逢魔ヶ小路 (106-573)

Last-modified: 2009-02-23 (月) 23:54:19

概要

作品名作者発表日保管日
逢魔ヶ小路106-573氏09/02/2309/02/23

作品

 みなさんは『これは現実としか思えない』といったリアルな夢を見たことがあるだろうか?
 まあ、いくらリアルとは言いながらも、いかにも夢ならではの理不尽さというか、ありえない事態にパニック状態に追い込まれた挙句、そこで目を覚まして『ああ、今のは夢だったんだ』なんてホッと一息、てなパターンなどもかなりあるのではないかと思われる。
 逆に、まさに夢だからではあるものの、自分自身が全知全能であり、何もかもが思い通りに……と、得意気になっているところで覚醒して、あまりにも現実の俺との乖離に絶望と憂鬱感に襲われる、なんてことも……、
 どげしっ!
「っ! 痛ってーな、おい。そうやって本の角の部分で殴るのはやめろって何度言ったら解るんだ?」
「あんたこそさっきから手が全然動いてないじゃないの! あたしが見てる限り、ボーっとしっぱなしよ。ほらキョン、その問題集終わるまでは、頬杖付くのも溜息吐くのも禁止なんだからねっ!」
 ハルヒはそう高らかに宣言すると、おもむろに手にしていたマンガ本に向き直った。あまりにも俺に対しての家庭教師が退屈だからって、その態度はあんまりなんじゃないか?
 まあ確かにそのシリーズ物の第四部は、当時は俺も面白がって読んでたし、実際今でもかなり好きではあるんだが、今更ハルヒはそれを夢中になって読み耽っているというわけだ。なんだったら全巻貸してやるから、家に帰ってゆっくり読んだらどうだ?
「大きなお世話よ。第一、持って帰るのが面倒じゃないの。って、こら! サボってないで、さっさと片付けちゃいなさい!」
 やれやれ。しかしこの問題……さっき居眠りしてるときの夢で全部済ませてたはずなのに、何故今の俺のノートは真っ白なままなんだ? しかも、一度解いた問題なら簡単にできるはずが……チクショウ、負けるものかよ! さっさと終わらせてやるぜ!
 
 と、何とか高めた俺のモチベーションをあっさりと消失させるように闖入者が出現した。
 
「キョンくーん、シャミが家出しちゃったー!せっかくお風呂に入れてあげようとおもったのに、どこにもいないのー!」
 って、こら妹よ、俺の部屋に入ってくるときにはノックぐらいしろって口酸っぱくして言ってるだろうが。それに、猫は風呂っていうか水に濡れるの嫌がるから、きっとお前に捕まらないようにどこかに逃げちまったんだろうぜ。
「ぶー! キョンくんの意地悪!」
「そうよキョン、可哀想じゃないの。……そうだ、妹ちゃん! あたしが一緒にシャミセン探しに行ってあげるわ!」
「ほんとー? うわーい、ハルにゃんありがとう」
 おいおい、どういうつもりだハルヒ?
「どうもこうもないわよ。あたしは妹ちゃんとシャミセン探してくるから、あんたはちゃんとこの問題集を最後まで終わらせておきなさいよ。サボってたら後でお尻百叩きの刑だからね。いい?」
 お尻百叩きって、どういう羞恥プレイなんだ――ってハルヒは妹を連れてあっという間に外出していってしまった。
 しかしハルヒよ、そもそもお前は何しに俺の家に来たんだか……。
 
 三十分後――早くも集中力が切れる。ああ、今日は家の両親もどこかに出掛けちまってるので、屋内にいるのは俺一人ってことになるな。当然静かなのはいいのだが、果たしてそれがやる気に繋がるかというと……って、愚痴っても誰も聞いてねーし、続きやるか。
 
 一時間後――ちょっとだけ休憩、って、後は残り数ページか。この際だからもう少し気合入れてみるかね。しかし、なんつーか張り合いがないというか、ちっとも勉強内容が身に付いている感覚がないのはどういうことなんだろうな?
 
 二時間後――って、ハルヒのヤツ、いくらなんでも遅すぎるんじゃないか……どこまで行っちまったんだ? さすがに少々心配な気もするな、って勘違いするなよ。俺が心配してるのは妹の方であってだな……。
 
 と、その瞬間、マナーモードにして置いていた俺の携帯電話が心臓によろしくないほどの振動音を発した。ある意味、マナーモードというのが相応しくないほど騒がしいんじゃないのか、と思っているのは俺だけではないと思うぞ。
「はい……って、なんだ古泉か」
『申し訳ありません。少々、緊急事態ですので、表までご足労いただいてもよろしいでしょうか?』
 表まで、って俺の家の前から電話掛けて寄越したのかこいつは?
 
 俺が玄関から出たところ、その場にはスマイル男の古泉だけでなく、不安そうな朝比奈さんと、それとは対照的に冷静そのものといった長門の姿もあった。
「ってことは、またハルヒ関係なのか」
「ええ、詳細は長門さんからお願いします」
 古泉の言葉が終わりきらない内に長門は告げた。
「涼宮ハルヒは現在、この時空間内から消えている」
 へっ? 消えた?
「そう。おそらく偶発的に生成された亜空間につながるゲートを通過してしまったものと推測」
 ……うん? てことは、今回ハルヒはあいつ自身の作り出した閉鎖空間にいるってこととはまた違うってことなのか?
「どうやらそうみたいですね。というのも、僕を含めた我々機関のメンバーの誰もが、閉鎖空間の出現を観測できないのですよ。おそらく長門さんの仰る亜空間に涼宮さんがお一人で迷い込んでしまわれたということかと……おや、どうしました?」
「一人じゃない……多分、ハルヒは俺の妹と一緒にいるはずだ」
「ええっ、い、妹さんもご一緒なんですかぁ?」
 俺は三人に、ハルヒが妹と一緒にシャミセンを探しに外出したことを報告した。
「なるほど、ということであれば、シャミセン氏もその亜空間に同行されていると考えた方が自然ですね」
 同行って言うよりは、シャミセンを追いかけてそのヘンテコな亜空間に紛れ込んじまったってところが妥当な線だろうぜ。やれやれ、まさに『猫はどこに行った?』ってな感じじゃねーか。
「あ、あのぅ、猫さんに関係があるかどうか解らないんですけど、今朝、近所でものすごい数の猫さんたちが一斉に走っていくのを見たんですけど、関係ないですよね、きっと」
「いえ、この際は何が手掛かりになるかも解りませんし、詳細を話していただけますでしょうか」
 古泉に促されるようにおずおずと話し始めた朝比奈さんによれば、何かを追ってなのか、それとも何かに追われていたのかまでは判断が付かないものの、その暴走猫の集団はとある地点で忽然とその姿を消してしまったのだとか。
「しかし朝比奈さん、よくその猫たちを追跡しようと考えましたね」
「いえ、実は……わたしはその猫さんたちに追いかけられて、つられて思わず逃げ出しちゃったら、猫さんたちの進行方向と同じで……で、わたしドジだから転んじゃって、起き上がったら猫さんたち、どこにもいなくなっちゃってたんです……それが、ここ」
 朝比奈さんに案内されて俺たちが辿り着いたのは、何の変哲もない街中だった。目の前にはコンビニとドラッグストアが並んでおり――、待てよ?
「なあ長門、まさかとは思うが、このコンビニの隣の辺に、その亜空間とやらのゲートがあったりしないか?」
 無言で頷く長門。やっぱりビンゴか!
「おやおや、まるで隠されたゲートの位置を最初からご存知みたいではないですか」
 ああ、つい先程ハルヒが夢中になって読んでたマンガがヒントになったってことなだけだがな。で、どんな感じなんだ、長門?
「ゲートの痕跡は確認済み。ただし、現在は閉鎖されている。こちらから開放することは不可能」
「つまり、涼宮さんご一行が、自らこのゲートを開いて脱出されない限り、こちらに戻っては来られないということでしょうか?」
「概ね」
 なんてこった。俺たちの側からはどうしようもないってことなのかよ。
 俺は祈るような気持ちで、そのコンビニとドラッグストアの隙間を見つめ続けていた。
 
 
 ◆◇◆◇◆◇
 
 
 おかしいわ――さっきから同じ道をずっと歩いてるみたいじゃないの、これ?
 電柱の広告も、ブロック塀もレトロな赤ポストも、何から何まで――道に転がってる犬の糞を誰かが踏んじゃってるのまでもう何度も目にしたわ。
 妹ちゃんがシャミセンらしき影を見つけて、それを追いかけてたら、いつの間にかこんなところに紛れ込んじゃってた。一体どういうことかしら?
「ハルにゃーん、なんかおかしいよ、もう帰りたいよ」
 すっかり疲れきった様子の妹ちゃんは今にも泣き出しそうな表情をしてる。
 不安なんだ――うん、それはあたしだって同じ。でも、あたしまで一緒になって怖がっているわけには行かないじゃないの。
 自分の動揺を悟られないように、あたしは妹ちゃんの手をぎゅっと握って声を掛ける。
「大丈夫よ、ちゃんとシャミセンも捕まえて、さっさと一緒に帰りましょう」
 それにしても、この状況って……なんかどこかで見たような覚えがあるんだけど、何だったかしら? イマイチよく思い出せないわね。
 それとも誰かのイタズラ? なにかの陰謀にまんまと引っ掛かっちゃったってことなのかしら? もしそうだとしたら、首謀者はひっ捕らえて北高の中館の屋上から逆さ吊りの刑なんだからね、覚えてらっしゃい!
 
 と、そのとき目の前をなにかが横切ったように見えた。
「ねえ妹ちゃん、今のシャミセンじゃ……って、アレ?」
「もうダメ……疲れちゃったよーハルにゃん」
 目をとろんとさせてぐったりしてしまった妹ちゃんを抱きかかえると、あたしは再度目の前を見据えた。
 うん、何だかわかんないけど、とにかく追いかけてみましょう!
 と、そこで――なにかが今までとは違うことにあたしは気が付いた。
「こんな道、ここにあったかしら?」
 ポストを越えた先には、見覚えのない路地が続いていた。
 あたしは直感した。きっとこの先に出口があるに違いないわ。
 その瞬間、あたしは今日キョンの部屋で読んでいたマンガのことを思い出した。今あたしたちが陥っている状況とほとんど同じ内容――ということは、
 うん、このポストから先は、どんなことがあっても振り向いちゃいけないんだったわね。
 あたしは一旦妹ちゃんを下ろすと、目を開いても後ろを見てしまわないようにハンカチを繋げて作った簡単な目隠しをしてから、また抱き上げた。
 あたし自身は……大丈夫よ、手口はもう割れてるんだし、絶対に後ろを振り向いたりしないわ。
 数歩歩みを進めた段階で、猛烈なプレッシャーを背後に感じた。へえ、なるほど。でもこの程度じゃ、あたしは全然気にしないんだから。
 更に数メートル前進する。途端、ものすごい力で肩を掴まれ、後ろに引き摺り倒されそうになる!
「ふさけんな!」
 あたしはそれを振りほどいて、更に前に進む。でも、その得体の知れないなにかは、あたしの背中にへばりつくようにその身を重ねてくると、耳元にいやらしい息を吹きつけてきた。
「って、くすぐってるつもり? この変態!」
 ちょっとだけ……ちょっとだけ足元が覚束なくなってきてしまう。でも負けないわよ、そんな手には騙されるもんですか!
 更に数歩、何とか前に進むあたし。変態野郎の行為はどんどんエスカレートしてくる始末だった。でも、いくら憤慨したところで今のあたしには抵抗のしようがなかったわ。
 背中を突付かれたりするのはまだ可愛い方で、背後からバストを鷲掴み状態で揉み拉かれたり、ヒップをネチネチと撫で回されたり。やりたい放題じゃないのよ。こいつら、腕が一体何本あるのかしら?
『ハア、ハア、ハア、ハア、……』
 生臭い息が肩越しに浴びせ掛けられ続け、さらに無数の手が次々とあたしの身体をネチネチと弄ぶ。
 挙句の果てに、下着の中にまで手を突っ込まれて……って、なに考えてんのよ、この痴漢変態集団め! いい加減にしなさいっ!
「……くぅっ!」
 ああ、負けない……負けないわ……ヤダ、そんなとこまで触って……悔しい、でも……絶対に、絶対振り向いたりなんかしてやんないんだからっ!
 不意に目の前が明るく開けたような気がした。
「ハルヒ、よく頑張ったな。もう大丈夫だぞ」
「キョン?」
 背後から聞きなれた声――ああ、キョンの声だ!
 思わず振り返ってしまうあたし……って、これは罠だ! あのマンガでもそうだったじゃないの!
 なのにあたしったら、キョンの声がしただけでつい……。
 目の前に迫り来る大量の手、手、手、手!
 そいつらはあたしの腕を、肩を、脚を引っ掴んで、真っ暗な闇の中へと引き摺りこもうと――、
「にゃあ」
 と、その瞬間あたしの顔面に何かモコモコでフワフワした毛だらけの物体がまとわりついた! なにこれ、目の前が全然見えない……、
「ハルヒ!」
 そのとき、あたしの腕が誰かに――いや、この手はきっとキョンだわ――あたしはキョンに思いっきり引っ張られ、そのまま妹ちゃんごと真後ろに引っ繰り返ってしまったの。
 意識を失いそうになりながら、そういえば、犬を連れた少女の幽霊ってのは結局出てこなかったわね、今度ここに来たら忘れずに会ってお話しなくちゃ、なんてバカみたいなことを考えていたんだっけ……。
 
 
 ◆◇◆◇◆◇
 
 
「あ、アレ? ここは――」
「ハルヒ、気が付いたか?」
 俺が声を掛けると、ハルヒは腕の中から飛び出すように起き上がり、
「キョン? なんで、あんた……」
 と、呆然と呟いた。
 次の瞬間、ハルヒは自分の身体をバタバタと探るように一通り触ると、頬を真っ赤にして、
「ねえキョン、あんた――あたしに変なことしてないわよね?」
 などと訊いてきやがった。って、その変なことってのは具体的には一体何だ?
「う、うっさいわね、このエロキョン!」
 だから何故エロキョンになるんだよ?
「知らないわよ、バカ! ていうか、さっきは変なヤツに襲われかけて……そういえばあいつら、どこに行っちゃったのかしら?」
「全く、寝ぼけるのもいい加減にしろよな。こんな街中で妹と二人して居眠りしやがって。どうせ変な夢でも見たとか、そんなところなんじゃないのか?」
「そんな、さっきのが――夢? って、それより妹ちゃんは? それに、シャミセンは?」
 俺はそのまま背後を振り向く。その先には朝比奈さんに負ぶさっている妹と、シャミセンを抱き上げている長門がいる。
「なによもう……一体……」
 ハルヒはいまだに自分の置かれている状況を把握しきれずに、しばらくの間呆然としていたようであった。
 
 それにしても、あのとき長門が「ゲートが開いた」と呟いた直後、もの凄く大量の猫が何もない空中から溢れ出てきたのには俺も正直ビックリしたね。
「しかし、さすがはシャミセン氏ですね。とっさに涼宮さんの顔面に張り付いて、その視界を遮ることに成功するとは思っても見ませんでした」
 後から聞いた長門の説明によれば、あそこでハルヒが彼方を見たままの状態だったら、俺が手を差し伸べたところでハルヒをこちらの世界に取り戻すことはどうやら不可能だったらしい。
 しかし、どういう理屈なのかはさっぱり解らんが、あまりそれを気にするのもどうかと思う。まあ結果よければ全てよし、ってね。
「さて、これから如何いたしましょうか? 僕たちはこれで撤収しようかと思うのですが……」
 って、何だよその曰くありげな目線は?
 
 
 結局朝比奈さん、長門それに古泉の三者とはその場で別れ、俺は妹を背負い、ハルヒはシャミセンを腕に抱えて、俺の家まで戻ることになった。
 帰宅した折には辺りはもうすっかり暗くなっていて、妹の強烈なリクエストもあってハルヒは我が家に一泊することになった。って、お前その荷物、泊まる気満々だったのか?
「だって、あんたのご両親は留守だったんでしょ? 妹ちゃんが可哀想じゃないの」
 
 その晩、妹は始終ハルヒにべったりで、一緒に風呂に入るだとか、挙句は一緒に寝るんだと言って聞かなかったのだ。
 ところでハルヒ、今日はもう、俺の家庭教師ってのは……まあ、無理そうだな。
「ああ、ごめんねキョン。この借りはあとできっと十倍にして返してあげるから、覚えてなさい」
 ううむ、その申し出はありがたいのやら、ありがたくないのやら……。
 
 
 ◆◇◆◇◆◇
 
 
「それじゃあ妹ちゃん、一緒に寝ましょう」
「わーい、ハルにゃん、温かくて気持ちいい」
「って、もう、妹ちゃんったら、甘えんぼさんね」
「ねえハルにゃん?」
「なに?」
「あたし、キョンくんに抱っこされるのもいいけど、ハルにゃんにされるのも大好きだよ。ねえ……ハルにゃんは、あたしのお義姉ちゃんになってくれる?」
 えっ? ちょ、ちょっと妹ちゃん、それって……。
「キョンくんはああみえてもかっこいいよ。それにハルにゃんもかっこいいんだし。だからきっと二人ともお似合いだよー」
 キョンが――かっこいい? そっか、うん。そうかもね。確かに今日……最後にあたしを思いっきり引っ張ってくれたのは、あいつだったんだし。
「あれー、ハルにゃん、さっきからお顔が真っ赤だよ」
「ええっ、嘘? って、こんなに暗いとわかるはずないじゃないの、もう!」
「てへっ♪」
 
 
 ◆◇◆◇◆◇
 
 
 しかし、あいつら――何で俺のベッドで寝なきゃならんのだ? 妹の部屋で寝ればいいだろ。つーか、俺はどこで寝ればいいんだよ、なあシャミセン?
「にゃあ」