『あ〜ん』 (76-283)

Last-modified: 2009-04-08 (水) 23:17:00

概要

作品名作者発表日保管日
『あ~ん』76-283氏08/01/1108/01/12

作品

 地球温暖化だとか二酸化炭素の排出量がどうとか、小難しい話はさっぱり解らんのだが、この冬もいわゆる暖冬ってやつなのだろうかね?まあ要するに、冬といえば何かこう、もっと寒いようなイメージを俺は持っていたのだ。
 ガキの頃の話だが、水溜りに張った氷をわざと踏んで割ったりとか、霜柱に足跡を如何に綺麗に残すかとか、そういったくだらないことをしていた俺にとって、最近は氷が張るのもめったに見ないし、それが少々寂しいような気もする。
 とは言ったものの、それなりにとはいえ冬の朝の気温が寒いことは今更いうまでもないことであり、また必然的に、自分の体温を蓄積した布団の中というものがどれほど快適であるかということも、説明不要であることは皆さんもご理解いただけるものと思う。
 何の根拠もない『あと五分』の延長を誰に対して幾度繰り返したのだろうか。そういえば妹の奴の布団剥ぎプラス脇腹コチョコチョくすぐり攻撃が今朝はまだ来ないな、とか暢気に考えていた俺は。そこで我に返った。
 あいつ、昨日から熱出して寝込んでたじゃないか!うちの母親も妹の看病にかかりきりで、きっと俺のことなんか放置プレーを決め込んでいるに違いない。
 慌てて役立たずの目覚まし時計をみる。ヤバイ、もうこんな時間かよ。
 洗面所に駆け込んで、鏡の中のマヌケ面とご対面。案の定、頭、もとい髪が爆発状態。
 ちくしょう、ただでさえ急ぐってのに、寝グセ処理などという余計なことでタイムロスとは、一体何の冗談なんだろう。責任者出て来い。って、俺か。
 結局、その日俺は、朝飯どころか昼の弁当を持っていくのまで忘れて家を飛び出す羽目になったのは言うまでもない。全く、月曜日からこんなことでは先が思いやられるというもんだ。やれやれ。
 
 曲がり角で食パンをくわえた美少女転校生にぶつかる、なんてベタなことも起こらず、俺は普段の三割増しで自転車を駆っていた。
 駐輪場からは自らの足でいつもの坂道をダッシュしなければならない。それだけでも気が重いのに、俺は今朝方の夢を思い出してしまい、余計にダメージを受けていた。
 アレは何だったんだ一体。
 
 
 ハルヒの奴が、黄色リボンのポニーテールに男物のワイシャツとライトブルーのエプロンのみ、なんて格好で、幸せそうに微笑みながら正面から俺に向かって卵焼きをお箸で「はい、キョン。あ~ん」なんてことをしている夢を、どうして俺は見ちまったんだろうな。
 
 
 ホームルームには間に合わないかもしれないが、一限は大丈夫だろう、という辺りまで来て、俺は駆け足をやめた。息が荒い。しんどい。全く、体力無さ過ぎだぞ、俺。今からこんなことでは、先が思いやられるというものだ。
 坂を上りながら、俺は、つい油断すると脳内に浮かび上がる、夢の中のハルヒの艶かしい姿態を、根本から処理するために、自分の夢分析らしきことを無理矢理実行することにした。
 まずもって、夢ということなので、当然俺は睡眠中だ。そこにハルヒがあのような刺激的な姿で現れ、俺に食事をさせた。
 人間の三大欲求といえば、食欲と性欲と睡眠欲だ。俺はそれを一度に満たそうとしていたとでも言うのだろうか。なんて欲張り者なんだ、俺。
 しかし、そもそも、何故ハルヒなんだ?深層意識の奥底では、俺は将来的にハルヒとあのような関係になるということを望んでいるってことなのか?
 
 ――思考中断。自分自身でトドメかよ。
 
 いかん、ドツボに嵌ってしまう。ここはアレだ。夢を見るのは人間の記憶処理の過程が云々だとかいう奴。それで考えることにする。うん、それがいい。決定。
 となれば、土曜日の不思議探索市内パトロールだ。俺が最後にハルヒの顔を拝んだのもその日だし、古泉の奴と柄にも無く真剣に話をしたあの日のことを、俺は回想した。
 ………
 ……
 …
 
 その日、例によって俺が最後に集合場所に到着し、みんなに奢らなければならなくなった、とかは毎回恒例のことなので省略させていただく。
 それでだ、問題はなんでまた休日の午前中からこのニヤケ野郎とつるむことになってしまったんだろうか、ということだ。憂鬱ゲージがMAXレベルを振り切りそうだ。
「まあまあ、たまにはこういうのもいいんじゃないですか。僕の方でも、少々あなたにお話したいことがありましたので」
 やれやれ。俺はわざとこいつの前で盛大に溜息を吐いて見せる。言っておくが、俺には話することなんぞ粉微塵程度も無いぞ。
 ハルヒがらみのことメインなのかと予想していた俺だったのだが、古泉の奴の振ってきた話題は、話の端々にハルヒのことは出てくるものの、一般的かつ多岐に亘るものだった。
 量的に少々なんてものじゃなかった、ってところが俺の想像通りだったぐらいだがな。
 まあ、退屈か、といえば、そうとも言い切れなかった。古泉の語る『理想の女性像』というのは中々に新鮮なものがあった。ただ俺の口から語るにはそれは恥ずかし過ぎるというものなので、詳細は皆のご想像にお任せすることにさせていただこう。
 
「――では、あなたの場合はどうでしょうか。外見よりも性格重視、とのことですが、それでいて、性格は実際に付き合ってみなければ解らない、とまで仰る。だとすると、あなたに恋心を抱く女性は、一体どのようにアプローチをかければよいのでしょうか?」
 そんなこと言われてもな。だから、実際に付き合って見なければ解らんし、そうするしかないんじゃないか。もっとも俺にはそんな機会がしばらく訪れる気配なんてありそうにないし、考えるだけ無駄な気がするね。
「ですが、その場合彼女が自分の性格を改めなければならないことに気付くのは、あなたに愛想を尽かされてから、ということにもなりかねません。結果的にそれでは手遅れというものではないでしょうか」
 確かに、それも一理あるな。でも、それ以前に俺の方が相手から愛想を尽かされかねんな、とか思うのは被害妄想とでも言うべきものだろうか。
「そこで問題です。あなたに見捨てられないようにしたいと願う『彼女』は、一体どのようにすればよいのでしょうか?」
 見捨てる、って何か俺が酷い奴みたいじゃないか、その言い草は。
「それは申し訳ありませんでした。でも――そうですね、何かもう一点、あなたに対してのアピール・ポイントはないものでしょうか」
 何かアピール・ポイントね。ふーむ。
「――『料理が得意』――なんてのはアリかもな」
 つい俺はそう口走っていた。
 まあ、俺も美味い料理にありつくことが出来るというのは幸せなことであると思う。それに、何かで読んだんだっけな、男なんてのは食いしん坊なんだから、心をキャッチしたいのならまず胃袋をキャッチしろ、だとかそういう格言めいたなものをな。
「なるほど、『心をキャッチしたければまず胃袋を』ですか。中々の至言ですね。あなたからそのように言われると、とてつもなく説得力がありますよ」
 そういって妙に納得顔の古泉。俺はそんなに大層なこと言ってない気がするんだが。
「いえいえ、いつもながら、大変参考になります。……さて、また話は変わるのですが――」
 一体何の参考にするものやら。とか思いながら、俺も古泉の奴の話に散々付き合わされてしまったのだった。
 
 だが、今思えば古泉の奴の『計画通り』だったのではないだろうか。全く、大した策士っぷりだぜ。
 いつしか俺は、乗せられてしまったのだろうか、言わなくてもいいことまでベラベラ喋っていた気がしてならない。
 
 ちなみに午後の組分けは、ハルヒは古泉と、俺は朝比奈さんと長門。先程から比較すれば実に平和で有意義な時間だった。
 相変わらず朝比奈さんは長門のことを妙に気にしているようだったが、それでもこの日は長門にしては口数は多かった方で(もちろん一言一言が短いのはいうまでもないが)二人のやり取りを眺めながら俺は大いに心癒されていたのだった。
 
 そういえば、駅前で解散するときにハルヒの奴が、朝比奈さんと長門を捕まえて、なにやら作戦会議のようなことをしていたな。どうも明日即ち日曜日に三人で行動するらしい。
 嬉しそうに笑うハルヒをみて、俺にもその元気を少し分けて欲しい、とか思ってしまったりしたのはここだけの話だ。
 
 …
 ……
 ………
 
 と、なるほど。
 キーワードは『理想の女性像』とか『料理が得意』という辺りだろうか。その辺のことを記憶整理している俺の脳が、あんなトンチキな夢を見せたに違いない。――ハルヒが出てきたのは――解散間際の笑顔を俺が必要以上に意識してしまったせいだろう。
 以上、分析お終い。と同時に、丁度俺も校門にたどり着いたところだ。
 そういえば、消防車らしき赤い車体が数台校内に入って来ているな。何かあったんだろうか、と暢気に考えながら、既に朝のホームルームが始まっているだろう教室を目指したのだった。
 
 ホームルーム中にしては妙に騒がしい教室に入った俺を出迎えたのは、
「キョン!」
 というハルヒの絶叫だった。
 
 一瞬にして沈黙する教室内。
 
 クラス中の注目を集めながら、俺は窓際の自分の席に向かう。何なんだろう、この雰囲気は。ハルヒの奴も呆然と立ち尽くしたまま、俺の方を――って何だ、その表情は?
「おい、ハルヒ。どうかしたのか?」
 今にも泣き出しそうな、それも悲しみとかではなくて、張り詰めていた緊張の糸が切れて感極まった、とでも言ったらいいのだろうか、その、安堵の色も少し滲ませたような実に微妙な表情は、俺が声を掛けた時点であっさり消失してしまった。
「……ふん。何でもないわよ」
 そういってそっぽを向いて腰を下ろすハルヒ。と、同時に皆のヒソヒソ声が耳に突き刺さる。俺、何か悪いことしたのか?
「別に。ただ――遅刻するんなら遅刻だってハッキリしなさいよ。今日、あんた休みなんじゃないかと思ったじゃないの」
 休みなら担任に届けがあるだろ、って、そういえば岡部の姿が見当たらないな。何かあったのか?
「さあ。なんでも今朝早く学食でボヤ騒ぎがあったみたいよ。教師共もバタバタしてたみたいだし、あの『ボール』も多分そうなんじゃないの」
 ついにハルヒにとっては我らが担任岡部教師はハンドボールバカからただのボールと化してしまったらしい。何というか気の毒だ。主にハンドボールの方が。
 しかし、岡部が来てないというのは遅刻した俺にとってはラッキーだったかも知れん。
「ところでキョン、あんた今日、お弁当持ってきてるの?」
 唐突にハルヒが俺に訊いてくる。ははあ、こいつ、学食がボヤ騒ぎで使えないだろうということで、俺の弁当を取り上げようって魂胆なのだろう。だが、そうは問屋がおろさないぜ。
「残念ながら、忘れちまってな。今日は持ってきていないぞ」
 俺の返事を意に介する様子もないハルヒは、
「あら、それは残念じゃなくて好都合ってモンよ。いい、キョン。今日の昼休みはSOS団緊急ミーティングを行うから、すぐに部室に来なさいよ。……そうそう、あんた暇そうだし、古泉くんも呼んできてちょうだい。いいわね!」
 と、バッサリ宣言したのだった。好都合、って俺の都合のことなんぞ、こいつは数ピコグラム程も考えていないんだろうな、とか考えるだけ最早無駄と言うものなのだろう、といい加減悟ってしまう自分が可哀想になってきた。
 へいへい。了解しましたとも、団長様。暇を持て余してしょうがないこの哀れな雑用係に何なりとありがたい命令を御申し付けくださりやがればいいのさ、コンチクショウ。
 
 しかし、そうなると売店にパンを買いに行ったりとかしてる暇もなさそうだな。まさか、ひょっとして今日俺は晩御飯の時間まで飯抜きなのか。これはちょっとした拷問じゃないのか、おい?
 軽く絶望した俺は、午前中の授業全てを机に突っ伏して終えることにしたのだった。コンピュータだって電源が不安定になれば暴走するだろうに、エネルギー不足の俺に真面目に授業を受けるなんて、不可能以外の何モノでもない。
 なお、これは余談なんだが、そのときの授業内容は、ノートを取っていなかったにもかかわらず、何故か試験の時点で完璧に思い出すことが出来た。全く、人間の記憶の仕組みとやらは、俺なんぞの想像を遥かに超えたものだと実感させられたね。
 
 ああ、それにしても、腹減ったな。
 
 というわけで昼休み、俺は古泉を呼びに九組へと向かっている。と、途中の廊下で古泉を発見。まるで待ち伏せでもしていたみたいである。
「何だ、まるで俺が呼びにいくのを知ってたみたいじゃないか。まさか、予知能力にでも目覚めたとか言い出すんじゃないだろうな」
 例によってニコニコスマイルの古泉は両手を広げていつものポーズだ。
「残念ながら、そのようなことは僕の身にはまだ起こっていないようです。……僕の方も、あなたに訊きたいことがありましたので」
 野郎二人して並んで部室に向かう、というのはシチュエーション的に嬉しくもなんともない。そんなアホなことを考えている俺に、古泉は小声でこう尋ねた。
「実は、今朝の一限が始まる前ぐらいにですが、閉鎖空間が発生しました。――ええ、何故かすぐに消えてしまったのですが、あなたは何かご存知ではありませんか?」
 さてな。俺は今朝遅刻気味だったからよく解らんが、そういえばハルヒは俺が着いたとき、ちょっとおかしかったというか、動揺してたかもな。すぐにいつも通りに戻っちまったんだが。
「なるほど。大体のことは解りました。――これは僕の想像ですが、涼宮さんは、今日あなたがお休みなのではないかと不安になったのでしょうね。で、その不安はあなたが現れたことで解消された、と」
 不安ね。それはこの緊急ミーティングとやらに関係があるとでもいうのか?
「さて――それも、僕の勘ではすぐに明らかになると思っているのですけど」
 そんなことを古泉と話しているうちに、旧館三階の部室前に到着だ。
 ノックする。朝比奈さんの「はあ~い」という返事に、俺たちはドアを開けて足を踏み入れる。
 
 果たして、そこに存在したのはパラダイスあるいは桃源郷と呼んでも差し支えのない光景だった。
 ハルヒ、朝比奈さん、そして長門がお出迎えの部室内にて、机の上に広げられた重箱やバスケットには、おにぎりやサンドイッチ、多種多様なおかずの数々、豪勢なデザート類が鎮座ましましていたのだ。
「おい、ハルヒ。これは一体……」
 俺の疑問にハルヒは得意満面といった笑みで、
「どう、キョン?中々のものでしょ。実は昨日、有希の家でみくるちゃんと三人でお料理大会を実施したんだけど、材料いっぱい買い過ぎて勿体無かったから、どうせなら今日のみんなのお昼ご飯にしましょう、ってことになったのよ」
 と答えた。朝比奈さんはどことなく照れ臭そうではあるものの嬉しそうに笑っている。長門も表情は大体普段通りなのだが、なんとなくその瞳が歓喜に満ちた光をたたえているのは俺の気のせいではあるまい。
「さあ、みんな揃ったことだし、早速食べましょう。――キョン、お腹が空いてるからってがっついたりしないで、ちゃんとあたしたちに感謝しながら、味わって食べなさいよ。ああ、古泉くんは遠慮することはないわ。どんどん食べてね」
 相変わらず一言多い奴だ。俺の食べ方を気にする前に、まず自分のことを考えろ。一番ガツガツしてるのはお前だ。
 まあ、そんなことはとりあえず脇に置いておいて、空腹の極みにあった俺も、これ幸いとご相伴に預かることにするか。
 と、古泉の奴が意味ありげな目線を俺によこす。何だ、気持ち悪い。
「その『ご相伴』という表現もどうかと思いまして。材料の買い過ぎ云々は後付の理屈であって、どう考えてもこの料理は、御三方があなたをもてなすために用意されたものです。となれば主賓はあなたであり『ご相伴に預かる』のはむしろ僕の方ではないかと」
 勝手に言ってろ。
 古泉の言葉を無視してサンドイッチに手を伸ばす俺。ふと見ると、朝比奈さんが心配そうにこちらを見ている。
 ははあ、となればこれは朝比奈さんお手製のものだな。以前もこんなことがあった気がする。まあ、それこそ安心して頂けるというものだ。――うむ、予想にたがわぬ美味しさだ。
 だが、朝比奈さんの反応を見ていて解ったのは、どの一品も必ず三人で手がけているらしいことだ。俺が同じおかずを取った場合でも、ハルヒや長門をの方をチラチラ見ている。
 その度にハルヒや長門も、俺の箸の上げ下ろしを見つめ続けている。何だこの反応は。
 そこで初めてピンときた。土曜日の古泉との話で俺が『料理が得意』なのはアリ、と言う話をしたことを。
 さては古泉、お前土曜の午後に何かハルヒに吹き込んだな?
「さて、僕はあなたとの話を掻い摘んで説明させていただいたまでのことです。もっとも、ここまでの迅速な行動は予想していませんでした。さすがは涼宮さんですね」
 やれやれ、三人の内で誰の料理が一番か勝負よ、とか、どうせそんなところだろう。しかし、なんでまた俺に審査員役なんかをさせようとか思い付いたんだ?よく解らんな、全く。
 
 まあ、気になることが全くないわけではないものの、SOS団の誇る三人娘お手製の豪華料理である。この世の中で、お金では買えないものの一つに、『この三人の手料理を食べることのできる権利』というものが加えられた、と俺は声を大にして主張したい。
 そんなことを脳内に展開しながら、次々とおかず類を口にする俺である。しかもその一つ一つがどれも絶品なのだった。いくつか列挙してみると――、
・定番としてこれは外せないであろうタコさんウインナー。しかも全て八本足。
・塩加減ばっちり、皮の焦げ目も香ばしい焼き鮭の切り身。
・適度にスパイシーかつジューシーな唐揚げ。
・冷めていてもサクサクの具沢山な春巻。
・トロけそうなほど柔らかで、かといって煮崩れもせずに形をしっかり保ったロールキャベツ。
・簡単そうに見えて案外手の込んでいるアスパラと茸のベーコン巻。
・純朴だが、家庭的な味わいのある筑前煮。
・彩りも鮮やかな温野菜サラダ。自家製マヨネーズの出来栄えも完璧と言っていい。
 他にもエクセレントな一品が選り取り見取りの盛り沢山なのだが、これらを全て紹介していては時間が足りない、というか急いで食べても昼休み中に食べ切れるかどうかも危うい程なので、涎、じゃなかった、涙を呑んで割愛させていただく。
 ああ、当然主食の方も米の炊き具合とかサンドイッチの下準備まで究極の至高モノであることは言うまでもない。これに加えて豪華絢爛煌びやかなデザートが待ち受けているのである。期待するなという方が無理ってもんだ。
 古泉の奴も、いつもの薀蓄を垂れ流すでもなく、無心に舌鼓を打っている。美しい芸術や旨い食べ物は人を無口にするというが、それは俺も右に同じなのだった。
 と、すっかり油断していた俺は、箸を延ばした先にある厚焼き卵をみて、しばしフリーズしてしまった。
 不意に今朝方の夢のハルヒのことがフラッシュ・バックする。俺の煩悩を反映したらしい格好のハルヒの差し出す箸の先にあったのは、『卵焼き』だったではないか。
 躊躇っている俺をよそに、その厚焼き卵を掻っ攫うハルヒ。固まったままの俺。
「へっへーん、いっただき!早い者勝ちよ。ボーっとしてるキョンが悪いんだから――って、キョン、ちょっと、どうしたの?」
 俺は応えることもできず、ただただマヌケにハルヒの方を見るばかりだった。
「なによ、もう。横取りされたぐらいでそんなに惨めな顔しないでよね。……そんなに卵焼き欲しいんなら、あたしがちゃんと取ってあげるから」
 といって、残っていた卵焼きの一片を取ったハルヒは、
「ほら、キョン。さっさと口を開けなさい。はい、『あ~ん』」
 と箸を構えたではないか。
 偶然にしても出来過ぎだろう、といったこの状況に、俺の顎はカクンと音を立てんばかりに落下する。
 ――と。
「!」
「ストライーク!我ながら、ナイス・コントロールね」
 ハルヒの奴が、開いた俺の口の中に卵焼きを放り込んだのだった。
 何がなんだか解らず丸呑みしてしまう俺。それに追い討ちをかけるかのように、
「どう、キョン?あんたって卵焼きは甘いのが好きだったっけ?それとも違った?」
 と、夢の中と寸分違わぬセリフを発するハルヒ。それを思い出させられ、混乱していたのだろう俺は、自分で墓穴を掘るようなことを言ってしまった。
「スマン。今のは飲み込んでしまったから味がよく解らなかった。もう一個取ってくれないか」
 って、またハルヒに取ってもらう、イコール、お口『あ~ん』ってことか?
「もう、ちゃんと味わって食べなさいってさっきも言ったじゃないの。仕方ないわね。ほら、行くわよ」
 と、ハルヒがあっさりトスした卵焼きを俺の口がキャッチする。ちょっと拍子抜けした俺だったが、今度はしっかり味わって食べる。
「……結構甘いな」
「そう。……もうちょっと、砂糖控えめの方がよかったのかしら」
 と、自信なさそうに、朝比奈さんや長門の方を目で伺うハルヒ。なるほど、今のはお前が作った分だったのか。
 まあ、実際俺は卵焼きは甘めが好みだったので、そのように伝える。
「俺は好きだぞ、ハルヒ」
 
 突然の沈黙。
 
 何だろう、今度はハルヒの方が固まってしまった。
「えっ――あ、ああ、甘いのが、ってことね。そうね……そうよね。うん、解った、覚えておくわ」
 そういって照れたように俯くハルヒ。
 そのとき俺は、ハルヒの左手の親指に巻かれた絆創膏に気付いてしまったのだった。
 
「ハルヒ、お前、その親指……」
 俺が尋ねると、
「ああ、これ?包丁で……ちょっとね。あたしとしたことがドジっちゃったわ。迂闊にも程があるわね」
 そういって自虐的に笑い、何気なくやり過ごそうとするハルヒだった。
 俺はふと考えた。実は結構深い傷なのかもしれない。それでも、一緒にいた朝比奈さんや長門の手前、平気な振りをして料理を続けたのだろう。間違いない、ハルヒはそういう奴なのだ。
 でも、どうしたらそこまで出来るのだろうか?しかも俺なんかのために。
 そうだ、ハルヒはいつだって本気なのだ。きっと朝比奈さんや長門もそのことをよく解っているはずだ。だから、三人でこれ程までの料理をこしらえることができたのだ。
 それに、今になって俺も気付いた。今朝の教室で、遅刻してきた俺にハルヒが何故あんな表情をしたのかを。こいつはあくまでも純粋に、俺にこの料理をご馳走したかっただけなのだ。
 それなのに俺は――何が審査員だ。傲慢極まりない。何も理解しちゃいない、大馬鹿野郎だ、俺は。
 無性に自分が情けない。穴があったら入りたい、と言うのは多分このような気持ちを言うんだろうか。
 俺に、一体何ができる?今、俺のすべきこと、それは……、
「――なあ、ハルヒ」
「な、どうしたのよ、キョン、急に改まったりして」
 訝しむようなハルヒに、俺はそのまま続けた。
「今日はありがとうな」
 本当はもっとちゃんしたとお礼の言葉を設えるべきだとは思うのだが、俺もなんだかんだでいっぱいいっぱいだったし、この一言が今の限界だ。どうかご勘弁願いたい。
 ハルヒも一瞬キョトンとした様子だったが、
「べ、別に、あたしだけで作ったんじゃないんだし、ちゃんと有希やみくるちゃんにも感謝しなきゃだめよ。――ほら、まだまだいっぱい残ってるじゃない。みんなもキョンに遠慮してないで、ちゃんと食べなさい」
 と、華麗にスルーされてしまった。
 まあ、その眼差しの奥にこめられたエネルギーが五割増しぐらいになっている気がするのは、果たして俺の目の錯覚だったりするのだろうか、真相は神の味噌汁、もとい、神のみぞ知るってところだな。
 
 その後は特に語るほどのこともないだろうと思う。
 長門お勧めのおにぎりを食べたとき、
「おいしい?」
 と訊いてきたのに対して、俺が調子に乗って以前の再現VTRよろしく
「ああ……」
 と答えたため、お約束通り立て続けに三つを食べさせられる羽目になり、喉を詰まらせて窒息しかかったところを朝比奈さんのお茶に救われた話だとか、デザートに入っていたさくらんぼの茎を、俺がみんなの前で口の中で結んで見せたために、ハルヒが
「このエロキョン!あんた、やっぱり油断がならないわね」
 とか言ってプリプリ。
 朝比奈さんは
「はうぅ、キョンくんって――意外とテクニシャンなんです」
 と顔を真っ赤にしてオロオロ。
 長門は俺に対抗しているのかさっきから
「…………」
 と口の中でモゴモゴ。
 古泉は
「いやはや、さすがですね。僕もあなたのように器用になりたいものです」
 と相変わらずのニコニコ。
 ――なんて事態に陥ったことだとかはきっとどうでもいい話なのさ。
 
 あとで、俺は古泉にこっそり相談しようと思う。いつか二人で男の手料理をハルヒたち三人にご馳走するための陰謀めいた極秘計画をな。見てやがれ、きっとギャフンといわせてやるぜ(死語)。
 どうやら俺の胃袋はガッチリとキャッチされてしまったんだ。そのお礼をさせて貰うぐらいの権利だって、きっと俺にもあるはずなんだからな。
 ところで、女性受けする料理と言えばやっぱりお菓子だとかそういうモノなのだろうかね。ふむ、砂糖の分量を間違えてハルヒの奴から味覚音痴呼ばわりされないように、予め研究しておいた方がよさそうだな。
 


書いてる最中の妄想のあと
落書きにも程がある
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