涼宮ハルヒの訓育 (147-180)

Last-modified: 2011-10-21 (金) 02:30:19

概要

作品名作者発表日保管日
涼宮ハルヒの訓育147-180氏11/10/2011/10/21

 
※驚愕のネタバレ注意

作品

「頭が良い人間とは?」
 
そんな概念的な疑問は誰もが一度は通るであろう命題であり、その議題は今日まで多種多様な討論が繰り広げられ、様々な結論を導出されてきた。
その結論を簡約させた場合、インテレクトやアーティキュレートな人間が重視されているが、そこまで能力を具有していなくても簡素な結論を出せると俺は思う。
 
「相手から見て頭が良いと思う人間は頭が良い」
 
屁理屈や極論と捉えられるかも知れないが、先の話も結局は自分がどれ程能力が高いかを示度化させ、相手に認知してもらうのが争点となる以上これに宛てはまるだろう。
畢竟するに客観性が最も重要なファクターとなるわけである。
しかし、その多くからの評価を得るってのがかなり厄介だったりする。
 
そりゃそうだ。
 
不特定多数という事は様々な主義、主張、主観が入り交じる。
その様々な諸々を納得させるには平易且つ絶対的な理由が必要であり、例えば学歴社会である日本では、国内の難関大学卒や難関資格の取得などが挙げられる。
 
そのため現代社会に於いては「勉学に励み、そこで手に入れた知識で周囲から知遇を得る」が名声を得る一番の近道なのだから、世の中上手く出来ていやがる。
 
だが、個人から認知されるだけなら話は別だ。
その個人を上手く騙くらかせばいい。偽証行為だとバッシングを受けても一向に構わん。
今はそんな部外者からの罵詈雑言をクレーム対応部署の窓口のように丁寧に応対するつもりなんて毛頭ない。事態は逼迫しているんだ。
 
バレないように警戒線を張っていればまぁ、なんとかなるだろう。相手が勉強に直接口出しをして来なければ尚更、成功率は高いはずだ。
 
そんな端から見れば眉を顰めるだろう愚論に達した俺は、とある人物に接触を試みた。
普段から幾度となく接触し、幾度となく酷遇に見舞われた人物に。
 
 
「キョン。あんたからのお願いなんて珍しいわね」
助力を仰げば後々どんなリスクを負うかわからんからな。
しかし、今は背に腹は替えられない事態である以上、文句も言ってられない。
 
「で、お願いってなんなの?」
仲間というカテゴリーに属する人間には面倒見の良さを遺憾なく発揮するハルヒは「お願い」と言う言葉に嬉々とし、催促を求める。
 
「それなんだが、ちょっとばかり辻褄合わせに付き合って欲しくてな…」
「辻褄合わせ?」
そう、辻褄合わせだ。
 
「…なーんかきな臭い話になりそうね。とりあえず、何をして欲しいか教えなさい。場合によっては手伝ってあげない事もないわ」
表情は一変し、職務質問をする警官のそれになっている。
やはり勘が鋭敏な奴だ。言葉だけで黄色や黒の警戒色を発しはじめ、懐疑という外套を纏ってしまう。
詳細を語れば、何を言われるか分かったもんじゃないので、簡潔に話を済ます。
 
「とりあえず親に会ってくれないか?」
 
 
……………………
 
 
オイミャコンに放り出されたような凍てついた空気が辺りを包みこんだ。
ハルヒのヘール・ボップ彗星を宿した瞳は見開かれ、満月みたいに真ん丸な形になっている。
それはあの…SOS団一周年記念式典のサプライズイベントでタイムトラベルなんて大掛かりな仕掛けを使用し行われた際、着地点に居合わせた時の表情に酷似していた。
 
「ちょっと、待ち…なさい、いま、なんて…?」
振り込み忘れでストップ間近の水道の蛇口のように途切れ途切れに発せられる不明瞭な言葉に、疑問を持ちつつも、
「いや、だから親と会ってほしいんだ。と言ってもオカンにだが…」
と追加で紡んだのだが、それが決定打になったのかハルヒの発言権は完全に涸渇した。
 
 
………………
 
…………
 
……
 
 
「分かったわ。あんたがそこまで思っての行動なら許してあげる。でもね!大事な過程をふっ飛ばしてそういう重大な事をあんたのおかあ、
…母親に話すなんて正直、困るわ。ちゃんと筋道を立てて順序良く理念を敷いていかないと、認めてあげたいって気持ちがあっても認められなかったりするんだからね!」
コンキリエ・リガーテの茹で時間程の猶予を経て出された答えは理解し難い支離滅裂な回答で、逆にこっちが訝しむ形となる。
 
「何を言ってるんだハルヒ?」
「……ふん。なによキョンだってそうだったんじゃない…」
とタロッコ・オレンジからブラッドオレンジへ、クリマクテリック・ライズを起こした頬でブツブツと言いはじめたのでこのままでは埒が明かないと思い、仕方無く事の詳細を鑢で角を取りながら語る事にした。と言ってもあまり想起したくないんだが…。
 
 
―――――――
 
 
オカンに怒られた。
 
色々と思い当たる節はあるんだが、その中でも一番問題視されていただろう学習工程の話で、積もり積もった不安や不満が積怒の瓦礫となり襲ってきた時は超然とした態度で乗り切ろうとしたんだが、今回ばかりは発散してそのままって訳にはいかなかったらしい。
 
オカンは罰則として5月下旬にある中間テストで平均70点以上を取らなければ即時、予備校へ収容させるなんて誘拐犯の身代金要求のごとく声を荒げて浴びせ掛けてきた。
そんな土台無理な要求に、自らが満たせるであろう妥協案を提示し懇願をしたんだが、逆に懇々と諭され完膚無きまで敗北を喫し今に至る。
しかし、オカンもオカンだ。
将来の事を出して言い聞かそうとするなんて卑怯では無いか?
そりゃ、大学へ通うハルヒなんて未来を覗いちまった時、どうせなら同じ大学にでも…って考えは少しだけ発芽したさ。
そこを目指そうという目標に対する思念は未だ絶えず燃え続けている。
 
だがハルヒ自身まだ進路を決めていない以上、態々こちらから進路を聞くなんて不審な行動を取るわけにはいかない。
二年に進級してから一ヶ月程度しか経ってないんだから、焦燥感に駆られる必要もない。
ならもう少し遊び呆けてても良いのではないか?学生の本分は何も勉強だけではないんだからさ。
お前だって、そう思うだろハルヒ?
 
 
涼宮ハルヒが熱放射を起こし初めた
 
そこに含有された怒気は部室全体を多い尽くし、俺を食らいつくさんばかりにベクトルを一斉に此方へ向けられる。
 
やはり話すべきでは無かったな…
 
こりゃ、怒なり散らされるか?
 
 
廊下で正座ぐらいで済むなら良いんだが…
 
そんな風に先述を後悔していたんだが、ハルヒからの言詞は予想外に泰然とした言葉で拍子抜けする。
 
「………やっぱりね」
閑かさや――なんて上の句から始まりそうなほど静謐な言い草。
 
「………わかっていたわ」
それが同じ様に続き、
 
「アホキョンッ!」
やはり怒られた。
 
 
―――――――
 
 
「辻褄合わせなんて変な事言うから怪しいとは思ったけど、まさかこんな事だとは思わなかったわ!大方、あたしに勉強をやってるなんて嘘を吐かせてあんたのお母さんを説得させようとしたんでしょ!?」
 
全く持ってその通りです。本当にすいませんでした。
 
「それは説得じゃなくて瞞着って言うのよバカキョン!そうまでして怠慢ライフを過ごしたいなんて、あたしは団長として情けないったらありゃしないわ!」
 
…ごめんなさい。
 
「…あんたのお母さんの所に行くわよ、キョン」
 
ホントか?それじゃあ…
 
「まだ一週間以上あるんだから猛勉強すれば大丈夫よ。あと将来の事もちゃんと話を着けてあげるわ」
「ちょっと、待ってくれハルヒ!それだけは!それだけは何卒御勘弁を!」
そんな事をすれば俺の自堕落計画は全て水の泡に…
 
「うっさい!…いいキョン。ここはどこ?あんたは誰?」
そんな記憶喪失を発症した漂着者みたいな疑問を質問されてもボキャブラリーに富んだ受け答えは出来ないぞ?
 
「いいから真面目に答えなさい」
以前、怒りのバロメーターは下がっていないようなので素直に答える。
 
「ここは学校…いや高校だな。で、あんたは…って俺は俺だろ?」
「キョンがキョンだなんて宇宙が開闢された時から分かってるわよ。そうじゃなくてあんたは高校生でしょ?」
宇宙開闢時代からそんなちんけな渾名になる運命だったなんて信じたくないんだが…
 
「そんな事はどうだっていいの!それより学生の本分は何かわかるわよね?」
「勉強だろ?そりゃ、分かってるよ。だが、勉強勉強ばかり言ってたら大事なモンを無くしちまうかも知れないぜ?」
「じゃあ、怠慢怠慢な毎日を過ごして何が得られるのよ?」
……身も蓋もない至言だな。
 
「あのね、キョン。日本は野生を駆けて生きていくような民族が跋扈する世界じゃないの。ただ狩人としての技術が要らない代わりに勉学が必要なの。それは判るでしょ?」
俺を諫めようとするハルヒは先日のオカンとダブってしまう。
 
勘弁してくれ。
いつもの屁理屈なら言い返せるがそんな正論を言われたら反論の余地が見つからんだろ?
 
「キョンが言うように勉強が全てじゃないって考えは分かるし、あたしもそれには同意するわ。でも、やるべき事をやらない人間には他の事をやる資格なんて無いのよ。学生の本分が勉強である以上、勉強をしてから好きな事をするのは当たり前よ」
 
悔しい。
物凄く悔しいが、勉強が出来るハルヒには言う資格があるんだろう。だが、言われたままで居られるほど自尊心が欠如しているわけじゃない。
 
「お前は出来るからいいが出来ない俺にとっちゃ勉強なんて茨や獣の道より…」
「出来ないって最初から投げ出してる人間が何言ってんのよ」
…容赦の無さに拍車を掛けるだけに終わった。
自尊心なんて群集心理を重んじる日本人には邪魔でしかないな。うん。
 
「勉強ならちゃんと見てあげる。だから勉強しなさい。わかった?」
欲しい玩具を前にした駄々っ子のような扱いだ。もう、有無を言わせるつもりは無いらしい。
 
「メガホンで殴ったりしないか?」
「あたしがいつスパルタ式で勉強を教えたのよ?」
俺の空想の中ではしていたぜ。
実際は眼鏡をかけた女教師が的確に設問場所を教授してくれたんだが、何時あの想像通りの現実が訪れるかわからん以上、俺は首を縦に振れそうにない。
 
「そんな事するわけないでしょ。やる気が無い奴に無理矢理勉強をさせても意味ないわよ。」
俺のオカンにも言ってくれ。
お前が言ってくれれば説得力は倍々チャンスだ。俺も倍プッシュに参加するから頑張ろうぜ。
 
……冗談だから太平洋戦争で行き場を無くした象を見る飼育員のような憐憫を含んだ目で此方を見ないでくれ。流石に傷付く。
「どうして嫌いなの?そこまで嫌がるんだから何か理由があるんでしょ?」
どうやら心理学の見地から説得を試みようとしているみたいだが、別にこれといったトラウマもPTSDもない。
 
ただ教科書に記載されてる英文や数式がヴィンチャ文字や賈湖契刻文字に見えるだけだ。
あんな難解文字を解読出来るならいっそのこと考古学者にでもなった方がいいんじゃなかろうか?
 
「なによ単なる毛嫌いじゃない。妹ちゃんの事言えないわね」
妹の人参嫌いと一緒にしないでくれ。
こっちにはチャレンジャー海淵よりも深い事情があるんだ。IHOもGEBCO事務局も認めてくれないがな。
 
「そんな所に見えを張ってどうすんのよ?それに妹ちゃんはいつか食べられるようになるけどあんたは一生そのままよ?妹ちゃんに負けていいの?お兄ちゃんなんでしょ?」
久方ぶりに聞いた兄と言う単語にナノ単位の喜びが押し寄せてきたが、それに構ってる暇はない。
自尊心は捨ててもいいが兄としてのプライドはそう捨てられるものではない。
 
「別にやらんとは言っとらん。ただ、今すぐやる必要は無いと言ってるだけだ。」
「その急場凌ぎを続けたのがいまなんでしょ?中学時代もしてたって佐々木さんから聞いたわよ」
 
そういえば佐々木も頭が良かったな。ハルヒのスマートでエレガントな教え方とはまた一味違った形式だったので妙な雑学まで覚えてしまったが、あれはあれで悪くはなかった。
それにアイツならオカンを上手く説得…
 
「ダメよ。あの子進学校なんでしょ?塾も忙しいのにあんたの面倒なんか見てらんないわよ。片棒を担がせようとするのもダメ。それに佐々木さんからはあんたの面倒をちゃんと見るように言われてるんだから」
表示価格の桁を一つ間違えているのに気付いた店員のように慌てて、良案を握り潰される。
 
「何て言ってたんだ?」
「あんたも聞いてたでしょ?」
「悪い、忘却の彼方で迷子になって戻って来そうにない」
あの非常事態で記憶しておけなんて、菩提樹の下で悟りを開くより困難だろう。
 
「もう。夏休みまでに何とかしないとキョンのお母さんが怒って予備校行きになるかも、って言ってたじゃない。」
非常にいい所をついた予想だが、残念ながらハズレだったな。
挨拶程度しか顔を合わせた事がない佐々木には、オカンの気早い性格を考慮出来なかったのだろう。
今度アイツに会った時は報告しなければ。
 
「とにかく!」
話を逸らそうとしているのがバレたのか一喝される。
 
「勉強時間は無理が祟らない程度には抑えてあげるわ。」
俺の無理に至るまでのリミットはなかなか狭小だぞ?
 
「…殴ったりはしないし、怒ったりもしないわ。解らない所はあんたが理解できるまで、懇切丁寧に教えてあげる。」
解らないだらけでウンザリするのが目に見えてる。無理は大病の元だからやめとけ。
 
「………今は解らないからそうやって嫌がるけど、解ればきっとそんな気持ちも消えるわ。そうなるまで絶対に諦めるつもり…ないから。だから頑張りなさい」
そこまで必死になる必要はないぞ?それに勉強が好きになりたいなんて到底思えん。
きっと俺はそういう星の元で生まれたんだ。そんな自分にあった勉強法を模索していくから心配するな。
 
「………………嫌いなの?」
ああ、悪いが好きになれん。無理な物は無理なんだハルヒ。
 
「……………そう。嫌いなんだ。あたしの事」
爆発間近の時限爆弾のコードを切る処理班みたいに額にドッと汗が噴き出してくる。それと同時に携帯が汽笛のように鳴り響くがそんな物を確認している暇はない。
 
「待ってくれ!なぜそうなる!?」
人生の中でもトップクラスの焦慮がメタルストームで射出される。
 
「………だって、こっちは出来る限り譲歩してキョンの希望に添うように考案してるのに、肝心のあんたは頭ごなしに嫌々ばっかり…。考えられるとしたらそれしか無いじゃない…。」
塞ぎ込んで悲愁感を露わにするハルヒを見て、俺は漸く自分が先程までどれほど私欲の限りを尽くしてきたか分かった。これじゃあ、ハルヒの事は言えん。
 
「いや、さっきまでのは俺の単なる我儘だったんだ。ホントにすまん!だから、お前が嫌いとかそんな事は決してない。神に誓ってもだ!」
ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァにはとりあえず誓願しておいた。ヤハウェと至聖三者にも今すぐ誓いを立てるつもりだ。神無月には出雲大社に参拝もしてくる。
 
「………シヴァは破壊神よ?」
抜かった!今のは無しだ無し!取り消しだ!
とにかく嫌いなんて事は無いんだ!頼む信じてくれ!
 
「……じゃあ、ちゃんと勉強するの?」
任せとけ。磨穿鉄硯、刻苦勉励、円木警枕。あらゆる熟語に当該されるように頑張らせて頂く所存だ。
 
「言っとくけどそれ、嘘だったら……」
それは絶対にありえない。お前に誓う。
 
「だったら、初めからそう言いなさいよバカキョン。」
悲愁感は消え、代わりに譴怒感が顕在するが普段より八割程度の勢威に減退している。
マジですまんかったハルヒ。
 
「いいわよ。今回の反逆行為は特別に許してあげる。それよりさっさと行くわよ」
「どこに?」
「あんたのおか…母親を説得するんでしょ?役立たずだし言うこと聞いてくれないけど、あんたがいないとこっちは色々困るのよ」
これからは雑務に勤しむ暇は無くなるぞ?
 
「その時はその時に考えるわ。あんたはとりあえず、全力で勉強に注力しなさい」
わかったよ。
敖りは長ずべからず。欲は従にすべからず。
今日みたいにならないように欲は少し抑制し、勉学に力を注ぐと固くハルヒに誓った。
 
――――――
 
「…そういえば今日はみんな休みだったわね。みくるちゃんは勉強があるからいいけど、二人はちょっと弛んでるんじゃないかしら?」
自転車の荷台から聞こえる声は普段通りのハルヒの声質に戻っている。
 
「古泉はバイト。長門は返却期日が差し迫っている本があったらしいぞ。」
古泉は定例会議。長門は九曜と接触してるらしい。
前者はともかく後者はかなり心配だったが、「問題ない。すぐに終わる」なんてキッパリと言われちゃあ口出し出来ない。
あの事件の時もそうだが天蓋領域に対して並々ならぬ使命を持って行動している節があり、それを邪魔立てするわけにもいかん。
いざという時が来ない事を祈るばかりだ。
 
「それなら仕方ないわね」
バージョンアップさせたパソコンのように許容範疇が広量になってる事に俺は今まで培ってきた物は決して無駄では無かったと悟る。
 
「そうだな。仕方ないわな」
若葉の香りが鼻腔を擽る。まだ5月中旬だが、今年の夏は早く訪れるかも知れない。
なんて今夏の予定に思いを馳せていると、
 
 
五月雨を集めて早し最上川
 
 
百合の花が奏でたのかと錯覚する。そんな流麗の声に咄嗟に振り向いた。
「どうしたんだ?」
「どうしたって知らないのこれ?」
いや、芭蕉の俳句ってのは知ってるが…。
 
「この俳句って梅雨で最上川が激流になった事を詠ったらしいんだけど、」
それも学校で習ったな。
 
「あたしは夏の過ぎ去る早さも表してるんじゃないかなって思うのよね」
ほう、その心は?
「まず一つは『はやい』の漢字ね。川の流れだと『早い』じゃなくて『速い』なのはわかるわよね?
でもこの句だと『早い』になってるわ。芭蕉ぐらい偉い人ならあの時代でもそれぐらいは知ってるはずよ。それに……」
牡羊座流星群を散りばめた眼光は紙背すら見透かすように輝く。
 
「梅雨の鬱々とした時期が終わったのよ?みんな喜び勇んで遊ぶに決まってるじゃない!そうしたら時間なんてすぐ過ぎちゃうのは当然よ!」
ハルヒらしさが滲み出てる回答だ。
だが、その心情は分からない訳ではない。寧ろそうだと納得してしまう程、ハルヒの言葉には
論理を超越した説得力がある。
 
「だから、キョン。」
コイツが言いたい事がなんとなく分かるようになってきた。
そのレベルまでシフトアップした事に悲観するつもりはもう素粒子ほども無い。
 
「夏休みは思いっ切り遊ぶわよ!去年とは比べ物にならないくらいにね!」
此処まで来たんだ、ハルヒが飽きるまでずっと付き合ってやるよ。
 
 
―――――――
 
 
「お邪魔しまーす」
小気味よい声が辺りに響く。
 
「あっハルにゃんだ!ハルにゃんおひさー」
「久しぶりね妹ちゃん!元気にしてた?」
いつも通り年中走り回ってるよ。どっかの団長と同じでな。
 
「今日はどうしたのー?」
「うん、実はね…」
同年代に教えてもらう。
兄としては少しばかり恥ずかしい事だが、今さら妹に体裁振っても仕方ない。
そんな諦めの境地に立っていたんだが、
「ご飯を作りに来たのよ」
「え?」
予想外の言葉に目が点になる。
 
「ハルにゃんお料理出来るの?」
「昔は和の鉄人と呼ばれてた事もあったわね。」
下らん嘘をつかないでくれ。いや、それよりも聞きたい事がある。
小走りでリビングへ向かう妹を尻目に俺は少し音量を下げてハルヒに質す。
 
「今のはどういうことだ?」
「あたしとあんたの母親の差しで話を着けるわ」
ハルヒの目は宿敵に挑むそれとなっていた。
 
正気か?一応、当人が居ないと話が…
「あんだけ逼迫した顔してたって事は昨日の夜にでも怒られたんでしょ?あんたが居ればそれこそ話が拗れるわよ。違う?」
…名推理だ。薬物依存症の名探偵も称賛してくれるだろうな。
 
「だから、自室で待ってなさい。ご飯は後で持っていってあげるから」
やけに自信があるみたいだが勝算はあるのか?
「SOS団は常勝無敗よ。我に秘策あり、だしね。ひみつだけど。」
 
ひらがなでひ・み・つなんだろ?
「勿論よ♪」
 
ハルヒに言われるまま自室へ帰巣し、私服へと着替えてたんだが、一つ気掛かりがある。
あの自信は普段からの物で説明が付くが秘策ってなんだ?
オカンと会った事なんて夏の課題で集まった時の一度しかないはずだ。そんな初対面に毛が生えた程度の関係で秘策なんて講じる事が出来るのだろうか?
 
心配になってきたがアイツに任せた以上出しゃばる訳にはいかない。
おかしな事になってない事を祈っておこう。
 
そんな不安が憂慮となり大慮へと昇華され、いい加減に参加表明するべきかと悩みはじめた時、扉を叩く音が木霊した。
 
トントン
らしくない控え目な音。
もしかしてハルヒか?
 
「そうよ。他に誰が……ってよく考えたらあんたの家なんだから居るわね。該当する人が」
ああ、オカンと親父は一応ノックする。まさかお前がノックするとは思わなかったが。
 
「わかったんなら早く開けなさい。いま手が塞がってるのよ」
何で?と言う理由を聞く前に開けたが、どうやら聞く必要はないみたいだ。
 
旨そうな魚介系の匂いが部屋に充満する。
「今日はシーフードパスタだったみたい。どうせだから、あたしが調理したわ。感謝して食べなさいよ?あと、そっちのサラダはお母さんが切った奴だから。」
シーフードパスタなんて珍しいな。
普段出てくるミートソース、カルボナーラ、ペペロンチーノ、ナポリタンを俺の家ではパスタ四天王と銘打っていたんだが。
 
「そりゃ、甲烏賊と浅蜊が旬だからでしょ?サラダにキャベツ、玉葱、人参、大根が入ってるのも同じ理由ね」
…そんな事も知ってるのか?
 
「料理に携わる人間なら常識レベルよ。旬の食材は美味しさが段違いなんだから。食材の目利きも大事な要素ね」
 
俺も多少なりとも料理が作れたら、将来的に便利だったり…
「あんたは料理が出来なくても問題ないわ。それより勉強を頑張りなさい」
下手に手を広げても仕方ないって事か。
「それもあるけど、あんたには必要ないの。わかった?」
理由はよくわからんが真面目な話ならハルヒの言う事は正面だし、いいか。
 
「じゃあ、冷める前に食べちゃいましょ」
「ああ、折角の出来立てだしな」
熱々の食材達が食欲を誘因させる。
まるで今日という日を労ってくれているようだ。
 
「「いただきます」」
ハルヒの合図の元、咀嚼と嚥下の反復運動を開始した。
 
 
――――――
 
 
「その後はどうなされたのですか?」
別に何もないぞ。飯を食べた後は自転車でハルヒを家に送った。それだけだ。
 
「家庭教師の件は?」
そっちはオカンを説得して約束を取り付けたらしい。一体どんな手品を使ったかは…最後までひみつのままだったな。
その説得で中間テストの罰則は免除されたんだが、ハルヒは一度決めたんだから、と達成を目指す気満々で辟易している。やれやれだぜ。
 
 
――翌日の昼休み、俺は珍しく表情を強張らせた古泉の呼び出しにより、部室へ連行された。
そこで珍しく咎め立てられたんだが、それについてはまぁ、仕方ないと割り切る。古泉からの連絡をすっかり忘れて、返事を怠ったんだからな。
だが、なぜ昨日の件について尋問を受けないといかんのだ?
 
「あなたが涼宮さんを悲しませたからですよ。あの事件以来初の閉鎖空間がまさか世界の危機に瀕する物となるとは夢にも思いませんでした。突然の危機に機関は恐慌状態に陥ってしまったんですよ?」
それは悪かったって言っただろ?
その後直ぐに収束したんだからいい加減許してくれ。
それに本人は直ぐに許したのに、外野が後でネチネチ言うのは好ましくないぞ?
 
「そうですね。涼宮さんがあなたをお許しになったのでしたら、この件についてはもういいでしょう。」
まだ何かあるのか?
 
「主体と客体については御存じですか?」
また頭が痛くなる話ならゴメンだぜ。俺の情報容量はこれから行われる勉強だけでいっぱいいっぱいなんだからな。
 
「では主客二元論、唯物論、独裁論の3つの話から間主観的アプローチの話へと展開していくのはやめておきましょう。」
…マジでしようとしていたんだなお前。
 
「噂は…勿論御存じですよね?」
バカにしてるのか?
 
「確認ですよ。では豊川信用金庫事件は?」
知らん。
 
「1973年12月に愛知県にある豊川信用銀行が、ある一つの女子高生の噂により約26億円もの預貯金を引き出す騒ぎとなってしまった事件です。」
たった一つの噂でか?信じられんな。
 
「はい。たった一つの噂が流言飛語していき、それが取り付き騒動まで発展してしまった非常に珍しい事件ですね。と言いましても、その事件の7年前に同市で起きた金融機関の倒産が流布を加速化させた要因なのですが。」
で、それがどうしたんだ?
 
「この事件から分かる事は虚偽が実害にまで及ぼす現象が実際に起こるという事です。
そして、こういった現象は僕達の日常で往々にして起きている事をあなたは御存じでしょうか?」
最終的に仲間になる好敵手のような偽悪的な笑みを浮かべている。
「この学校で非常に有名な噂なんですが、あるクラスの仲の良い男子生徒Aと女子生徒Bについておかしな噂が流れているんですよ。」
偽悪的な表情が一層深まる。
 
…別におかしくない、極有り触れた何の変哲もない、極々普遍的で気に止める必要もない、根も葉はもない噂の臭いがするな。
「その概要ですが、彼女達の席の位置が二年に進級した今でも不変を保っているんですよ。
まるで、その場所が自分達の居場所と誇示するかのように、最後尾は女子生徒が、窓際最後尾から一つ前には男子生徒が毎回座っています。ある種の不文律が成立されているみたいですね。実に不思議だと思いませんか?」
……さあな。
 
「その二人の関係について、『運命の赤い糸説』、『輪廻転生説』があるのですが…お聞きします?」
……ちょっとばかり、用事を思い出したから遠慮しておこう。
 
「そうですか、なかなか興味深い話なので是非聞いて頂きたかったのですが、残念です。では、最後に一つだけ。」
ドアを開け出て行こうとする俺に語り部のような口振りで実に不可解な質問を問いかけてきた。
 
「さて、その二人は周りが噂する関係に発展し、噂が真実になっていくのでしょうか?それとも…」
最後の一言を聞く前に、俺は扉を閉めた。
 
 
――――――――
 
 
「あっキョン!あんた、どこほっつき歩いてたのよ?」
教室に帰ると、訓練中にサボっている新兵を目撃した鬼軍曹のように怒り心頭に発したハルヒがいた。
 
「今日から昼休みも勉強するって言ってたでしょ!?」
悪い、ちょっとばかり勉強前の糖分補給をしてきたんだ。
 
「……ふーん。やる気はあるみたいね。それなら言いんだけど」
あそこまで言われたらやるしかないだろ?
 
「じゃあ、早速はじめるわよ!」
世界記録に挑もうとするアスリートのごとく獅子奮迅の勢いを見せるハルヒに俺は思う。
 
 
為せば成る為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
 
ってな。