概要
作品名 | 作者 | 発表日 | 保管日 |
Remnants Ravens' Residence | 92-337氏 | 08/06/23 | 08/06/23 |
Part A
その日は昨日まで降り続いていた雨も上がり、この時期にしては湿度もない爽やかな空気だった。
放課後に文芸部室へと向かうのもほぼ習慣と化してしまっていた俺なのだが、その道中の階段で見覚えのある集団とすれ違った。
ノートPCやら基板剥き出しの怪しげな装置を運んでいるのはコンピ研の連中、そしてその後ろには――普段なら今頃は文芸部室で読書モードのはずの――長門が鈍い光沢を放つ奇妙な二本足のメカを抱えていたのだった。
「よっ、長門。一体何だそいつは?」
「……高硬度導電性結晶構造体装置試作型第二版」
へっ? え、えーと、何だって?
「高硬度導電性結晶構造体装置試作型第二版。コード名『RAX=mkII』。通称『涼子2』」
リョウコ・ツー? って、まさか……その名前を聞くと思わず緊張が走る。それに、その装置って言うかロボット? の顔らしき部分に付いている特徴的な二本のそれは――、
「眉毛は重要」
重要、ね。で、その『リョウコ・ツー』とやらは要するに何なんだ? ロボットか何かか?
「自律的な行動は不能。仕様的には半自動姿勢制御式の遠隔操作型二足走行車両の範疇に該当する」
うーむ、さっぱり解らん。まあ勝手に動き出したりはしない、要はラジコンみたいにこっちで全部操作するってことなんだな。
「そう」
どうやらコンピ研のPC制御ロボット実験に長門が協力することになったらしい。しかしこれ、コンテストか何かに出展したらえらいことになりそうなんだが。
「地球人類の持つ技術的限界を超える仕様は排除済み」
えー長門、ついでにそのレベルを人類ではなく高校生レベルに下げてもらってもいいか?
「了解した」
てなわけでコンピ研連中と長門は中庭を目指して階段を下りていった。久々の晴天、外に出ての部活ってのも悪くはないかもな。
というわけで部室のドアの前。
誰か中にいるのか、室内から物音が聞こえる。
といっても長門ではない。いや、そもそも長門がこんな物音を立てるような動作をするってことの方が俺には想像が付かない。
となると麗しのマイ・スィート・エンジェル、朝比奈さんだろうか。とか思い込んで部屋に入ったら、古泉が白い歯を光らせながら上半身半脱ぎで妙なポーズを決めつつ不思議な踊りを踊っている、とかは正直勘弁して欲しい。
え? もう一人誰か忘れてやしないかって?
ああ――ハルヒなら今日は掃除当番で遅れてくるはずだから現在この部室内にいるはずもない。
そもそもあいつが何処で何してるかなんてのを気にする必要があるのは俺一人だけで十分だし、だからみんなには言うまでもないかなと思ったんだが、まあそんなことはどうでもいいだろ。
前置きが長いな。まあ時間的にはもうお着替えタイムは終わっているはずだが一応ノックをしてから入室するのがマナーだよな、とか考えていると、
ガタン!
と不自然なほどの物音とともに「ひえぇ、ほにゃ~!」と朝比奈さんの悲鳴が上がった! マナーとか言ってる場合じゃねえ。俺は慌てて部室に飛び込んだ。
「朝比奈さん! 大丈夫ですか? ってうわっ!」
俺の目の前には真っ黒な塊があった。否、真っ黒な鳥が三羽、バサバサと翼を翻して大暴れしていた。
カラス……にしては図体が大きすぎるような気もする。それに鳴き声も『カア』とか『ガー』ではなく、まるで喉を鳴らすように奇妙な音をさせていた。
って、冷静に観察なんてしてる場合なのかよ!
「チクショウ、この野郎!」
俺は持っていた鞄を振り回すと、頭を抱えて床に這いつくばっていた朝比奈さんとの間に割って入った。
俺の勢いに気圧されたのでもないのだろうが、黒い翼の三羽は開いていた窓から飛び去っていった――各々が何かを足に掴んだり口に咥えたまま。
「うぅぅ――ふひぃ~ん」
俺は足元で丸まって震えているメイド服の先輩に近寄り、
「朝比奈さん、しっかりしてください」
と声を掛けて肩に手をやるも、
「ふえっ! こないで~!」
と払い除けられてしまった。って、朝比奈さん、落ち着いてください。
「ほえっ?」
恐る恐る顔を上げた朝比奈さんは俺の方を見て顰めていた眉を緩ませたが、その次の瞬間には両目から大粒の涙をポロポロと零すと、
「ふえぇぇん、キョンく~ん! と、とっても怖かったですぅ。わぁ~~ん」
といきなり俺に縋りついてきたのだった。突然の反応にバランスを崩して床に背中から倒れこむ俺。
それと同時にドアを粉砕するかのような勢いでもって部室に闖入してきたのは我らが団長――涼宮ハルヒその人だった。
何とも最悪のタイミングだ。っておい、またこのパターンかよ。
「いや~ゴメンみんな~! すっかり遅くなっ……キョン――それにみくるちゃん――なにしてんの、あんたたち?」
ハルヒは眉を一度ピクリと動かすと、妙に冷静そうな口調でそう言い放った。
「待て、ハルヒ! 実はこれにはだな――」
「す、涼宮さ~ん! ぐすん。わ、わたし、とっても大事にしていたアレ……奪われちゃいましたぁ! ふえぇぇん」
朝比奈さんはようやく俺の体の上から起き上がると、ハルヒの胸元に抱きついてわんわんと泣き出した。
ハルヒの眼が逆三角に吊り上がる。って、おい!
「キョン、まさかとは思ったけど――あんたがこんなに悪逆非道な鬼畜だったなんてね」
「なあハルヒ。まずは落ち着いてだな、俺の話を――」
「問答無用っ! あんたはみくるちゃんのことを――乙女の純情を踏みにじったのよ! そこまでしておいて、まさか覚悟の一つもできてないなんてことないわよね。もう許さないわ。このあたしが直々に天誅を――」
「お前、いい加減に俺の話を聞け――」
俺が起き上がったのと、ハルヒの上履キックが俺の顔面にめり込んだのはほぼ同じタイミングだった。
「なるほど、つまり僕と長門さんの不在中に、朝比奈さんは久々の好天に部室内の空気を入れ替えようと窓を全開にして掃除されていたところ、突然舞い込んできた三羽の黒い鳥に襲い掛かられて危機一髪のところを彼に救われた、と仰るわけですね」
長々と説明台詞をありがとうよ、古泉。
「なによ、そうならそうと早く言ってくれればあたしも変な誤解をせずにすんだのに」
珍しいことにハルヒは真っ赤な顔で恐縮している様子だった。その表情を拝むための代償が俺の顔にくっきりと付けられた上履の痕だ、というのも複雑だな。
「しかし黒い鳥ですか。ふーむ――念のため訊きますが本当にカラスではなかったのですか?」
朝比奈さんはパニック状態だったわけだし、代わりに俺がそのあたりを大きさとか鳴き声とか見聞きしたままに説明させられることになった。
「ふむ、身体の大きさといい鳴き声といい、どうもハシブトガラスともハシボソガラスとも違う、とあなたは仰るのですね」
しかし自分で違うと思っていながらアレなんだが、カラス以外の鳥だとは思えんし、かと言ってカラスの突然変異とかそういうのにしても三羽一緒ってのも、
「……喉元と眼の上の羽毛は?」
うわっ、長門かよ。いつの間に来てたんだ? ビックリしたじゃないか。
「喉元と眼の上ねえ。――そういえば気のせいか顎ヒゲと爺さんみたいな眉毛っぽい羽毛でカラスの長老、見たいな感じがあったかも知れん」
「やはり。……その鳥はワタリガラスである可能性が高い」
へっ? 何? わたりがらす?
「ワタリガラス。オオガラスとも呼ばれる。ハシボソガラスやハシブトガラスよりひとまわり大きい体格をしている。のどを鳴らすような鳴き声が特徴」
珍しくも饒舌な長門に俺はつい尋ねる。
「普通のカラスと比べて他に違うところはあるのか?」
「カラスは雑食性と言われるが、ハシボソガラスやハシブトガラスが植物食性主体であるのに対し、ワタリガラスは動物食性が強いと言われる。基本的に動物の屍骸を好むとされるが、海鳥の雛や小動物を襲うこともあるとされる」
って要するに肉食の気が強い雑食性ってことか。おいおい、そんな危険なのがこの辺を飛び回ってるって言うのか?
「ただし日本では北海道にのみ冬の渡り鳥として見られる。本州で確認されることはほとんどない」
うーん。でもその珍しいのが三羽も現れたなんて一体どういうことなんだろうな。
「でも、そういえば最近――カラスさんたちの姿を見かけること、多くなりましたよね」
ようやく泣き止んだもののまだ目を赤く腫らしたままの朝比奈さんがポツリとそう呟いた。
確かに俺の住んでいる市内では最近カラスによるゴミの被害がどうだ、とかニュースで話題になっていた覚えがある。
元々は地方ではハシボソガラスしかいなかったとか、都会で繁殖したハシブトガラスが急激に勢力を増やしているとか、繁殖期に気性の荒くなった親ガラスが巣の近くを通った人間に襲い掛かったとかそんな話も聞いたっけな。
要するに人間が生活空間を拡大した結果、それがカラスの分布にまで変化をもたらしたってことらしい。俺は環境問題にはあまり詳しくないんで細かいことは解らんが。
「で、みくるちゃん。さっき大事にしていたモノを盗られたって言ってたじゃないの。何だったの、それ?」
「はい……実はこの前涼宮さんとキョンくんの妹さんに見せた――ペンダントなんです」
その言葉を聞いた瞬間、ハルヒの表情が凍りついたような気がした。
そう、あれは先週の土曜日のことになる。
………
……
…
不思議探索パトロールもたまにはお休みってことで、あいにくの雨の土曜日、俺は現実逃避ばかりもしていられんなあ、とか腹を括って一念発起、間近の試験に向けた勉強に取り組んでいた――はずだったのだが――、
「何故みんなが俺の家に集まってるんだ?」
「いいじゃない、そんなの。大体あんたが珍しいことに試験勉強するなんて言い出すから、あたしがせっかく臨時家庭教師を務めてあげようってんでしょ。感謝されて当たり前、文句を言われる筋合いなんかないわっ!」
今現在の俺の自室、目の前にはSOS団のメンバー四人と何故かシャミセンを連れた妹までもがいるのだった。
「あ、あのぅ、わたし、やっぱり帰った方がいいんでしょうか?」
朝比奈さんは申し訳なさそうに俯いてモジモジしていらっしゃる。
「えー、みくるちゃんに有希ちゃん、帰っちゃうの?」
妹はその朝比奈さんと長門の間で二人の手を握ってブラブラと前後に揺すっていた。
「…………」
長門は沈黙したまま俺の方を見つめている。帰るべきかどうかを俺の判断に委ねているかのようでもある。
「まあまあ、『三人寄れば文殊の知恵』ともいいますし、ここは五人もいるわけですからそれ以上の効果を発揮できるのではありませんか?」
古泉がいつものごとくニヤケ顔でまとめようとする。いやそもそも試験勉強なんだし五人いるとかそういう問題でもない気がするんだが。
「やれやれ、好きにしろよ、もう」
俺の諦め半分の宣言に妹の奴は大喜びで朝比奈さんと長門の二人を振り回し始めた。あんまり無茶すんな。
「で、キョン。そもそも何であんたが自分から勉強なんて梅雨に大雪が降りそうなことをしてるのよ?」
俺のことを茶化すのはいいとしてさりげなく怖いことを言うな。
環境情報の改竄がどーたらこーたらとか言う長門の台詞がプレイバックされたため、つい俺は妹にシャミセンを頭に載せられたままで文庫本とにらめっこ中の寡黙な少女の方を見てしまう。
ちなみに妹は朝比奈さんの御髪で遊んでいた。確かにいかにもフワフワと柔らかそうで触ると気持ちいいであろうことは間違いないんだが、その、程々にしておけ。
「こら、あたしが質問してるのになによそ見してんのよ!」
ああスマン。と言っても全然大したことなんかじゃないぞ。この前の試験の結果で親にちょいとばかり釘を刺されたんでな。無理矢理塾にでも通わされることにでもなってみろ、SOS団の活動どころじゃないだろ?
「要するに、キョンの自業自得ってわけじゃないの、それ。もう、しっかりしなさいよね。そんな理由でSOS団の活動をサボられたらあたしも困るじゃないのっ!」
困るって、何が困るんだ?
「んな、と、とにかくキョンは雑用なんだからあたしのためにキリキリ働いてもらわないと困るの! 当然でしょ」
そんなに顔を真っ赤にして怒鳴らんでも聞こえてるさ。目の前にいるんだからな。
「う、うるさい!」
とまあ、こんな調子で集中力を欠いたまま俺は自分が書いたにもかかわらず判読不能なノートの文字と格闘するハメになった。それにしてもみんな、揃いも揃って暇人だな。
――数十分後。
「だぁ~っ! ここんとこの文字がどうしても読めねえ!」
俺の中の何かがプッツリと音を立てて切れてしまったような気がした。そのまま床に倒れこむ。
「はて、少々根を詰めすぎなのではありませんか? 人が集中力を持続させられる時間の限界は九十分程度と聞きますし、もう休憩を入れてはいかがでしょうか」
あーそーだな、こいずみ~。そーさせてもらうわー。
「あ、キョンくん休憩ですか? よかったらわたしがお茶でも――」
と立ち上がろうとした朝比奈さんに
「あれー、みくるちゃん、なにか落ちたよー」
妹が能天気な声を上げる。
「あっ、ごめんなさぁい」
妹相手にすら妙に恐縮した様子の朝比奈さんがなんとも微笑ましい。
「あーひつじさんだー! かわいいなー」
妹が手にしているそれは銀の羊細工のペンダントが付いた首飾りのようだ。
「わたしってドジだから失くさないようにいつも気をつけてたのに。あーあ、ダメだなぁ」
妹はしょげた様子の朝比奈さんに落としたペンダントを渡す。
「はい、みくるちゃん」
「ありがとう。このペンダントはとっても大事にしてたの。わたしの大切な人からもらった――思い出のペンダントなんです」
「ふーん。その人って、みくるちゃんの彼氏なの?」
「へっ? い、いいえ! ち、違います。違いますよぅ」
俺の方をチラチラ見ながらも一人慌てた様子の朝比奈さんの反応に、つい俺はそのペンダントって朝比奈さんが元いた時代の誰かからもらったものなのかもな、とか気になってしまうのだった。
ハルヒも、朝比奈さんと妹のやりとりにつられてその場に寄っていく。
「あら、シルバーのペンダントなんてオシャレじゃない。ちょっと見せてもらってもいいかしら?」
「えっ、あ、はい――どうぞ」
朝比奈さんから受け取ったペンダントの羊細工をしげしげと眺めているハルヒの脇で妹は、
「いいなー。ねえキョンくーん。あたしもこんなのほしーよー!」
とかぬかしやがる。こらこら、何でもかんでもすぐに人のモノを欲しがるんじゃありません。
「ぶぅー!」
「こらキョン、あんまり妹ちゃんを子供扱いしたら可哀想じゃないのよ! ……そうだ妹ちゃん! 今度あたしがこれと同じのを作ってあげるわ」
「えー! ホントにいいの?」
「もちろんよ。ねえみんな、せっかくだから一緒に銀細工教室に参加してみない?」
「それは面白そうですね。そういえば僕の知り合いに彫金と銀粘土細工の講師をしておられた方がいたはずです。体験教室なども開いていたと思うので一度お願いしてみることにしましょう」
「さすがは古泉くんね。期待してるわよ」
唐突にイベントを企画するハルヒも毎度のことながら、そのリクエストにあっさり応える古泉も古泉だった。
やれやれ、予定調和もここに極まれりと言った感もあるんだが、妹と一緒に笑顔を炸裂させていたハルヒを見ている内に、俺はそういうのもまあいいかもな、とか思ってしまったのだった。
…
……
………
突然沈黙してしまったハルヒに古泉が声を掛ける。
「涼宮さん。どうかなさいましたか?」
「――ああ、ごめんなさい古泉くん。なにかしら?」
「いいえ、別に何でもありません。こちらこそ失礼しました」
「そう……」
ハルヒはまた黙り込んでしまった。それと同時に古泉がアイコンタクトを送ってきやがった。まあこんな調子だと気付かない方がどうかしてるってモンじゃないかね。
ふと、朝比奈さんがみんなに尋ねた。
「あの、わたしは自分のことで精一杯だったからよく見てないんですけど――他になにかカラスさんに盗られちゃったもの、ありませんか?」
そういえばみんなして第一被害者の朝比奈さんの方にばかり注目していたんだった。
部室内を見ると、長机の朝比奈さんがいる方とは反対側の床に、机の上にあったらしき荷物が無残にぶちまけられていた。
「これは僕の鞄ですが――そちらは長門さんのものでしょうか?」
「そう…………!」
自分の鞄の中身を仕舞っていた長門の動きが静止する。どうしたんだろう? まるで長門の周囲一帯のみが空間ごと凍結されてしまったみたいじゃないか。
「……迂闊」
長門はそう一言漏らすと、ゆっくりと俺の方を見上げてきた。何となくだが俺にはその長門の視線がどこか申し訳なさそうに感じられた。
「なあ長門、ひょっとしてお前も何か盗まれちまったモノがあるのか?」
俺の問いに長門は僅かに首を上下させて頷き、
「市立図書館の貸し出しカード」
と告げたのだった。
どうもその図書貸し出しカードとやらは第一回目の市内不思議探索パトロールの午後の部で、俺が長門を図書館に連れて行ったときに作るハメになったアレのことに違いない。
しかしカラスだったら金属みたいな光るモノを狙いそうなんだが。いや、ラミネート加工とかで表面が反射してキラキラして見えたのかも知れん。
先程から黙っていたハルヒは我に返った様子で、
「ちょっと有希、あなたもなにか盗られちゃったのね。まさか――大事なモノだったの?」
と長門に訊いた。長門は何故か俺の方を一瞥したかと思うと、少しだけ俯き加減になり、
「…………とても大切なもの」
とだけハルヒに返答した。
「そうか。確かに長門は読書好きだし、カードが無いと本を借りるのに困っちまうだろうからな」
俺がそう告げると、長門はどこか悲しそうな目で俺の方を見つめてきた。
朝比奈さんも、どこか非難するような感じで俺に対して首を横に振ったのだった。
はて、何か俺まずいことを言ったっけ?
ハルヒもどこか呆れたような視線で俺の方を見ていたが、
「古泉くんは大丈夫? なにか無くなってたりしなかった?」
と尋ねたのだった。
「はい――大変申し上げにくいのですが――実は涼宮さんからいただいた『副団長』の腕章を失敬されてしまったようです。何とお詫びすれば――」
「うーん……」
ハルヒは古泉の言葉が終わらない内に腕組みと難しい顔をしたままドアの方に歩いていった。っておい、どこに行くつもりだ?
「ちょっと考え事。しばらく一人になりたいから」
そう言い残してハルヒは、まるで幽霊のような足取りで廊下へ出て行ってしまった。
「さて、あなたは如何いたしますか?」
いきなり何だ? 急に話を振られても答えようがないだろ。
「失礼。でも先刻からあなたはずっと涼宮さんのことを気に掛けているのではありませんか? 今度の土曜日に行われるはずだった銀粘土細工の体験教室への参加が危ぶまれてしまったのですから」
確かにそれは図星だった。今週中のハルヒは何かと俺の背中を突付いては「今度の土曜日のことなんだけど……」と頻りに体験教室のことを話題に挙げていたからな。
「す、すみません。わたしがしっかりしてなかったせいで涼宮さんは――」
朝比奈さんはまた落ち込んでしまわれたようだ。そんなに自分を責めないでくださいよ、朝比奈さん。
「キョンくん、でも……」
「いえ、これは僕たち全員の責任であり、最優先で対処すべき事態です。――そうですね、長門さん」
古泉の問いに長門は声に出して返事をする代わりにナノ単位での頷きで応答した。って、それは一体どういうことなんだ?
「考えてもみてください。涼宮さんに接触を図っている組織の末端の三名が全員、各々が大事にしていたものを奪われてしまった――果たしてこれは偶然の一言で済ませてしまってもいいのでしょうか?」
まわりくどいぞ。もっと解り易く頼むぜ。
「つまり……これは警告なのではないか、と僕は考えています。僕と――長門さんや朝比奈さんに対して――手出しは無用である、と。彼らがどのような存在なのかは解りませんが――現在、長門さんが調べてくださっていることでしょう」
古泉の言葉につられて俺は長門に眼を遣ると、長門はしっかりとした視線でもって俺に応えた。
「問題はその何者かの目的です。彼らが涼宮さんのことをどう捉えているのかはまだ何とも判断が付かないのですが――一つだけ解ることがあります」
だから勿体ぶるなよ。何だそれは?
「彼らは涼宮さんの性格も含め、僕たちSOS団のメンバーのことを相当熟知していると思われます。襲撃の際にはいつも部室内に常駐しているはずの長門さんの不在を狙っていますし、それに――」
そこで古泉は一息置くと、いつになく真剣な表情を見せてこう言った。
「こうなった以上、涼宮さんが直々に行動を起こすに違いない――きっと涼宮さんご自身が彼らの元へ僕たちの奪われたモノを取り返しに来るはずだと踏んでいるのですよ」
何だって? ハルヒがさっきここから出て行ったのは、まさか……、
「いえ、まだ僕の仲間からそのような連絡は入っていません。それに――どうか落ち着いてください。彼らは鍵となる存在のあなたのことも狙っていると十分に考えられます」
部室を飛び出しかけた俺は古泉の言葉で思いとどまる。
「……彼らの拠点が判明」
長門は先程から弄っていたノートパソコンの画面を俺たちに示した。って、学校のすぐ傍の植物園とかのあるあそこの自然公園か。
「なるほど、ここならカラスたちのねぐらにはもってこいですね」
そこには間違っても可愛い七つの仔なんていないだろうがな。
ふと、俺は気になることを長門に尋ねた。
「なあ、そのカラス野郎共ってのはまた、じょーほーせーめーたいだか何だかの一種だってことなのか?」
「あくまでも可能性としてならその確率は高いものと思われる。問題は彼らが既にこの三次元空間にて相応の組織力を発現させていること。……現在、わたしたちは彼らの監視下にある」
そういって振り返った長門の視線の先――窓の外では、十羽を超えるカラスの集団がこちらを伺っていた。おいおい、あいつらが全部そうなのか?
「あのカラスはハシブトガラス。この近辺でもよく見られる一般的な種類のもの。でも彼らによって操られていると考えた方がよい」
何だ、要するに例の三羽ワタリガラスはこの辺のカラス全部のボスみたいなもので、その辺の下っ端ガラスを自在に操ることができるってことみたいだな。
「そのように考えて間違いではない」
相変わらず恐ろしいことをあっさり言ってくれるぜ、長門。
その間古泉は携帯電話でどこかに連絡を取っている様子だった。といっても十中八九は『機関』への通信なのだろうけど。
「――失礼、機関としても最優先の対処を開始することに決まりました。それで当面の方針ですが、どうにか先手を打って涼宮さんと彼らを接触させないように――」
なあ古泉、せっかくのご提案だが、もう手遅れだと思うぞ。
「はて、それは一体――」
古泉の言葉が終わらぬ内に部室のドアが弾け飛ばんばかりの勢いで開き、
「みんな、これからカラス退治に出発するわよっ!」
ハルヒがどこかで観たスポコンモノの熱血主人公のごとく瞳に炎をメラメラと浮かび上がらせて雄叫びを上げたのだった。
ほらな、俺の懸念した通りだぜ、やれやれ。
Part B
てなわけで、その翌日に俺たちSOS団の面々による『カラス退治と奪われた秘宝を取り戻すための作戦』が展開されることに決定されたのだった。
なお、当然のことながらハルヒが当日中にも出動する気満々であったのを、俺が全身全霊を注いだ説得によってなんとか一日延期するよう納得させたのは言うまでもない。
「と言うわけだから頼むぜ古泉。団長様はお前が持ってくるはずの対カラス用必殺兵器の数々に期待しているみたいだからな」
古泉はスマイルを何とか浮かべながらも冷や汗を垂らしながら答えた。
「果たしてご期待に添えるかどうかは解りませんが、大急ぎで手配に尽力してみますよ」
ハルヒはおっかなびっくり状態の朝比奈さんの肩を抱いて、
「安心して、みくるちゃん! あなたの大事な思い出のペンダントはあたしが絶対無事に取り返してあげるんだからね」
と一人ボルテージを上昇させっ放しだ。
長門はと言えば、再度コンピ研に出向いた後、重そうなダンボール箱を抱えて戻ってきた。帰り道の今もその箱を抱えたまま黙々と歩いている。
アレの中身は多分きっとナントカ二足歩行車両なのかね? とか俺が考えていると、突然長門は立ち止まって俺の方を見上げてきた。一体何だ?
「明日の作戦行動にあたり、『涼子2』に設定した各機能制限を一時的に解除したい」
何だそんなことか。それなら一々俺なんかに確認を取らなくても長門の判断で決めてくれたらいいぞ。
「いいの?」
いいの? って、うーんそうだな――例えば今ブレーキの故障した暴走車が俺の方に向かってきたとすると、長門ならどうする?
「!」
いや、あの、長門さん? そんなにウルウルした目で俺を見られても――スマン、仮定の話にしても例が悪かった、謝る。
まあとにかく、その場合には俺のことを蹴っ飛ばしてでも事故から防いでくれるはずだよな? ってもしここで否定されでもしたら俺はしばらく立ち直れそうもないんだが。
「……」
長門は小さく頷いて同意を示してくれた。何故か安堵する俺。
とにかく今回はそういう類の緊急回避的なところがあるから全て長門に任せるよ。俺からは文句なんて付けやしないさ。
「了解した」
頼んだぜ長門。ハルヒを助けるためならば、お前の拵えたメカが反重力で光速を超える動きをしようとも俺は何も言いやしないさ。
さて、その次の日の放課後。
ハルヒは古泉の持ち込んだスタンガンやらスリングショットにDA・I・KO・U・HU・N☆なのであった。ってこら、人に向けるんじゃない!
「いやあ、実は昨日の晩に森さんにお願いしてコレクションの一部を貸していただきました。この借りは少々高く付きそうな気もしますので、万一の場合はあなたもご協力お願いいたしますよ」
古泉が小声で囁く。ふーん、森さんがこんなコレクションとはねえ。……怖くなってきたのであまり深くは考えないでおくことにしよう。
ちなみに武器だけではなく防具、と言うほどのモンでもないが、眼を突付かれたりしないようにサバイバルゲームとかで使われるゴーグルが全員に行き渡る数だけ用意されていた。って、長門――ゴーグルを手に何を考え込んでるんだ?
「以前あなたは眼鏡属性はないと言った」
ゲフンゲフン! い、いや、あの長門さん。今はそういう場合じゃないんで、ここは一つみんなに合わせて装備してくれよ。
「……わかった」
朝比奈さんは救護兵と言うわけでもないのだろうが、何故かナース服姿だった。久しぶりに拝見したが、うーん、やはり可憐です。いや、そんなこと言ってる場合じゃないって!
ちなみに昨日長門が調べた敵の本拠地がどこだ、とかはハルヒには伏せたままだ。こいつにそんなことを教えでもしたら一人で突撃をかますに決まってる。
「それで涼宮さん、本日の作戦ですがどのような手筈で進行させればよいのでしょうか?」
ハルヒは自信満々といった態度で、
「ああ、古泉くん。その点は抜かりはないわよ。こういう場合にはまず囮を使うのが基本よね」
と言うと朝比奈さんに抱きついた。
「ふえぇっ!」
ちょっと待てハルヒ。まさかお前、朝比奈さんを囮にするとか言い出すんじゃないだろうな?
「もっちろん違うわ! ここはあたし自らが囮役を務めるからね」
と、どこに隠し持っていたのか、妙にキラキラ光るガラス球だらけのネックレスを取り出して自分の首にぶら下げた。
またお前はそういう無茶を――、
「無茶かもしれないけど無理じゃないわ。さあ、小生意気なカラスたち、今すぐあたしの前に姿を現しなさいっ!」
ハルヒはそう叫ぶと部室の窓を全開にした。
おいおい、いくらなんでもそう簡単にはいかないだろう、普通。
だがその直後、激しい羽音と同時に黒い翼の使者がハルヒの目の前に飛び込んできた。
あっけに取られる俺たち四人には構うこともなく、例のカラス野郎三羽はハルヒの首のネックレスを奪い去ろうと掴み掛かってきていた。
「こらー、あんたたち! いきなりなにすんのよ!」
ハルヒも負けじとそいつらの一羽の足をガッチリと掴み返した。
そのとき俺は信じられない光景を見た。
窓から大量の黒い大群――外で待機していたらしいハシブトガラスやハシボソガラス、要するにその辺にいるカラス共が押し寄せたかと思うと、ハルヒの制服のあちこちを捕まえて羽ばたき始めた。
「へっ? ちょ、ちょっとなによこれ?」
何が起こったのかまるで理解していないハルヒを捕まえたまま、黒い羽の塊は宙に浮かぶと、ありえないスピードで窓の外――空の彼方へと飛び去ってしまったのだった。
「ほほう、さすがは涼宮さんですね。これ程あっさりと敵の本拠地へ案内してもらうことが可能だなんて、僕にも全く予想が付きませんでした」
感心してる場合かよ、古泉! 早くハルヒを追いかけないと、何されるか解ったモンじゃないだろ!
「ご心配なく、こんなこともあろうかと涼宮さんの首飾りに超短波発信機をこっそりと取り付けさせてもらっていたんですよ。長門さん、現在地を確認できますか?」
長門はいつの間にかノートPCを起動させていて、
「現在発信機は北山貯水池西岸部の丘陵にて静止中。既に判明している彼らの拠点とも一致」
よし解った。待ってろよハルヒ。今すぐ俺たちがお前を助けに行って――、
ピリリリリリリ。
「失礼、機関からの連絡です」
携帯電話の着信音に出鼻を挫かれてししまったぜ、チクショウ。で、今度は何だ、古泉?
「まずいことになりました。閉鎖空間が発生した模様です」
閉鎖空間、ってハルヒが作り出したってのか?
「ええ。おそらく現在の涼宮さんには相当なストレスを感じさせるような境遇に追い込まれているのでしょう。僕は閉鎖空間の処理に向かいますので、後はみなさんでよろしくお願いいたします」
そういい残して古泉は自分の役目を果たすために出動していってしまった。
さて、こうなった以上は俺がハルヒを助けに行くことになるわけだが――、
「待って。……これを」
長門は古泉の用意したゴーグルに使い捨てライターほどの大きさの機械を取り付けたものを俺に手渡してきた。
「通信機能を追加した。わたしはこちらで後方支援に当たる。装備が完了次第増援も手配予定。……気をつけて」
ああ、解ったよ長門。精々頑張ってみるさ。
「キョンくん――わたしは何にもできませんけど――涼宮さんのこと、どうかお願いします。それに、無理しないでください」
朝比奈さんに無事を祈っていていただければ勇気百倍ですよ。それじゃあ、行ってきます。
待ってろよハルヒ。今すぐ助けに行くからな。
決意を胸に、俺は部室のドアから一歩を踏み出した。
屋外に出るも、意外なことに敵カラスの姿は全く無かった。拍子抜けするじゃないか。さっきまでの俺の意気込みはなんだったんだろう。やっぱ柄にも無いことはするなってことなのか?
『油断は禁物。彼らは勢力を本拠地周辺に集結させつつある。自然公園内に侵入してからが本番』
まるで俺の表情が見えてるんじゃないかってぐらい絶妙なタイミングで長門からの通信が入る。
ああ解ってるって。リラックスするのは今の内だけにしておくさ。
校門を出てから県道に辿り着くまでの間、北高生たちの視線が痛い。冷静に考えれば俺の格好は制服姿のまま変てこな装備に身を固めた危ないヤツに見えることだろう。
だがそんなことは気にしている場合じゃない。こうしてみると今まで散々ハルヒに付き合わされて恥ずかしい経験を積んだことが図らずも耐性というかあまり嬉しくない経験値になってしまったようだな。
県道を駅とは逆方向に坂を登ると公園にある植物園の入り口が見えてきた。
案内板を見ると、目的地の貯水池は丁度公園の反対側、十五分程度は掛かるとのことだった。
やれやれ、せっかくだからハイキング気分でひとっ走り行ってくるとするか。
――甘かった。
長門の言葉通り、園内は大量のカラスの姿で溢れ返っていた。なんていうか、古い映画で見たことのある目の前一面を覆い尽くす黒い鳥の大群。どう考えても正面突破は無謀というものだ。
仕方ない、ここは遠回りだが迂回ルートで、と振り返った俺はギョッとした。
既に後方の木々の枝にも黒い花でも咲いたかのごとくカラスの群れが冷たい眼で俺のことを捉えていた。鳴き声一つ発しないところが余計に不気味じゃないか。
絶体絶命、どうするよ俺?
そのとき、パニックで叫び声を上げそうになってしまった俺の身体は音も無く背後に引き倒され、何者かによって拘束されてしまった。口元も押さえられ声も出せない。
「!」
まさか、これが噂に聞く近接格闘のCQC?
「動かないでいただきたい。どうかお静かに」
聞き覚えのある落ち着いた声。そこにはオールドスネ……もとい、タクシー運転手姿の新川さんが冷静さの中にも優しさを含んだ表情で佇んでいた。
って、新川さんがどうしてここに? 閉鎖空間はいいんですか?
「あちらは古泉たちに任せておりますのでご心配は無用です。それよりもお待たせいたしまして申し訳ございません。古泉から手配するようにと申し付けられました品をお届けに参上いたしましたので、どうかご利用ください」
そう言って新川さんが取り出したのは防犯用のカプサイシン・スプレーだった。
一応説明しておくが、カプサイシンってのは唐辛子などに含有される辛味成分のことだ。
カプサイシンダイエットなどという言葉を聞いたことのある方も多いんじゃないだろうか。俺なんかは聞いただけで口の中が熱くなってくるような気がする。
「少々失礼いたします。どうかしばらく息を止めておいてくださいませ」
指示されるままに俺は口元にハンカチを当てると目を閉じた。一応ゴーグルは装備しているが、曇り止めの通気孔も開いていることだし、肝心の俺自身が行動不能に陥ってはシャレにならない。念には念をというわけだ。
ちなみにカラスは辛いものが苦手らしく、各地の自治体では試験的に辛味成分を含ませたゴミ袋の使用を始めたところもあるらしい。いや、こんな話は今はどうでもいい。
「それではご武運を」
そういうが早いか、新川さんは脇に転がっていた古びたドラム缶に潜り込むと横転させて、襲い来るカラスを弾き飛ばしながら斜面を転がり降りていった。目が回って気分悪くなったりしないんだろうか? 少々心配な気もする。
直後、通信機からしばらく途絶えてしまっていた長門の声が届けられ、俺は少々安堵した。
『敵は電磁波妨害を使用していると思われるため、ニュートリノ通信にモードを切り替えた。これからわたしもリモートでバックアップ活動を開始する。あなたも急いで』
「そいつは頼もしいな」
俺はカラス共を牽制するようにスプレーを構えたまま貯水池へと続く道を早足で進み始めた。
途中何羽かの特攻カラスの襲撃を受けつつもスプレー噴射で撃退、を繰り返しながら、やがて俺は目標地点にまで辿り着くことができたのだった。
問題はそこからだった。
小高い丘の上に一本の立派な楠らしい木がそびえ立っている、その周囲を取り囲むように黒い塊が待ち構えている。
はっきり言って物凄い数だ。一体全部で何羽ぐらいいるのか、俺は最初から数えるのを放棄してしまったのだが、もしも暇なヤツがいたら是非代わりに数えてもらいたい程だ。
人海戦術、いやこの場合はカラス相手なんだが、とにかく多勢に無勢というモンだ。このままでは新川さんから貰い受けたスプレーが後何缶必要になるのか解らんぞ。
俺はつい長門に助けを求めたくなってしまった。しかしバックアップとやらが到着するまでにはまだ時間が掛かるようだ。
駄目元で俺は通信回線を開くとアドバイスを求めた。
「なあ長門、どうすればいい?」
『現状の敵勢力数からして下手に策を弄しても無駄。極力相手を刺激しないように前進して』
やっぱりそれしかないんだろうな。無茶かも知れんが無理じゃない、か。
俺は覚悟を決めてゆっくりと足を繰り出した。一歩進むのに三十秒以上も掛ける牛歩戦術――言わば『だるまさんがころんだ』作戦だ。
そうやってカラスを刺激しないように極々僅かだが確実に一歩ずつ先に進む。
一般的にカラスは頭のいい鳥だと言われているが、果たしてこいつらには俺がじっとしているようにでも見えているのだろうか?
いや、それとも解っていても敢えて無視しているのか知らんが、もしそれならそれでなんか癪に障る気がしないでもない。とにかく俺は我慢しながらも先へと進んだ。
しかしなんだ、改めてこの光景を目にして逃げ出したりしない俺って一体どうしちまったんだろうな?
古泉も保証してくれた普通の人間のはずなのに、これじゃまるでハリウッドムービーのマッチョヒーローの役みたいではないか。
とか馬鹿なことでも考えながらじゃないと、とてもではないがMIBとかエージェントなんたらみたいな黒尽くめスーツみたいな空気で包囲しているカラスの大群相手に立ち向かうなんて真似はできないだろうぜ。
全く、やれやれだぜ――我ながら他人事のような口振りだが、そうとでも思っていなけりゃこんなところにはいられないからな。
植物園入り口から貯水池脇まで来た時の倍近い時間を掛けて、ようやく俺は楠の下に辿り着いた。
何故か周囲五メートル内にはカラスは一羽も入ってこなかった。それにボス的存在のワタリガラス三羽の姿も無いのが気懸かりでもある。
とにかく、今の俺の目の前の木の根っこの部分では――ハルヒが膝を抱えて顔を伏せたままじっとしていたのだった。
ハルヒの着ている体操服のジャージはボロボロ、もし制服姿のままだったらなんてぞっとしないね。
とにかく早くここから脱出することを考えないとな。俺は深呼吸した後ハルヒに声を掛けた。
「ハルヒ、無事だったか? どこか怪我とかしてないか?」
ハルヒがゆっくりと顔を上げる。いつもとは逆に、ハの字に両端を下げた眉が元気の無さを表していたが、どうやら泣いてはいないようで俺は少しばかりホッとした気分になった。
「キョン? うん、あたしは全然平気。有希のカードも古泉くんの腕章も無事取り返したわ。でも――」
そういってハルヒは右の手に握っていたものを俺に向けて開いて見せた。
「みくるちゃんのペンダント……あたしの目の前で、あいつらに壊されちゃったの」
ハルヒの手の中では、頭の部分で無惨にもポッキリと折られていた銀製の羊が悲しげな光を放っていた。
「絶対無事に取り返してあげる、だなんて大きなこと言っててこのザマよ。……あたし、みくるちゃんに何て謝ったらいいのか――わかんないよ、キョン」
なるほど、奴等はハルヒに精神的ダメージを与え、その隙を突いて何かやらかそうって腹積もりらしい。
まるで魂でも抜け落ちたかのように力なく呟くハルヒに、
「おいコラ、ハルヒ!」
俺はデコピンを一発かましたのだった。
「痛っ! ちょ、ちょっとキョン、あんた一体なにすんのよ?」
驚きと痛みのためか一瞬でハルヒの目は吊り上り、尻尾を逆立てた猫の如き戦闘体勢を取り戻す――そうだ、笑ってないんだったらせめて怒っててくれ。その方がお前らしい。さっきみたいな腑抜けた表情なんてのは全然ハルヒらしくないんだよ。
「確かに壊されちまったかも知れないが、でもちゃんと奪回できたんじゃないか。壊れたんなら後で修理すればいいだろ」
「……だ、だって」
「それともハルヒ、こんなことで朝比奈さんがお前のことを怒鳴りつけたり咎めたりするとでも思ってんのか? あのお方に限ってそんなことはあるわけないだろ!」
「――!」
ハルヒは一瞬ハッとしたみたいだったが無言で頷いた。やれやれ、少しは冷静さを取り戻してくれたのかね。
「さて、こんな所からはとっととオサラバしよう――って、やっぱそこまで甘くはないか」
ハルヒは無意識のうちに俺の腕に縋り付いていた。まあ無理もない。
俺たちの目の前に、ボス格のワタリガラス三羽が姿を現したのだ。
しかも、あちこちからザコ級カラスの大群が押し寄せてきていた。よく小説の一シーンなどに『空が真っ黒になるくらい』みたいな表現があったりしたと思うが、眼前の光景はまさにそれを地でいっていた。
ボス三羽が羽ばたいたかと思うと中空に静止、そこに吸い寄せられるように突っ込んでくる大量の黒い翼――やがてそいつらは巨大な黒い鳥型の塊となった。
「まるで――悪魔みたい」
思わず呟いたハルヒに俺は声には出さずに頷く。
その黒き巨体は地響きと共に目の前の斜面に着地した。ものすごい衝撃と共に土砂が埃となって立ち上る。
よく特撮なんかでスケール感を出すために高速度撮影したものをスローで再生するとか聞いたことがあるが、今目の前で起こっている光景はそんなレベルじゃねーぞって程の大迫力だ。
カラス群体野郎の頭らしき部分が俺たちのことを捕捉するかのように首をもたげる。
やばすぎるぞ。こんなの相手じゃ、俺一人じゃハルヒを守ることすら――、
その次の瞬間、
突然貯水池から水飛沫が上がったかと思うと、巨大な物体――前に長門が抱えていた二足歩行のアレをそのままデカくしたようなヤツ――がカラスの群体野郎に激しく体当たりをぶちかました! 御丁寧に頭部の眉毛部分まで同じじゃないか。
「ちょ、ちょっとキョン、なによアレ?」
俺に訊くなよ。多分長門が俺たちに救援目的で送り込んだのだろうが、ちょっと派手過ぎやしないか? って、やっぱりな。それみたことか、ハルヒの瞳は銀河系の恒星全ての光を集めたかのように輝いている。
それと時を同じくして、俺のゴーグルに取り付けられていた無線機から冷静そのものといった声が届いた。
『今の内に逃げて。移動手段は確保してある』
その通信と同時に今度は見覚えのあるサイズの二足歩行車両(眉毛付き)が音も無く姿を現した。光学迷彩で隠れてたのか?
「ハルヒ、逃げるぞ!」
「え、でもキョン? って、ちょっとなにすんのよ」
カラス怪獣対巨大メカの格闘戦に夢中のハルヒに有無を言わせることなく抱き上げると、俺は『リョウコ・ツー』とか言ったそのチビっこいメカに無理矢理乗っかった。
その途端、『リョウコ・ツー』は俺たち二人を乗せたまま猛烈なスピードで走行を開始したのだった。
何故か片足で乗っているだけなのに俺の身体は振り落とされるどころかバランスを崩すことも無いままだった。さすがだな、長門。お前が本気を出したら重力制御から巨大ロボまで何でもアリだとはな。
しばらくは虚を突かれてじっとしていたハルヒは我に返ったのか俺の腕の中で動き始めた。
「もうキョン、なんなのよ一体さっきから?」
いいから大人しくしてろ、と俺はハルヒの顔面を自分の胸元に押し付けた。いくら落っことされる心配は無くとも、相当な揺れだ。変に喋ってて舌でも噛まれたら困るんでな。
そのとき背後で閃光と共に爆音が轟いた。
振り返ってみると、カラス群体は足元から一体一体のカラスに分裂を始めており、そいつらは集団を作るでもなく散り散りに飛び去っているようだ。
巨大メカも、まるで光の砂が崩れ落ちるようにその形を徐々に失っていき、いつの間にか完全に消滅してしまっていたのだった。
それを見て俺はいつかの放課後の教室での光景が思い出されて仕方なかった。
「キョン――ねえキョンってば、ちょっと離しなさいよ!」
ハルヒの声に押し付けていた頭を起こさせると、ハルヒは真っ赤な目でボロボロと涙をこぼしていた。って、ええっ? お、俺何かマズイことでもしたのか?
「どーもこーもないわよ。何かあんたの服、すっごいヒリヒリして仕方が無いんだけど」
そう言われれば忘れていたが、さっき新川さんにカプサイシン・スプレーを散々吹き付けられていたではないか。マジでごめんな……ハルヒ。
「もう……キョンのバカ」
「キョンく~ん、涼宮さ~ん!」
校門まで辿り着いた俺たち二人は『リョウコ・ツー』から降りると、こちらに向かってぱたぱたと駆けて来るナース服朝比奈さんに出迎えられたのだった。
「――み、みくるちゃん。ごめんなさい、その」
「もう! 涼宮さんのバカっ!」
って、ええっ? 朝比奈さんは今までに見せたことも無いような激しい剣幕でハルヒのことを叱りつけたのだった。
が、そのまま朝比奈さんはハルヒの胸に抱きついたかと思うと、
「ああ、こんなにボロボロになるまで、無茶ですよぅ。……ペンダントなんてどうでもいいんです。わたし、わたし――涼宮さんになにかあったら、って思っただけで――ふえぇぇぇぇ~!」
と周囲のことも構わず大声で泣きじゃくり出してしまった。
「ごめんなさい、ほんとにごめんね、みくるちゃん」
ハルヒもそれに合わせて小さく呟くように謝り続けていたが、ホッとしたのだろうか、緊張の糸が切れたらしく朝比奈さんの方に倒れ掛かっていってしまった。
「ひえっ、す、涼宮さん?」
「心配ない。気を失っているだけ」
いつの間にか長門が背後に立っていた。いきなりだな、おい。まさかいつもステルス迷彩を装備しているってわけじゃあるまいし。
「なあ長門、アレだけの大騒動をしっかりハルヒにも目撃されちまったし、どうするつもりだ?」
「問題ない。全ては無かったことにする」
はあっ? 全てってまさか――、
「情報操作はもうほとんど完了している。あとは涼宮ハルヒの体操服と朝比奈みくるのペンダントを修復するのみ」
次の瞬間、ハルヒのボロボロだった体操着は新品同様の元通りになり、強く握り締められていた銀細工の羊の首も何事もなかったかのようにくっ付いていたのだった。
しかし何だろう。気のせいか最初に見せてもらったより光沢が増しているような気がする。ひょっとして本当に『新品状態』にまで戻してしまったとか言い出すんじゃないだろうな。
「なあ長門」
「なに?」
俺はハルヒから預かっていた図書カードを長門に返してやる。受け取った長門の表情がどこか嬉しそうに見えたのは俺の欲目なんかじゃないと信じたいね。
「……ありがとう」
長門は朝比奈さんに寄りかかって寝息を立てているハルヒに向かってハッキリと告げたのだった。どうせなら意識のあるときに言ってやればいいのにな。
俺がそう言うと長門は無言のまま旧館の方に戻っていってしまった。
まさかな、長門にも面と向かって言うのが恥ずかしいってこともあるんだろうか、などとつい考えてしまう俺なのだった。
ちなみに古泉の腕章も預かってはいたのだが、あいつはバイトでこの場にはいないし返すのは後日でもいいだろうか? うん、そうしよう。
その後のことになる。
連れて行った保健室のベッドの上で目を覚ましたハルヒに、古泉抜きの三名で一連の出来事を誤魔化すというのは相当な難易度のミッションであった。
つーか、実質俺しか喋ってなかったし。
「だから、あたしはカラスに捕まえられちゃって、でもキョンがあたしのことを助けに来てくれて、そしたらカラスが合体して怪獣みたいになって……」
「いいか。俺がお前のことを助けに行けるようなそんなどこかのヒーローものみたいな真似事ができるとでも本気で思ってるのか?」
「そりゃまあ、言われてみれば確かにそうなんだけど、でもあたしこの目で見たのよ――あそこの貯水池から、バーンって巨大ロボットが飛び出してきて」
「なあハルヒ。お前この間なんとかっていうゲームやってただろ。アレにそんなムービーのシーンがあったと思うんだが。それとごっちゃになってないか? どーせ夢でも見たんだろ」
「うーん、そうかしら? でもおかしいわ。確かにみくるちゃんのペンダントも――」
「い、いええ、私のひつじさんは、べ、別に首なんて折れてないですよぅ」
「えっ、あたし首が折れちゃったなんて言ったかしら?」
「ふえっ、そ、それはその……」
と、朝比奈さんは自ら薮蛇を突付く始末だし、長門は長門で、
「…………」
と沈黙を貫き通しだったのだ。
正直、こういうのは勘弁してくれ。
さらに数日後の土曜日の銀細工体験教室。
ハルヒは予告通り朝比奈さんのペンダントにソックリな羊の銀細工を見事に完成させると俺の妹にプレゼントしてくれたのだった。
「うわー、みくるちゃんのと同じだー! ハルにゃん、どーもありがとうね。てへっ♪」
「ほんと、すごくソックリなんです。わたしビックリしちゃいました」
「別に大したことないわ、妹ちゃんにみくるちゃん。こんなのあたしに掛かればお茶の子さいさい、一丁上がりってなもんよ!」
「いえ実に大したものですよ。講師の方も絶賛されていました。さすがは涼宮さんですね」
いつもの古泉スマイルがそれに続けられる。
しかし古泉の言葉にも一理ある。パッと見だとどちらがオリジナルか判断できないほどじゃないか。相変わらずだがハルヒのポテンシャルは底が知れない。
「……どちらもオリジナル。あのペンダントはいわば『異時間同位体』」
へっ? なあ長門。今お前何か言ったか?
「……何でも」
夕刻、銀細工体験教室も成功裏に終わり、今週のSOS団的活動プラス一名(俺の妹)はお開きとなった。
「キョンくーん、早く帰ろうよー」
ハイハイ。さて、さっさと帰るとしますかね。
「あー、ちょっとキョン。こっちにいらっしゃい」
と、ハルヒに呼び止められてしまった。何なんだ、一体?
ハルヒは右手をすっと俺に差し出すと、
「ホラ、受け取んなさいよ」
と目を逸らしたまま命令してきた。
言われるままに出した俺の手のひらに、鎖の付いた小さな銀のペンダントらしきオブジェクトが手渡された。
「一応、お礼よお礼」
「さて、俺って何かしたっけか? ともかく、何だこりゃ?」
碁石を半分に割ったような――いやそれにしては円というより楕円っぽいっていうかなんというか。
「何かの欠片みたいじゃないかこれ。残りの部分はどうしたんだ?」
「ああ、それならあたしが持ってるから安心して。ねえキョン、あんたも大切にしなさいよ、それ。うっかり失くしたりしたら許さないんだからね!」
と言い置いてハルヒはスタスタと歩き去っていった。何か顔が妙に赤い気がしたが、俺の気のせいなんだろう、きっと。
「全く、何かのまじないのつもりなんじゃあるまいな」
俺が漏らしたその言葉はある意味当たっていた。だが俺自身がそのことに気付いたのは――実に数年以上たってからのことだったのだ。
「もう、キョンったらほんと鈍感なんだから!」