元広島東洋カープ監督・野村謙二郎の蔑称。
経緯と解説
2008年のWBC日本代表監督選考会議において、コーチ職目当てミエミエの態度で北京五輪時の監督だった星野仙一をひたすらヨイショ。その見事な忠犬ぶりが話題となり、彼のニックネームはノムケンから「ノム犬」へと格上げされた*1。
星野の失脚とともにコーチ就任は夢と消えたものの、同年オフに広島の新監督として復活。
ところが広島では不可解な采配を連発、監督としての能力を疑われた結果、ノム犬改め「能無犬」という最大級の蔑称をファンから命名される。
その後も野球のルールを知らないと思わざるをえない行為を連発。対戦相手の監督にDHのルールを教えてもらったり、奪三振のセ・リーグ記録に気づかず新記録達成直前で前田健太を交代させるなど「能無犬」の名に恥じない迷監督へと成長を遂げ、参謀である大野豊投手コーチとのコミカルな連携は「能無犬」を語る上で欠かせないと専らの評判である。
余談
- 監督としての野村は当初は不可解采配が目立ったものの、その傾向は徐々に改善され、それに伴いチームの勝率も向上していった*2。
2013年には3位でCS初出場・ファーストステージ突破へとチームを導き、翌年は2001年以来のシーズン勝ち越しで再び3位になり2年連続でCSに進出。また、打撃指導や外国人選手のケアなどでも一定の評価を得ており、ブラッド・エルドレッドら信奉者も存在する。
加えて野村の後任である緒方孝市が初期の野村と同等もしくはそれ以上に不可解な采配や行為が目立っており、選手は野村が戻ってくることを望んでいるようであった*3。
2016年には25年ぶりのリーグ優勝を果たし、17、18年と3年連続でリーグ優勝を達成するも、19年シーズンは15年のような謎采配を頻発させた挙げ句Bクラスに終わったことから、緒方の力量というより野村政権時に手塩にかけた若手の成長が大きい、と見る者も多く、采配はともかく選手育成面においては野村政権の再評価も進んでいる。
ただし野村政権末期に緒方は一軍コーチに就任していたので、野村の手腕ではなく緒方の育成と言えなくもない。
- ちなみに「能無犬」という言葉自体は「のうなしいぬ」という読みでちゃんと存在する。無能な人物を指す言葉で今となっては通常会話で使われることは稀だが、諺「能無犬は昼吠える」*4などにその名残が残っている。