Fly Higher (115-956)

Last-modified: 2009-08-23 (日) 22:12:43

概要

作品名作者発表日保管日
"Fly" Higher115-956氏09/08/2209/08/23

作品

 『羹に懲りて膾を吹く』なんてつもりもないのだが、以前の八月後半の悪夢を警戒し――とは言っても実際俺にとっては毎回の記憶リセットのおかげであまり実感はなかったりもするが――盆明けのある日、俺は携帯電話を片手にリダイアル履歴の先頭を再発信した。
 ワンコールしかしてないのに即通話がつながり、スピーカからはやかましくも耳慣れた怒声が鳴り響く。それも想定済みであったので、俺は耳を近づけるような愚かしい真似をするはずもない。
『こら、バカキョン! あたしから電話しようとした瞬間に掛けてくるなんてどういうつもり? まさか、イタ電するつもりだったんじゃないでしょうね?』
 相変わらず挨拶の言葉もなければ、いきなり人をバカ呼ばわりなのも、まあハルヒらしいといえばそうかも知れん。
「んなことするわけねーだろ」
『で、一体なんの用?』
 電話で後手に回ったのが悔しいのだろうか、なんとなくこちらを訝るような口調にも感じられる。
「特に用件があるわけじゃないんだが、かき氷の喰い過ぎで腹でも壊してないかと思ってな」
『キョン……あんた、あたしのことなんだと思ってるわけ?』
「……冗談だ、落ち着け。それより、ハルヒこそ、お前の方から俺に電話しようとしてたんだろ。何か用か?」
『あーそうだったわ。今からいつもの駅前に集合ね。どうせ今日もあんたヒマなんでしょ?』
 まあヒマなことには違いないのだが。
「また市民プールにでも行くつもりか?」
『まさか。とにかく、御託はいいから一秒でも早く来ること。いいわねっ!』
 叫ぶだけ叫んで、ハルヒは一方的に通話を終了させちまった。と言っても普段からそうであるので一々気にすることもない。
 やれやれ、薮蛇……でもないな。こっちから掛けなくても呼び出されるって顛末に変わりはないんだし。
 少々の雲など、灼熱の太陽を遮るには役立たずであり、俺は熱中症や脱水状態の心配をしながら炎天下にママチャリを漕ぎ出すのであった。
 
 集合場所にはハルヒを始め他の三名が全員勢揃いなのも既に見慣れた光景である。はいはい、奢り、奢りゃいいんだろ。解ってるって。
「むぅ……まあ、素直でよろしい」
 上目遣いでジロリと俺を一瞥したハルヒはそのまま回れ右で歩を進め、みんなもそれに続く。何か抗議したところでハルヒがそれを覆すはずもないし、この炎天下で俺がゴネて残りの面子に余計な体力の消耗を強いるよりは賢明な選択であろう。
 恒例の喫茶店内、早々に自分の注文したドリンクを空にしたハルヒは、隣の席の朝比奈さんにセクハラめいたちょっかいを出している。他の客の目もあるんだし、程々にしてくれよな。
「まあまあ、『仲良きことは美しき哉』ともいいますし。この程度ならよろしいのではないかと」
 隣の席のニヤケスマイル男が能天気な感想を口にする。なあ古泉、他人事だと思って好き勝手言うもんじゃないぜ。
「おや、僕はそのようなつもりは全然ありませんでしたが。まあとにかく、現在の我々を取り巻く状況が平和であることには間違いありません」
 そう言って古泉は意味ありげに長門の方に目を遣った。それで俺もなんとなく理解した。
「長門、とりあえず――今のところは前みたいな妙なことは起きてないんだよな?」
「ない」
 レモンスカッシュのストローから一瞬口を離してから一言だけ長門が反応する。確認するまでもなかった。あのトンチキな繰り返しが再発なんてのは正直勘弁願いたいところなので、そういう点ではまず一安心といったところだな。
「ところであなたは今年も妹さんとご一緒で?」
「ああ、例によってイトコだのハトコ連中に付き合わされちまった」
 どうせ機関の情報網とやらで俺の行動など筒抜けだったのだろうに、古泉はさも興味深そうにあれこれと俺に質問をぶつけてくる。それに一々律儀に返答してやる俺も俺だが。
 いつの間にか、朝比奈さんの髪で昇天ペガサスMIX盛をこさえようとしていたハルヒも、されるがままになっていた朝比奈さんも俺の話に耳を傾けていた。長門も空になったグラスを手にしたまま不動の状態で視線を俺に固定している。何だこりゃ?
「ふむ、要するにセミやカブトやクワガタなどの昆虫は大漁と言ってもいいほどの収穫だったけれど、釣りの方面はさっぱりの結果であったということですか」
「全く、餌に使うはずの魚肉ソーセージを人間様が真っ先に喰い尽しちまうなんて、呆れてモノも言えんな」
「なるほど。ということは、涼宮さん、明日はプランAではなくBの方を検討した方がよろしいかと」
「そうねえ。じゃあ古泉くん、手配をお願いね、大至急!」
 
「畏まりました」
 ハルヒに命じられて、古泉は携帯電話でどこかに連絡を取り始めた。って、おいおい、一体何の話だ? 明日?
「なによ、このあたしが直々に、キョンの今年のひと夏の体験を後悔しないように、わざわざリベンジの機会を与えてあげたんじゃないの。というわけだから、明日はSOS団全員の釣り大会に決定! 昆虫採集競争は、前に蝉採りもやったし、また今度ね」
 ちょっと待て、さっきから全く話が見えないのって――俺だけなのか。
「つ、釣りですか……あ、あのぅ、わたし、餌に使う虫さんとか、できればその、あんまり触ったりしない方がいいかなーって思うんですけどぉ」
「なーっはっはっはっ! それなら心配後無用、みんなでフライフィッシングでもすればいいのさっ」
 鶴屋さん! どうしてあなたが突然こんなところに?
「いやあ、さっき一樹くんから連絡があって、たまたま近くにいたから直接参上仕ったってわけなのさっ。というわけだから、ハルにゃん、明日はうちの出入り業者がやってる管理釣り場にみんなをご招待、ってことでいいにょろ?」
「あたしは別にどこでもオッケーだし、せっかくだから鶴屋さんのご好意に甘えさせてもらいましょう。ところでキョン、管理釣り場って一体なに?」
 お前は知らずに納得してたんかい!
「ああ、確かそれは自然の川の流れを利用した釣堀みたいなもんじゃなかったか?」
「そうですね。しかも、定期的に魚を放流して補充されるようになっているので、初心者でも案外簡単に釣果を得られるようになっていたはずです。ルアーやフライ釣りにも手頃かと」
 しかし、そういった釣り場ってのは綺麗な渓流のある山を丸ごと持ってて、それをきっちり管理して、ってことだから……まあ、深く考えるのは止そう。困ったときの鶴屋さん頼みは今に始まったことじゃないし。
「あ、あの、ごめんなさい……ふ、ふらいふぃっしんぐ、ってなんなんですか?」
「フライフィッシングは英国を起源とする毛針釣りのこと。日本古来の毛針釣りやテンカラ釣りと異なり、専用の竿とリール、そして特徴的なラインを用いる。ラインの自重でフライを遠方にキャストする様子が特徴的」
 珍しく口を開いた長門のせっかくの解説であったが、朝比奈さんはクエスチョンマークを頭上に周回軌道させたままである。
「そうっさね。この際だし、みんなでフライタイイングからやってみるのはどうかなっ? あたしの家に来れば、機材一式揃ってるしさ、どうにょろ?」
 と、我らが名誉顧問のありがたい申し出により、その後全員で鶴屋さん宅にお邪魔して、即席のフライタイイング講座――つまり毛針の自作大会となったのである。
 
 フライの自作ねえ、確か色々と奇妙な専用の工具だらけで、いかにもマニアの世界と言った感じがするのだが。
「よいではありませんか。僅か二日程のことですし、なんとなく雰囲気を味わうだけでも構わないでしょう」
 余裕綽々といった古泉の様子であったが、妙なところで不器用なこいつはこの後、地味に苦労する羽目に陥るのであった。
「それじゃみんな、とりあえず適当に作ってみましょう!」
 適当って、おいハルヒ。俺たちは作り方のイロハも解らんのだぞ。無茶言うな。
「そんなもの何とでもなるって。、いい、キョン。あんたはもうちょっと自分の野生の勘とか、虫の知らせとかそういうのを信じてみなさいよ」
 意味不明だぞ、こら。
「すみません、わたし、毛針って見たことも全然ないし、大丈夫かなぁ……」
 まあ、朝比奈さんなら手芸とかも得意そうだし、何とかなるんじゃないでしょうかね。
「じゃあみくる、ほら、これが見本さっ」
 そう言って鶴屋さんが開いたケースの中には、まるで昆虫採集の標本かと見紛うようなリアル系のフライがびっしりと並べられていた。
「ふにゃー! む、虫! 怖いですぅ」
 朝比奈さんは仰天して俺の腕にしがみついて震えている、って、いやその、なんというか微妙な感触が……。
「痛っ!」
「ふん、だ!」
 朝比奈さんの掴んでいる反対側の方の俺の腕をこれでもかと抓り上げたハルヒはそっぽを向いて膨れっ面である。
「あっはっは、大丈夫さっみくる、全然怖いことないってば」
「で、で、でも、これ、全部が虫……」
「全てフェイク。羽毛、金属、プラスチック、ナイロン、シルク、木綿、そして硬化剤のみから構成されている。昆虫の実体素材は未使用」
「ほほう、それでいてこの外観と質感は中々のものですね。これならばトラウトも本物と間違えて捕食するのも頷けます」
 
 やっとのことで朝比奈さんも落ち着きを取り戻し、同時にハルヒの不機嫌もマシになったところで、いざ、フライタイイングの実践と相成った。
 ちなみに長門曰く、時期的にもニンフつまり水棲昆虫を模したものよりは、先程の陸棲昆虫、通称テレストリアルのほうが効果的だろう、とのことで、俺たちもそれを作ってみることになった。
 で、その長門だが、実に器用にカマドウマだのカナブンだのを完成させては、俺の前に並べてくれるのであった。
 例えは悪いのだが、猫が捕まえた獲物を飼い主に自慢するがごとく見せびらかしに来るのを思い出してしまうのは、見た目が見た目だから仕方ないだろう。
「い、いや、なんかその、リアル過ぎるのも、薄気味悪いよな」
「そう」
 俺の反応など意に介する様子もなく、長門は淡々と作業を続けていた。なんとなくだが、どこか楽しそうにも見えるのは気のせいではあるまい。
 で、長門程度まで技量も持ち合わせていない全くの初心者な残りの面々は、鶴屋さんの見立てで、簡単そうな芋虫などから作ってみることにしたのだった。
 しかし、なるほどね。孔雀の羽がまさか節足動物の足にこうも似てしまうのは、正直なところ気味悪さもあるが、純粋に楽しくもなってくる。
 古泉はせっかく巻いた糸を難度も解けさせては巻き直しを繰り返している。ご苦労なことだ、全く。
「ふん……ふふん……むしむし……いもむしさん……ぱやぱや~♪」
 朝比奈さんは、いつの間にか鼻歌交じりで緑色のウレタンをカットしてはフックに取り付けている。その鼻歌は『芋虫さんの歌』らしいことまでは判明したのだが、なんというか、その、メロディが難解なので、詳細は各自のご想像にお任せしよう。
 ハルヒは……ど派手と言うかなんと言うか、エキセントリックな配色のボディに妙ちきりんな触覚だのを生やしたオブジェクトを練成中なのである。一体何の幼虫なんだか。ある意味、黒魔術で召還した妖蟲って形容が相応しいな。
「あんたのその貧相なザコ虫なんかよりはよっぽどかっこいいわよ。あたしの方がアピール度満点なんだもんね」
 いや、むしろ自然界では違和感を感じるぐらいの色彩を放つ奴は大抵は警戒色って言って、俺には毒があるから迂闊に近寄ると痛い目見るぜ、ってなシステムが順当だったはずだがな。
「そんなことないって。こんなに綺麗なのよ、きっと魚だって『なにかしら?』って思わず手に取りたくなること間違いなし」
 生憎だが魚には魚類には手なんか生えてないし……って、そうか。だから試しに口で銜えてみるのかも知れんな。この『ハルヒ虫』もルアーやフライなどの疑似餌釣りの原理としては理に適っているのだろう。
「なによ、その『ハルヒ虫』って言い方……まあ、なんか割と可愛いかも。うん、この子の名前は『ハルヒ虫』に決まりね」
 何が気に入ったのかは理解不能だが、ハルヒは満開のスマイルを爆発させて悦に入っている。
「じゃあ、そのみくるちゃんの丸っこいのは『みくる虫』ね」
「ふえぇっ!」
 おいおい、一々作った本人の名前つけるなよ。
「別に、あんたのそのザコ共には名前すらつける必要ないしね。とにかく、明日はどれが一番大物を釣り上げるか、みんなで競争よ、いいわねっ!」
「おお、さすがはハルにゃん、威勢がいいねっ」
 その威勢のよさをちょいと夏バテ気味の俺にも分けて欲しい、なんてことをうっかり考えてしまったのは一生の不覚である。さっさと脳細胞から消えて無くならんかな、この記憶。
 なお、脇では長門が昆虫大図鑑とも言うべき見事なフェイクの標本を完成させている隣で、古泉が滅多に見せないようなレアなマジ顔で、手を震わせながら糸を巻きつけていたのであった。合掌。
 
 翌朝、まだ眠気も覚めやらないぐらいの早い時刻に集合だったわけだが、例によって例の如くなので、詳細は割愛させてもらう。結論――あいつらを先回りするなんてのは諦めろ。
 用意されたRV車二台の運転手は、毎度ながらの新川さんと森さんコンビである。いつも済みませんね。
「いえ、お気遣いはご無用です」
「私どもはただ職務に忠実なだけですから」
 そんなわけで、ハルヒと長門と俺が新川さんの車に、朝比奈さんと鶴屋さん、そして古泉が森さんの方に乗車と相成った。
 出発からどのくらいの時間が経過したのだろうか、車に揺られている間に居眠りしてしまったのでよく解らんが、気が付くともう深い山の中の目的地間近であった。
 寝ぼけ眼を擦っているハルヒに、長門がなにやらデジカメを手にして遣り取りを始めている。きっと今回のカメラマンでも命じられたんだろうぜ。
 
 てな感じで無事に目的地の管理釣り場に到着した我らがSOS団一行である。
 この管理釣り場は基本的に小学生以下専用の流れの緩やかなトロ場と、多少流れに変化のある一般釣り場に分けられているようであるが、俺たちはさらにその下流域の特別専用釣り場とやらを貸切と言うことになっている――のだそうだ。
 天候は快晴とはいかないが、むしろこの方が直射日光で焼かれずに済んで結果オーライである。かといって紫外線量はそれなりにあるので油断は禁物だろうが。
「さあ、じゃんじゃん釣るわよ! 目指せ、メーターオーバーのビッグモンスター!」
 いやハルヒ、ここは管理釣り場だし、そんな化け物はいるわけないだろ、常識的に考えて。
「いやいや、夢は大きく――是非とも見習いたいものですね」
 言ってろ。
「あ、あの……これって毛針だけですごく軽いんですけど、どうやって川まで届かせるんでしょうか?」
「みくるちゃん、そんなの気合いよ気合い! うりゃぁっ」
 我流もいいとこの滅茶苦茶なフォームなハルヒだったが、どういうわけか飛距離をかなり稼いで、『ハルヒ虫』は絶好のポイントに着水した――その刹那、
「って、なにちょっと、これ……うわっ!」
 激しい水音とハルヒの大声がステレオで響く。ロッドが一瞬だけ大きく撓み……あっという間もなく弛緩した。
「ちょっとキョン、どうなってんのよ、一体?」
 きょとんとした表情のハルヒをゆっくり眺めていたくもあったが、俺はそのハルヒのロッドから続くラインを手繰って――そのリーダの先に何も残っていないことを確認した。当然だが『ハルヒ虫』もロストしてしまった模様だ。
「結び目のところで切れちまったみたいだな」
「えっ……嘘。なんで?」
「いや、なんでって言われても、たぶん魚に切られたんだろ」
「あたしの『ハルヒ虫』は?」
「魚が銜えて持って行っちまったんじゃないか」
「そんなの、ダメよ! キョン、今すぐ取り返してきなさい」
 おいおい、無茶言うな。
「だって……あたしの……『ハルヒ虫』」
「まあまあ、ハルにゃん。そう気を落とすことないさっ。スペアのフライならたんまり用意してきたし、好きなの選んで使っていいよっ」
「……う、うん」
 当初の気迫はどこへやら、ハルヒは半端ない凹み具合であった。
 って、古泉……それに朝比奈さん……長門まで、どうして俺の方を注視するんだ?
 ああ、面倒くさいな、全く。そういうのは全部俺の役目かよ。
「ほらハルヒ、大物釣る競争なんだろ? 今日こそは負けないからな。覚悟しとけ」
「な、なによ偉そうに。あたしがキョンなんかに負けるわけないじゃないの。見てなさい。さっきのよりも大っきなのをゲットしてみせるんだから」
 そうだ、しぼんでるぐらいなら減らず口叩いてる方がまだハルヒらしいってもんだ。
 
 それからしばらくは、まあなんてことのない時間が経過していった。
 長門が例の精細な標本モドキで大きさはともかく的確に釣果を伸ばす一方で、予想外の健闘を見せたのはなんと朝比奈さんであった。
「ひっ、ひえぇぇ、ま、またきましたー! 助けてくださーい!」
 おっかなびっくり嬌声をあげる朝比奈さんのロッドは大きく弧を描き、最早自分の釣りは放棄した古泉がその都度せっせとランディングに精を出すのであった。鶴屋さんはすぐ傍でそれを実況中継しながら大笑い、といった按配である。
「おおっ、またも追加でゲットだねっ。ビギナーズラック、なんて言葉があったりもするけど、それにしても今日のみくるは大当たりも大当たりの大吉だねぇ」
「はい。その、自分でもなんだか不思議……。でもフライフィッシングっていいですね。他の釣りだと、お魚さんが針を飲み込んじゃって、血だらけになっちゃうのが可愛そうですし」
「そうですね。もっともフライの場合は魚が偽の餌だと見破るとすぐに吐き出そうとするので、フックオンする場合でも必然的に飲み込まれることがないのでしょう」
 結果を出しているせいだろうか、会話の端々にも余裕が感じられるというものだ。
 その一方で、俺はキープサイズを数匹確保している程度なのに対し、ハルヒは未だにリリースサイズばかりしかヒットしていない。
 ひょっとして、また俺が何かフォローしないといけないのか?
「ああん、もう! なんでこんなに小っこいのばっかしなわけ?」
「ハルヒ、とりあえずフライを交換してみたらどうだ」
「あんたに言われなくてもさっきから色々やってみてるわよ」
 だが、どうも鶴屋さんに借りたセット自体が、フックのサイズが小さめなためなのか、イマイチ釣果に結びついていない様子である。
 
「仕方がないな。だったら、これでも使ってみろ」
 俺は、自作のフライの予備をハルヒに手渡した。
「なによこれ、あんたのザコ虫じゃないの」
「ザコだから魚も油断して喰い付き易いんじゃないのか」
「ふうん、それも一理あるわね。じゃあ、これは貰っておくことにするわ。また魚に取られても文句言わないでよね」
 切られるような大物がヒットするかどうかの方を先に考えるべきだろうさ。
 直後、またしても激しい水しぶきとともに、ハルヒがロッドを引き付ける。
「きたわ! これ最初のぐらい大きいんじゃないかしら」
 なんとまあ、ご都合主義とやらもここに極まれり……って、あんまり無茶するなよ、また糸を切られるのがオチだぞ。
「ふふーんだ。同じ失敗を繰り返すほどあたしは甘くないの。キョンは黙って見てなさい」
 なんて大口の割には竿捌きが不安定で危なっかしいではないか。
「むう、こいつ、いい加減大人しくならないかしら。さっさとあたしに釣り上げられなさいよ」
 落ち着けハルヒ。だから無理するなって。
「きゃっ!」
 ついバランスを崩したハルヒを、間一髪俺は支えることに成功した。自分のロッドなんてその辺に放り投げたままだが、アレは借り物だったっけ、乱暴に扱って済みません。
「こらキョン、もうちょっとしっかり支えなさいよ」
「お前こそもっとまともに踏ん張れよ。いいか、ロッドを一度後ろに掲げて、前に倒しながらリールを巻き取れ」
「だから、あんたに言われなくたってそのぐらいっ!」
 口が達者なだけではなく、ハルヒはなんだかんだで獲物を的確に手繰り寄せてはいた。
「しかし、ここだと足場が高くて取り込めないぞ。下手をすると糸が切れるか竿先が折れちまう」
「なによ、だったらあたしたちが降りていけばいいじゃないの」
「いや、だから足場が高くて降りられな……って、待てハルヒ、早まるな!」
「行くわよキョン! そーれっ」
 ハルヒはロッドを構えたまま足元を蹴って川面にダイブした――支えていた俺の身体もろともに。
 
 俺は尻餅を付きそうになったものの、何とか持ちこたえたが、鼻からしこたま川の水を吸い込んじまった。あの独特な痛みと不快感が顔面に集中している。
「捕ったわっ!」
 ハルヒは右手を獲物の鰓に突っ込んで水から抜きあげていた。それで呼吸困難になったのか、はたまた観念したのか解らんが、巨大鱒野郎は暴れるのを諦めた様子である。
「ねえキョン、みてこれ」
「……『ハルヒ虫』か」
 ということは、一度釣り逃した大魚をハルヒは再度針に掛けただけじゃなく、見事にゲットしてのけたのだった。そんな偶然、あるんだろうかね?
「ふえっ、す、涼宮さーん、大丈夫ですかぁ?」
「おおっ、ハルにゃん! 見事に大物をゲットしたねぇ。そいつはここの釣り場で幾多の釣り人から逃れて『主』って言われてたモンスターなのさっ」
「案外浅いようで、危険はなさそうですね。しかし想像以上の大きさで、まるで鮭みたいですね。あれでもニジマスなのでしょうか?」
「間違いなくレインボートラウト。全長八百九十三ミリ、重さ一万三千百五十五グラム」
 
 無事岸に上陸して、ターゲットを古泉に回収してもらったところでハルヒがポツリと口を開いた。
「ねえキョン……」
 うん? どことなく声の様子が妙だな、まさかこいつが感極まって……なんてことはありえないし……、
「この際、ハッキリ言ってもいいかしら?」
「おいハルヒ。言いたいことを黙ったまんまだなんてお前らしくもない。一体なんだ?」
「……さっきから、ずっとどこ掴んでんのよ、この変態エロスケベアホマヌケキョン!」
「い、いや待てハルヒ、これはその、不可抗力であってだな」
「問答無用、食らえっ!」
 
 ああ、星がまた一つ……消えるよ……。
 
 結局、ずぶ濡れの服を乾かしたり、色々やっているうちにタイムアップ、今回の釣りはお開きとなった。
 結果的に古泉だけが一匹の釣果もなかったのだが、今回は珍しくも罰ゲームが設定されていないために、辛くも難を逃れたESP少年は胸を撫で下ろしていた。
 大物賞は言わずもがなのハルヒ。しかも、この釣り場の新記録とやらで両手で獲物を掲げて得意満面な団長様の記念写真が撮影の運びとなったのだ。しかもこの記録、ちょっとやそっとじゃ更新されることもなさそうである。やれやれ。
 そのハルヒは帰りの車内で大口開けて居眠りこいてやがる。暢気なもんだ全く。どうせならこの寝顔も一緒に記念に飾っておきたいところだぜ。っていうかこっちに寄りかかるなよ、涎が垂れて付きそうじゃないか……コンチクショウ。