フランス

Last-modified: 2011-01-12 (水) 01:08:14

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フランス空軍(France)

第一次大戦後しばらくまではフランスが世界の航空技術をリードしていたが、国力の低下やマジノ線建設による予算減少などにより、次第に他国に遅れをとるようになった。ドイツの再軍備とスペイン市民戦争でのドイツ・ソビエト機の活躍に危機感を抱いたフランスは空軍の近代化に着手し、その一環として小メーカー乱立状態だった航空産業の国有化を進めたが、メーカーごとに異なっていた資材の管理や製造工程を官僚的に統一しようとしたため大変な混乱をもたらし、かえって新型機の開発と生産が遅れてしまった。そのためアメリカからP-36、38、39を急きょ輸入しているが、開戦に間に合ったのはP-36ホークだけである。
ドイツのフランス侵攻が始まると、フランス空軍は敢闘しつつも大損害をうけ、陸軍の敗北により短期間で降伏することになった。その後はヴィシー政権の下で南仏やアフリカ植民地の防空などをおこなったが、一部は亡命して自由フランス空軍となり、イギリス機やソビエト機でドイツと戦い続けた。ソビエトで戦った部隊(43年から実戦参加、最終的に4個飛行隊)は当初「ノルマンディー隊」、ニーメン川の戦いでの活躍から「ノルマンディー・ニーメン」と名づけられ、主にYak-9やYak-3を用いた。

モラン・ソルニエMS.406

フランス航空省が34年に出した要求仕様に基づいて開発された戦闘機。35年の原型機初飛行の時点ではそれなりの水準に達していたが量産が遅れ、38年末の時点で10数機しか配備されていなかった。その後急ピッチで配備が進められ、開戦時にはフランス空軍の主力戦闘機となっていたが、既に旧式化していた。Bf-109Eに比べると最高速度で約100km/h遅く、上昇力も劣っており、低空での格闘戦でどうにか対抗できる性能だった。
フィンランドでは冬戦争中及び後に各型合わせて87機を入手し、第28戦闘機隊で使用した。20mmモーターカノンの信頼性が問題とされ(特に冬季)、しばしばソビエト製のベレジン12.7mm機銃に交換された。

MS.406 (AI)

MS.406
1077機が製造され、数の上ではフランス軍の主力であった。
冬戦争中に30機がフィンランドに供与された。またフランス降伏後、47機がドイツからフィンランドに売却された。
 離陸重量:2426kg、全長:8.17m、翼幅:10.62m
 エンジン:イスパノスイザ12Y-31Vee、860hp
 最高速度:377km/h(海面)、449km/h(4500m)
 上昇限度:9000m、航続距離:810km
武装
 7.5mm機銃×2、イスパノスイザ20mm機関砲×1

 

MS.410 (AI)

MS.410
翼内機銃をドラム型弾倉の7.5mm機銃×2からベルト式給弾の7.5mm機銃×4に変え、ラジエータを改造した型。79機が改造された。
フランス降伏後、10機がドイツからフィンランドに送られた。
 離陸重量:2581kg、全長:8.17m、翼幅:10.62m
 エンジン:イスパノスイザ12Y-31Vee、860hp
 最高速度:377km/h(海面)、470km/h(4000m)
 上昇限度:9000m、航続距離:810km
武装
 7.5mm機銃×4、イスパノスイザ20mm機関砲×1

 

メルケ・モラーヌ (AI)

メルケ・モラーヌ
フィンランド軍がMS.406の性能を向上させるため、ドイツが鹵獲したLaGG-3用のクリモフエンジン(イスパノスイザの発展型)とプロペラを購入し、Bf-109用のオイルクーラーと組み合わせて搭載した改造戦闘機。メルケ・モラーヌとは「お化けモラーヌ」の意味。モーターカノンにはBf-109GのMG-151/20か、ソビエト製のベレジン機銃が用いられた。速度と上昇力がかなり向上し、休戦までの短い期間に活躍した。
 離陸重量:2787kg、全長:8.38m、翼幅:10.62m
 エンジン:クリモフM-105P、1100hp
 最高速度:435km/h(海面)、525km/h(4000m)
 上昇限度:9000m、航続距離:810km