秘傳千羽鶴折形 (96-917)

Last-modified: 2008-08-27 (水) 00:22:11

概要

作品名作者発表日保管日
秘傳千羽鶴折形96-917氏08/08/2608/08/27

作品

 毎年八月も終わりに近付くと、一部の要領が良かったり勤勉な輩を除いて、理由は言わずもがなだが大方の学生諸君は憂鬱な思いをする羽目になるであろう。
 だが、俺の今年の夏休みの宿題は、臨時敏腕家庭教師――まあ、要するにハルヒのことなのだが――のお陰で、残すところ二~三の教科のちょっとした課題のみとなっていたのだ。
 前年のあのバカバカしいループ騒ぎの心配もなさそうだし、今回はこのまま平和裏に九月を無事迎えられそうだ、なんて安堵しながらも、つい溜息なんぞを吐いてしまう俺は一体何なんだろうね?
 ちなみに、本日の俺ん家でのお勉強会は午後からなので、午前中はゆっくりしたかったのだが、こうして妹に頼まれた買い物なんぞに出掛けることになっちまうなんてな。お人好しにも程があるってモンじゃないのか、俺。
 まあいい、ここしばらくは涼しいを通り越して寒いぐらいの気温だし、外出してもそれほどダメージを受けるわけでもない。
 せっかくなので某映画のスポンサーでおなじみ、祝川商店街の鈴木文房具店にまで遠出しようかとも思ったが、あまり天候もよろしくないし、近場で済ませようと考えたのが、今回のお話の発端だったのかも知れない。
 
「やっほ~、キョンくんっ! こんなところで一体なにしてるにょろ?」
 背後からの突然の呼びかけに、俺は振り返り、
「ああ、鶴屋さん、こんにちは……って、ハルヒ? 何でお前までここに?」
「えっ、あ、べ、別にいいでしょ? あたしは鶴屋さんにちょっと付き合って……」
「おやおや、ハルにゃんってば水臭いなー、もう! あっちにいたときにキョンくんのこと見つけて、めがっさ大急ぎでここまであたしのこと引っ張ってきたのは誰だったっけ?」
「や、やだ、鶴屋さんったら、変なこと言わないでよ」
「あーっはっはっは! ハルにゃんってば真っ赤っかで可愛いにょろ~」
 さすがのハルヒも鶴屋さん相手では勝手が違うようだ。でもなんでそんなに真っ赤な顔で俯いてるんだろうね?
「――バカ!」
 痛っ、いきなりつねるなよ。てか、何そんなに怒ってやがるんだ?
 
 どうやらハルヒも退屈凌ぎに出歩いていたらしく、そこで鶴屋さんに偶然遭遇して~というのが今までの経緯らしい。
 しかもこの後、鶴屋さんは朝比奈さんと待ち合わせしているとのこと――うーむ、タイミングがもう少し遅ければ、我らがスイートエンジェルともご対面、となったのにね。
「それでキョン、あんたはまだ宿題残ってるんじゃないの? こんなとこで油売ってて大丈夫なわけ?」
「いや、実は妹に折り紙を大量に買ってくるように頼まれただけなんだが」
「へえ、折り紙? 妹ちゃんの宿題かなにか?」
「それが、なんでも妹のクラスメイトに病気で入院しちまった子がいるとかて、ミヨ――吉村さんって子が呼びかけて千羽鶴を折ることになったんだと」
 自分でもどうしてミヨキチのことを言い直したのかは解らんが、何故かハルヒも俺の話の途中で眉をピクリと顰めたりしたし、どうなってるんだろうな?
「なるほどねえ――そうだ、キョン! 今日はあんたが宿題してる合間に、あたしたちで妹ちゃんが千羽鶴折るのを手伝いましょうよ。……ねえ、鶴屋さんも一緒にどうかしら?」
「わはは、鶴ならこのあたしにお任せあれっ! なんてったって、あたしは『鶴屋』だからねっ! なんちゃって。にゃははははっ!」
 
 というわけで、本日の午後、いつもの俺以外のSOS団の面子四名プラス名誉顧問の鶴屋さんが、俺ん家に集合することにいつの間にやら大決定してしまったらしいのだ。
 って、俺の意向は端から無視ってことかよ。泣いていいか?
 
「なるほど、つまり僕たちで協力して、妹さんのお友達のためにみんなで千羽鶴を折ろう、と涼宮さんは仰りたいのですね?」
 いつも以上にニコニコスマイルで確認する古泉にはハルヒもご満悦のようだった。
「話が早くて助かるわ、さすがは副団長ね、古泉くん! じゃあ、有希、あなたも手伝ってくれるわね?」
「……了解した」
 こちらもいつも以上に無駄な動きのない長門は、手元に古ぼけた和綴じの小さな本を持ったままでじっと正座していた。
「あ、あの、わたし……折り紙ってよくわかんないんですけど、なんだか難しそうだし……大丈夫かな?」
「あっはっは、みくるは心配性だねっ! ダイジョブジョブ、何枚か折ってれば、その内目をつぶってても平気でできるようになるさっ!」
「うーっ、そうかなぁ? で、でも、わたしも頑張りますね、キョンくん」
 どこか不安そうな顔つきながらも、根が真面目な朝比奈さんのことだ、俺が太鼓判を押しますよ。
「ほらキョン、さっさと折り紙寄越しなさいよ! あ、それからあんたは自分の宿題、ちゃんとしてなさいよ。あたしが直接監視してないからってサボるんじゃないわよ、いいわね?」
 へいへい、どーせ俺は千羽鶴どころじゃないからね。さて、今日は古文の残りの課題でもやっつけることにしますかね。
 
「ところで――ねえ有希、あなたの持ってるその本って何なの?」
 何故かハルヒは本を読みながら片手のみで器用に折鶴を量産し続けている長門に声を掛けたのだった。
「……『秘傳千羽鶴折形』」
 ひで……えっ、何だって、長門?
「ひでんせんばづるおりかた。現存する最古の折り紙の手引書。寛政九年初版。ちなみに本書の連鶴四十九種の折り方は、『桑名の千羽鶴』として三重県桑名市の無形文化財に指定されている」
「おおっ、さすがは有希っこ、通な本をよんでるねえっ!」
「すみません、少々見せていただいてもよろしいですか?」
 何故か長門は古泉の方を向かずに俺の方に視線を送ってきていた。って俺に許可を得るつもりか?
 言葉には出さずに、『見せてやれ』との意をアイコンタクトで送る。
「……どうぞ」
 古泉は気付いてない振りをしながらも、一瞬だけ俺に目配せを寄越してきた。いや、そういうのは別に嬉しくないからしなくていいぞ。
「――ほほう、古い書にしては中々の内容の充実度ですね。……これは『百鶴』というものですか? なるほど、一枚の折り紙から百羽分の連鶴が得られるのですね」
「……実際には中央部分が四羽分で一羽になるため、合計では九十七羽」
「有希、そんな細かいことはいいのよ。でもこれ、結構面白そうね! 決めた。あたし、これ折ってみようっと。ねえキョン、ちょっとハサミ貸してよ」
 ほいほい、ハサミ、ハサミってあれ? 引き出しに入れておいたはずのハサミはその姿を忽然と消失させていた。何処に行っちまったんだ?
「あっ、ハルにゃん、はい、キョンくんのハサミー!」
 って、やっぱお前か!
「ありがと、妹ちゃん! もう、キョンったらやっぱり役に立たないわね」
 って、何でそうなる? 大体それは俺のモノを妹が勝手に……、
「ゴメンね、キョンくん。てへっ♪」
 こら、笑って誤魔化すんじゃありません!
「みくるちゃーん、キョンくんがいじめるー!」
「えっ、あ。あの、キョンくん。妹さんも謝ってますし、もう許してあげていいんじゃないですか? わたしからもお願いします」
 ったく、朝比奈さんに頼るとは、さすがは俺の妹。まあ今回は朝比奈さんに免じて、許してやっても――、
「こらキョン! そういうあんたはさっきからサボってんじゃないの? キリキリ片付けちゃいなさいよ!」
 へいへい、っと。
 しかし、古文ってのはわけ解らんことだらけだな。短歌とか俳句とか川柳とか、そういうのだけでもチンプンカンプンで俺の脳味噌は暴走しそうだってのに、何だよこの『狂歌』ってのは?
「確か、『狂歌』というのは社会風刺や滑稽などを盛り込んだ、五・七・五・七・七の音での構成の作品のことですよね? なんでも短歌の本歌取りの手法を元にしたパロディ的なものであったような気がします」
 古泉までがその手の話に詳しいのはちょっと意外だな。
「ええ、僕も古文の課題で少々調べたばかりでしたので。ああ、『狂歌』の例なら、長門さんのこの本にも掲載されてますよ」
 ほう、そりゃ一体どんなものなんだ?
「例えば、先程の『百鶴』の部分ですが――はい、ここです」
「なに、どれどれ……『朝比奈の紋を十ずつ十よせて百人力の鶴の紋なり』」
「ふえっ、きょ、キョンくん、今わたしのこと、呼びました?」
 あ、いえ、違いますよ。ほら、ここにある歌のことですから。
「はー、なんだ、びっくりしちゃいました~」
 すみません、紛らわしくて。でも、これってどういう意味なんだ?
「うーん、確かこれって『朝比奈三郎義秀』っていう歌舞伎に出てくる力持ちの男の人のことだったなじゃなかったかしら?」
「おお、さすがはハルにゃん、何にでも詳しいねっ。――そうだ、みくる、知ってるかい?『朝比奈』の紋所って実は『鶴』だってこと。あ、紋所ってのは今風に言えばエンブレムみたいなモンかなっ」
「ほへぇ~、そうだったんですか~」
「……ちなみに紋所は英語的には兜飾りの意から『Crest』と表記されることもある」
 何だかよく解らんが、『朝比奈』の紋所が『鶴』ねえ。なんとなくだが、朝比奈さんと鶴屋さんの名コンビを思い浮かべてしまうのは俺だけじゃないと思うぞ。
「で、その『朝比奈三郎義秀』さんと、この『百鶴』がどう関係するんだ?」
「それはこういうことよ。その『朝比奈』の紋所の『鶴』が『十ずつ十』つまり十の二乗で百羽あるってことでしょ? だからこの『百鶴』があれば百人力だってことなの。解った、キョン?」
 ああ、なんとなくだがな。でも、『狂歌』がパロディってんなら、ハルヒ、これの元ネタってのはとういう短歌なんだ?
「うーん、アレは確か……伊勢物語だったと思うんだけど……ごめん、キョン。後で調べてから教えてあげるから、ちょっと待ってよね」
 ああ、別に構わん。っていうか、わざわざスマンな、ハルヒ。
「えっ――あ、うん」
 ハルヒは急に俯いたかと思うと、またせっせと『百鶴』を折る作業に没頭し始めた。
 
 しばらくの間は、俺は目の前の問題と格闘していたのだが、いかんせん集中力がそんなに続くわけでもなく、やがて適当なところで休憩することにしたのだった。
 
 ふと見れば長門は既に山盛りの折鶴を作成済みで、先程の古書を黙々と読んでいた。
 古泉はハルヒが折っていたのとは違う連鶴を器用に何種か折り終えていた。
 朝比奈さんは鶴屋さんと一緒に、長門の量産した折鶴を糸で綴じて束ねる作業をしており、その脇で妹が迷惑顔のシャミセンを捕まえて何やら妙な歌を歌っている。
 俺はそんな様子を見ながら、そういえばさっきの伊勢物語云々だとかは、ひょっとしたら長門が知ってたかもな、とか考えながらも、長門がそのことについて自ら触れなかったのは、やはりハルヒに遠慮してのことなのかな、と想像するに留めておいたのだった。
 
 やがて、ハルヒが例の『百鶴』を完成させたところで、とりあえず作業は終了ということになった。
「うわぁ、すごいね、ハルにゃん! これみたら、きっとみんなびっくりするよー! ありがとね」
「いいのよ、妹ちゃん。あたしなんかより、数では有希の方がたくさん折ってくれたし、古泉くんも色々な連鶴折ってくれたし、みくるちゃんも鶴屋さんも束ねるの大変だったでしょ、お疲れ様」
 何だか、自分よりもみんなを労うあたり、ハルヒもちょっとは変わったんだろうかね?
「いや、それにしてもハルヒ。お前のこの『百鶴』って中々のモンじゃないか?」
「あら、当然よ、当然。あたしに掛かればこんなのお茶の子さいさい、朝飯前なんだもんね!」
 やれやれ、ちょっと褒めたらこの調子だ。まあ。それもある意味ハルヒらしいのかもな。
 
 その日の晩のこと。
 
 風呂から上がって自室でのんびりとしていると、携帯電話が着信を告げた――ハルヒからだ。
「もしもし」
『ああ、キョン。さっきの伊勢物語の短歌のことなんだけど……』
「へっ、伊勢物語? ……ああ、スマン。あの『百鶴』の元ネタってヤツのことか?」
『うん、元になった歌はこう――「鳥の子を十ずつ十は重ぬとも思はぬ人を思ふものかは」――っていうの。意味はね……』
 ハルヒに教えてもらったのはこうだ。
 鳥の子とは要するに卵のことだ。その卵を十掛ける十の合計百個重ねる、まあそんな不可能に近いことが出来たとしても、好きでも何とも思ってない女性のことを愛するなどということは出来ない、と。
 卵百個を重ねるね……ひょっとしたら長門ならいとも簡単に成し遂げてしまうかも知れないが、まあそれはどうでもいい。
「ありがとうな、ハルヒ。わざわざ電話までしてくれ――ハルヒ? おいハルヒ? どうかしたのか?」
 突然、受話器の向こうからの反応が途絶えてしまったような気がして、動揺のあまり俺は声を荒げてしまった。
『ああ、ごめん、キョン。――ねえ、あんたもやっぱり――その、好きでもない女の子と一緒にいるのって、イヤだったりするのかな? キョンは、あたしが無理にSOS団に――』
「ストップだ、ハルヒ!」
『えっ?』
「確かに俺だって好きでもなんでもないヤツと一緒にいたいなんて思えるほど人間は出来ちゃいない」
『……』
「だからな、俺は自分の意思で、好きでSOS団にいるんだからな。ハルヒのことだって、朝比奈さんだって長門だってついでに古泉だって、一緒にいるのが嫌なわけないだろ!」
『――キョン』
 そうさ、確かにわけはさっぱり解らんが、こんなに普通じゃない連中と一緒にいられるのが嫌なはずないだろ?
 三年前に連れて行かれたり、巨大なカマドウマが襲ってきたり、夏休みが終わらなかったり、光線で頭を撃ち抜かれそうになったり、突然お前がいなくなったりナイフで刺されたり、誘拐だとか妙な陰謀に巻き込まれたり、色々大変だったのは認めるさ。言えないけど。
 でも、俺はもう、戻れないとこまで来ちまったんだ。俺自身は至って普通の人間でも、もう非日常に足を突っ込んじまったんだ。どうしようもないだろ?
 でも――いや――だからこそ。
「俺はハルヒと一緒にいられて嬉しいからな!」
『なっ……ば、バカ! 変なこと言うな、このアホキョン!』
 
 ツー、ツー、ツー、
 
 何だ? ハルヒのヤツ、憤慨した様子でいきなり切っちまうなんて。
 
 と思いきや、再度着信。
 
『ごめん、キョン。その……ありがと。お休みなさい』
 
 ツー、ツー、ツー、
 
 また切れちまった。でもいいか、怒ってる様子じゃなかったしな。
 しかしな――何かうっかり妙なこと言っちまったつもりはないんだが、ハルヒの反応はやっぱりよく解らんぞ。まあ考えるだけ無駄ってのかも知れんが。
 
 さて……お休みハルヒ。また明日な。