概要
作品名 | 作者 | 発表日 | 保管日 |
Hold me tight | 77-229氏 | 08/01/20 | 08/01/20 |
作品
ある日の放課後。
憂鬱な授業も終わり、極楽気分でいつものように部室に向かう途中、俺は見覚えのある後姿に遭遇した。
「よう。どうしたんだ、長門」
ダンボール箱を抱えたまま、長門は俺の方に振り返ると、例によって淡々とした口調で返答した。
「コピー用紙の束。涼宮ハルヒに頼まれた」
ハルヒめ、また何か変なことを思いついたんではあるまいな、と、つい溜息を吐く俺である。
しかし、そんなに大量の新品コピー用紙、どこで調達したんだ?
「印刷室。廃棄予定の書類表面の顔料を除去して再利用した。同時にダメージを受けた紙繊維を補強するため、分子レベルでの初期化再構成を実行……」
あー、長門。解ってるとは思うけど、情報操作だとかは、その、程々にな。
「了解した」
やれやれ。しかし、ある意味究極のリサイクルだな。昨今、再生紙の偽装が発覚したとか世間では騒いでたみたいだが、長門によって処理されたこの紙ってのは、果たして古紙というものに分類されるんだろうかね。
しかし、紙というものは案外重いものだ。一見華奢な女の子が、ダンボール箱一杯の紙束を運んでいるという図を見て、手伝おうという気にならない男子がいるだろうか?いや、いない(反語)。
「なあ、長門。重たいだろ。俺が代わりに運んでやるよ」
「平気」
「まあ、そう言うなって」
そういうと俺は、半ば無理矢理に長門からダンボールを受け取る。って、長門の表情につい油断してしまったんだが、正直、これは結構重いぞ。危うく腰を痛めるところだった。
「大丈夫?」
「あ、ああ。この位どうってことないぜ。はは、あははははは」
心配そうな長門に、俺はひたすら誤魔化しの笑いを続けた。
全く、忘れてたよ。重力をどうにかすることなんて、こいつにかかれば朝飯前ってことをな。
だが、先程長門に情報操作云々を自粛するよう促した手前、この大荷物を何とかしてくれ、とは言い出せない俺なのであった。合掌。
と、長門は踵を返してどこかに向かう。何だ、部室に行くんじゃないのか?
「まだ残りが存在」
といって、指を二本立ててみせる長門。何だ、あと二箱もあるのか。そうか。じゃあ、待っててくれ。俺も手伝うから。
「わかった。待っている」
そう言って多分印刷室に向かう長門を見送ると、俺は気を取り直して部室へと足を進めた。
さて、今度は何をおっ始めるんだろうな。まあ、ハルヒと一緒にいれば、退屈とは無縁でいられることには間違いないさ。って、なんだかんだ言って、すっかり俺も毒されてしまったようだね、全く。
さて、程なく部室前に到着。ドアが半分開いていて、何やら中からガサゴソと物音が聞こえる。
まあ、ドアが閉まっていないということは、朝比奈さんが着替え中である可能性は低い。
いやいや、あの迂闊な先輩は、たまに俺の想像の斜め上を遥かに超えた行動(といってもハルヒのそれとは異なって全く人畜無害なんだが)をとることもあるし。
いや、まあ大丈夫さ、両手も塞がっているんだし、ノックできないよな。でも声ぐらいは掛けるべきだろ、常識的に考えて。
とか思いながらも、結局俺はそのまま何も言わずに室内に踏み込んだのであった。
ああ、皆さんのご期待に添えなくて残念だ。中にいたのはハルヒ一人だけ、である。
「よっこらせ、っと。……ん、ハルヒ。お前何やってるんだ?」
ハルヒはパイプ椅子の上に立って、本棚の上を何やら探し物でもしている様子だ。
「あら、キョン。それって、有希に頼んでたコピー用紙じゃない。へえ、代わりに運んでくれたのね、感心、感心。どうやらあんたも、雑用としての自覚が出てきたみたいね。まあ、でもまだあたしから見れば全然ダメダメなんだけどね」
何だそりゃ、褒めているんだか貶しているんだかさっぱり解らんぞ。で、俺の質問は無視かよ、このアマ。
まあ、それを知ったところで、この先の俺の運命が変化するとも思えない。あらかじめ何を知っていたところで、ハルヒに振り回されて俺が散々な目にあうのは決定事項見たいなモンだからな。
ハルヒはそんな俺の方に目もくれようとせず、夢中になってガラクタの山を漁り続けている。って言うか、お前、いつの間に部室内をこんなカオスな品々で埋め尽くしていたんだ?
いつぞや古泉が言っていた、部室内が異空間化しているというアレ、実はハルヒが持ち込んだ数々の怪しげなシロモノのせいだ、なんて可能性も大いにありだ、とか思わせられてしまう。
「――おかしいわね。確か、この辺にあったはずなんだけど……あっちの箱の中だったかしら」
そう言って、爪先立ちになって身を乗り出すハルヒ。重心が明らかに椅子部分からはみ出しており、見るからに危なっかしい。
「おい、ハルヒ。無理しないで、もっと椅子を近くに寄せたらどうなんだ」
俺はそう声を掛けて近付く。と同時に、パイプ椅子が斜めに傾き、バランスを崩すハルヒ。
「きゃあああああ」
「!」
パイプ椅子のひっくり返る音。
間一髪、落下するハルヒに駆け寄る俺。だが、正面に回り込もうとしたせいで無理な姿勢をとらざるを得なかったため、俺は二人分の体重を支えきれずに、まともに背中から床に激突した。
「ぐはっ!」
一瞬呼吸が止まる程の衝撃。だが、どうやらかろうじて俺はハルヒの身体を上手く受け止めることができたみたいだ。
「キョン……」
「ハルヒ――大丈夫か?」
「うん、あたしは――」
そう言いかけて、ハルヒは何故か絶句してしまった。どこか打ったりしたのだろうか?
「ねえ、キョン……」
少し困ったような、あるいはまるで何かに怯えているような微妙な表情のハルヒ。こういうのもレア顔って言うんだろうか、とかマヌケなことをつい俺は考えてしまう。
「――お願い」
お願いとはまた、お前らしからん言葉じゃないか。俺は今まで命令されたことはあっても何かをお願いされたことはなかった気がするぞ。
「じゃあ――命令」
って何か妙に潤んだ目をしてませんか、ハルヒさん。そういった、ウルウルした瞳で『お願い(ハートマーク)』なんてのは、朝比奈さんの超必殺最終奥義スーパーコンボだろう、誰が考えてみても。
と、妙にらしくない尽くしのハルヒを目の当たりにして、マヌケなモノローグを脳内に展開させていた俺は、続けて発せられた言葉を聞き逃してしまっていた。
「……しなさい」
はあ、俺に何をしろと?
ハルヒは何故か耳まで顔を真っ赤に染めて、ゴニョゴニョと呟いていたのだ。って何だ、この反応は。
「スマン……よく聞こえなかったんだが、もう一回、言ってくれないか」
ハルヒは困ったような表情で俺を見つめながら、口元をピクピク動かしている。
「いいから……」
いい、って何だか顔が近過ぎるんじゃないか、ハルヒ。古泉の真似なんて、一体どういうつもりだ。
密着状態のハルヒは、こいつらしからぬ恥じらいっぷりで、モジモジそわそわとしている。あのな、お前、俺に一体ナニをして欲しいんだ?
と微妙な空気が室内を充填したその時。
「……いいから、さっさとその両手を離『しなさい』、このアホキョン!」
と、大声ではないものの、ハルヒは力のこもった声で俺にハッキリ告げた。
離す?何を?
と、そこで初めて俺も気が付いた。ハルヒを受け止めた拍子に、あろうことか俺の両手が、ハルヒの胸の二つのふくらみをしっかりとキャッチしていた、という事実を。
「うぉ、す、すまんハルヒ!」
だが、慌ててしまったせいで、離すどころか逆に力が入ってしまい、俺の意に反して両手は、掌の中の嬉し恥ずかし柔らかパーツに、その指を思い切り食い込ませていたのだった。
「あっ――!」
「バカー、ふざけんなー!調子に乗ってなにしてんのよ、このエロエロキョン!」
と、間の悪いことにその瞬間、ドアが開いて我らの上級天使、朝比奈さんがご登場だ。
「すみませーん、遅くなりました。…………ふぇ?」
空気が、死んだ。
えーと、冷静に考えろ。朝比奈さんが今目撃しているのは、俺に馬乗り状態のハルヒと、その両胸をガッチリと鷲掴みにしている俺、という図であり、即ち――
「ひょえぇぇぇ!ご、ご、ごめんなさーい!わ、わたし、な、な、な、なにも見てませーん!」
見てません、と言いつつも、両手で顔を覆った、その指の隙間からこちらをガン見して真っ赤になってしまった朝比奈さんであった。
「あ、朝比奈さん、誤解です。これは――」
「いいから、さっさとその手を離しなさい、このアホンダラゲ!」
弁解しようとする俺の肩を掴んで、床に叩きつけるハルヒ。鈍い音が響く。
「きゅー……」
「あれっ?」
「ふぇっ、キョンくん?」
俺の全身力が抜け、両手の縛めから開放されるハルヒの胸。ああ、よかったな。
と、思い切り脳震盪を起こした俺の意識はそこで消失したらしい。だから、
「あ、あの、みくるちゃん。こ、これは……その」
と、弁明しようとするハルヒのセリフとか
「あ、あ、あのっ……わ、わたし、誰か助けを呼んできますから」
と言って部屋の外に飛び出した朝比奈さんと、丁度そこに到着した古泉との間で、
「ふぇ、こ、古泉くん、大変です。す、涼宮さんがキョンくんに馬乗りで、キョ、キョ、キョンくんが昇天しちゃいましたぁ!」
「ほほう、それはそれは実におめでたいことですね。邪魔になってもいけませんし、僕たちは退散した方がよろしいかと」
などというやり取りがあったとかいう事なんて、俺の知ったことではなかったのさ。
ああ、明日という日が来るのが、心底恐怖だな。何を言われることになるのやら。やれやれ。
どの位時間が経ったのだろうか。
目を覚ました俺は、床の上でマヌケに倒れたままだった。と、額に触れる手の感触――しゃがみ込んだハルヒが、心配そうな表情で俺の方に手を伸ばしていた。
「あ、キョン。気が付いた?」
「ハルヒ?」
「大丈夫?ちゃんと動ける?」
そう言われて起き上がろうとするが、体の自由が利かない。
そんな俺を見て、ハルヒは不安そうに声を掛けてくる。
「ごめんね、キョン。……あんた、あたしを助けようとして……。でも、あたし――」
ああ、不可抗力とはいえ、あんなことを俺はしてしまったんだ。お前の反応も当然だろう。まあその、あんまり気にするな。
「キョン、あたしのこと――怒ってないの?」
ああ、怒ってなんかないぞ。
「……嘘」
嘘?俺が?嘘なんかついてどうするんだ。
「…………だって、キョン、あたしの方、向いてもくれないじゃないの」
いや、まあ、なんだ、その。そっちを向くと、ハルヒのスカートの中の白いものが目に入ってしまうからであって、決して俺は怒ってなんか――
「バカー!」
そう叫んでハルヒは俺のネクタイを引っ掴むと、勢いよく立ち上がる。首が絞まりそうだったが、その拍子に俺も立ち上がることが出来た。
「なによ、あんた。真面目に心配しちゃったあたしがアホみたいじゃないの」
心配?
俺はそこで思い当たった。またしても俺は、ハルヒの目の前で、頭を打って意識を失っていたのだということに。
なんてことだ。
ついこの前、もうハルヒには心配をかけない、って自分に誓ったばかりだと言うのに。自分のヘタレ具合が自分でも情けなくて、俺の感情は暴走寸前だった。
「すまん、ハルヒ」
動揺の余り、俺はいつの間にか、自分の両腕の中にハルヒの身体を捕らえていた。気のせいか、前がよく見えない。それになんだ、この頬を伝う感触は?
「キョン、もしかして、あんた泣いて――」
ハルヒはそこで言葉を切ったまま、特に抵抗する様子もなく、俺にされるがままになっていた。
「あ、すまん、ハルヒ」
やがて、我に返った俺が身体を離そうとすると、ハルヒはそれを制するようにこう言った。
「何よ、キョン。さっきから謝ってばっかりじゃないの。そんなにあたしに申し訳ないって思ってるんなら、一つだけ、あたしのいう通りにしなさい」
ああ、俺に出来ることなら何でもするさ。
「それじゃ――もうちょっと、このままにしててもらえるかしら」
そう言って、ハルヒは自身の腕を俺の腰にまわし、こちらにその体重を預けてきた。
「ハルヒ?」
「何も言わないで。……そうね、あと五分――こうしててくれたらいいわ」
ハルヒの言葉に甘えて、俺はもうしばらくそうさせてもらうことにした。自分の鼓動以外のもう一つのパルスをその身に受けて、それでいて不思議と心が穏やかさを取り戻していくのが解る。
夕焼けの紅に染まる部室内で、静止したままの二つの人影。
どのくらいそうしていたか、とか、その後何が俺たちの間に起こったかなんて、俺の口からは語ることができない。まあでも、少なくとも五分なんて時間内に収まったりはしなかった、とだけは伝えておくことにしよう。
場所は変わって、印刷室内。
そこには、二十箱ほどのダンボールに取り囲まれた状態で、
「それでも彼なら、彼ならきっとなんとか来てくれる…………」
と、呪文のように呟きつつ、全く本の中身に集中できていない様子で読書しながら、ひたすら待ち続ける長門の姿があったそうだ。
なんというか、その、すまん、長門。
- カミ様はご存知へ続く