Anniversary (88-738)

Last-modified: 2008-05-11 (日) 16:45:57

概要

作品名作者発表日保管日
Anniversary88-738氏08/05/0708/05/07

作品

 バカは風邪を引かないとか、夏風邪を引くのはバカの証拠だとかいろいろいわれていると思うが、たった一つだけ間違いないことがある。
 それが何であるかというと、要するにゴールデン・ウィークに体調を崩して、せっかくの四連休の初っ端から高熱を出してぶっ倒れているこの俺が救いようのないバカである、ということだ。
 ちなみに先程測った体温は三十八度五分、意識が朦朧としている。妹には散々ゴネられたが、こんな具合では田舎の祖母の家に行けっこない。
 というわけで、俺以外の家族全員が出払ってしまった我が家にて、俺はたった一人で寂しく留守番をするハメになってしまったのだ。
 しかし妹め、今日はまた一段とグズってたな。「キョンくんがこないと、ガッカリするよ~!」って、従兄弟のチビ連中も俺が行くのをそんなにまで楽しみにしてるとも思えないんだがな。
 それともなんだ、単に妹は俺に甘えたいってだけなんだろうかね? ついこの前だってお花見第二弾八重桜大会にまでノコノコくっ付いてきやがったしな。
 でもあの花見のときの妹は俺なんかよりもずっとハルヒと一緒にいたような気がするな。いつもなら朝比奈さんか鶴屋さんにベタベタくっ付いていそうなもんだが。
 目を閉じても周囲がグルグル回っているような感じがして眠ろうにも眠れない。そうこうしているうちに俺は、そのお花見の光景をいつの間にか回想していたのだった。
 ………
 ……
 …
 
 
 妹を肩車したハルヒが八重桜の木の下で鶴屋さんと何やら話し込んでいるその隙に、俺の前にはどことなく深刻そうな雰囲気で未来人宇宙人超能力者の三名が顔を突き合わせていた。
 何故かこの宴席でもメイドさんルックの朝比奈さんは、甲斐甲斐しく給仕活動に勤しんでおられた先程とは異なり、笑顔の代わりに不安そうな表情を浮かべている。
 ついさっき鶴屋さんに奥の方に連れて行かれたかと思うと、見事な和服姿に変身して現れた長門は、相変わらず感情を極力表に露出せずに、透明な瞳で俺の方を真っ直ぐに見つめている。
 そういえばその和服を完璧に着こなしている長門を見て俺が、
「長門って和服が似合うんだな」
 と感想を述べたところ、何故か無言のままナノレベルで複雑そうな表情をしていたのは何だったんだろうね。
 まあそれは置いておいて、こんな場面では真っ先に口を開く役目の古泉のニヤケスマイルも、なんとなくではあるが引きつったもののように感じられたのだ。
「実はこの先の四連休の日程に関して、少々お願いがあるのですが……」
 いや、ヒソヒソ声だからっていちいち顔を近づけなくてもいいからな。で、そのお願いってのは何だ、古泉?
「その前に、僕だけではなくて朝比奈さんと長門さんからもお話があるそうなので、まずはご両人からお先に、というので如何でしょう?」
 と、古泉はチラッと長門を見た後、朝比奈さんの方にその顔を向けた。長門もそれに合わせてやはり朝比奈さんに視線を切り替えた。
 つられて俺も朝比奈さんの方に目を遣ると、
「え? あ、あの、わたしから、ですか?」
 と、胸元で握りこぶしを合わせてモジモジしていらっしゃる。仕草の一つ一つが微笑ましい。
 いつだったか、ハルヒが「みくるちゃんの存在は『萌え』そのものと言っても過言ではないわね!」なんてことを言ってた覚えがあるが、その件に関しては俺としても全面的にハルヒに同意するであろう数少ないことの一つに含まれると確信している。
「ごめんなさい、例によって、あの、あんまり詳しくお話するのは、禁則事項に引っ掛かってしまうんでダメなんですけど――えっと、実はしばらくの間、わたしは任務から離れることになりました」
 はあ、任務から離れるんですか。って、ええっ! ま、まさか朝比奈さん、元いた時代に、帰ってしまわれるのですか?
「はい……え、あっ、でも、あの、違いますよ。今のこの時代からいなくなるのは、連休中の四日間だけですから。お休み明けにはちゃんと戻ってきますね」
 ああ、なんだ、そういうことですか。ビックリしたなあ、もう。あははは。
「あれ? でも朝比奈さん。元の時代からこっちにまた来る時間を連休の頭にすれば、この時代から離れてしまうことにはならないんじゃないですか?」
「はい、わたしもそのことを上の人に訊いてみたんですけど、規則上それは出来ないってことしか教えてくれませんでした。多分『禁則事項』に関わる問題みたい……あれ、やっぱりこれ以上説明できないみたいです。キョンくん、ごめんなさいね」
 申し訳なさそうに頭を垂れる朝比奈さん。いえいえ、俺にそんなことで謝らなくてもいいですよ。せっかくの連休なんだし、ゆっくりとその天使の羽を伸ばしてきて頂きたいものです。
「んで、長門の方はどういった話なんだ?」
 俺の質問に、いつもの如く淡々と長門は説明してのけた。
「当インターフェース、つまりわたしの身体内部の各種器官に稼動期間限界を超過しているものが存在する。該当するのは全器官中の四十七パーセント。部分的な保守では賄い切れない数値」
 俺はどう言葉を掛けたらいいのか解らなかった。ここしばらくの間、結果的に俺たちは長門にかなりの負担を強いることになってしまっていたのは紛れもない事実だったのだ。
 俺の表情を読んだのか、長門は一言、
「あなたが気に病むことではない。部分的に保守を行っていれば避けられた事態。私自身の不手際、判断ミス」
 とこぼした。いや、だから長門。お前こそ自分をそんなに責めるなよ。で、具体的にはどんな状況なんだ?
「最低でも七十二時間以上の時間的拘束を要するメンテナンス作業が必須。余裕を持った場合、作業時間の見積もりは九十六時間。その期間中このインターフェースはほとんどの機能を停止することになる。つまり、活動不能」
 成程な。で、その九十六時間つまり四日間は、お前は活動できないってことか。
「そう」
 解ったよ、長門。この際だからお前もこの連休でゆっくり休んでくれよな。休み明けからはなんだかんだでよろしく頼むよ。
「了解した」
 で、この流れだと古泉は機関の連中と連休を利用してどこかに旅行にでも行くってことなのか?
「旅行という程のことではないのですが、概ねあなたがご想像の通りです。機関の報告会なのですが、涼宮さん相手の最前線での任務の報告をさせられる予定になってまして、さすがに僕自身が欠席するわけにもいきませんので」
 そう言って意味ありげな視線を遣す古泉。お前、一体何が言いたい?
「おや、あなた自身、既にご理解していらしたのではないですか? 朝比奈さんも長門さんも、そしてこの僕も、この先の四連休には不在――つまり、その間涼宮さんのことをあなたにお願いしよう、ということです」
 おいおい、待ってくれ。いくらなんでも俺一人でそんなの無理だろ? 大体俺にだって次の連休には予定ってモノが――、
「あらっ。どしたの、みんな? そんなに隅っこに集まっちゃって」
 と、俺が抗議の言葉を発しようとしたまさにその瞬間に、ハルヒが俺たちのことを捕捉したのか声を上げると駆け足で接近してきた。
「まあいいわ。せっかくみんないることだし、この場で発表しちゃうわね。今度の連休のことなんだけど――」
 続けてハルヒの口から飛び出したのは、俺たちの予想を裏切るものだった。
「あたしはSOS団のみんなでどこかに出掛けようかな、とも思ってたのよ。でもちょっと都合が悪くなっちゃって……仕方ないから、みんな連休の四日間は自由行動ってことにしたわ」
 ハルヒの宣言に、俺を含めた四人とも沈黙を保ったままだった。
「ちょっと、みんなどうしちゃったの? やっぱり疲れてるんじゃない? あたしの判断は間違ってなかったみたいね。いい、ちゃんと四日間で英気を養って、連休明けにはエネルギー百二十パーセントで活動再開なんだからね。――キョン、解ってる?」
 えっ、ああ。
「もう、またボーっとしちゃってるんだから。もっとシャキッとしなさいよね」
 へいへい。わーってるって。
 と、そこで妹に呼ばれたハルヒは俺たちの前から遠ざかり、その場には安堵する四人が残されたのだった。
「ふむ、僕が想定していたのとはまた違った結果になりましたが、それはともかく少々気になりますね」
 お前は俺一人にハルヒのお守りをさせるつもりだったんだろうが、無理だっつーの。今度の連休は親戚連中で集まることになってたんだし。で、その気になることってのは?
「では二点。まず、朝比奈さん、長門さん、そしてこの僕の三者が同時に、タイミングを合わせたかのように涼宮さんの近くにいられなくなったということ。もう一点は涼宮さんが嘘を吐いてまで僕たちに休息時間を提供してくださった、ということです」
 『嘘』? ハルヒが、か?
「その通りです。涼宮さんのご両親は、この大型連休を利用なさって現在旅行中です。涼宮さんはそれに同行することなく、ご自身のプラン通りに連休の予定をたてているものと思われます。ご家族の事情で都合が悪くなる、ということは考えられません」
 そこまでいって古泉は大袈裟なポーズをとると、更に続けた。
「そして、涼宮さんに接触している三勢力の末端が軒並み不在になる。……果たしてこれは偶然の一言でで済ませられるでしょうか?」
 まあ確かに、今回のハルヒの発言は俺も意外だった。そもそも俺は如何に連休中のSOS団の活動を欠席させてもらうか、ということを必死に考えていたわけだったしな。
 ………
 ……
 …
 と、そこまで回想を終えた辺りで、呼び鈴が鳴らされたような気がした。
 連休中だってのにセールスだとしたら骨折り損なことだ。本来だったらこの家は今誰もいないはずだからな。
 
 …………。
 
 って、さっきからしつこいな。ピンポンダッシュとかのイタズラってわけでもなさそうだし。一体誰が何の用事だってんだ、コンチクショウめ。
 仕方なく俺はゆっくり起き上がると、階下の玄関を目指した。案の定足元が覚束ない。
 謎の訪問者は呼び鈴を鳴らすに留まらず、ドアノブをガチャガチャいわせ続けてた。全く、何処のピッキング犯だ、一体?
 俺が内側から鍵を開けると同時にドアが勢い良く開かれる。
 
 そこには、何故かハルヒが大荷物を抱えて突っ立っていたのだった。
「ちょっとキョン。さっきからずっと呼んでるのに全然出てこないなんて酷いじゃないの。さっさと出てきなさいよ」
 だが、ハルヒのその文句は俺の耳には届いていたかどうか怪しい。次の瞬間、目の前に靄が掛かったようになり、俺は前のめりに倒れていったのだった。
「って、ちょっとキョン? いきなりこんなとこでなにすんのよ! って、あんた大丈夫? ――キョン? ねえ、キョンってば」
 
 
 気が付くとそこは自分のベッドの上だった。
 脇を見れば、ハルヒが両手で俺の右手を握ったまま心配そうにこちらを見ている。
「キョン――よかった。やっと目が覚めたみたいね」
 いつの間にか夕方になってしまったらしい。って、ハルヒが家に来たのはまだ午前中だったし、そんなに長いこと寝てたのか、俺?
「そうよ。あんたったら、玄関先でいきなりあたしに倒れ掛かってくるなり、今まで全然起きる気配なかったのよ。ほんと、ベッドまであんたを担いでくるのも一苦労だったわ」
 それは、なんつーか、その、スマン。
「オマケになんだかすっごく熱があったみたいだし、あんたのパジャマは汗でグショグショだったし、――仕方がないからあたしが着替えさせてあげたからね」
 そういわれて初めて俺は、いつの間にかパジャマがさっきとは別のものになっているのに気が付いたのだった。……まさか!
「なあハルヒ、その、俺の下着も……」
「だから、仕方がなかったっていったでしょ! 一応はあんまり見たり触れたりしないように努力はしたけど、不可抗力ってものがあるじゃないのよ」
 と、真っ赤になって怒鳴るハルヒ。俺の方も何て言ったものやらサッパリ解らん。
「もう洗濯機にかけて干してあるから、しばらくすれば乾くと思うわ。今度汗かいたら――ちゃんと自分で着替えてよね」
 いわれなくても是非ともそうさせてもらうさ。……ところでハルヒ。
「なによ?」
 さっきからなんでずっと俺の手を握ったままなんだ?
「――!」
 ハルヒは俺の手をパッと離すと、お腹の辺りに挟んでいたらしいクッションでもって俺の顔面をバシバシ叩いてきたのだ。おい、仮にも病人に対して何しやがる!
「うるさい、このバカキョン!」
 
 
 やがて日が落ちたのか、窓の外はすっかり真っ暗になっていた。
「ねえキョン。あんた今朝からひょっとして何にも食べてないんじゃないの? お腹空いてない?」
 返事をする前に俺の腹の虫が鳴き声を上げた。
「もう、キョンたらほんとに解りやすいんだから。まるで漫画かなにかみたいじゃないのよ、それって」
 やかましい。放っといてくれ。
「あはは。――まあ、あんまり大したものは出来ないけど我慢しなさいよね。お粥とか適当に作ってきてあげるわ」
 と笑いながらハルヒは部屋を出て行った。
 お粥、ね。そもそもカップラーメンか何かで済ませるつもりだったことを考えれば、いくら俺でも手料理に文句をつけたりはしないさ。それにハルヒの料理の腕前が確かなものだってのは、既に実績がそれを示しているし、まあ一安心というものだろう。
 いや、なんだ、別に期待なんかしてるってわけじゃないぞ、断じてな。
 
 しばらくして、お盆に小ぶりの土鍋と、多分一パックぐらいのイチゴを盛った皿を載せてハルヒが現れた。
「って、そんなとこに置かれても届かないんだが」
「ああ、キョンは別に起きなくてもいいから。あたしが食べさせてあげるわ」
 おい、まさか……、
「あんたは『仮にも病人』なわけなんでしょ? ほら、さっさと口を開ける! はい『あ~ん』」
 おいおい、いくらなんでもそれは勘弁してくれ。
「なに恥ずかしがってんのよ。ここはあたしとあんたの二人っきりで誰かが見てるわけもないんだし、いいじゃないの」
 仕方なしに渋々口を開く俺。一体これは何て羞恥プレイなのであろうかね。
「『あ~ん』」
「ん……熱っ! なあハルヒ、悪いんだがもうちっと冷ましてくれないか」
 俺のクレームにハルヒは自分でも一口、俺のスプーンのまま味見した挙句、
「そう? あたしはこのぐらいは全然大丈夫なんだけど、あんたってそんなに猫舌だったかしら?」
 と言ってのけた。全く、お前は朝比奈さんの淹れたてのお茶だって平気で一気飲みしてるし、何でも自分を基準にするなよな。
「もう、あんたは一々うるさいんだから。……解ったわよ」
 ハルヒは納得してくれたのか、一口掬うごとに、ふーふーと息を吹きかけて冷ましてくれるようになった。傍から見ていると非常に笑える光景なのだが、何か言ってヘソを曲げられても厄介なので、眺めるだけにしておく。
「どう?」
 ああ、旨いぞ。
「んな、違うわよバカキョン。あたしが訊いてるのは熱くなかったかってことなのに」
 なんだよ、そうならそうとハッキリ言ってくれ。
「んで、どうなの?」
「熱過ぎないし、美味しかった」
「美味しいのは当たり前よ。なんってったって、あたしの手作りなんだからね。ほら、もう一口。『あ~ん』」
 パッと見には怒っているようなハルヒの表情なのだったが、俺はこれがいつものこいつの、どんな顔をしたらいいか解らなくなったときのアレなんだろうか、とか勝手に想像するに留めておいた。
 その後、デザートのイチゴまで俺に食わせる前にふーふー息を吹きかけるハルヒを見て、ついに笑いを堪えきれなくなってしまった俺なのであった。
「なにがおかしいのよ、このバカキョン!」
 
 
 食事が終わって、後片付けを一通り済ませたらしいハルヒがシャワーを借りたいと言い出したため、せっかくだからちゃんと湯船にお湯を張って風呂に入ってもらうことにした。
 訊けばハルヒは着替えなどの一式は準備してあるらしい。あの大荷物はそういうことだったのか。
 って、そもそも何故ハルヒが留守のはずの俺の家まであんな時間に来たんだ?
「ああ、言い忘れてたけど、今朝駅であんたのご両親と妹ちゃんから聞いたのよ。あんたが風邪で寝込んでるってことをね。だからあたしが今ここにいるってことはあんたのお父さんもお母さんも知ってるわよ」
 そういうカラクリだったのか。で、ワザワザ家に帰って着替えの準備とかしてから来てくれたってことなのか。
「ううん、荷物はもう揃ってたし、駅からそのまま直行よ。――あっ、勘違いしないでよ。その、別にあんたの田舎のお婆さんの家まで一緒に行こうとしてたとか、そんなつもりは全然ないんだからね」
 語るに落ちるとはこのことだろうか。しかし成程ね。件の花見のときにハルヒと妹が一緒に何やら話し込んでいた理由ってのが俺にも理解できる。四連休の団員の活動を休みにしたのも、実は計画の一環だったと考えれば辻褄が合うではないか。
 しかし、何でまたハルヒは俺の田舎の婆さん家までついて行こうなんて考えたんだろうな。婆さんや従兄弟連中への挨拶? それならどちらかといえば俺からハルヒたちのご親族にする方が先だろう、って何を言わせるんだ、おい!
 
 結局、丸三日を過ぎたところでも、ハルヒの看病の甲斐もなく、俺の風邪の具合はあまりよくならなかった。激しい頭痛と鼻水は治まったものの、喉の痛みと微熱状態は一向に回復の気配が見られない。正直、しんどい。
 そんな俺の様子を心配してか、ハルヒは俺が眠るまで傍にいると言い張って聞かなかった。まあ、結果的に俺より先に眠ってしまい、その度に妹の部屋のベッドまで俺が抱えて連れて行くハメになったのは言うまでもない。
 なお、予め言っておくが、決して俺はハルヒの身に何もしちゃいないからな。神に誓ってもいい。断言する。
 しかし、何だってこいつは連休を潰してまで俺の世話を焼いたりしてるんだろうか? 正直面白いことじゃないと思うんだが。
「あんたは一々そんなこと気にしなくていいの。早く風邪なんか治して――休み明けにはちゃんと学校に来なさいよ」
 そう真面目そうな表情で面と向かって言われてしまうと、俺もハルヒにはこれ以上何も言えなくなってしまうわけで――。
 
 四日目の午後、剥いたりんごを細かく切ったものを持ってきたハルヒは、唐突に俺に訊いてきた。
「ねえキョン」
 なんだよ、妙に改まって?
「あんた、部屋のカレンダーが四月のままになってたのを、あたし勝手に捲っちゃったけど、構わなかった?」
 ああ、忘れてただけで別に何か意味があったわけじゃないからな。
「そう――――ちょっと、訊いてもいい?」
 その、用済みとなった四月のカレンダーを手に、ハルヒは神妙な面持ちでこう切り出した。
「あんたが印をつけてるこの日って、何の日だったの? 誰かの誕生日ってわけじゃなさそうだし」
 驚いた。正直抜かった。内緒にしていたはずのことを、当のハルヒに見付かってしまうなんて、迂闊にも程があるだろう、俺。
 カレンダーの四月に俺が印をつけた日、それは俺たちの高校の入学式の日付であり、俺を取り巻く色褪せていた世界が瑞々しいまでの色彩を取り戻した日でもあったのだ。勿論そんなこっ恥ずかしいことをハルヒ本人に明かせるわけもない。
「ねえキョン。教えなさい。一体この日は何の日なの?」
 俺は何とか話を誤魔化すべく、真実を織り交ぜながら煙に巻く方針をとることにした。
「何の日かって、決まってるじゃないか。俺たちの高校の入学式の日じゃないか」
「どうしてキョンがその日に印をつけるわけ?」
「いや、なんつーか、俺としても初心忘れるべからずっていうか、そういう気持ちを大切にして、残りの高校生活をだな……」
「嘘くさいわね。あんたがそんな殊勝なことを言うなんて白々しいにも程があるわよ。ほら、正直に白状しなさい!」
 そう言って掴みかかってきたハルヒ。それを振りほどこうとした俺は体をかわしたもののバランスを失ってしまい、何故か俺はハルヒの両肩を押さえて押し倒すような格好になってしまった。
「あっ」
「――悪い。これはその……」
「――――」
 って、何で真っ赤な顔して目を閉じるんだ? と、何故か俺もハルヒの艶やかな唇に吸い込まれるように、自分の唇をゆっくりと――、
 
「キョンくん、たっだいま~!」
 
 その瞬間、妹の能天気な声が玄関の方からこだました。まさに接触寸前といったところで俺は身体を跳ね退ける。同時にハルヒも慌てて身体を起こす。
「えーっと……ハルヒ?」
「帰ってきちゃったわね。妹ちゃんも――ご両親も」
「――ああ」
「……あたし……もう帰るから」
 ハルヒは俺に目も合わせずに、自分の荷物を抱えると慌てて飛び出していった。
 直後、激しい後悔の念が襲う。やっちまった。ケダモノかよ。きっと軽蔑されただろうな。嫌われちまったかもな。最低だな、俺。
 ふと床を見ると、ハルヒのものらしいスケジュール帳が転がっていた。拾い上げると、丁度今月のカレンダー部分が開いていて――、
「えっ?」
 連休明け、つまり明日の日付部分には、ハートマークのシールが貼り付けられていた。その下にはハルヒの筆跡で『重要!』と書き込まれている。
 俺はそのまま脱力してベッドの上に仰向けに倒れこんだ。
 何もかも思い出した。
 俺の推測通りならば、ハルヒは俺が四月のカレンダーにしていたのと同じ意味をこの日付けに記していることになる。ついでに言うと、俺のカレンダーの件もハルヒには最初からお見通しだったに違いないのだ。
 そう考えると何もかも納得がいく。
『休み明けにはちゃんと学校に来なさいよ』
 ハルヒにとっては、連休なんかよりも、明日の方が大切なのだ。明日は這ってでも登校しなければならないだろうな。
 
 果たして、翌朝。
 病み上がりの身体に鞭打ち、俺は学校への長い坂道を汗だくで登っていた。地球はエボラ出血熱とデング熱とウェストナイル熱を併発してるんじゃないだろうか。
「よ、キョン」
 後ろから肩を叩いてきたのは、案の定谷口だ。
「連休は例によってバーサンのところで従兄弟連中と集合か?」
「実は――四日間ずっと寝込んでた」
「おいおい、前にもましてしけてやんなあ」
「お前こそ、どうせずっとバイトだろ」
「ははは、まーな」
 と、宇宙一どうでもいい駄弁りをやり過ごしながら、俺はひたすら歩みを進めるのみであった。
 
 教室内、ハルヒは既に俺の後ろの席で――その髪型以外は――以前と全く同じように窓の外を眺めていた。
 ちなみに今日は水曜日。ハルヒはいつものカチューシャではなく、青いリボンで髪の二箇所を結んでいた。さすがに髪の長さが足りないのであろうか、ドアノブ状のお団子頭にするのには無理があったらしい。
 そんなハルヒに俺は声を掛ける。
「『曜日で髪型変えるのは宇宙人対策か?』」
 ハルヒはロボットよりもぎこちない動きで俺の方を向くと、以前とは異なるセリフを発した。
「キョン――覚えててくれたの?」
「っていうか、思い出した」
 そう言ってスケジュール帳をハルヒに渡すと、ハルヒは顔を真っ赤にして引っ手繰った。
「見たの?」
「不可抗力でな。見えちまったのは五月んとこだけだ」
「あっ、そう」
 
 その日ハルヒは一日中、怒ってるのか笑いを堪えているのか解らない怪しげな表情のままであった。みんなさぞかし気持ち悪かったに違いないと、つい俺は思ってしまうのだった。
 
「バカヤロー、ニヤニヤして気持ち悪いのはキョン、てめーの方だっつーの!」

イラスト

以下恒例ラクガキ。モノクロ設定を試行錯誤中。なんか失敗っぽいw
 
88-738 haruhi_kanbyou.png