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大和

Last-modified: 2017-12-11 (月) 20:25:47
No.131
大和型戦艦、一番艦、大和。推して参ります!大和(やまと)大和型 1番艦 戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久93火力96 / 129
装甲88 / 108雷装0
回避27 / 59対空50 / 94
搭載28対潜0
速力低速索敵15 / 39
射程超長12 / 79
最大消費量
燃料250弾薬300
搭載装備
746cm三連装砲
715.5cm三連装副砲
7零式水上観測機
7未装備
改造チャート
大和大和改(Lv60)
図鑑説明
大和型戦艦一番艦、大和です。
艦隊決戦の切り札として、呉海軍工廠で極秘建造されました。
当時の最高技術の粋を結集されたこの体、二番艦の武蔵とともに、連合艦隊の中枢戦力として頑張ります!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:竹達彩奈、イラストレーター:しずまよしのり (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2013年8月イベント海域「南方海域強襲偵察!」の最深部突破報酬として先行配布され、同年12月24日に実装された「大型艦建造」で正式に実装された。
    • ちなみに大和型戦艦2番艦の武蔵は2014/07/04に正式に実装された。
    • 確率は低下するものの大和は開発資材1でも建造可能(武蔵・Bismarckは20・100の必要あり)。
      • このため、武蔵が先に着任した提督はある程度建造制御が可能だが、大和が先に着任している提督は8時間表示毎にお祈りが必要。運が悪いと偏り続けることもある。
    • Bismarck狙いでZ1orZ3を秘書艦としている状態でも、確率は大幅に低下しているものの武蔵共々ドロップ可能。こちらも運が悪いと偏り続けることもある。

性能および運用 Edit

  • 実装済み艦の中で武蔵と並び最高クラスを誇る耐久・火力・対空・装甲、そして資材消費
    • 昼戦一回のみで燃料50・弾薬60というビッグセブンすら軽く見える凄まじい大食らい。入渠では鋼材が4桁掛かるなんてことも良く起きる。
    • 改装時の鋼材は驚異の3000。駆逐艦が100隻(正確には最低値建造100回)作れる。
      • 扶桑改二の実装により、改造時の鋼材消費は2番手に落ちた。
      • 翔鶴改二の実装により3番手になった。(さらにコンバート改造も含めれば4位に)
    • 改造Lvが60と、初回改造Lvが堂々のトップ。艦これ3周年になった現在も堂々のトップである
    • その燃料弾薬消費のおかげでケッコンカッコカリによる燃費改善の恩恵を最も受けられる艦娘と言える。ただし入渠時の燃料鋼材消費は相変わらずだが
  • Lv1の状態ですら他の戦艦の改装型(むしろ改二も)と張り合えるほどの能力があり、史実通り「艦隊決戦仕様」と言える存在なのだが、普段使うには消費が重いのも事実。
    ただ燃費優先で戦力を抑えるよりは、大和で速攻した方が最終的な被害は小さくなったりする場面も案外多い。
    • バケツはもちろんのこと、修理費用そのものも減らせるので地味に燃料消費も抑えられたりする(本当に地味にだが)。
    • 兵站ゲーとして考えるなら低速戦艦としては長門型のほうがコスパは高いが、イベント最深部や5-5あたりだと大和型を持っているか持っていないかで安定感に違いが出る事も。
      • 現在主な使いどころはやはり5-5かイベントの2択。それ以外はあまり使いどころがない。耐久面ということで3-4もありだが、大破時の修理はお察し。(そうそう大破しないけど)
      • 一方任務で編成が限られる任務が多くなってきているため、戦艦枠に大和型を採用することも多い、この場合戦艦としての安定度はやはり別格無論資材消費も別格
  • Lv上げとしては演習がメインになるだろう。大和型は燃費もそうだが、仮にカスダメでも修理費用がバカに高いため、できる限り無傷確定かつ比較的に経験値が高い演習を利用していきたい。
    Lv1からでもMVPを簡単に取れるため、旗艦+MVPで成長速度はわりかし速いかも…
    • 妹の武蔵と並んで演習番長ともいわれることも…
    • もしくは5-2周回か3-2-1となる。前者は戦果のついでにも可能。
      • 5-4は低速のせいで渦潮を踏むためオススメできない。ただしタービン+缶で速力を高速にすることで回避できる。
  • 夜戦での大破率は他の戦艦と変わらないので昼までで決着を付けたい時に使うのがベストかも……?
    • 雷装が0だが素の火力が高いため、ハイパーズに次ぐ夜戦攻撃力を発揮できる。イベント最深部などでは多額の修理費を覚悟で夜戦もやらせたい。
    • 三式弾を装備して陸上型に攻撃すると火力×2.5倍説が出ている、この場合火力1位の大和型はキャップ到達確定のため、有利になる。有効に使っていきたい。
      • ただ46砲×2で改造前181、改造後191で×2.5=452と477→夜戦キャップで312と313になるが・・・。ちなみに昼の場合155付近となる。
      • むしろ基地系に対しても、三式弾を搭載はキャップ分が過剰になるため、昼の補正が強く弾着が高確率で発動する、徹甲弾のほうがいいのかもしれない。
    • 一方3-5の北方棲姫が相手の場合三式弾なしで破壊(撃沈)も可能。

アップデート履歴 Edit

  • 4/23以降建造でもドロップ同様の背景となったが、同時にSホロ背景とHホロ背景が実装され、建造可能の大和のみが取得画面でのHホロ(Sホロ背景+桜)の背景となる唯一の艦娘である。
    • 姉妹艦の武蔵は何故かSホロ背景。 大和のみの特権か?なお9月現在修正はなし
  • 2016/08/01のアップデートで夏の季節限定グラフィックの水着modeが実装された。
    • 艦これ一番くじと同じデザインの水着だが、こちらはラムネを抱え込んでいる。

艦娘デザイン Edit

  • しずまよしのり氏いわく「実艦の大和が縦に割れて中から艦娘が出てくる」というイメージになっているそうな。本人Twitter 両サイド下部の装甲パーツを見ると、大和型の艦首部をそのまま縦割りにした形状になっている。
    縦割りになった艦首を天岩屋戸に見立てれば天岩屋戸からアマテラスが出てくる場面に見えなくもない
  • カードイラストでは見づらいが、第三砲塔は背部にある。正面ではなく側方どちらかに全砲が向く構成になっている*1のは、いかにも艦船という所。
    • …と思ったら、グッドスマイルカンパニー発売「ねんどろいど大和」ではなんと、背部の第三主砲も艦娘前方に向くように可動化されてしまった。あの等身じゃどうしたって全門側方は無理だもんね仕方ないね。
  • トレードマークの和傘は、実艦の煙突後方に立っていたアンテナマストのデザイン化。
  • 立派な艦胸構造物をお持ちだが、実はバストに九一式徹甲弾の被帽をかぶせてブラ代わり上げ底しているのが中破時に暴かれる。これが本当の「砲弾型」
    その下の「自前」も十分豊かなのになぜ?と疑問を感じる所だが、史実の三重装甲構造を表現しているとの説あり。前述の史実通り左半身の艤装のみが滅茶苦茶にされている姿がこの説を後押しする。
限定イラスト:夏季限定(2016)Ver.


小ネタ Edit

歴代艦長一覧 Edit

艦長

大和の設計と構造 Edit

  • 日本人なら軍艦に詳しくなくても誰もが知っているであろう、日本海軍の隠し玉にして世界最大の超弩級戦艦。
    基準排水量65,000トン、満載排水量72,809トンの超大型戦艦である。
  • 大和ライバル艦はIowa級戦艦である。Iowaは今も、アメリカに残っている。
    参考動画↓(見るときは、日本語字幕をONにしてください)
    https://m.youtube.com/watch?v=fQ9D-RbE1iM
    https://m.youtube.com/watch?v=I1IMIHYqPCk
    • 基準排水量及び満載排水量そして搭載主砲の口径で戦後ギネスブックに認定。最近の本には載ってないけど。
      大和型の性能諸元(竣工時)
  • 当時日本海軍の保有していた主力艦は扶桑型、伊勢型、長門型などの老朽艦しか無く各国の新鋭戦艦に対抗するには不十分であったため、マル三計画で戦艦2隻(大和、武蔵)、マル四計画でも戦艦2隻(信濃、一一一号艦)計4隻の新戦艦の新造が最も古い巡洋戦艦金剛型4隻を代替するために計画された。
    しかし実際に完成したのは大和・武蔵、航空母艦へ改装された信濃の三隻で、四番艦に相当する「第一一一号艦」は手を付け始めたところで解体、伊勢姉妹の航空戦艦化の資材に流用された。
    更にマル五計画では改大和型戦艦1隻*2、超大和型戦艦2隻*3と行った改良型も計画されており、日本海軍は大和型を次世代戦艦のスタンダードとして量産しようとしていたのが伺える。
    • 大和型戦艦の計画が進み始めた頃の連合艦隊司令長官・高橋三吉中将は、八八艦隊計画を推進し軍縮条約に反対する生粋の鉄砲屋とも言える艦隊派提督であった。だが、大和型戦艦の必要性に疑問を呈して再考を促す爆弾発言をした為に、軍令部や艦政本部から「自分の経験だけで計画に横槍を入れるとは、連合艦隊司令長官はそんなに偉い立場なのか」と反発を招いた。*4
      鉄砲屋の高橋は、畑違いゆえに一度は辞退した第一航空戦隊司令官に無理やり就任させられた際に、航空兵力の重要性を感じており、それが大和型建造に否定的な発言につがなったという。
      ちなみに、この当時の一航戦旗艦赤城の艦長は山本五十六であり、山本たちの働きに満足したことが司令官の高橋を航空重視に傾かせた。
      • 高橋の後任には後の海軍大臣、内閣総理大臣でもある米内光政が、海軍次官には海軍航空隊の育ての親とも言われる山本五十六が就任している。歴史にもしは禁物だがあと少し流れが変わっていれば大和型戦艦は計画倒れに終わっていただろう。
  • 艦首が非常に高くなっているようにイメージされることも多いが、艦首乾舷は中央部とほとんど変わらない。
    艦首に向けてせり上がっているように見えるのは、1番砲塔の付近の甲板を凹ませて砲塔の搭載位置を低くし、重心を下げる工夫をしたためである。この形状は「大和坂」とよばれた。
    全体に乾舷は高く、良好な凌波性・安定性と膨大な予備浮力を生み出した。
  • 艦体の設計に関して「良くも悪くも重巡洋艦の拡大型」とは、設計に関わった牧野茂氏の談である。
  • 『大艦巨砲主義の極致』とは言われるものの、性能に比してコンパクトな作りになっている。全長は263mで全長だけならアメリカのアイオワ級の270.43mのほうが長い*5のだが、
    アイオワ級は全領域で日本の新戦艦を上回る性能*6とパナマックス*7を実現させるため艦の全長を大きくしたので、全長だけで単純な比較はできない。
    しかし、元々艦型が小さい方が防御上有利であるため*8大和型には可能な限り艦体を小さくすることが求められており、技術者たちが最も苦心したのは如何に小さい艦型で軍令部の要求通り*9の艦を造れるかという事であった。
    最終的には技術者陣の苦心の結果、大和は全長263m 水線長256m*10 基準排水量65,000tと18インチ砲艦としては小さな艦として完成した。
    戦後、大和の設計図を見たアメリカ軍人が「アメリカで大和を作ろうとしたら、一回り大きくなるだろう」と言ったいう逸話もある。無駄にデカいというイメージで語られる船だが、その中にも日本人の軽量小型化志向は息づいていたのだ。
    大和型戦艦計画案の推移(概略)
  • 当初30kt以上とした軍令部だったが大和型を30ktとした案では艦型が大きくなり過ぎる他、航続距離が短くなるといった問題があっただけでは無く、
    米国の新戦艦が24kt〜25kt程度と考えられていたため、大和型を30ktとした場合のデメリットとメリットを比較して最終的には27ktとした上で、艦型の縮小と航続距離の増大を図ったA-140F5が採用される事となった。
    しかし、試験も兼ねて1万馬力の大型ディーゼル機関を搭載していた潜水母艦大鯨では、ディーゼル機関の故障が相次いだだけでなく計画出力の6割程度すら出ない事が判明したため、
    急遽大和型ではディーゼルとタービンの併用を改めタービンのみを搭載する最終案が決定された。*14
    また、当時日本では毎平方センチ辺り30キロの蒸気圧、350度の過熱蒸気の使用も試みられていたが、大和型では機関の信頼性と耐久性を重視して、蒸気圧25キロ、過熱蒸気325度と低く抑えることとなった。*15
  • 機関定格出力は15万3553馬力。*16*17
    • 「武蔵は機関の搭載こそ完了していたものの、缶とタービンをつなぐ高圧蒸気管や、その他の重要な配管類が突貫工事となってしまったため、大和より配管の精度が落ち、機関出力も落ちていた」とする説が一般的である。
    • ただし、配管精度で影響が出るのは出力ではなく燃費であってこの論は非現実的であることにも留意しておきたい。それこそ配管精度だけの問題ではなく、機関その物の出来なども複雑に絡み合った結果であろう。*18
    • ちなみに大和と同じタービンを2基搭載した初春型駆逐艦の子日が過負荷全力で4万7000馬力、白露型駆逐艦の江風が4万7001馬力を記録している。つまり、最大で1基2万3500馬力程度を出せるタービンであり、これを8基搭載しているのだから、限界まで回せば18万8800馬力程度は出せる可能性がある。実際、朝日放送の「よみがえる戦艦大和」内で、元乗組員が「現在29.3ノット」との艦内放送を聞いたと証言している。当初計画は20万馬力で30〜31ノットというものだから、18万馬力以上出ていれば、29ノット台という数字が出ても不思議ではない。
    • 大和型戦艦の公試において、その最大出力時(11/10過負荷)においても各ボイラに装備されたそれぞれ9基のバーナのうち7基しか使用していない。
      つまり過負荷と言いながらボイラ能力の8割さえ使っていない。それだけ機関に余裕を持たせていたのである。
  • 軍令部の当初要求では30ノット以上であり、当初案には主要防御区画短縮と水上機運用を重視して、英国のネルソン級戦艦と同じく、主砲塔3基を全て前部に搭載するプランもあった*19。大和型計画時は戦艦・巡洋艦の水上爆撃機を一斉に発進させ、空母の攻撃力を補う考えがあったからである。こうした、大型水上艦搭載水上機を攻撃任務に転用する考え方の延長上に航空戦艦伊勢型があり、大和型戦艦も完成後に水上爆撃機瑞雲を16機搭載できないかと真剣に検討されたが、レイテ沖海戦などにより実現していない。
  • 計画速力は27ノット*20で、ゲーム内の「低速」扱い軍艦としては最速。実際には大和が、昭和17年6月22日に佐田岬沖の公試で28.5ノットを記録し*21、武蔵も公試時に過負荷全力で28.1ノットと計画以上の速力も計測している。これはゲーム内で「高速」扱いの正規空母加賀(28.3ノット)、軽空母祥鳳&瑞鳳(28ノット)に匹敵する。ただし、過負荷全速において計画値以上の速力を発揮したのは大和型に限った話ではなく扶桑型をはじめとした日本戦艦や海外戦艦も計画値を上回る速力を発揮した例は多いため(アイオワ級戦艦などはベトナム戦争時に35.2ノットを記録している)大和のみが「実は速かった」という訳ではない。レイテ沖海戦前も「大和型は重巡と一緒に夜戦しても問題ない速力だから、艦隊旗艦にしてくれ」と栗田艦隊司令部が連合艦隊に要望を出すなど、現場では低速とは思われていなかったようだ。
    • 柱島沖は水深が100メートル以下であり、公試海面としては浅すぎることも、公試速力が低めになる一因である。
      一般に吃水の10-15倍程度の水深がなければ、海底からの反射波の影響を受けるとされ、高い速度を記録したのは水深の深い佐田岬沖・速吸瀬戸での試験である。
    • ついでに言ってしまえばこのクラスの戦艦で30ノットを超えることはアメリカにも無理だった。
      大和型の幻のライバルとされるモンタナ級戦艦だが、その大和型を指す「日本が建造中の新型戦艦」に対抗するため、パナマックスを超えることを承知で、サウスダコタ級までに存在した防御の不安*22とMk.7 16インチ砲プラットフォームとしての不安*23を解消する63,000トン余りの船体は、アメリカの技術力をもってしても計画28ノットが限界だったのである。
  • 主砲も、用兵側の要望で50口径があげられていたが、建造当時の日本の技術・設備的に難しいので45口径となった。詳細は砲のページで。
  • 副砲として、高性能化する駆逐艦に対応するため従来より強力な15.5cm三連装砲を搭載、軽巡時代の最上主砲に使われたものを流用した。こちらも詳細は砲のページで。
  • バルバス・バウを装備した艦として有名だがその内部にパッシブソナー(零式水中聴音機)を内蔵していた。現在のイージス艦等では珍しくない配置だが当時のそれも対潜を意識していない筈の戦艦としては中々斬新な設計でもあった。
    • また大和型には竣工時には爆雷が装備されていた。*24武蔵の沈没時の証言(小川豊 左舷増設一二番機銃配置)でも艦尾のジブクレーン付近より飛びこんだ時に爆雷投下台があったというものがあり、大和武蔵ともに昭和17年に九五式爆雷10個装備していた模様である。*25
      バウソナーを設置していた事も併せれば当初は一応とはいえ対潜能力も持っていたという事になる。
  • 戦艦の集中防御区画は自分の主砲弾が直撃しても耐えられるように作るため、潜水艦の魚雷を食らっても乗組員が気付かない*26という超重装甲だった。流石大和だ、何とも無いぜ。
    • 1943年12月25日午前5時20分ごろ、陸軍独立混成第一連隊主力の輸送任務中にトラック島北方に差し掛かった時に米潜水艦スケートから雷撃を受ける。魚雷1本命中、この時に第三砲塔火薬庫と後部機関室に約3,000tの浸水、この結果第三砲塔は使用不可能になり、1/3の戦闘力が失われる。
      魚雷の命中で装甲が一瞬1mほど艦内部に押し込まれ、その後元に位置に戻り、表面上何の被害も無いように見えたが、実際には装甲結合部のリベットが全て切断されており、そこから浸水していた。
      たった1本の魚雷で重要区画(バイタルパート)に浸水してしまうという設計上の問題が実戦にて証明されてしまった。*27*28*29
  • 大和型の缶・機械は、全て独立した水密区画に配置された。シフト配置*30ではなかったが、大型魚雷が命中しても内側の缶室・機械室への浸水は考えづらく、例え外側のボイラー6基が浸水で全滅したとしても内側の6基だけで15ktの速力を維持する事が出来るようになっており防備は極めて強固だった。
    • 強固な防備は実戦でも証明され、大和・武蔵とも多数の魚雷が命中した後も、沈没の瞬間まで行足を失っていない。
    • 一方で、缶室・機械室一つ一つは狭隘になり、温度が上がりやすく作業環境が悪化した。このため部隊からは缶室・機械室への冷房装置の設置が要望されている。
    • シフト配置についてだが、そもそも戦艦や空母等の大型艦艇は機関は左右に並列配置される場合が殆んどなのでシフト配置をしなくても魚雷1本で推進力を失うような事態は起こりにくく、シフト配置で利点を得ることは余りない。逆にシフト配置だと片舷のスクリュー軸を長くとらねばならないなど欠点も多くなる。シフト配置はあくまでも大きさの関係上機関設備を並列配置出来ない中小艦艇でこそ効果のあるものなので、大和のような大型艦が採用しなかったとしても問題になることはないと言える。
  • ディーゼル発電機4基とタービン発電機4基を装備し最大出力4,800kW。きわめて大きな発電能力を持っていたのも特徴である。
  • 建造に携わった呉市在住でご存命の当時の技師曰く、建造中の大和のスクリュープロペラは日本の当時の国産船舶で唯一の4翅だったらしい。
    しかし、戦後の潜水調査でも残された資料でも標準的な3翅となっている。
    どうやら建造中に設計変更したらしいのだが、その詳細は未だにわかっていない。
  • スペックに比して動かす負担もゲームと同様で高負担。
    • 一隻建造するだけで一個艦隊を余裕でぶっちぎる予算が吹っ飛ぶ。動かすとさらに燃料が消し飛ぶ。
      • 動かさなければ問題ないかと思いきや、弾薬庫内の適温維持などに主機を動かす必要があるため、結局吹っ飛ぶ。(海軍は、なにもせずにじっとしているだけで、一日に1万2千tの石油を消費したという。*31
      • 建造費は当時の価格で1億4287万円と言われている。これは現在に換算すると4000億円ほど、大体「ひゅうが」「あたご」で3隻、米軍のズムウォルト級駆逐艦1.2隻分となる。さすがにニミッツ級原子力空母はさらに高い(7000億円前後)
      • これだけだと大した事がない額にも見えるが、1940年当時の日本のGDPは2014億ドル(1990年priceドル)である。同一価値換算で比較が出来る1990年当時の日本のGDPが3.1兆ドル。となれば1940年当時の経済規模は現在の15分の1程度と計算できる。
      • 早い話、当時の日本が大和建造のために費やした負担は、今の日本が米軍の1空母打撃群に準ずる戦力を丸々揃えるよりも大きい。しかも建造してたのは大和だけではない。
      • ゲーム内の資源消費で水雷戦隊1個分が大和1隻分になっているのは実物と大体同じ量。ネタにされるボーキサイトの女王と違って現実でこうである。
      • とは言えゲームと違う実物の大和は他の戦艦と比べてもそこまで燃費が違う訳でもない点には注意。むしろ、16ノットで10,000海里の航続距離*32というのはかなり優秀なものである。19ノット相当では、大和は8,221海里、金剛型は8,300海里程度。搭載燃料はどちらもほぼ同等の6,300〜6,400tだったりする。現実の大和型戦艦は、その巨大さを考えれば通常航海なら世界屈指の低燃費艦でもあった。
      • テスト時の実績では、15.9ノットで航走する時は、燃料を1時間あたり7.7t消費し、これが27ノットになると57.5tになる。
        タンクいっぱいに燃料を積んだとき、使用可能な燃料は5,985tであるから15.9ノットなら12,300海里、全速力では2,800海里走れることになる。
      • もっとも、艦隊型駆逐艦の建造費は決して安くない。基準排水量で大和型の1/30である陽炎型の建造費は1,000万円を軽く超える。彼女らは、ああ見えて相当なお嬢様なのである。
        よく言われる「大和なんか作らずに駆逐艦を」なんてやったら、かえって国庫が破綻するのだ。

大和が日本に与えた影響 Edit

  • 終戦直後、図面などの物的資料は大半が処分されてしまったが、技術者達と彼らが持つノウハウだけは確実に残された。
    事実、戦後いち早く復興の旗手になったのは造船業界であり、外国からの発注が相次いだ。その理由は「日本には大和型戦艦を造った高い技術力があるからだ」というものだった。
    特に大和建造で培った西島式工数管理法やブロック工法による大型船建造のノウハウは、その後も長らくマンモスタンカー建造などに役だっている。
    大和・武蔵は沈んだが、その技術は継承され、さらに発展を遂げたのであった。
    • 現在でも造船業界のシェアでは世界トップクラス。一位の座は他の造船大国と抜きつ抜かれつしているものの、技術力では最高峰との呼び名も高い。
      日本の造船業界全体が高付加価値船に特化していることもあって、尚更技術力を感じさせるものが多い傾向にある。
    • 更には、大和を設計した技術者達は、日本初の南極観測船「宗谷」の大改造に関わることになる。
      なお、この宗谷はあの雪風に匹敵する強運を戦前から戦後まで持っているが、ぶっちゃけ書ききれないので詳しくは外部リンクのWikipediaにて。
    • 大和型で培った技術力はもちろん造船以外の分野でも大いに役立った。一例をあげると、戦後復興の象徴・東京オリンピックに先立って「東洋一のホテルを」と建設された
      「ホテルニューオータニ東京」最上階の回転レストランには大和主砲塔を回転させる特殊車輪技術が導入された。
      直径45mの巨大構造体を、コップになみなみと注がれた水が一滴もこぼれない程スムーズに回転させる技術は世界を驚かせた。
      ……のだが、技術者曰く「大和型の主砲より軽いんだし余裕余裕」とのこと。アレと比べれば、確かに大概のものは軽いだろうが……。なお、開業50年を経て現役である。

艦名について Edit

  • 戦艦大和は大和の名を持つ艦としては二代目で、初代は海軍黎明期の葛城型スループ艦二番艦。神戸市にあった民間の小野浜造船所*33で建造された。
    日清・日露戦争に従軍し、測量艦を経て1935年に除籍された後司法省に譲渡され、浦賀で少年刑務所の施設となっていた。
    横浜で解体待ち中の1945年9月に台風で着底。最終的に解体されたのは1950年だった。名を継いだ二代目の方が先に逝ってしまったわけである。
    • 測量艦時代の1926年、二年前に当たる1924年に日本海にて発見された海底山脈の精密測量を実施し、この山脈を大和堆と命名した。
      この発見により、今まで一様に深い海だと思われていた日本海が実は起伏に富む海である事が明らかとなったのである。
    • 何気に武蔵とは初代の頃から姉妹艦。ここの姉妹のようである。
    • 初代大和の初代艦長を務めたのは、東郷平八郎中佐(当時)。
  • 「大和」の名前は彼女が今のところ最後であるが、実は一度復活しかけたことがある。
    • 3代目南極観測船として建造されていた砕氷艦の艦名を公募したところ、折りしも宇宙戦艦ヤマトブームもあり、日本人で初めて南極に到達した白瀬矗陸軍中尉が命名した「大和雪原」にちなんだ「やまと」が得票第1位となった。
      しかし砕氷艦を運用するのは海上自衛隊。「やまと」の名前を易々と使えるはずもなく、最終的に戦後白瀬中尉を記念して名づけられた「白瀬氷河」に因んだ「しらせ」という艦名で決着した。
    • 海自・海保所属艦ではないものの、大和の名を暗に継いでいるとされる船に超伝導電磁推進実験船「ヤマト-1」(ヤマトワン)がある。
      1992年進水。世界初の電磁推進船*34として各種試験を行った。試験終了後は神戸市に無償譲渡され、外殻と推進装置内部の超伝導電磁石が神戸海洋博物館に展示されていたが、2016年に撤去される運びとなった。推進装置は現在も東京の船の科学館に展示されている。
  • 艦名の由来「大和国」はかつて平城京を有した日本の中心だった場所であると共に、扶桑に並ぶ日本そのものを示す代名詞でもある。
  • 艦名は昭和天皇が命名。天皇に対して大臣が2つの艦名候補を提示し、そこから選ばれた。このもう一つの艦名候補は「飛騨」であったとも言われていたが、2014年9月に発表された「昭和天皇実録」には艦名候補は「大和」と「信濃」であったと記載されている。
  • 艦内神社は大和国一宮の大神神社(奈良県桜井市)ではなく、同名の大和神社(奈良県天理市)からいただいている。ただし、読みは「おおやまとじんじゃ」である*35
    • この神社の祭神の一柱には天皇家に連なるとされる太陽の女神、天照大御神がいる。
      イラストレーターのしずま氏いわく、大和のデザインのモチーフにこの女神もあるとのこと。
      ちなみに妹の武蔵のモチーフとなった須佐之男(スサノオ)もその艦内神社の祭神に由来している

戦歴 Edit

略歴
  • 日本海軍きっての隠し玉であり、その性能は最高レベルの軍事機密として秘匿されていた。*41
    • その秘匿ぶりは議会を騙し予算を架空の陽炎型・伊号潜の建造予算や比叡蒼龍の改装予算に紛れ込ませていたほど。
    • 当然のように陸軍にも秘密、海軍内でも主砲の制式名を「四〇糎(センチ)」にする等、多くの海軍人も真のスペックを知らなかった。
      • その秘密ぶりは徹底していたが行き過ぎの面もあり、レイテ沖海戦で旗艦「愛宕」を沈められて大和に旗艦を変えた栗田健男中将以下第二艦隊司令部員ですら、大和の主砲が46僂任△襪海箸鮹里蕕気譴討い覆ったという。
    • 無論、当時の国民にもその存在を知らされることは無かった。そのため国民の間では「帝国海軍の象徴と言えば長門陸奥」というのが一般的であった。ただ、漠然と「新型戦艦があるらしい」程度には知られていた模様。
    • 以上の理由に加え、後述するように図面等も終戦時に米軍の手に渡らぬよう大半が破棄されたため大和型戦艦は戦後長い間その知名度にもかかわらず資料の少ない軍艦だったが近年(といっても数年前)、全てではないものの相当量の設計図面が発見された。廃棄するには忍びないだかの理由で、技師がこっそり持ちだしていたらしい。
    • ただし、このようなデカい代物を隠し通すのは流石に不可能で、呉市民の中には目撃した人間が何人もいた。
      更に、進水の際、瀬戸内海対岸の四国北部一帯に高波を起こしてしまい、呉で何かやっているというのを薄々気付いている人間は多かった。
      ちなみに武蔵でも同様のことがおきている。
  • 最強の戦艦として就役したのはいいが、その性能に比べて戦歴は少ない。
    • これはBismarckの撃沈やタラント空襲に続き、建造した当の日本海軍が行った真珠湾攻撃とマレー沖海戦で「戦艦は航空機からの攻撃で容易に撃沈可能」と立証してしまったため。
      一度失うと簡単には補充が利かない主力戦艦の損失を恐れたのか、積極的に戦線へ投入されなかった。
    • 大和が参加した作戦はミッドウェー作戦、カ号作戦(支援)*42、戌一号作戦、渾作戦*43、あ号作戦、捷一号作戦、天一号作戦である。
      また、砲術士官達はここで砲術の勉強会を開いており、彼らからは「大和大学校」*44と呼ばれていた
      (連合艦隊旗艦が武蔵に移り、連合艦隊司令長官がいなくなったため気の緩んだ乗組員の姿を見て、松田千秋艦長*45
      礁内出勤、運動訓練、主砲射撃訓練や士官を集めての兵稘演習を行ったのが始まり)。
    • 初陣はミッドウェー海戦、連合艦隊旗艦として山本五十六連合艦隊司令長官が座乗し、長門、陸奥らと主力部隊を構成し南雲機動部隊の後方から進撃したが、作戦上、各部隊が細かく編成されて各個に行動していたのが仇となり、先方の南雲機動部隊が米空母の奇襲を受けて壊滅すると、低速の彼女らは救援に駆け付ける事も出来ず、戦機も失って退却した。海軍期待の大戦艦の初陣は相手を一切見ることなく、唯洋上を航行するのみに終わった。
    • その後米軍がソロモン諸島ガダルカナル島に侵攻し、米軍の反攻が始まると、連合艦隊は旗艦大和と共に前進拠点のトラック諸島に進出する。トラックでの大和の任務はカ号作戦支援、南太平洋方面の作戦支援、全作戦支援と転々としていたが、実際には旗艦業務以外にする事は無く、当時の日本海軍が保有する最大の泊地に投錨していた事もあり戦況が悪化するまでは定期的に夏島への上陸が許され、内地からの便りも滞りなく届き、新鮮な青果物も豊富に供給され、艦内は冷暖房を充実させ、月に1、2回は甲板上に設けられた特設の劇場で映画の上演が行われるなど、ガダルカナルを巡る凄烈な戦いが行われている中にも関わらず大和以下の戦艦部隊は安穏とした日々を送っていた。このため陸軍将校からは「贅沢ですね」と皮肉を言われ、同じ海軍の人間からも「こんな贅沢で戦に勝てるのか?」と非難されていたという。*46
    • お陰でついた仇名は「大和ホテル」(当時満州の主要都市に点在した満鉄傘下の高級ホテル「ヤマトホテル」と引っ掛けたダブルミーニング)。
      • 「居住性が帝国海軍艦の中では破格の高さ」*47だったことも大和がホテルと呼ばれた一因だったが、停泊してる間ただ居住するためのホテルと化していた訳ではなく、
        旗艦業務の他に入浴サービスの提供や陸奥と共に出動部隊に米・麦の補充の他、燃料供給や軍需部の仕事も請け負い、出動部隊からは給糧艦とも呼ばれていた。
      • 軍艦では通常の三食の他に夜食として饂飩やお汁粉等が出ていたのだが、大和の場合はこの夜食も他艦よりもバリエーションが多かったようである。ただアニメにも描写されていたラムネであるが、艦載機を持つ艦には炭酸ガスを製造する装置があり、これを用いた泡沫消火器等が装備されていた。炭酸ガスさえあれば小さなスペースでもラムネは製造可能なので軽巡洋艦以上の艦ではラムネを作られていた。駆逐艦でも作っていたと言う話があるが、これはボンベを用いたのか?製造装置を装備した駆逐艦があったのかは不明である。艦載機の無い天龍さんは??
      • 平穏時では士官食堂では軍楽隊の演奏がついていたが、これは艦内放送で全艦に中継され、下士官兵も食事には音楽付きである。
        贅沢の極みのように言われているが、大艦隊の旗艦には軍隊儀礼および広報活動上軍楽隊の乗艦は必須であり、その技量維持のためには演奏機会が必要なため、技量維持の意味も含めて食事時に演奏を行っているのである(軍楽隊員は平時は通常の将兵と同じく業務があるので練習の時間は殆どなかった)。
        食事時の軍楽隊の演奏は連合艦隊旗艦となった艦ではどこでもしていたことである。
    • 大和ホテルの逸話は比較的有名であるが、ホテル以外にも燃料搭載量を生かした泊地の貯蔵タンク代わりとして活用されていた。貯蔵タンクも足りず、代わりのタンカーも足りないという状況で、大和を含む戦艦部隊は泊地の貯蔵タンクとして日々活躍していたのである。ただし、燃料に余裕のある戦艦から駆逐艦等への給油を前提とした運用は特段おかしなことではなく、ごく普通にアメリカなども行っている。
  • 時報では7時に朝食、12時に昼食、20時に夕食と言っているが、航海中の夏期日課では朝食、昼食、夕食はそれぞれ
    6時15分、11時45分、17時30分、冬季日課では7時、11時45分、17時、碇泊中の夕食は夏期日課では16時15分、冬季日課では15時45分であった。
    • どうして夕食、特に碇泊中がこんなに早いのかといえば、半舷上陸(正しくは入湯上陸)は夕食後となっていたからである。
      乗組員は所属艦船が家という扱いであったのである。
    • 夕食から朝食までの時間が長いため、どうしてもおなかが減る。減るものは減る。それ故に食料をちょろまかす「ギンバイ」という行為が発生することになる。
      夜食(主に甘味)が出ることが多い大和はそれほどでもなかったようだが、酒のつまみには困ったと言う話もある。
  • ガダルカナルでの戦いが終わった直後の1943年2月11日、大和は連合艦隊旗艦を妹の武蔵に譲る。そして武蔵と共に第一戦隊を構成し、引き続き連合艦隊直轄戦力となるが、トラック島で在泊し続ける事が殆どだった。4月には山本五十六司令長官が戦死、5月には妙高羽黒らを従えて一度内地に帰還し21号対空電探22号対水上電探を搭載する改修を受けるが、8月にトラック諸島に戻って以降も前線に出る事はなく、同地に居座り続ける事になる。
    12月になると大和は戊一号輸送作戦に参加する事になり横須賀に入港。陸軍の独立混成第一連隊と軍需品を搭載しトラックに向けて出港する。その後、トラック島北方で米潜水艦スケートの雷撃を受けたのだが詳細は小ネタでの記述を参照されたい。
    • トラック諸島に到着した大和は物資乗員の揚陸後直ちに同地にいた工作艦明石に修理を依頼する。この時の大和と明石のやり取りは当時明石の造船士官だった人物の証言によると大和側は被雷に全く気付いておらず、明石側の潜水調査で破孔を発見し驚いたとしている。大和は航行には支障が殆どなかったので簡単な応急修理の上直ちに内地に帰投した。
  • 帰投した大和は被雷によって判明した欠点の修復と並行して、両舷側の副砲2基取り払い、その分対空装備を多量に追加した。この時期日本海軍は各艦型への大規模な対空兵装強化を検討しており、大和型についても副砲全てを撤去し、その代わりに12.7センチ連装高角砲を合計40基80門搭載する案が研究されたが、兵器の準備ができないために実行不能とされた。大和改二で、この状態を再現されたら、演習で摩耶様や秋月型以上の悪夢になるかもしれない。結局、大和、武蔵ともに両舷側の副砲を撤去して高角砲6基12門を増加することにした(元の高角砲と合わせて12基24門)。その改装型は大和改として実装されている。しかし、武蔵はこれも間に合わず、副砲を撤去して作った高角砲用の台に25ミリ3連装機銃を装備した*48
    • 戦艦大和の一般的なイメージである「両舷に対空砲を並べている」のはこの改装以降の姿である。但しこの時点では片舷2列6基搭載された12.7儿盂冕い料阿砲25仍囲∩機銃は並んでおらず、「ハリネズミのような機銃群」というイメージはレイテ沖海戦後の改修後の姿である。
  • 4月に修理を終えた大和は摩耶らを引き連れ第一機動艦隊が在泊するリンガ泊地に向かう。6月14日、米軍のビアク島侵攻に伴い渾作戦が発動し、武蔵や第五戦隊らと共に出動するが翌15日に米機動部隊のマリアナ諸島襲来が知るところとなり、部隊は第一機動艦隊と合流、マリアナ沖海戦に挑む。
    • この海戦で大和は機動部隊前衛として栗田健男中将の指揮下に入る。6月19日、前衛部隊は上空を通過しようとしていた日本側第一次攻撃隊を米攻撃隊と勘違いし一部の艦艇が発砲、数機が味方に撃墜されてしまうという。攻撃隊のある士官は激怒し「国賊大和に突っ込め!」と叫んだともいわれる。
      • なお、この誤射について大和が発砲したかどうかについては「発砲した」という証言と「していない」という証言の二通りあり、どちらが正しいかは現在のところ不明である。
    • 19日の戦いでは先手を打った小沢機動部隊だが出撃した航空隊は遠距離飛行という高難易度な任務に対応できずかなりの機が目標に到達できず、帰る事も出来ずに未帰還となった。南都か到達できた機も手ぐすねひいて待ち構えていた米艦載機の迎撃と対空砲火に多くが撃墜され、戦果はゼロだった。逆に日本側は潜水艦の雷撃を受け空母大鳳翔鶴が沈んでしまう。
    • 翌20日は米機動部隊を発見できず、逆に米艦載機の空襲を受け空母飛鷹が沈み、隼鷹など複数隻が損傷する。大和も敵機に対して3式弾?を27発発射するなどして応戦。これが大和の敵と相対する初めての実戦となった。結局海戦は敵に損害を与えられずに逆に空母3隻と艦載機の大半を失うという乾杯に終わり、大和は内地に帰投する。
  • 内地に帰投した大和だが、マリアナ沖でのよもやの大敗北に軍令部や連合艦隊は事後の作戦がまだ確定せず、大和ら有力な水上艦艇をどう使用するか決まっていなかった。軍令部などは陸軍機を残存空母に搭載して制空権を確保し(当然着艦は出来ないのでサイパン島周辺のグアム島などの飛行場に着陸する)、第二艦隊に歩兵1個連隊を搭載して突っ込ませ、上陸部隊を粉砕するという無謀な作戦を考えたが、陸軍や連合艦隊に余力はなく、サイパン島奪還は放棄された。大和ら第二艦隊には「来るべき次期作戦に向けて訓練をするため、燃料の潤滑なリンガ泊地に移動せよ」との命令を受け、帰投後整備を受けるとすぐさま南方への兵員物資を搭載したうえで本土を出撃、マリアナ沖での激闘を横目にリンガ泊地に移動する。
  • 移動後の第二艦隊は、海軍が現状持っている最強の水上戦部隊となった事もあり、次期作戦での米艦隊との決戦に備え猛訓練を開始する。大和も第一戦隊旗艦として武蔵、長門と共に宇垣纏司令官の元猛訓練に励んでいる。
  • しかし連合艦隊では次期作戦では壊滅した第一機動艦隊(第二艦隊もこれに所属している)を主力とせず、基地航空隊である第一第二航空艦隊を戦力の中核と位置付け、敵機動部隊と侵攻する攻略部隊双方の撃滅を目指した「捷号作戦?」を立案、8月にマニラにて行われた第二艦隊との作戦打ち合わせでは、第二艦隊を基幹とする第一遊撃部隊は敵機動部隊ではなく攻略部隊を攻撃目標とすると説明する。
    • この時打ち合わせに出席した小柳冨次第二艦隊参謀長より「もし進撃時に有力な敵艦隊を発見した際、攻略部隊攻撃よりもこれを攻撃するのを優先してもよいか」という要望に、連合艦隊側代表だった神重徳参謀はこれを了承している*49。この了承が、後にレイテ沖海戦な重大な決断が下される要因となる。
    • 第一遊撃部隊の作戦目標が敵主力ではなく輸送船団であることを知らされた同部隊の指揮官たちからは不満が噴出した。中でも大和に座乗する宇垣中将は、自身の日記の9月21日(打ち合わせから1か月以上も経過している)の記述で「偶々来艦した小柳参謀長らに作戦目標を輸送船ではなく敵主力にするべきと意見具申した」と記述している。
  • 10月12日、米機動部隊が台湾沖に進出し台湾沖航空戦が発生、続いて17日に米軍の一隊がレイテ湾入り口にあるスルアン島に上陸、米軍のレイテ島侵攻が始まる。日本側は直ちに捷一号作戦(米軍侵攻がフィリピン方面と想定した作戦)を発動するが、中核とされる基地航空部隊は台湾沖航空戦などで戦力が半減し、作戦の根幹が大きく狂った中での発動となってしまった。
    • 以後のレイテ沖海戦の経緯についてはWikipediaなどを参照して頂きたいが、大和は旗艦愛宕が沈んだことで第一遊撃部隊旗艦となり、以後の作戦を指揮する。24日にはシブヤン海で妹の武蔵を失い、所属艦艇の多くが沈んだり損傷したりし、それでも何とか翌25日にはレイテ湾入り口近くまで近づくが、既に突入は不可能と判断、それよりも北方にいるとされる米機動部隊に一矢報いた方が戦局に貢献できると判断し突入を取りやめて北上する。世に「栗田ターン」と言われる反転である。
  • 大和ら第一遊撃部隊は10月28日、ボロボロになりながらブルネイに帰投した。残存艦艇のうち巡洋艦や駆逐艦などの中小艦艇は引き続きレイテ島への増援輸送作戦である「多号作戦」に参加するためマニラに向かい、大和ら戦艦群と第十戦隊(軽巡洋艦矢矧と第十七駆逐隊)はブルネイに居続けた。11月16日、内地帰投の命を受け大和、長門、金剛と第十戦隊は出航するが、台湾沖で米潜水艦シーライオンの雷撃を受け金剛浦風が撃沈される。
    • この時金剛に座乗していた第三戦隊司令官鈴木義尾中将は大和に座乗する第一戦隊司令官宇垣纏と同期の親友で、宇垣は鈴木が救助されると信じ衣類などの準備をしていたが、鈴木が救助される事は遂になかった。
  • 帰還した大和だが既に内地には大和を動かす満足な燃料もなく内地待機を続ける。その間対空機銃を増設し合計100門近くを装備するが、その多くが統制射撃ではない銃座個々で射撃するものであり、統制された対空射撃は出来なかった。1945年3月19日の呉空襲では来襲する敵機と交戦しているが、既に内地も危なくなり、呉から徳山沖に退避した。
  • 4月1日、米軍は遂に沖縄に上陸を開始、沖縄戦が始まる。第二艦隊は5日なって沖縄への水上特攻作戦「天一号作戦」を知らされる。更に草鹿龍之介連合艦隊参謀長が来艦し「一億総特攻のさきがけとなってほしい」との説得を受け伊藤整一司令長官は作戦を了承、艦隊は準備に取り掛かる。
    • この時大和には沖縄までの片道分の燃料しか搭載しなかったと、かつては言われ今でも信じている人もいる。しかし当事者の証言や諸記録から、実際は約4000tの燃料を搭載した事が判明しており、満載で6500t搭載できる大和は、3分の2の燃料を搭載して出撃した事になり、沖縄を十分往復できるだけ積んでいた事が判明している*50*51
  • こうして大和では3分の2近く、その他の艦艇はほぼ満載の状態で、大和以下第一遊撃部隊10隻は4月6日徳山沖を出撃、沖縄に向かって進撃する。翌7日には早朝より第五航空艦隊司令長官の独断で直掩の戦闘機が交代で上空に飛来する。なお独断で命令を出した当時の第五航空艦隊司令長官はマリアナ、レイテで大和と共に戦った宇垣纏中将であった。
  • この時米軍は航空偵察や豊後水道沖で偵察していた米潜水艦の通報から大和の出撃を察知していた。指揮官のスプルアンス長官はデヨ少将率いる戦艦部隊(第54任務部隊)に大和撃沈を指令、同部隊は日本の戦艦との交戦指令に歓喜した。ところが空母機動部隊を率いるミッチャー中将も大和撃沈を狙い、スプルアンスから特別指示が出ていなかった事もあり、彼に知らせないまま攻撃隊を編成出撃させた。攻撃隊出撃後にそれを知ったスプルアンスは大和が欺瞞のため針路を一時的に西進し九州に逃げようとしているとも見えた事もあり、ミッチャーに米海軍史上最も短い指令とされる「You Take Them」(貴官がやれ)を発しこれを了承する。こうして大和以下第一遊撃部隊はミッチャー機動部隊からの大規模空襲に見舞われる
  • 数度にわたる空襲で護衛の矢矧浜風磯風が沈没または大破航行不能、また機関不調で落伍していた朝霜も撃沈された。大和自身も魚雷10本、爆弾7発を受け14時23分遂に横転沈没した。退艦命令が出てから間もない沈没の為、多くの乗員が退艦に間に合わず、約3000名いた乗員で生還したのは280名と10分の1以下だった。生存者は冬月、雪風に救助された。
  • 時折「日本戦艦中、航空攻撃で撃沈された唯一の艦型」ということで過小評価されることがあるが、
    推定雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上という軍艦史上最多にして空前絶後の大損害を受けてなお浮いており、襲い来る敵機を道連れにし続けた妹(武蔵)
    戦艦1隻、軽巡1隻、駆逐艦8隻の艦隊に対し空母11隻、艦載機386機の波状攻撃による攻撃を受けて(命中魚雷10本 爆弾5発*52)沈んだので、決して簡単にやられたわけではない。
    ……ろくに海戦参加もできず戦果も挙げられずに消えていったとはいえ、ちょっと彼女らへの評価としては辛すぎるのではなかろうか。
  • ただし艦隊の上空に到達して攻撃に参加したのは309機。また各飛行中隊の戦闘詳報での出撃数は計367機となっていて、
    その中から大和を直接攻撃したのは117機「急降下爆撃機37機 戦闘機15機 戦闘爆撃機5機 雷撃機60機」である。*53
    米軍の損失は戦闘全体を通して13機の喪失(被撃墜5機*54、原因不明墜落1機*55、帰投後修理断念による廃棄5機、2機が不時着水)。
    日本側の記録では*56敵機撃墜19機以上、撃破数十機としており、その内大和の戦果は3機撃墜20機撃破とされている。*57
    損傷した機体は52機(廃棄5機含む)にも登るので、いかに大和以下の艦隊の対空砲火が激しかったかが分かる。
    なお喪失した13機には、よりによって唯一のカラーフィルム搭載機が含まれる。これで大和たちの最期の奮戦ぶりをカラーで見ることは永遠に不可能となった。
  • 天一号作戦に於ける大和への左舷集中攻撃説は、日本軍の戦闘詳報に掲載された大和の被害図で、被雷数10本中9本が左舷に命中したと記載されている事から広まったものだが、
    米軍機の報告では魚雷投下数59本中35本が命中、内14本が右舷に命中したと記録されており、実際の被雷数とは別と考えても、米軍機は右舷にもまとまった攻撃を行っていた事が分かる。
    戦史研究家の原勝洋は著書で『「大和」は左舷を計画的かつ集中的に狙われたとの通説を生んだ日本側記録は、書き換えなくてはならない』と述べている。*58
    • ただ、大和に限ったことではないが、攻撃側は戦果を過大誤認するものである。例えば爆弾による至近弾の水柱を魚雷命中と誤認したり。そんな誤認は古今東西枚挙にいとまがない。
      その為、一般的には攻撃を受けた側の被害記録を重視するのが常である。
      「左舷集中攻撃」説は、米軍の攻撃記録によって否定されつつあるが、「結果的に左舷に集中被雷した」という結果を覆すには至っていない。
  • 第二次世界大戦で大和に匹敵する損害を受けた戦艦としては、北岬沖海戦において、35.6cm砲弾13発・艦載魚雷11本以上・中〜小口径砲弾数知れずという大被害を受けて力尽きたドイツ戦艦シャルンホルストがあげられる程度である。
  • 大和への攻撃に参加したある米軍パイロットは後に「まるで戦艦水鬼島の要塞を攻撃しているかと思った」と語っている。

その他大和に関するあれこれ Edit

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この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

※コメント欄を畳むのが建造報告予防に効果が有る(有意差が出るほど建造報告の増減が有る)か確認するめに、畳むのを一時的に解除しています。 2014-08-26 〜

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 4000/6000/6000/2000/20で30連敗資源ぶっ飛んだよぐへえ -- 2017-12-09 (土) 03:07:14
    • 上の木主と比べると本当に余り物じゃないと福はないんだなあとおかしな感想が -- 2017-12-09 (土) 16:56:05
  • 無断でとんでもない量の感想文が追記されてたので削除。大量編集は記事のリソース圧迫するから事前に断りいれてくれ。大和関係者の著書のレビューなんか一々書いてたら切りがない。こっちでどうぞ -- 2017-12-09 (土) 17:10:13
  • E-3攻略と伊400堀で大活躍。昼戦の弾着で敵がほぼ沈黙する。やっぱ、イベントボスには大和型の火力ですな。 -- 2017-12-10 (日) 09:46:00
  • 漸く大型建造で出会えた!冬イベまでにレベルをあげねば! -- 2017-12-10 (日) 10:03:33
  • 大和の声の人、味噌汁と生卵を間違えて生卵を飲みかけるって… -- 2017-12-10 (日) 16:38:40
    • ロッキーかな? -- 2017-12-10 (日) 19:47:02
    • ???「お客様、あちらの方からです」つジョッキ満杯の生卵 -- 2017-12-14 (木) 18:38:10 New
  • 朝起きたらごっそり減った資源にLV1の大和と武蔵がいた。泥酔した俺、何してくれるんですか...。嬉しいけど二日酔いの頭にはかなりヘビーだわ。 -- 2017-12-10 (日) 19:35:06
    • 俺も呑んだ勢いでやった。鋼材が12になった。しおいちゃん出た。大和さんェ・・・ -- 2017-12-10 (日) 22:21:41
  • やっぱり冬に大和型って要るよね…今回も戦艦使って無さ過ぎて大破撤退→資源枯渇に泣かされたけど…コスパ的に長門型じゃ…ダメかな? -- 2017-12-10 (日) 22:50:39
  • 【戦歴】欄に全く関係の無い内容が大量に追記されていましたので(おもちゃやアニメ等の話題)、【小ネタ】に移せる内容のものはそちらに、それ以外の雑多な戦後のトリビアについては【その他あれこれ】欄を追加して分けました。ご確認ください。(さすがに宇宙戦艦ヤマトの話を戦歴欄に入れるのはアウトかと・・・ -- 2017-12-11 (月) 05:50:05
    • 編集乙です。 -- 2017-12-11 (月) 08:15:38
    • プロ野球選手の名前まで書く必要があるのかって話よな。さすがに欄ごと消してもいいと思うわ -- 2017-12-11 (月) 08:48:04
  • 冬イベで武蔵が必要になるって聞いたけど、大和はいなくても大丈夫かな? -- 2017-12-11 (月) 23:56:03
  • 最強戦艦をビビらせるってどんな顔で睨んでるんだ瑞鶴w -- 2017-12-12 (火) 12:18:25
    • 1D100のSAN値減少が入る顔 -- 2017-12-14 (木) 18:47:08 New
      • つまり、ニャル子クラスということかw -- 2017-12-14 (木) 19:10:22 New
      • 頭威嚇ううううううっ! -- 2017-12-16 (土) 04:47:09 New
  • 秋イベで想定していた消費資材と実績との差分で回した大型建造、ほぼ想定値ギリでお迎えできました。大事に育てるよー! -- 2017-12-12 (火) 23:34:33
  • 大型やり始めて今年で約2年半…やっと年願の大和型が来てくれたー!嬉しくて泣きそうだ…w -- 2017-12-13 (水) 23:12:15 New
    • おめでとう! -- 2017-12-14 (木) 19:33:47 New
      • どもども〜。出たその日は興奮しすぎて寝れなかったw 最初の戦艦嫁は大和と。決めていたので燃料・弾薬を無視して一気にレベリングするつもりっす -- 木主? 2017-12-15 (金) 02:24:26 New
  • 同僚の大型ミスのカバーで連夜の終電残業秋イベ完走できず…余った資材で大型したら3年目にしてまさかのktkr!嬉しすぎて泣きそう -- 2017-12-15 (金) 01:42:10 New
    • おめです!お仕事頑張ったご褒美ですね、良かったです。 -- 2017-12-15 (金) 10:19:51 New
      • あざーす!涼月は残念だったけど代わりのしずま艦が来てくれるとは…週末もお仕事は続きます、大和のレベリングェ -- 2017-12-17 (日) 01:16:32 New
    • 同僚が大型建造の投入資源量をミスったのかと思った。 -- 2017-12-15 (金) 18:43:28 New
      • 同僚は艦これやってませんが、上司は昔通常建造で全資材777とか変なレシピ回してました(笑) -- 2017-12-17 (日) 01:20:35 New
  • 武蔵・大和両面狙いで昨日大和着任。このまま武蔵回すのと大和レベリングどっちを優先すべきでしょうか? -- 2017-12-18 (月) 00:28:24 New!
    • なんかイベント前に武蔵の建造率アップさせるみたいな話なかったっけ?それまで資材温存しつつ演習で大和育てるのが良いんでねぇか? -- 2017-12-18 (月) 00:42:02 New!
      • 知ってますが、いつになるか分からないキャンペーン待つより今から回してレベリングすべきという意見もあるので迷ってます。 -- 2017-12-18 (月) 01:05:29 New!
      • そんならもう木主が何を重視するか次第だ。育てようにもまずは武蔵引かにゃどうにもならんのだし。ただ、あくまで個人的な経験で言えば戦艦は完全演習オンリー1カ月でLv75程度まで育つから、自分がその立場なら備蓄強化しつつ大型建造を週1回に減らして焦らずキャンペーン待つかな。キャンペーンまでに武蔵引けなきゃキャンペーンで自分の定めたラインまでぶん回す。それでも引けなきゃ今いる子たちで乗り切る -- 2017-12-18 (月) 01:58:47 New!
      • そうですね。武蔵着任が最優先です。次に備蓄ですね。ペース落として回すようにします。ただ、戦艦は完全演習オンリー1カ月でLv75程度まで育つというのは驚きです。自分の場合C,D敗北もザラにあるので。羨ましいです。 -- 2017-12-18 (月) 02:18:28 New!
  • 武蔵・ビスマルクは来たのに一向に大和が来ない…。そろそろ頼むよ…。 -- 2017-12-18 (月) 00:52:45 New!
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

建造成果の報告は大型艦建造内にある「大型艦建造レシピ報告」のコメント欄にて行なっていただけると幸いです。





*1 各部可動フィギュア「AGP大和」の発売でようやく明らかになった。
*2 七九七号艦 46cm砲搭載
*3 七九八号艦、七九九号艦 両艦共に51cm砲を搭載
*4 この高橋提督、神通や那珂が衝突事故を起こした「美保関事件」時の連合艦隊参謀長にして、「第四艦隊事件」や「二・二六事件」時の連合艦隊司令長官であり、海軍省の権限を軍令部に移した悪名高い「軍令部令及び省部互渉規定改正」の黒幕の一人でもあり、戦前の海軍を揺るがした事件の多くで重要なポジションにいた艦隊派の大物提督である。
*5 ちなみに、全長だけでいうと戦艦大和は全長269m強の豪華客船タイタニック号よりも小さいことになる。
*6 当時、米国でも18インチ砲47口径砲が試作されており、アイオワ級に9門搭載する計画もあったが、大和型を16インチ砲艦と考えていたため、不要と考えられた。
*7 パナマ運河を通過できる船舶規格の最大上限のこと。パナマ運河の幅は約33mのためこれを超える艦はパナマ運河の通峡が困難となり、大西洋から太平洋に出る場合は南米をぐるりと迂回しなければならなくなる。
*8 非防御区画が少なくなるため
*9 主砲18インチ(46cm)8門以上 副砲15.5cm三連装砲4基or20cm連装砲4基 速力30kt以上 防御 主砲弾(18インチ砲)に対して20,000m〜35,000mでの命中に耐える 航続距離 18ktで8,000海里
*10 公試状態で浮かんでいるときに側面から艦を見た時の長さ
*11 A-140では3連装3基を全て前部甲板に集中配置
*12 A-140G ディーゼル:70,000 タービン:70,000の併用型
*13 A-140F3、5 ディーゼル:60,000 タービン:75,000の併用型
*14 一度搭載した機関を換装しようと考えた場合機関室を取り囲む分厚い甲鈑を一度切り開かなくてはならないため、工期が長期間に及ぶ事に加え、今後改善される可能性があったとしてもそれでは大和型の竣工が遅れるだけであり、現状の頻繁に故障を起こす信頼性の低いディーゼル機関は主力艦たる戦艦に搭載するには不適格とされた。
*15 同型の艦本式ロ号ボイラーを搭載した比叡では蒸気圧22キロ、過熱蒸気300度となっているため、それよりも高圧・高温の大和型ではエネルギー効率自体は僅かではあるが上昇している
*16 過負荷最大出力は16万8000馬力。(大和と同じタービンを搭載した初春型駆逐艦のタービンが2万1000馬力で、それを8基搭載したことから16万8000馬力を発揮する。しかし、駆逐艦とは違い戦艦の機関はバイタルパートの中にあり、もし機関が損傷してしまった場合は艦橋や煙突等、上部構造物の多くを撤去、そして分厚い装甲の切断が必要な大改装に近い修理が必要となり、試験的な場合や真にやむを得ない緊急時以外は定格以上の出力を出す事は無い。
*17 姉妹艦の武蔵をもってしてもここまでの出力は出せなかった。武蔵は公試で16万6520馬力を記録し、定格出力15万馬力で運用した。
*18 武蔵のほうが2%程度燃料消費が多い
*19 なお利根型が主砲前部集中しているが、これは水上機を運用するためである。ネルソン級は主砲前部集中に起因するトラブルが多発しており、大和型がこの配置を採用しなかったのは結果論としてよかった。
*20 また、航続距離、燃費、艦の小型化のためにタービンとディーゼルの混合搭載案まであった、今で言うCODAS艦であるが、試作としてディーゼルエンジンを搭載した潜水母艦大鯨は、期待した出力を出せなかった。
*21 終末運転公試でも最大28.33ノットを記録。
*22 サウスダコタ級の時点で通常の16インチ砲防御としては十分なものであったが、より貫徹力の大きい長砲身、超重量弾の16インチ砲に対しては若干の不安を抱えていた
*23 アイオワ級はその高速と引き換えに、細長い船体の為高速時に砲撃すると挙動が安定せず命中率が下がる傾向にあった。
*24 出典元 KKベストセラーズ 戦艦大和建造秘録 「第2章 大和建造の記録 軽荷重心公試時重量調査表」P418。
*25 出典元 双葉社 戦艦武蔵の最後「戦艦武蔵のメカニズム考察」 P95。
*26 艦橋最上部の乗員が揺らされて負傷した。
*27 元々支持構造の脆弱性は射撃実験の段階で発覚しており、若干の強化が施されたものの不十分だった
*28 出典元 KKベストセラーズ 戦艦大和建造秘録 「第3章 戦艦大和の生涯 米潜魚雷1本を喫す」P460
*29 スケートの放った魚雷は大和型の想定した対魚雷防御の威力を上回るものであったのも関係しているとされる。
*30 戦艦などの大型艦でシフト配置をした場合バイタルパートが長くなるだけであり、小型艦のように生残性の向上は見込めない。
*31 出典元 学習研究社 『物語日本史』第10巻 P146。
*32 航続距離過大とされ重油搭載量は計画時の6,300tから5,300tへ減らされ空いた燃料タンクは予備浮力とされた。
*33 英国人実業家キルビーが開設した造船所で、経営悪化に伴い大和建造中に政府が買収。呉海軍工廠の直接の前身である。
*34 「フレミングの左手の法則」を応用し、海水に磁場を作り電流を流すことにより働く力で海水を動かし船の推進力とする。
*35 双方の神社は鉄道で3駅しか離れていない、山の辺の道のハイキングコースでもあり、間には巻向遺跡もある。
*36 昭和天皇の義兄(香淳皇后の実兄。)
*37 フライングフィッシュ(USS Flying fish、SS-229)。
*38 スケート(USS Skate、SS-305)。
*39 山雲は豊後水道を抜けたのち離脱。
*40 シーライオン(USS Sealion、SS-315)。
*41 軍縮条約脱退などで日本が新型戦艦の建造を計画していること自体は諸外国に知られていた。
*42 第二次ソロモン海戦では支援艦隊として出撃し夜戦での敵機動部隊の追撃が試みられたが距離、燃料、索敵結果から途中で作戦を断念し帰投。
*43 あ号作戦のため中止。
*44 海軍大学校は大学ではないので、艦長を学長でなく校長と呼んでいた。
*45 猪瀬直樹の「昭和十六年夏の敗戦」にも登場する、その後標的艦摂津?日向の艦長を経て着任、後に第四航空戦隊司令官で艦これではお馴染み。
*46 冷房設置などの居住性向上は最上型から行われており、別に大和型に限った話ではない。映画の上映などの休息・慰安は軽巡洋艦クラスの艦でも普通に行われていたが、陸軍将校などの事情を知らない者の目には贅沢に映ったのだろう。なお駆逐艦以下の乗員は、慰安イベントの時には巡洋艦などへお邪魔する。なお「贅沢ですね」と皮肉ったのは、歯に衣着せぬ物言いで知られた辻政信である。ただ、この時は駆逐艦朝凪で視察に向かう途中に負傷した辻を、山本長官が気遣って歓待したもので、直後に関係者からそれを聞かされた辻は反省の弁を述べている。
*47 兵員居住区の1人当たりの床面積が長門の2.6に対して大和は3.2。
*48 出典元 日本戦艦物語〔供諭8人社
*49 小柳参謀長の要望自体は、「仮に小沢機動部隊のハルゼー機動部隊の北方誘致が成功しても、敵が攻略部隊を丸裸にして北上するとは考えづらく、有力な護衛戦力を残すと考えられる。それを無視して攻略部隊攻撃を強行しても、当然相手は阻止行動に出るだろうから第一遊撃部隊に思わぬ損害が出る可能性がある。なので突入前にこういった不安要素を排除したい」という意味であり、要望自体は妥当なものである
*50 片道燃料の話は4月5日に連合艦隊より「徳山での補給量は2000tまで」という指令を「実施された」と誤断して広まったものと思われる。実際は「人が死ににゆくのに腹一杯食わさんでどうする」という各艦長の抗議などもあり、連合艦隊機関参謀の小林儀作などが呉鎮守府に掛け合い、連合艦隊護衛総隊割り当て分の一部及び基地補給班が員数を集め、第二艦隊全ての艦艇の燃料を確保していた。各艦の燃料搭載量については作戦後に制作された戦闘詳報にも同様の記載があるし、生存者の三笠逸男氏も出撃前に燃料担当の同僚から周囲の燃料タンクから掻き集めた燃料を搭載して4000tほど積んだと聞いたと証言している。戦史にはこういった裏付けをちゃんとせずに広まった話は多くあるので注意が必要である。
*51 この大和の燃料搭載には、第三十一戦隊所属の駆逐艦(花月など)が徳山の燃料タンクと大和を往復して燃料搭載を手伝った事が記録されている
*52 出典元 アジア歴史資料センター リファレンスコードC08030566400 『昭和20年4月6日〜昭20年4月7日 軍艦大和戦闘詳報』。
*53 出典元 KKベストセラーズ 真相・戦艦大和ノ最後 原勝洋 第7章「大和を攻撃した米海軍百十七機」P158。
*54 第1波でベニントン搭載VB-82のSB2C-4Eが1機、ホーネット凝觝VT-17のTBM-3が1機、ベローウッド搭載VT-30のTBM-3(爆装)が1機。第2波でバンカーヒル搭載VT-84のTBM-3が1機。第3波でイントレピッド搭載VB-10のSB2C-4Eが1機。
*55 第一次攻撃隊の往路でバンカーヒル搭載VF-84のF4U-1Dが突如錐もみ状態に陥り、そのまま海面へと激突。
*56 出典元 アジア歴史資料センター レファレンスコード C08030103200 昭和20年2月1日〜昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報 (3
*57 出典元 アジア歴史資料センター レファレンスコード C08030566400 「昭和20年4月6日〜昭20年4月7日 軍艦大和戦闘詳報」。
*58 出典元 KKベストセラーズ 真相・戦艦大和ノ最後 原勝洋 第11章「必殺の一撃は「大和」右舷への魚雷四本」P201
*59 史実大和への入れ込みようは、坊ノ岬沖海戦シーンのBGMに軍艦マーチを流そうとして差し替えになったり、ヤマトが「二度」も特攻出撃で最期を迎えるなど、プロデューサー西崎氏の言動は数々のトラブルを引き起こして「宇宙戦艦ヤマト」の歴史に暗い影を落とすことになってしまう。そしてこの西崎氏が転落事故で亡くなった場所というのが、「YAMATO」と名付けられた船だった。
*60 ショート、セカンド、センターの守備に定評があり、2014年度のゴールデングラブ賞は外野手部門で受賞している
*61 2017年11月30日、フリーエージェント宣言をして横浜DeNAベイスターズへ移籍したため、この曲が使用されるかは2018年シーズン開幕までは未定である。