだしね」
世界を滅ぼすかもしれない爆弾の導火線に火をつけて友人二人は去っていく。いや、この友人関係は見直すべきか?
しかし、ハルヒとハルヒ(小)が遭遇して、これで本当に世界が滅亡してしまったら。
そう思うと火照った体は急に冷え、汗でぬれたシャツが急に重く感じられた。
「ばっかじゃないの!!なによ子供って、ばっかじゃないの!」
ハルヒはお湯が沸きそうなくらいぷりぷりと怒りながら近づいてきた。
俺とつがいにされるのが不愉快なのはわかるが、そんなに嫌がられると俺のなけなしの自尊心もさすがに傷つくぞ。
「別に、それが嫌なわけ!……あー、もう!馬鹿谷口!失礼するわよ!」
ハルヒがハルヒ(小)の肩をつかむ。
もうだめだ。呼吸はだいぶ収まってきたが、朝飯分のカロリーを使い果たしたのか目の前が青っぽく見えてきて、俺はみっともなくも通りにへたり込んだ。逃げる気力もない。
不安な表情を張り付かせたままハルヒ(小)がハルヒのほうへ振り返る。
とうとう二人のハルヒがご対面―――
 
3-1
 
とうとう対面したハルヒとハルヒ(小)。ところがハルヒは雲丹かと思って開いたら栗が出てきたみたいな顔をして、
「何よ、ぜんぜん似てないじゃない」
なんだって?俺には瓜二つに見えるが……案外子供のころの自分の顔ってわからないものなのか?
もちろん俺は昔の自分に遭遇した経験はないので想像もつかない。
「あたしはSOS団団長涼宮ハルヒ!あなた、名前は?」
「あ、あたし涼宮ハルヒです!」
「涼宮ハルヒちゃん?いい名前だわ!」
カクンと全身から力が抜けた。自分とそっくりな人から自分と同じ名前を告げられた時のリアクションがそれかよ!?
……もしかして俺はドッキリに巻き込まれているだけなのか?シャミツーみたいに古泉がつれてきたハルヒ似の子なのか?
だが、そこに現れた第4の人物によって俺の疑問は氷解した。
いつの間に現れたのか、俺のそばにはセーラー服の女子が立ち尽くしていた。まだ寒いのかカーディガンを羽織って。
「お前か、長門」
こんなことをやってのけるのはSOS団の秘密兵器、長門をおいてほかにない。
「あら有希!偶然ね!ハルヒちゃん、この娘は長門有希。元めがねっ娘で読書好き、SOS団が誇る無口系素直キャラよ!」
長門は挨拶のつもりかハルヒ(小)に向かってコクリと首を動かす。
当然というかなんというか、長門は二人のハルヒを見ても眉一つ動かさない。
やはり事情を知っているのだろうか。
……ところでハルヒ、長門を紹介する際にはぜひ文芸部部長という肩書きを付け加えてやってくれ。一応そっちが本職だろう。
ハルヒがハルヒ(小)にかまっている間に長門に話を聞いてしまおう。
「彼女は涼宮ハルヒの異時間同位体。およそ4年前のもの」
あいつらは目の前のが自分だって気づいていないようだが?
「涼宮ハルヒ及び涼宮ハルヒの異時間同位体の周囲に、有機生命体が知覚できる全てのチャンネルにわたって周波数を選択的にろ過変換するフィルターを展開した」
難しいことを言わんでくれ。こちとら走りづめで脳に酸素が回っていないんだよ。
「彼女たち二人には互いを別人だと認識している」
オッケー、理解した。
「それはそうと。こら、キョン!あんた逃げるなんてどういうつもりよ!」
ハルヒが俺をびしっと指差す。俺が地面にへたり込んでいるのに気づき、突き出した手で俺の首根っこをつかんで無理やりひき起こした。ハルヒはこう見えてもだらしないのは許せないのだ。
立ち上がった俺を再び指差すと、
「こら、キョン!あんた逃げるなんてどういうつもりよ!」
わざわざ言い直した。
「えーっと、それはあれだ、ほら……」
なぜ逃げたかといえば古泉からハルヒ二人が遭遇すると世界が滅びてしまうと脅されたからだが、当然そんなこといえるはずもなく。
「俺がこの子と一緒にいるとお前が怒るんじゃないかと思ってな」
って、何言ってるんだ俺は……
「……ば、ばか、何言ってるのよ!なんで、あんたが誰と歩いていようがあたしはどうでもいいわよ」
ハルヒはくねくねしている!
「で、だれなの?」
「……いとこでな。たまたまこっちに来たから案内してたんだ」
「あんたが誰と歩いていようと私は知ったことじゃないけど!そういうことは前もって団長たるあたしに連絡しておきなさいよね」
そんなやり取りをしていると、息を切らせて近づいてくる男が一人。
「やあ、み、みなさん、奇遇ですね……」
それは息を切らせて言う台詞じゃないだろう、古泉。
その古泉は顔を上気させ、眉間にしわを寄せつつも全体ではやけくそ気味のスマイルを保っており、ハルヒなみに複雑な表情をしていた。
「古泉君!……それにみくるちゃんまで!」
見れば古泉の後方には朝比奈さんまでもが到着していた。
「……」
きっと一生懸命走ってきたのだろう。朝比奈さんは一言もなく、お顔は青くなっていた。
朝比奈さんが息を切らしているのを見ると、なんかこう胸にこみ上げてくるものがあるね。
変な意味じゃなくて、いじらしいというか、まるで小学校の運動会でうちの妹が全力疾走しているのを見たときのような。
「ハルヒちゃん、紹介するわね。こちらは古泉君。SOS団の副団長で、美男にして文武両道、なんにでもよく気が利く良い男よ!ナイスガイってのは古泉君のためにあるような言葉ね!それからこの娘はみくるちゃん!見ての通り、萌え要素が服を着て歩いているような女の子よ!脱ぐともっとすごいんだけどね!!」
朝比奈さんの紹介が酷い気がする。とはいえ、俺はもっと酷いこと言われるんだろうけどな。
「キョンについては紹介するまでもないわよね。性格とかは知っての通りだと思うけど、うちの貴重な男手としていつも貢献してもらってるわ!」
ハルヒが俺を褒めるのは出会って以来初めてではないだろうか。
長門と古泉はいつもの表情だが、朝比奈さんは息も忘れて驚きと喜びが混ざったような顔をしている。
かく言う俺も驚きを隠せなかった。なんだかんだ言ってもやっぱりハルヒはこういうやつなのだ。
もちろん今のセリフは俺を褒めるためじゃないんだろう。
俺の従兄弟ということになっているハルヒ(小)の顔を立てるためにそう言ってくれたもので、って結局俺のためか?
破天荒で、やることなすこと周囲に迷惑ばかりかけているけれども、こういうところは俺も素直に誇らしく思うね。
「それにしてもあたしは嬉しいわ!あたしが命令を出さなくても自発的に集まるなんて、それでこそSOS団よ!みんな、覚えておきなさい。この団結力こそが勝利の鍵なんだからね!」
今度は一体何と戦わせられるのかと聞きたくなったが、ハルヒは得意満面だし、ハルヒ(小)は未来の自分に見とれてるし、水を差すこともないな。
「涼宮ハルヒちゃん!ここに立ち会ったからには、あなたもSOS団準団員として認定するわ!大いに楽しんで、大いに盛り上がっていくわよ!」
 
3-2
 
「隙ありぃっ!」
「あ、こら!おまえなあ!」
ハルヒの手が目にも留まらぬスピードで俺のたこ焼きを奪っていった。
たこ焼きはまだ熱々でかなりの温度なのだが、ハルヒは一口に食べて平気な顔をしている。
「甘いわよ、キョン!この世は弱肉強食なんだからね。食べられる側になりたくなければ力をつける。力がなければ、ハルヒちゃんみたいにかわいさを身につけなければいけないのよ!」
ハルヒは爪楊枝を長門に渡すと、ハルヒ(小)に抱きついた。
「ひゃっ、ハルヒお姉ちゃんたら!」
くすぐったそうだがまんざらでもない顔をするハルヒ(小)に、朝比奈さんも抱きつく。
「はうう、もう、かわいいなあ!」
ハルヒ(小)に対するときの朝比奈さんは聖母の笑みで、それに引っ張られてハルヒまでかわいく見えてくる。
甘い蜜をたらしたような光景に目を奪われていると、
ひょいぱくひょいぱくっと長門が俺のたこ焼きを次から次へと胃袋に収めていく。
「……弱肉強食」
見た目は雪うさぎみたいなんだが。
「おやおや、これは災難ですね。はい、あーん」
たこ焼きを差し出す古泉。
そしてそれに当然のように食いつくハルヒ(小)。
ちなみに古泉は爪楊枝を反対に持ちかえて差し出していた。細かいやつめ。
「って俺にくれるんじゃないのかよ!」
 
所は移って川原の並木道。朝比奈さんのトンデモ告白を聞かされたり、亀を捨てたり拾ったりと実は不思議指数の高い場所でもある。
俺たち6人は川原をてくてくと散歩していた。
せっかく集まったんだし、というハルヒの提案で町を探索することにしたのだ。
ただし今回は不思議探しよりもハルヒ(小)の接待の意味合いが多いのだろう。
ハルヒはきょろきょろすることもなくハルヒ(小)と談笑している。
朝比奈さんはハルヒたちの会話に参加し、子供に好かれる性質なのかハルヒ(小)にも懐かれている。
長門は3人の後ろを歩き、普段の5割増しくらいでぼーっとしているように見える。
もしかしたらフィルターの展開とやらは疲れる作業なのかもしれない。
場にいる人数が増えたから、その分もフォローしなければならないのだろうし。
そんな中一人やけくそ顔をしている男が一人。
「冷や汗を隠しきれてないぞ」
古泉はご苦労にもニヤけ面を続けているが、暑くもないのに汗をかいている。
「……我々は今、薄氷の上を足音を立てて行進しているようなものなんですよ。今は長門さんが協力してくれていますが、もしも彼女の上が意見をひるがえすようなことがあれば、その瞬間に世界の破滅が訪れるのかも知れません」
古泉は汗をぬぐって、
「宇宙人や超能力と違って、タイムトラベルが現実になってしまうことはこの世界にとって致命的です。あの有名なタイムトラベル映画3部作にもあるでしょう、些細な出来事で自分が生まれなかったことになってしまうような危険性が。もし涼宮さんやあなたが生まれなかったことになってしまえば、どうなるか想像もできません」
だが朝比奈さんがいまここにいる以上、タイムマシンはいずれ現実のものになるんだろう?
「それは技術や時代が成熟した結果でしょう。ですが涼宮さんがそれと認識してしまうと、一気に日常のものになってしまいそうな予感があるのです」
それには俺も賛同だ。
「長門さんによろしく言っておいてくださいね」
 
「ありがとな、長門」
「……礼には及ばない。現況を維持することは私のためでもある」
「でもお前の親玉はハルヒが超常現象を起こすのを待ってるんだろ?」
ハルヒが目の前の少女を昔の自分であると認識すれば、きっと世界が変わる。
俺の質問に対し、長門はしばらく考えてから、
「私という個体も、今この瞬間を貴重なものだと感じている」
長門の温度の低い声が春の日差しのように俺の中に染み渡ってくる。
「……そっか」
「……そう」
すまないな、長門。そこまで言わせちまって、俺はまだお前を見くびっていたみたいだ。
 
3-3
 
長門との会話が途切れると、前を行くハルヒたちの会話が聞こえてきた。
「でね、こないだ小学校のクラスでタイムカプセルを埋めたの。
でもね、あたし埋めるものがなくって……仕方ないからCD埋めたんだ」
どこかで聞いたことのある話だなあ、おい!
朝比奈さんは目を丸くして聞いているが、ハルヒは俺に向かってニヤリと笑いかけてきた。「あんた小学生並みよ!」という声が聞こえてきそうだ。
って、いやいやいや!その子お前だから!!
「あのう、タイムカプセル埋めたのっていつですか?」
年少者に対しても控えめな朝比奈さんの質問に対し、ハルヒ(小)が答えた日付は俺たちSOS団が埋めた日と同じであった。
ハルヒがタイムカプセルを埋めようと言ってきたときは何を唐突にと思ったが、何のことはない。小学校時代のリベンジをしたかったということなんだろう。
「楽しいことは待ってちゃだめよ。そう、待ってたって向こうからやって来てはくれないんだから!」
ハルヒは自分の台詞にテンションが上がってしまったらしい。
「ねえハルヒちゃん!あなた中学にあがったらSOS団支部を作らない?SOS団は不思議を追いかけるだけじゃないわ。素敵な思い出を作る紳士淑女の団でもあるんだから!」
ハルヒの瞳が全盛期の無敵艦隊のような光を宿している。
それがうつったのか、ハルヒ(小)の瞳も朝日を反射する海面のように輝き始める。
それはともかく。
「おい、無理強いするなよ。呆気にとられてるじゃないか」
おまえがSOS団を作るのは高校生になってからだ、とは言えないが。
「何言ってるの、キョン!今や小学校でも英語が必須科目になろうとする時代よ、中学校にSOS団がなくってどうするの!?」
英語教育の必要性とお前の趣味の関連性が分からん。
「あなたたち、付き合ってるの?」
思わず鳩豆顔になる俺とハルヒ。ハルヒ(小)は見事なアヒル口を披露する。こいつは将来立派なハルヒになるぞ。
しかし発言の内容はいただけないね。言ってやりたまえ、ハルヒ君。俺たちの関係を!ところがハルヒはうまいこと旅人に外套を脱がせた太陽のような顔で次のように言った。
「うーん、どうかしらね」
否定しないのかよ!?
「あら、あんたは否定してほしいの?」
ユーフォーキャッチャーでクレーンが景品をつかんだときのようなハルヒの笑顔を見たら、口が勝手に変なことを言いそうになったが、こんなSOS団全員に聞かせてやる会話ではないと気づき、俺はうめくしかなかった。
 
4-1
 
今俺の膝枕で猫が眠っている。涼宮ハルヒという名の猫が。
 
みんなで町を散歩し尽くして、その後解散した。別れ際に朝比奈さんから封筒を渡されたのだ。
中の便箋には、ハルヒ(小)をつれていつもの公園に来てください、と。
ベンチに座ると、遊びつかれたのかハルヒ(小)はすぐにうとうとし始めた。
 
ハルヒ(小)は俺に全身預けるようにして、くうくう言っている。風邪を引くといけないから、俺の上着をかけてやった。
まったく無防備だ。数時間前に知り合ったばかりの他人にこうまで心を許すかね。
むずがゆいやら暖かいやらで、心の中にじんわりと砂糖のような甘さが広がるのを禁じえない。
ハルヒ(小)は俺に背を向けているので表情は見えないが、そうしてくれて助かった。
もしアホみたいに安心しきった寝顔を見せられていたら、俺の体は簡単に理性を裏切りそうだ。
(……ん?)
何か太ももの辺りが冷たい。げ、もしかして涎か。
「ん、ゆふ……」
涎の冷たいのを嫌ってかハルヒ(小)が寝返りをうって仰向けになった。素直な髪がさらさらと俺のひざを滝のように流れる。
はだけた上着をかけなおしてやると、ハルヒ(小)の呼吸にあわせてゆったりと上下動を繰り返した。
すでに夕闇、ハルヒ(小)の顔はオレンジ色の街灯に照らされている。その寝顔はハルヒと同じで、黙っていれば本当に美人だ。
額にかいた汗で前髪が張り付いている。起こさないように注意しながらそっとハンカチで拭いてやる。
「うゆ」
口の端から涎がたれていて、あどけない寝顔ながらもある種扇情的な趣を加えている。
勝手に体は動き、理性がそれを押しとどめる。
蜜に浸した桜の花びらみたいな唇は本当に柔らかそうで、その柔らかさを確かめずにおれなくなる……
「あのう」
……うわっ!!うわあ!脳が沸騰するかというくらい、本当にびっくりした。魂がずれてないだろうか。
見上げれば遅れてきたデートの相手、朝比奈さん(大)が微笑んでいた。
「済みました?もう少し引っ込んでましょうか?」
いえ、もう結構です。
 
4-2
 
ハルヒ(小)はまだ寝ている。そろそろ足がしびれてきたが、その重さと熱が心地良い。
推測なんですけど、と前置きして朝比奈さん(大)は事の顛末を話し始めた。
「涼宮さんは今自分は楽しいって事を伝えたかったんじゃないかな。だから小学校のころの自分を呼び寄せたんだと思います。今日のことは涼宮さんの人格形成に大きな影響を与えたと私たちは思ってるの」
確かにハルヒは小学校の最後のほうはつまらなかったと言っていたな。怪しい行動を始めたのは中学に入ってからだったか。
「今回のことでやり場のない思い出に決着をつけられたんじゃないかしら。古泉君たちは二人を会わせたくないみたいだったけど」
長門があのタイミングで現れなければ、古泉の懸念の通りになっていたかもしれませんよ。
「長門さんには直接お願いに行ったんです。
長門さんはずいぶん迷っていたんですが、やっぱり協力してくれました。長門さんの想いを利用したみたいで悪かったんですけど」
朝比奈さんはハルヒ(小)とは反対側の、俺の隣に腰掛ける。
「あとは私がこの子を4年前に連れて行けば、おしまいです」
「こいつは戻ったら俺たちのことを憶えてるんでしょうか?」
「これも推測になっちゃうんですけど、長門さんの呪文のおかげでちょっと変わった人たちに遊んでもらった、くらいにしか記憶されていないと思います」
ようやく事件の終わりが訪れたのだが、俺の中にはまだくすぶるものがあった。
拾い猫ではないが、近づきすぎてしまって情がうつってしまったみたいだ。
今日の数時間でハルヒ(小)はSOS団と仲良くなったのに、目が覚めたら一人きり。
こいつがまた一人からやり直しなんて、かわいそうだ。
それが当然なのはわかっている。ハルヒが帰らなきゃパラドクスが生じることも。だけどさ……
「やっぱり、キョン君はやさしいね」
なぜか朝比奈さん(大)が目を赤くして。
そうか、朝比奈さん(大)も俺たちとの別れのあとにいるんだ―――
「これもタイムカプセルって言えるのかも。大切な想いにふたをして、きっと涼宮さんもキョン君との出会いを心待ちにしてると思います」
 
エピローグ
 
眠ったままのハルヒ(小)をおんぶした朝比奈さん(大)が去っていく。
なあハルヒ、せっかちなお前にはつらいかもしれないが、もう少し待ってろよな。
高校に入ったらお前の無茶に付き合ってくれるお人好しが4人も見つかるからさ。
そしたら思いっきり羽を伸ばすといい。そのうち1人は文句を言うかもしれないが、内心では結構楽しんでいるんだ。だからさ、たくさん引っ張りまわしてやってくれよな。
お前だけのタイムカプセルが開くのは3年後。
バラ色の未来を保障するぜ。
 
 
「どうしたのキョン。こんな時間に」
その夜、俺はハルヒに電話をかけた。
SOS団の今後の活動について、新入団員獲得の作戦について、俺は未来の俺に対する責任を放棄してまくし立てた。
SOS団で楽しみたいことを思いつくまま並べた。
どうってことはない。ただ俺の中にもなんか変な芽がでてしまったというだけの話だ。
なんたって春だからな。
仕方がないだろ?