概要
作品名 | 作者 | 発表日 | 保管日 |
深緑の風の中に、ふたり | 143-62氏 | 11/06/02 | 11/06/09 |
・【驚愕ネタバレ含みます。未読の方はスルー推奨】
・驚愕の事件から2ヶ月後、高2の6月中旬の設定です。
・キョン→ハルヒ、根底にハルヒ→キョン
・糖度高めにつき甘々が苦手な方注意
作品
「今日の活動はこれにて終了!みんな、帰りましょ!」
宇宙人製読書好きインターフェイスがハードカバーをパタンと閉じ、我らが団長様による高らかな声が
傾陽の差し込む文芸部室に響き渡ると、この部屋に集まった俺含む暇人集団は各々帰り支度を始める。
人の習慣とは恐ろしいもので、ドアの前で部室の鍵を振り回しながら不敵な笑みを浮かべる天上天下唯我独尊女に
ここが乗っ取られてから早1年強、もはやこのルーティーンは俺の体に刻み込まれ、それに従うことに
安堵すら覚えるようになっていた。
レトロボードゲームが趣味の超能力者はにこにこという擬音が聞こえてきそうなほどの爽やかな笑みを浮かべ、
先ほど活動終了の合図の音を放った宇宙人少女は安定感抜群の無表情、愛らしい未来人の先輩は急ぐ必要など全くないのに
ててっと小走りに机を片付けていく。
部室専属メイドさんの着替えのため部屋から出ると、青々とした木の葉の隙間を縫って差し込む夕陽が放課後の廊下を
朱く染め上げ、俺の中のどこからだか知らないがセンチメンタルな感情を引っ張り出している。
――平和である。
約2ヶ月前に起こった、あの事件。長門が寝込み、インターフェイス3体に翻弄され、わっかりやすい敵役も登場し、
俺の中学時代の旧友まで巻き込んで展開された、あの数日間。様々な人間(人間だけじゃなかったな)の様々な思惑が絡み合い、
正直俺も未だに何がなんだかわかっていないところが多い。
けれど、何よりも俺の精神に一生忘れられそうにない強烈な打撃を与えたのは……
他でもない、後ろの席のクラスメイトにして俺のたった一人の上司である、エネルギー永久機関搭載女が
あの顔を思い起こすのも忌々しいクソタコ未来人野郎から受けた、酷い仕打ちであった。
――――涼宮ハルヒ。
その生命活動を停止させようなどという、とんでもなく馬鹿げた計画であった。
その時俺がとった行動は、今考えてもお世辞にも得策であったとはいえないであろう。
当たり前だ、何も考えていなかったのだから。ただ、そいつを失いたくなかった。ただ、その存在を守りたかった。
それだけのことだ。
まぁそれで今、こいつは以前と変わらない眩しいくらいの笑顔を振りまいており、相変わらず俺たちを思うがままに振り回し、
自由の限りを尽くしているわけなのだから、終わりよければ全てよしか……昔の人は上手いことを言ってくれたものだなぁ…
……などと思索にふけているうちに、西陽の差し込む昇降口にたどり着く。
「キョン、あんた明日の数学の小テスト、忘れてないでしょうね?」
ハルヒが靴を履き替えながら、いぶかしむ様な目つきで、しかしなぜかどことなく楽しそうに俺に問いかける。
最近ではハルヒ女史による強制家庭教師にて、有難いご講釈を拝聴することが俺の休み時間の新たな習慣として定着しつつある。
俺としても、ここ2ヶ月の勉強に対する意欲は前年度比3割増し、っていうか過去最高といえるくらいに上昇しているのも
紛れもない事実だ。………いや、まぁ、なんでかは別に言わなくてもいいだろ。
学生なんだから、将来に向けて勉強するのは当然さ。
「このあたしが教えてるんだもの、もちろん大丈夫よね。万一変な点数とってみなさい?どうなるか知らないわよっ!
……そうねぇ、手始めに、次の夏合宿ではあんたに……――――」
何やら恐ろしい計画を、黄色いリボンを揺らしながら嬉々として話し始めるハルヒの隣で、ゆっくりと歩を進めつつ俺は――
心の底から、安心感を覚えていた。
……ああ、もうわかっているさ、言われなくとも。俺のそばにこいつがいて、いつも何かたくらんでいる様子で、
恒星のような笑顔を浮かべていてくれれば、――それだけでどんな薬よりも、俺は安心するのだ。
そんな俺の気持ちを、さすがにもう認めざるを得ないだろうことも、よーくわかってるさ…って俺は、さっきから誰に言ってんだ?
「――あ!そうだ、合宿といえば……古泉くんっ!――――」
明日の小テストの点数しだいで夏合宿俺が何かする羽目になるだろうという不穏な預言を与えたハルヒは、
俺の返事を聞くのもそこそこに前方を歩いていた古泉の隣へ、セーラーを翻しタタタッと軽快に寄って行った。
「あのね、夏合宿の場所なんだけど、今年はね…――――」
どうやらまた合宿の場所を提供しろと副団長に直々に命令を下しているらしい。
古泉も毎度毎度ご苦労なこったね。ま、場所なんてどこでもいいさ。
どこに行ったとしても、また唐突にこいつの大暴走に巻き込まれたとしても、俺がすることは決まっているのだから。
こいつのそばにいて突っ込みをいれつつ我が儘につきあってやること。SOS団団員その1であり続けること。
……簡単なことだろ?誰かに譲ってやる気はさらさらないさ。
そんな軽い所信表明を終え、前に目をやる。
古泉はといえば、顔に爽やかさ10割の笑顔を貼り付け、団長様の言葉にそうですねぇだとかもちろんですだとか
いちいち合いの手をいれつつ、穏やかに聞いている。
そんな古泉の隣で、身振り手振りを動員して多少前のめりになりながら体全体で言葉を紡いでいるようなハルヒは、
その笑顔は、無邪気としか言いようがなく心の底から楽しそうに見えて、俺は……
……ん?……俺は今、何を思った?
あいつが笑顔でいるのは好ましいことだと、ついさっき実感したばかりじゃないか。
……じゃあ何だ、この胸の奥の奥の奥に浮かぶ黒いもやは……
ハルヒが他の奴に笑顔をみせることに、ムカついてんのか?いやまさか、そんなはずないだろ。
そこまで俺は独占欲が強いわけじゃない……よな。
そうだ、どことなく俺の精神が揺さぶられている気がするのは、ハルヒの企みに対するいつもの悪い予感ってヤツだな、
うん、そうだそうだ。オッケー把握。
なんとなく落ち着かない俺は、ハルヒ達の後方を全く狂いのない歩調で歩く長門と、更にその後ろ、俺の隣でぴょこぴょこ歩く朝比奈さんに目をむけ、平静を保とうとする。
朝比奈さんによる、今日入れたお茶の効能の話や先週末の市内探索で見つけた洋服の話、3年になってから担当になった教師の話などに顔をほころばせて相槌を打ちつつ……、よし大丈夫、余裕だ余裕……
――――その余裕は次の一瞬で、もろくも消え去ることになる。
くるくる表情を変え無邪気に話すハルヒ。にこやかな笑みの古泉。
ふと、古泉が無言で歩幅一歩分後ろに下がる。そしてさりげなく、…ああ、こういうのをさりげなくというんだな…
ハルヒの肩に軽く手を添え、自分が元いたスペースにハルヒを誘導する。
そして市街に近づき車が若干増えてきた車道側には自分が納まり……
要は、二人の歩く場所を入れ替えたのだ。
たったそれだけのことだったが…
――――周りの音が、消えたかと思った。
朝比奈さんの愛らしいお声も耳を通過する。正直このあと俺が普通に話せていたか全く自信がない。
長門は後姿のまま振り向くことはなかったが、その背中は何か言いたそうに見えた。
……ああ、また来た。あの黒いもやが。
心臓の鼓動が早くなるのがわかる。
こんな感情を自分が抱くことになるとは思いもよらなかった。
愕然としつつ、次の瞬間には納得している自分がいた。
……俺は、嫌なのだ。
ハルヒが他の男の前で無邪気に笑うのが。ハルヒを助けるのが他の男だということが。
子供っぽくて笑っちまうな。そんなこと、思う資格は彼氏でもなんでもない俺にはないだろうに。
いつか、このガキっぽくてしょうもない俺の本心を、あいつが知る日が来るのだろうか。
そんなことになったら……いや、想像するだけで恐ろしいな。うん、想像やめ、やめ。
いつもの解散場所である駅に着くころには、空の朱色もいっそう深まり、コンクリートに5人の影が長く伸びていた。
「じゃあね、みんな!気をつけて帰るのよ?事故なんかに遭ったら許さないからねっ!」
ハルヒは大きく手を振って解散を告げ、俺含め他の面々もそれぞれの帰路に着く。
俺はマイ自転車を解放するためひとり駐輪場に向かった。
施錠を解除してやりながら、頬を通り過ぎる風に心地よさを感じる。
もう木々は新緑から深緑へと変化を終え、瑞々しい葉が揺れている。
――そろそろ夏だな。
夏は嫌いじゃない。本格的な夏到来前のこんな季節に1人自転車を走らせ、風を頬に感じるのも俺は割と好きだ。
さて、自宅にたどり着くまで、そんなひとり時間を満喫するとしますかね。
俺は道端ににチャリを引っ張り出し、足をあげようとしたその時。
……。
「―――ねぇ。」
うぉっ!?
俺は飛び跳ねそうなほど驚き…いや実際に飛び跳ねていたかもしれん。
って、何でお前がここにいる?さっき別れたばかりじゃないか。
「だって……あんた、」
そこに立っていたのは、黄色いリボンを風に揺らしながらどこか所在ない様子で目を動かしている少女
……涼宮ハルヒだった。
逆光のせいだろう、表情が読み取れない。
「……さっき皆で帰ってたとき、なんか様子おかしかったから、どこか調子悪いのかと思って。
みくるちゃんや有希と一緒なんだからどうせデレデレしてるんじゃないかと思って見てみたら、なんか違うんだもの。
……ねぇ、何かあったの?具合悪いとか?」
うっ………俺は言葉につまる。
本当にこいつは勘がいいというかなんというか……てか、心配かけてしまったのか、俺は。
こいつはこと団員の健康のことになるとよく気を回し、世話を焼くヤツだ。
悪いことをしてしまったな。
だがしかし、さっき考えていたことをそのまま言うわけにはいかん。
――言ってやってもいいか……?いやいやいや、何を血迷ってるか俺。さっき不穏な想像をしたばかりだろうが。
「いや、なんでもねぇよ。体調が悪いとかじゃないから心配すんな。
……ただちょっと、……そうだな、高校生活もあと2年しかないのかと、センチに浸ってただけさ。」
「なに親父くさいこと言ってんのよ。」
そう答えながらハルヒが、ふふ、と音を地面に落とすように静かに笑う。視界がくらっと霞む。
「ま、そんなこと言ってあんたのことだから、どうせあたしの合宿計画にケチでもつけようと考えてたんでしょ?
無駄よ、ムダ。この団ではあたしが唯一絶対の法なの。あたしの計画には寸分の狂いもないんだから、あんたは
黙ってついてきなさい。いいわね?――ま、あんたの考えてることなんて、あたしには全てまるっとお見通しなんだけどね」
そこまで雪崩のように言い切ると、ハルヒは向かう所敵なしといった100%天然発光の、いつもの笑顔を俺に向けた。
はいはい、と聞き流しつつも俺は……こいつの最後のセリフに対し、ささやかな反抗を試みたくなった。
いわゆる出来心ってやつだな。それも、なんともガキっぽいヤツを。
「………わかってねぇよ。」
「――えっ?何?」
「………わかってねぇよな。」
俺がこんな子供じみた黒い感情を、信頼している古泉に対してさえ抱いてしまうことも。
目の前にいるこいつの無防備な様が、どれだけ俺を焦らせるかも。
お前は全然わかってねぇよな。
そんな恨みをこめて、こいつの目をしばらく見てやることにする。
このときの俺がどんな顔をしていたかは知る由もないが……そこからのハルヒは面白かった。
人一倍大きな目を更に大きく見開き、その瞳のなかに住む星が揺れ動くのがわかった。
何か言い返そうと口を金魚のようにパクパクさせ、あ…とかう…とか言ってみるものの、しかし何も思い浮かばなかったのか、
今度は口をへの字に結び、わなわなと震えだした。
顔がみるみるうちに真っ赤になり、耳まで赤くして、体を震わせている。よほど悔しいのだろう。
………ちょっとやりすぎたか。
「ななな…っ、何よ!バカキョンのくせに…!」
はいはい、すまんかった。悪い悪い。
「あ、あんたなんかね、あんたなんか、……」
そのまま二の句が次げずにいるハルヒ。言葉による罵りを諦めたのか、ぽかぽかと俺の腕にパンチが振ってくる。
いや、あんまり痛くないけど。
「おい、俺が悪かったから、頼むからあんまり暴れるなよ、人が通るんだから。」
通路を占領していたハルヒの、俺をぽかすか叩いている手をとって、ぐいっとこちら側に寄せる。
ハルヒの掌は柔らかく、小さく、熱かった。
いや、熱いのは俺の掌の方か?
――なんとなく、そのまま手を離さずにいる。
夜が近づき冷たくなってきた風が、二人の間を通り抜ける。
先に反応したのは、ハルヒだった。
「………もう、大丈夫でしょ?手、は、は離しなさいよね、このエロキョン…!」
「そんなに強く握ってないだろ。お前が離せばいい。簡単に離れるさ。」
「な、何よそれ!あんたが握ってきたんでしょ?あんたが離し…………あっ!…見て、キョン!」
ハルヒが指差す方向へと顔を向ける。そこには………って、ん?
いや、あの、ハルヒさん、俺の目には何も珍しいものは映りませんが……?
「あ、あの……えっと、さっきね……そう、流れ星!流れ星が見えたのよ!」
まだ夕方だぞ。こんなに明るいのにか?お前は視力もよっぽどいいんだな。
まぁハルヒが見えたと言うなら見えたのだろう。
で、そんな風に結局先ほどの会話はうやむやに終わり……何の話だっけかな。まぁいいか。
―――頬をなでる風がひたすらくすぐったい。
俺を罵ることにも殴ることにも飽きたらしいハルヒは、俺の指に自分の指を絡ませるようにして、
やっぱりあんたの方が掌大きいのね、とか意外に指長いのね、だとかのたまっている。
掌を見やるその優しげな微笑みは、俺には見覚えがあった。
………今から数年後の未来に。
…っておい、ちょっと待て。俺はこんな風に指を絡ませて握った覚えはないぞ。
またまた心拍数が上昇していく。
いやお前そんな風に笑いながらそれは反則だろうさてはわざとやってんのかこいつああそうだきっとわざとだ
さっきの仕返しに俺の動揺を誘ってるんだなこいつはちくしょうなんて女だだとしたら俺の完敗だああ動揺しているともさ
「―――ハルヒ。」
俺は息を大きく吸い込んで、動揺を追い払うように、呼びかけた。
これ以上こいつといるのはヤバい。いや何がヤバいってそりゃもういろいろだ。
このまま俺の動揺に任せて突っ走ってしまったら、何かを口走ってしまったら。
……まだ、その後の展開を受け止める覚悟が俺にはないのだ。
「……帰るぞ。もう遅いから、送って行く。うしろ、乗れ」
ハルヒはしばらく不思議なものを見るような目つきで、俺の真意を探ろうとしているのか、じとっと見ていたが、
やがて何かを納得したようにあごを引き、いたずらそうな笑顔を見せた。
「……そうね。そうさせてもらうわ。………―――ねぇキョン…、あの時は、その……ありがとう」
――ひときわ大きな風が横を通り抜ける。近くの線路を電車が通り過ぎたのだ。
耳に直接響いてくる大きなその音にかき消され、ハルヒが紡いだ言葉の最後は聞き取ることができなかった。
ハルヒの重みを背中に感じながら、俺は自転車を走らせる。
その確かな重みが、俺の心にやすらぎを与えてくれる。
ハルヒの家に到着するまで、お互いほとんど言葉を交わさなかった。
深緑の風の中で、心地よい二人分の沈黙。
今は、今だけは、このまま二人でいたい。
変化は必ずいつかくる。覚悟を決めるときはどうせいつか訪れるのだ。
そのいつかまでは、もう少しだけ、このままでもいいだろう?
茜色に染まった空を見遣りながら、俺は心の中でそう呟いた。
――――――fin.