巨人はロッテより弱い

Last-modified: 2024-01-14 (日) 13:26:32

1989年の日本シリーズで当時近鉄の加藤哲郎が発言したことにされた言葉。加藤が直接このような表現を発言したわけではないが、強気過ぎるヒーローインタビューの印象とマスコミ記者からの誘導尋問もあり加藤本人の発言とされてしまった。しかし、それに近い過激な発言は行っており、当時チームメイトだった阿波野秀幸*1は「そういうようなことは言ってますよ。」*2と証言している。

由来

1989年の日本シリーズはセ・パ両リーグをそれぞれ制覇した巨人と近鉄の組み合わせとなった。事前の予想では巨人が有利との声が多かったが、第1戦から第3戦まで近鉄が勝利していきなり王手をかけた。
そして第3戦で勝ち投手となった加藤は試合後ヒーローインタビューで「とりあえずフォアボールだけ出さなかったらね。まあ打たれそうな気しなかったんで。たいしたことなかったですね。」「今日寝坊したんですよ。まったく緊張感は無かったですね。」「別になんてことはなかったですね。」「もちろんシーズンの方がよっぽどしんどかったですからね、相手も強いし*3。」と過激な発言を連発し、更にベンチ裏での囲み取材で記者から「実際のところ、どうなん?」「打線は?」「(この年パ・リーグ最下位の)ロッテより弱いんちゃうの?」との質問され「ピッチャーはスゴイけど、打線はアカンなぁ」「どっちが怖いか言うたら、ロッテのほうやな」と応えた。*4それらがメディアに「巨人はロッテより弱い」という表現で報道され、これを見た巨人軍が奮起。その後巨人が3連勝でタイに持ち込むと、第7戦は再び先発登板した加藤を攻略し見事に逆転の日本一を果たした。そして近鉄は2004年の球団消滅まで一度も日本一になることができなかった

…というやや複雑な経緯から生まれた出来事であるが、「相手を挑発すると、その相手から痛いしっぺ返しを食うことになる」という例として取り上げられることも多く、教訓的エピソードとして今も語り継がれている。

本当にロッテより弱かった巨人

近鉄が歴史に幕を閉じた翌年、2005年からは交流戦が始まった。交流戦の導入によってより戦力差を推し量りやすくなった現在では、巨人がロッテもしくはロッテより下位のパ球団に負け越すと、思い出したように「巨人はロッテより弱い」とネタにされている。

順位だけ見れば巨人とロッテの交流戦成績はおおむね五分五分であるものの、直接対決の成績では伝統的にロッテが強い。2023年交流戦終了時点でも巨人から見て29勝36敗3分*5で、巨人にとっては消滅球団を含む全対戦球団の中でロッテが唯一の公式戦負け越しである。

余談

実はこの騒動より3年前の1986年の日本シリーズでも同様の事態が起きていた。第1戦で引き分けた後3連勝で王手をかけた広島・津田恒美(故人)が「(西武打線は)迫力がない」と発言し、インタビューしていたアナウンサーからの「西武を怒らせませんかね」という質問にも「大丈夫です」と答えた。すると翌第5戦以降4連敗で日本一を逃すという近鉄と酷似した展開となった
その前年である1985年の日本シリーズでも第1戦で西武を完封して勝利投手となった阪神・池田親興が「(西武打線は)元気がなかった。今日に限って言えば(同年セ・リーグ最下位の)ヤクルトの方が怖かった」と発言している*6
加藤のケースとは異なりこちらは明らかに「西武はヤクルトより弱い」というニュアンスである。しかし池田はこの後2勝2敗で迎えた第5戦では4回途中で降板したもののチームは勝利し、その後も勝ち進んで日本一に輝いた。そのため、この池田発言は加藤と違い問題発言化しなかったばかりか、シリーズ前は西武有利の予想が多かった事を踏まえて、「それぐらい強気だったからこそ低い下馬評を覆して日本一になれた」とも言われたりした。

さらに時代をさかのぼると1976年の日本シリーズで、阪急が巨人を相手に初戦から3連勝した際、阪急の福本豊が「ロッテや近鉄だって、うちと3連戦したら一つは勝つ」と発言した例がある。Aクラスだったロッテはともかく、当時前期後期制だったパで前期5位・後期4位と低迷し、阪急が18勝6敗2分と得意にしていた近鉄を引き合いに出された*7*8ことで巨人ファンは激怒した。巨人の選手も奮起したか、その後3連勝を返してシリーズは第7戦にもつれ込む。後楽園球場開催で、三塁側まで巨人ファンで埋め尽くされた異様な熱気の中での試合となったが、足立光宏の完投勝利で阪急が日本一に輝いた。シリーズ全体としては名勝負と評されており、福本の発言より足立が第7戦の試合中の心境を振り返った「騒げ、もっと騒げ、たかが野球じゃないか」のセリフの方が語られることが多い。

関連項目


*1 この年最多勝、最多奪三振を獲得した近鉄のエース。のちに巨人に移籍し、引退後も巨人などでコーチを勤めた。
*2 「巨人はロッテより弱い」の裏側
*3 この年は近鉄・オリックス・西武による優勝争いが10月中旬まで続き、近鉄が最後に首位に立った時点で残り2試合3位と0.5ゲーム差という大混戦だったため必ずしも誇張ではない
*4 「ロッテより弱い」発言の“真相”
*5 交流戦前に唯一巨人とロッテが直接対決した1970年の日本シリーズでは、4勝1敗でロッテを下しV6を果たした。が、この成績を含めても33勝37敗3分であり、やはり勝ち越せていない。
*6 この年のヤクルトは開幕からずっと最下位のままで、チーム打率・防御率ともにリーグ最下位だったが、この年の規定打席到達者5人のうち3割打者が3人もいた。
*7 前期後期ともにパ最下位は太平洋クラブだったが、阪急との対戦成績は8勝16敗2分なので、近鉄よりは勝てている。
*8 後に福本は「(V9時代に)巨人には日本シリーズで何度も負けている。弱いと言うつもりはなかった」「ロッテは投手力があって怖いチームだった」と弁解しているが、近鉄についての意図は不明である。