雷電

Last-modified: 2024-04-26 (金) 13:31:12
No.175
weapon175.png雷電局地戦闘機
装備ステータス
火力雷装
爆装対空+6
対潜索敵
対爆+5迎撃+2
戦闘行動半径2
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発不可、改修不可、入手方法
基地航空隊にのみ配備可能
「十四試局地戦闘機」として開発された、対爆撃機要撃に特化した迎撃戦闘機「雷電」です。
零戦などの艦上戦闘機「甲戦」に対して、局地戦闘機「乙戦」として開発・運用されました。
格闘戦向きではありませんが、優れた上昇力と大火力を備えています。

ゲームにおいて

  • 艦これ初の【局地戦闘機】。
    • ちなみに、局地戦闘機と陸軍戦闘機でカテゴリ違いによる挙動の違いは確認されていない。

局地戦闘機について

  • 基地航空隊にのみ装備可能。詳しい使用方法は基地航空隊を参照。
    • 装備画面で「・・・」(その他)、または【全装備】を選択で装備ロック/ロック解除が可能。
      この他に、基地航空隊への配備の際、艦娘の装備と同様の方法でロックする方法もある。
    • 廃棄画面では最後尾、洋上補給二式水戦改などの後にある。陸軍戦闘機とは混ざって並ぶ。
  • 艦上戦闘機に比べ対空値が低い代わりに対爆、迎撃というパラメータがついている。
    これにより基地航空隊での使用時に能力がブーストされる。

雷電について

  • 基地航空隊「出撃時」の制空値*1は対空+9相当と紫電改二程度だが、「防空時」の制空値*2は対空+18相当である。
    • 防空分野においては制空値こそ三式戦 飛燕(飛行第244戦隊)紫電改(三四三空) 戦闘301には及ばないが、対爆+5による強力な撃墜ボーナスを考慮すると防空用に最適の機体だと言えるだろう。*3
      • 拮抗状態でも敵機の全撃墜を狙える貴重な機体であるため、今後甲難易度への挑戦を考えている提督は万一の場合(拮抗で完全防空が要求されるなど)を考えるとできるだけ優先して入手しておきたい。
  • 対爆+5は実装時の陸上機の中では最大だった。一方対空値は+6と零式艦戦52型と同程度。初期型がモチーフだろうか。
    • 対爆値の高い機体は、基地防空時に敵機の撃墜量が増えることが確認されている。
       
  • 開発可能な代替装備とその改修については以下の通り。
    • Spitfire Mk.Iが特定の秘書艦で開発可能。
      • これを改修更新してSpitfire Mk.V(対爆+3)にし、そこから更に★maxにすれば制空能力は雷電を上回る。
        このため図鑑埋めを気にしないのであれば、Spitfire Mk.Vで雷電の代用が出来る。
        改修で対爆値は伸びないので対爆+5は雷電のアピールポイントではある。
    • 二式複戦 屠龍が特定の秘書艦で開発可能。

入手方法について

  • 入手方法は2020年11月現在、過去のイベント報酬、ランキング上位報酬、そして単発任務が1つ。
  • 2018年 任務『基地航空隊戦力の拡充』選択報酬
    • 2018年12月7日に任務報酬として本実装された。それまで配られた雷電はランカー報酬を除けば最大3機だったため、これで一個中隊を雷電だけで編成することが現実的になった。
      • ただし試製東海紫電一一型との選択式。試製東海も入手手段・代用手段のかなり限られる貴重品である。
    過去の入手方法

    過去の入手方法

性能比較表(装備最大値/局戦・陸戦早見表/テーブルより転送)

長いので折りたたんでいます
No名称火力対空索敵対爆迎撃装甲対空値
(出撃時)
対空値
(防空時)
戦闘行動半径配置コストボーキ
消費*4
入手方法改修備考追加
175雷電65291826108任務、イベント、ランキング-編集
201紫電一一型81119.51136108、ランキング編集
202紫電二一型 紫電改913213.51446108改修、ランキング-編集
263紫電改(三四三空) 戦闘30111242171946108イベント-編集
264紫電改(三四三空) 戦闘70111242171946108イベント編集
265紫電改(三四三空) 戦闘40711242171946108イベント編集
333烈風改10621132449162イベント-編集
334烈風改(三五二空/熟練)1173115.52849162イベント-編集
350Me163B292201472イベント、ランキング-高高度局戦編集
351試製 秋水282181472任務、イベント、ランキング-高高度局戦編集
352秋水393211472イベント、ランキング-高高度局戦編集
354Fw190 D-92123316.52138144イベント-編集
418零式艦戦22型(251空)1211316.5177472イベント編集
416零式艦戦21型(台南空)1111315.5167472イベント編集
417零式艦戦32型(台南空)1211418185472イベント編集
516Me 262 A-1a/R1156116.528313234イベント-爆装+3編集
176三式戦 飛燕81312.51337126任務、イベント編集
177三式戦 飛燕(飛行第244戦隊)934151947126イベント、ランキング、改修編集
185三式戦 飛燕一型丁92313.51647126改修、イベント、ランキング編集
218四式戦 疾風101111.51357126イベント編集
221一式戦 隼II型62986472、イベント、ランキング、開発編集
222一式戦 隼III型甲171311.5126472改修、イベント、ランキング編集
223一式戦 隼III型甲(54戦隊)2811312.5137472イベント、ランキング-編集
225一式戦 隼II型(64戦隊)11111518.5187472イベント、ランキング-編集
250Spitfire Mk.I17218.5124590任務、イベント、開発編集
251Spitfire Mk.V193212175590改修、イベント編集
253Spitfire Mk.IX(熟練)11024161846108イベント-編集
445二式複戦 屠龍34114.51238144開発編集
446二式複戦 屠龍 丙型362261739162改修編集
452キ9655421119310180イベント、改修編集
  • 濃緑色は局戦薄緑色は陸戦
  • 火力および装甲の効果は不明
  • 艦載機との制空値比較はこちらの表を参考のこと
  • ウグイス色は出撃時対空値空色は防空に関連する数値

アップデート履歴

  • 2016年 05月03日:実装。艦これ初の【局地戦闘機】。
  • 2020年 10月16日:Spitfire Mk.Iが特定の秘書艦で開発可能となった。
  • 2021年 12月10日:二式複戦 屠龍が特定の秘書艦で開発可能となった。

小ネタ

  • 元ネタは、帝国海軍の局地戦闘機「雷電」(J2M)。連合軍によるコードネームは「Jack」。
  • 支那事変で高々度を高速で飛来する爆撃機による爆撃の被害に悩まされていた海軍は艦戦だけではなく、海軍独自の陸上基地から発進する拠点防衛用の局地戦闘機を開発することを決断した。
  • 海軍は十四試局地戦闘機の開発を三菱に指示、設計主務者は零戦の堀越二郎だった。
    • これまで海軍の戦闘機が航続距離と運動性を重視していたのとは異なり、海軍はこの局地戦闘機に求めたのは敵爆撃機が飛行している高度に短時間で到達する上昇力と、敵爆撃機に追い付く速力、そして一瞬のチャンスに敵爆撃機へ致命傷を与え得る火力の三つであった。
    • これに対し、高い上昇力と高速性を実現するためエンジンは当時日本で最大馬力だった「火星」を選択した。
      • 「火星」は大直径の割に低馬力だったので*5、空気抵抗を可能な限り減少させるため、プロペラシャフトを延長して機首を絞り込み中央部が最も太くなる紡錘形の胴体を採用した。
  • 飛行試験が始まると最大出力発揮時に激しい振動が発生する問題が発覚した。原因はエンジンとプロペラの剛性不足による共振現象で、プロペラ減速比の変更とプロペラを剛性の高いものに取り替えることで問題ないところまで低減している。
    • この振動問題の対処により採用が遅れに遅れ、十四試局地戦闘機が「雷電」として制式採用されるのは昭和18年に入ってからだった。
    • ちなみに、同時期に陸軍が中島に発注したキ-44、二式戦闘機『鍾馗』は同じように一〇〇式重爆撃機『呑龍』のエンジンを搭載したが、無駄な部分はスパッと落とした構造で『雷電』と同程度の性能を発揮している。
      陸軍でも雷電を採用する計画があったとされ、キ65の案のひとつとして雷電の陸軍仕様の採用が検討されたと言われる。
      • ただし、例によって海軍と陸軍の仲の悪さはここにも影を落としている。海軍の飛行機はスロットルを前に押すとエンジンの回転数が上がるものであったが、陸軍機はこの逆、つまりスロットルを引くと加速する仕様だったのである。*6つまり、陸軍用に仕様を変更するか、さもなくば機種転換訓練を繰り返したとしても、現場の混乱は避けられなかったであろう。
        スロットルの操作方法が逆だったのは導入機材が関係しているとも言われる。*7
        一式戦以降の陸軍機のスロットルの操作は海軍機と同じ操作方法にしたとされる。
      • さらに加えるなら、鍾馗の戦力化は、少なくとも雷電よりははるかに順調に進んでおり、火力で勝るが多少運動性が良いこと以外に目覚ましいものがない雷電を陸軍が採用するという、この計画そのものに疑問符が付いていた。ただ、この案が検討されたのは昭和15年の末頃と言われており、この時期の鍾馗は最高速度などの要求性能未達に悩んでいた時であった。雷電の開発が順調ではなくなると、最終的にキ65は陸軍航空工廠が設計を行う重戦闘機に計画が変更された。
  • これまでの日本軍機は翼面荷重を控えめにすることを心掛けてきたが本機においては翼面荷重は約175kg/m2(以下単位は省略)と比較的高い数値であった。当時海軍で主流だった零戦は107、後期の五二型で128とかなり低い数値であったため、これが後述の零戦で訓練を行ってきた操縦士による扱いづらいという評価にもつながっている。翼面荷重の高い本機は不安定であり雲が苦手であったという評価もある。
    • ただしこの翼面荷重の増加に関しては世界的な動きであり、また大きいものが悪いという訳ではないのに注意が必要である。翼面荷重は翼面積当たりの重量で計算をされるが、エンジンの大型化や重武装化が進展するにつれコンセプトにより差はあれどこの数値は高くなっていくものである*8*9。零戦のような重武装+軽量+広い翼面積というのは特例のようなものである。なお軽量化のために防弾設備が犠牲になっている
    • 翼面荷重が大きくなると滑走距離が自ずと伸びてしまう。また旋回力が落ちるため格闘戦がやや苦手となってしまう傾向がある。そこで従来日本軍機は翼面荷重を抑えるよう計画をしていた(烈風に関してもこの点が重要視され設計の困難さが増していた)が、雷電は陸上運用と迎撃機として利用をされたため、この点に関しては問題となっていない。
    • また、格闘戦に関して言えば翼面荷重の他に翼線荷重、つまり同じ翼面荷重でも高アスペクト比の主翼のほうが有利になる。
      • これがどういう関係があるのかと言うと、日本は想定戦場に整備された滑走路を期待できないことから、海軍にしろ陸軍にしろ長い航続距離を求めた。短い短いと言われる本機や鍾馗でも1000kmは飛べた。この為、高アスペクト比の主翼を採用せざるを得なかった。これが転じて、低空での異様な格闘性能の高さに繋がっていくのである。ちなみに、最初からこれを狙って採用したのが三式戦である。翼面荷重の数字だけ見れば大差ないスピットファイア*10でも日本機相手に格闘戦は禁物だった。いっそ清々しくロールレートをとって短い主翼を採用したFw190の方がまだ優位だった。
      • よくある「烈風 v.s. F8F」で烈風が「……んー、(所定の性能が出ていれば)互角までは行けるんじゃないの?」と言われる所以はここである。ちなみにF8F-1の翼面荷重はメートル法換算で約160である。
    • 後年アンダーパワーのレシプロエンジンから、エンジンの推力を使って多少強引な機動ができるようになったジェット機でも、この法則は破れていない。カッ飛ばし屋の空軍の超音速機に対して、艦載機のF-4は艦上運用という制約から低翼面荷重・高アスペクト比の主翼を採用していたことから、後々「結局戦闘機に格闘戦は不可避の存在」となった時、なんとか戦える性能を持っていた。その後継であるF-14やF-15では、更にアスペクト比は高くされている。
  • 零戦に乗り慣れた古手のパイロットには着陸が難しく、幾人もの死者が出て殺人機の異名がついた。「雷電国を滅ぼす。国破れて銀河あり」と嘯くパイロットもいた。
    • 理由は雷電が失速速度付近の安定性が悪く、失速に入る前触れがない、失速したときに舵の効きが顕著に鈍くなる*11ため回復に時間が掛かり、回復するまでに大きく高度が低下する特性にある。また、キャノピー前付近の胴体が一番太く、断面も円に近かった為、操縦席からの前下方視界が悪いのも拍車をかけた。ベテランに染みついた着陸の際高めに進入して、エンジン出力を絞り失速気味に3点同時接地する空母への着艦方法は相性が悪く、狂気の沙汰とも言えるほど危険であった。
      • 余談だが横索式空母の着艦方法はアレスティングワイヤーをフックにひっかけて“落す”ものである。このため空母への着艦は『制御された墜落』とも言われる。
    • このような機体の場合、陸軍式に滑走路に低く進入して主車輪を接地してブレーキ、尾輪接地の方法なら問題なく着陸できるため、空母への着艦に慣れていない若手のほうがうまく扱えたのだ。*12
    • この急失速の性質は一度起こってしまうと立て直しが極めて困難であるため、熟練若手を問わず着陸寸前に墜落という事故が多発している。新鋭機の採用初期というのはこのような不測の欠陥を抱えていることも多かった。*13
  • 烈風が当初は十六試艦上戦闘機として発注されるはずが、三菱の開発スタッフが十四試局地戦闘機の開発と零戦の空中分解事故対策や改良型*14の開発で余裕がなかったため、一年先送りになった経緯がある*15*16
    雷電の評価が芳しくなかったこともあって、「もしも雷電開発を中止して烈風を優先していれば」とする見解もあるが、これは結果論である。
    そもそも、一般的には「零戦の後継機は烈風」とされるが、雷電もまた零戦の後継機と目されていたという意外な一面があったのである。
    • 太平洋戦争開戦と前後して、海軍は空母艦載機隊よりも基地航空隊をより重視するようになっており、その意味では局地戦闘機もまた海軍の次期主力戦闘機の一角だったのだ。
    • そして雷電の存在は、零戦の延命にも影を落としていた。
      零戦のエンジンを金星に換装しようとする改良案が「雷電の生産が始まったので、三菱はそちらを優先させる」ために却下され*17、零戦そのものも大幅に減産*18*19しようとした。雷電が、零戦にとって代わるべき存在とみなされていたためでもある。
      しかし雷電の生産は捗らず、量産化後も不具合に悩まされたため、この目算はあえなく崩れ去り、零戦の増産と改良型の開発促進を再び命じる事態になった。
      そして、エンジンを金星に換装した零戦六四型は烈風同様に戦争には間に合わなかった。
  • 三菱に烈風の開発と雷電の生産を打ち切り紫電改ライセンス生産に切り替える指示が出た際、堀越二郎は怒り狂い川西に対する暴言を吐いている。
  • 採用が遅れたため米軍機と比較して特別高性能とも言えず、また当時紫電改の実用試験が始まっていたこともあり生産は少数であった。
    • とはいえ、紫電改では高々度性能が不足気味で、迎撃機としては雷電の方が適していた。B-29にもっとも善戦した海軍機は本機であった。
      日本では紫電改の影に隠れがちだが、世界的には陸軍の二式単戦『鍾馗』と並んでB-29キラーとして名高い。
      • 厚木海軍飛行場所属の第三〇二航空隊の雷電隊はB-29に対し多くの戦果を上げた。
        これは雷電の性能だけではなく、雷電隊の赤松貞明中尉の若手搭乗員に対する熱心な指導による部隊全体の練度向上のおかげでもある。
  • 雷電の型式には次のようなものがある。
    雷電ファミリー
    • J2M1(十四試局地戦闘機) は最初に開発された型式、火星一三型発動機を搭載し、曲面ガラスを使用した背の低い風防を装備していた(後に背を高くして視界を改善する)。
      • 武装は翼内20㎜機銃2挺、先端に7.7㎜機銃2挺であり、これは零戦と同じであった。
    • J2M2(十四試局地戦闘機改/試製雷電) は、J2M1をベースに水メタノール噴射装置と燃料噴射装置を追加した火星二三型に換装、排気管を集合式から推力式単排気管に変更し、20 mm機関砲を九九式二号銃三型に換装した型となっている。
      • 戦局の悪化から、この機体はトライアル中に制式化が決定。小規模な改修を施した後、試製雷電の名称のままで初期生産型が実戦投入された。その後雷電の量産体制が整うと、それに合わせて量産型を「雷電一一型」に名称変更した。
        一一型の中には武装を二式30㎜機銃*202挺に換装したものが少数存在していた。
    • J2M3(雷電二一型) は武装を翼内20mm機銃4挺に強化したタイプ。
      • この型は制式化の時期が当時の海軍の主力航空機用機関砲であった九九式20mm機銃の一号銃から二号銃への生産移行のタイミングとモロ被りしてしまい、二号銃の必要数を確保できない恐れがあったため、翼内側に二号銃、翼外側に一号銃を混載することとなった。少数だが、20mm機銃を二号銃に統一したJ2M3a(二一型甲)も試作された。
        こういったことは機関砲の移行時期にはよくある問題であり、陸軍でも隼(12.7mm2門の予定が、当初は7.7mmと12.7mmを1門ずつ積んだ)などで同様の対応をとった事例がある。
    • J2M4(雷電三二型) は発動機を排気タービン過給器付きの火星二三型丙に換装した高高度迎撃型。
      • 空技廠型と三菱型の2種類があり、少数が製造され、うち空技廠型は一部試験的に実戦配備されたが、どちらの型も問題が多発し大々的な配備はされずに終わっている。
    • J2M5(雷電三三型) は二一型をベースに、発動機を火星二六型に換装し、風防の高さを50ミリ、幅を80ミリ増やした上で、胴体側面を削り視界改善を図るといった改修を施したタイプ。
      • こちらも20mm機銃を二号銃に統一したJ2M5a(三三型甲)や、武装を五式30mm機銃2挺に換装した機体が少数存在した。
    • J2M6(雷電三一型) は、二一型に三三型と同じ視界改善だけを実施した型。昭和19年(1944年)末以降の三菱生産機は主にこの型式。
      • 二一型・三三型と同様、20mm機銃を二号銃に統一したJ2M6a(三一型甲)も試作された。
    • J2M7(二三型) は二一型の発動機を火星二六型に換装したタイプ。三三型の性能低下もあって高座工廠では機体をそのままに発動機を換装することにしたが、生産数の不足によりほとんど生産されなかった。

    • 他にも五式30㎜機銃を搭載した機体や、胴体後部に20㎜の斜め銃を装備した改造機体などが少数存在した。
    • キ65(雷電の陸軍仕様) 1943年に陸軍は当時海軍で設計が完了していた雷電をベースに改設計を施した機体をキ44の後継機として計画し、これをキ65として開発する予定だったが、後に雷電の開発が難航していることを知るとこの計画は破棄された。キ65の番号は満州飛行機の新設計襲撃機へと引き継がれたが、これも設計段階で開発中止になった。*21


  • 本機の操縦者として名を馳せるのが、海軍航空隊きっての古豪・赤松貞明(あかまつ さだあき、1910~80)である。
    松っちゃん伝説

    松っちゃん伝説

    • あだ名は「松っちゃん」。
    • 酒豪・女好き・喧嘩好きと、海軍航空隊指折りの大問題児(ベテランエース)
      どれだけ古株かと言うと、零戦虎徹・岩本徹三が操縦練習生の34期生(1936年12月練習課程終了)で、赤松は17期生(1932年3月課程終了)という辺りで、お察しいただこう。*22
    • 同じ時期に操縦教育を受け、日中戦争初期に軍神と称えられた「南郷茂章」(海兵55期、飛行学生22期、1932年11月練習課程終了)がおり、赤松とは親友だった。共に空母赤城乗り組みだった時は訓練で「どちらが標的に多くの弾を充てれるか」で競争し、初日は南郷が勝ち赤松はパイナップルの缶詰2つをおごらされた。翌日赤松は再戦を申込み今度は赤松が勝った。すると南郷は当時生まれたばかりだった赤松の子供のために横須賀で人形を買って贈ったという。赤松はこれを非常に喜び、南郷の死後もこの人形を大切にしていたという。
    • 空母勤務時代は赤城加賀龍驤でその腕を鳴らした。
    • 特に女好きで有名で、後輩の岩井勉も「あんなに堂々と女遊びやるので笑うしかなかったです」と述懐したとか。鈴鹿航空隊時代に教員連中連れ立って遊廓に行って、宿帳に司令、副長、飛行長、軍医長、主計長ら幹部士官の名を書いて一夜を楽しんだが、2ヶ月後、憲兵が宿帳をチェックしたときに上層部にばれ、司令から大目玉を食らったそうである。
    • その岩井一飛曹の結婚式で、素肌に料亭の白いカーテンを肩からまとっただけで、「酋長の娘」を歌いながら踊りまくったのは、赤松飛曹長であった。
    • 武芸百般で、荒くれだらけの航空隊にあってその典型のような人物であったが、実戦においては理論派とも言える戦い方で戦果を上げていった。
      部下には、敵の攻撃に真正面からぶつかる軽挙を戒め、敵航空編隊の端から切り崩す戦法により、数の優位性を生み出すよう徹底して指導し、合理的に戦闘を進めなければいけない事を常に強調していた。
      赤松が古豪にもかかわらず、雷電の性能を十二分に発揮できたのも、豪快な性格に反して論理的に雷電の特性を分析・把握していたからと言われる。
      赤松からすると、長く零戦の性能に甘え切って雷電の特性を理解しないベテランたちが情けなかったらしい。
      もっとも後述するが、赤松自身は海軍航空隊でもチートレベルの操縦者であることも付随しておく……。
    • 自称“撃墜王の中の撃墜王”と大言も憚らず、自己申告では「350機を撃墜した!!」と常に自慢していた。
      • ただ、公式記録では30機前後と10分の1。それでも太平洋側の戦闘機乗りとしては間違いなくエース級である。*23
    • そういった大言も実力に裏打ちされたもので、零戦に搭乗していた時はともかく、図鑑説明にあるように「対戦闘機としてドッグファイトに不向き」なハズの雷電を駆って、
      戦闘機P-51ムスタング、F6Fヘルキャットを撃墜する戦果を挙げている。わけがわからないよ……。
      • 坂井氏は、『雷電でヘルキャットと渡り合えるパイロットは、後にも先にも赤松中尉以外にはいない』と脱帽気味の言葉を残している。
    • 特に、彼の大胆さ・頭脳明晰さを伝える有名なエピソードとして、米陸軍のP-51(ムスタング)75機の群れに零戦1機で突っ込み、1機撃墜して帰ってきたのがある(しかもちゃんと米軍側に記録あり。米陸軍第7空軍第15戦闘航空団第45戦闘飛行隊所属のP-51D)。この時彼は硫黄島に帰ってゆく編隊の最後尾を狙い奇襲で撃墜し、そのまま群れに突っ込んだ。これはまっすぐ逃げると追いかけてくるが、空戦に入れば燃料に不安を抱えているP51のパイロットはかかってこないと読んだためである。読み通り編隊はそのまま直進していったが、誤算があり、撃墜した機の僚機だけはしつこく攻撃してきて危うく自分のほうが燃料切れになるところであったという*24
    • 生涯飛行時間6000時間、被撃墜回数0、被弾5発。
      良くも悪くも破天荒な「海軍航空隊の名物男」であり、支那事変から太平洋戦争終戦まで、一パイロットとして、そして後進への優れた指導者として第一線で活躍し続け、戦時の航空隊の行く末を見届けた生き証人。
    • 公人としての評価は甲乙分かれる人物だが、おおよそこの破天荒であけすけな性質から多くの関係者から慕われた好漢でもある。坂井三郎は自伝で彼を何度か紹介し、そのたび「良い先輩でした」と称賛している。
    • 戦争を生き延びた彼はその後、高知で酒屋を営みながら、漁業連やかつての仲間たちと小型飛行機を乗り回して過ごしたという。晩年は酒好きが祟り、気管を患い69歳で死去した。
      • 日本ニュース第254號1945年(昭和20年)7月1日公開の放送にて、生前の中尉が撮影されている。※You Tube映像


  • 1945年2月、フィリピンのマニラ近郊の基地で、米軍が2機の雷電二一型を接収した。*25
    鹵獲された2機の雷電

    鹵獲された2機の雷電

    • 鹵獲された2機は米軍の徹底した調査の後、2度の試験飛行で日本側の公称値以上の数値をたたき出し、試験技師を驚かせた。この時乗ったテストパイロットは、「P-51よりは下だが、日本機の中では最良である」と感想を述べている。
      • ただし、この試験飛行は、事前調査で発覚した出来の悪い部品や計器は全部米国製の部品に替えた上、米軍の高オクタン価の燃料と高品質のオイルを入れた、オーバーチューンどころかチートレベルのいじりを行った上での試験飛行なので、日本人が真に受けてはいけない。*26
      • また、零戦の運動性に慣れきってしまった飛行士からは「視界が悪い」「運動性が悪い」「着陸が難しい」と散々な評価の雷電だったが、米軍のテストパイロットからは「狭いゼロのコックピットよりも乗り降りが楽で居住性も良い」*27「F4UやF6Fよりも視界が良い」*28「航続距離が長い」*29と全く逆の評価がされている。日本では深刻だった振動問題も、体格で優位に立つアメリカ人パイロットでは全く気にならなかったという。離着陸の難しさもこれに比べたら「はるかにマシ」というレベル。やっぱり肉を常食する連中の考えは分からん。


  • アメリカに全く同じ名前の、しかも性格まで似ている戦闘機がいた*30のは秘密だ。その名前を受け継いだ機体*31は中東で大活躍して有名になった。
  • この装備が実装される前から、が二隻集合してfile雷電というネタがあった。かわいい。知っているのか雷電!
    • ちなみに、初期の日本海軍には「雷電」という名前の艦が本当に存在していた。

この装備についてのコメント

  • ここはひとつ、完成系の閃電改を(錯乱) -- 2021-01-09 (土) 02:52:33
  • 今日の鑑定団で一一型の計器が出てきて150万円の値段がついた。終戦直後大江工場にあった雷電からアメリカ人が戦利品として持ってって、アマチュアながら零戦修復に関わったりしてる出品者が日本円で約60万円で譲ってもらったそうな。堀越は二一型以降は転属するから一一型のは堀越のデザインの最終形みたいなのとか。あとナイショだけど銀河が艦上戦闘機を戦艦から飛ばすと言っていた -- 2021-06-01 (火) 22:04:43
  • かなり長いこと「YMOのライディーンのシンセサイザー音は雷電のエンジンの強制冷却ファンの金切り音。途中で挿入されるギャロップ音はB29の護衛についていたムスタング」と信じていた愚かな僕。 -- 新参? 2021-06-18 (金) 14:18:31
  • 屠龍がいきなり開発で来たから、雷電も入手性があがるといいね。釣り合うのは屠龍丙型かなあ。だとすると、いきなり開発落ちというわけにも行かないか。何から改修がいいかねえ。 -- 2021-12-13 (月) 19:58:55
    • 最近始めた人にはいいけど、ある程度の期間やってる人だと出番が・・・ -- 2021-12-16 (木) 23:46:36
      • 改修で入手なら必要ない人は別に作らなくていいからね…現状だと、ある程度やってる人しか複数持てないのにそういう人には必要ない装備になっちゃってるから、もっと入手しやすくなって新人さんには頼もしい装備枠になってくれるのはいいかも。 -- 2021-12-17 (金) 00:01:26
      • 重爆のせいで、イベント防空が秋水とかのロケット系メインになってるからねえ、雷電とか普通に優秀な防空持ちでも出番がほぼないのが困る・・・今だと使い道が6-5防空とかでおきっぱにするくらいだよな。 -- 2021-12-17 (金) 13:58:49
    • ただ現状星4以上の装備が開発解禁になった前例がないんだよな……(星3なら流星改等を筆頭にごまんとあるんだが)。実装されるとしたら零戦あたりから改修更新かな -- 2021-12-17 (金) 05:50:41
      • ただライバルの屠龍ヘイ‼が搭乗員と航空資材以外はわりと軽めだからなぁ… -- 2021-12-17 (金) 22:52:22
    • まず雷電は型のバリエーションがないのでこれの名前を二一型甲あたりに変えつつ、下位機として一一型を開発に入れつつ、改修更新で一一型→二一型甲→三三型甲となる…みたいな感じにして欲しい あとはステータスも防空よりも出撃に寄せた形に変えるほうが良いかな -- 2021-12-17 (金) 13:10:13
      • もしくはネームドで赤松機辺りを出すか -- 2021-12-17 (金) 13:22:12
    • 別に開発落ちでもいいんじゃないかね?あっちは(恐らく)対重爆能力持ちだし、丙の方は対爆6で優勢無傷確定っていう優位点があるから、こっちは手軽な制空稼ぎ要員ってことでいいと思う。それか隼クォータリー任務のラインナップが現状ほぼ死んでるから、そこに入れるのでもよさそう -- 2021-12-17 (金) 14:55:04
  • そろそろ雷電(赤松隊)とか雷電(羽切隊)来てもいいのよ。大マケにマケて雷電(302空)でも可 -- 2022-01-11 (火) 20:14:47
  • もうすぐ、角界の春の大阪場所。めでたく大関となった御嶽海のニュースで引き合いに出されてるのが、同じ長野県出身の江戸時代の大関「雷電」 -- かぼちゃ大王? 2022-03-12 (土) 16:16:16
  • 小ネタの型式、十四試局戦改の欄、30mm機銃は五式ではなく二式だった希ガス -- 2022-11-08 (火) 21:01:27
  • 今回のE2でもう防空対空18は型落ち感半端無い 低コスト改修で19.2~20にならないとダメそう というか改修とネームドはそのうち来るんじゃないかと予想 -- 2023-03-17 (金) 01:32:54
    • それでも赤松なら… 松ちゃんならきっと何とかしてくれる…!! -- 2023-03-17 (金) 06:51:41
    • まだ改修が実装されてないし、改修できるようになればワンチャンある…はず。 -- 2023-03-17 (金) 09:08:41
  • 陸海軍の戦闘機プラモひととおり作ってみたら、雷電て言われるほど鍾馗に似てないというか全然違う…てかこれ延長軸と機首の整形諦めて素直に火星積んでもそれなりの速度性能出たんでは… -- 2023-08-23 (水) 21:00:07
  • !すでのな -- 2023-10-21 (土) 20:14:50
  • 松ちゃん伝説を少し追加。南郷大尉は士官で飛行練習生ではなかったのでその辺も修正。 -- 2023-10-21 (土) 20:15:10
  • 飛行244と共に、すっかり倉庫の隅で埃を被っている… 昔はこれないとキツかったり、名前が格好いいから必死こいて取ったってのに いやまあ雷電3機は使った事あるけど、244は使った事が無いわ 何かに進化しないかなぁ -- 2023-11-08 (水) 00:47:45
  • 深山みたいに期間限定任務の面白報酬枠で配られたりしないかな -- 2023-11-08 (水) 01:05:49
  • 雷電の諸元を見てみるとだいぶ軽量だけど爆弾積めるんだな。基地防衛用の足の短い航空機に爆弾を積める機能を残す理由ってなんなんやろうか -- 2023-12-30 (土) 14:09:02
    • 3号爆弾で爆撃機を迎撃!みたいなことをしたかったとか? -- 2024-03-19 (火) 00:18:23
    • 多分に推測になってしまうが、海軍機の伝統で海上飛行における搭載能力の維持(燃料増槽への転用も視野に入れ…等も含まれる)のためとか言って、開発段階で爆弾を搭載する諸元を盛り込むと開発予算が余分に下りるんだと思う。もちろん実用性も兼ねてかもしれないけど、結局兵器は何に使うか、ではなく何に使えるか、ということを考えると最初に尤もらしい理由つけて多めに吹っ掛ける。そのへんは兵器開発も道路工事も一緒。 -- 2024-03-19 (火) 06:50:02
  • ふ、ファイティングサンダー(震え声) -- 2024-04-14 (日) 16:33:16

*1 対空+迎撃×1.5で計算
*2 対空+迎撃+対爆×2で計算
*3 http://kancolleoperationroom.blogspot.com/2018/12/2tsundb.html
*4 1スロ当たり
*5 一四試の時点ではまだ出力向上型の二〇系は開発途上だったため。実際に雷電に搭載された火星二三甲型はヘルキャットのエンジンであるP&W R-2800と比しても、ほぼ同じ直径、最大出力でやや劣りパワーウェイトレシオでやや勝る程度の性能だった。
*6 現代の航空機は、スロットルを前に押すと加速するように統一されている。
*7 海軍航空隊はイギリスに範を取った。一方、フランスに範を取った陸軍は、当時のフランス式の「引いて加速」方式を採用した。
*8 参考までに紫電改は161、烈風は153、三式戦は173、四式戦は185。
*9 ちなみにP-51Dはメートル法換算で約190。そりゃ隼や零戦と格闘戦やったら痛いことになるわけだ。
*10 メートル法換算で、Mk.Iで約124。実際、零戦に手を焼いていたアメリカはレンドリースの代償としてイギリスからスピットファイアを送ってもらう構想もあったと言う。結局勝てないということで未遂に終わったが。
*11 どのような飛行機でも失速すると舵効きは鈍くなる。ただし艦載機はその度合いが小さくなるように設計することが多い。九六式艦戦や零式艦戦が典型例
*12 また、横風を受けながら着陸する場合には3点同時接地よりも主車輪接地→減速→尾輪接地の方が安全。空母に降りる場合、空母と言う可動式滑走路の方でなるべく風向きに合わせてくれるが、陸上滑走路ではそういうわけには行かない。
*13 同様に新鋭機であった彗星もこのように不測の欠陥に悩まされた機体である
*14 発動機を換装した二号零戦こと、零式艦戦三二型である。
*15 もっとも十六試艦戦の発注先送りは、この時点で有望な小型大馬力エンジンがまだなかったという根本的な問題もあったためであり、十四試局戦だけが理由ではない。そもそも小型大馬力エンジンがなかったから雷電はあえて大型の火星エンジンを積んだのである。
*16 …………のだが、アメリカの戦闘機用エンジンとして多用されたR-2800はどうかと言うと火星とほぼ同じ直径だったりする。
*17 金星に換装すると燃費が悪化して、航続距離が短縮するのを嫌ったという事情もある。
*18 海軍の方針としては、三菱での零戦量産を打ち切り、中島飛行機で空母向けの零戦生産を小規模で継続するつもりであった。
*19 ついでに堀越が過労で倒れた。この為零戦の改良は一式陸攻の本庄李郎技師が担当し、本庄が担当するはずだった一六試陸攻は高橋己治朗技師の担当となった。三二型の主翼が他の型と明らかに違うのは、本庄が改設計を行った結果である。
*20 九九式20㎜機銃の拡大版
*21 計画自体は中止にはなってしまったものの、襲撃機キ65の遺志は同社のキ98へと受け継がれた。そのキ98も満州のソ連軍侵攻で完成しなかったけど
*22 大空のサムライ・坂井三郎は38期生(1937年11月課程終了)。岩本・坂井の両雄ともベテランだが、そのさらに倍近い年季を積んでいる。元上司の三四三空司令の源田実(海兵52期、飛行学生19期、1929年11月練習課程終了)がまだ現役パイロットだったころ、源田サーカスで共に飛んだ間柄であり源田実が一年だけ先輩という程度である
*23 しかし、そのような奔放な言葉とは裏腹に、実際の戦闘では「編隊同士でカバーし合い、味方の被害を極力抑える」戦法を第一としていた。個々の戦闘技術に依存し「攻撃的だが、味方の被撃墜率も高い」という当時の日本海軍の戦法は、数的不利に繋がるとして忌避する考えを述べている。ちなみに赤松氏はあまり知らなかったのだろうか、陸軍では赤松の考え方の方が大勢を占めていて公式化されている。詳細は三式戦 飛燕の項で。
*24 赤松中尉の著作日本撃墜王より
*25 なぜ雷電がフィリピンにいたのかは不明だが、恐らくは油田の防空用途でバリクパパンに配備されていたと思われる。
*26 四式戦「疾風」の米軍テストでも同様の試験が行われ、こちらも並外れた結果を出したのだが、やっぱりチートしてるので、これも真に受けてはいけない。松の木の根っこから航空燃料を作った国とは訳が違うのだ。
*27 当時の日本人の標準体格では、雷電の操縦室は広すぎ、「飛びながら宴会が開ける」と揶揄されていた。
*28 この2機は機体サイズに比して風防が小さいので知られているが、風防の材料をケチったわけではなく、コックピット周辺の防弾対策を強化した設計のため。
*29 機内燃料だけでも1,000km以上飛行できた。日本の視点では「短い」が、米軍の視点では「長い」部類だった。ついでに言えば、機内燃料だけで空戦ができたことも高評価だった。大戦期のP-51Dに、両翼に増加燃料タンクを付けた飛行写真がやたらと多いのは、重量バランスに問題があり、機内に燃料を残した状態での空戦が禁じられていたためである。
*30 P-47 サンダーボルト
*31 A-10 サンダーボルトII