No1 フッド/元ネタ解説

Last-modified: 2021-09-26 (日) 21:42:22
所属Royal Navy
艦種・艦型アドミラル級巡洋戦艦
正式名称HMS Hood (51)
名前の由来Samuel Hood, 1st Viscount Hood(1724-1816)イギリス海軍提督 アメリカ独立戦争、フランス革命戦争など数々の戦いで活躍した。米独立戦争で仏海軍を誘い出し撃退したその大胆な行動は英海軍提督の中でも最も輝かしいものであった。仏革命戦争ではネルソン提督に「これまでに知り合えた中で最高の海軍士官だ」と称されたという。
愛称The Mighty Hood
モットーVentis Secundis(With Favourable Winds)
起工日1916.9.1
進水日1918.8.22
就役日(竣工日)1920.5.15
除籍日(除籍理由)不明(Battle of the Denmark Strait/Gefecht in der Dänemarkstraße(デンマーク海峡海戦) 1941.5.24沈没)
全長(身長)262.3m
基準排水量(体重)36300英t(36882t)
出力Yarrow式重油専焼缶24基Brown-Curtis式蒸気タービン4基4軸 144000shp(145997.2PS)
最高速度32.0kt(59.26km/h)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/7500海里(16668km)
乗員1433名(1919) 1325名(1934)
装備(1941)15inch45口径Mk.I連装砲4基8門
4inch45口径Mk.XVI連装両用砲7基14門
2ポンド機関砲x24(3x8)
ヴィッカース0.5inch機関銃x20(5x4)
UP7inch20連装対空ロケット発射機5基100発
21inch魚雷発射管水上4門水中2門
装甲舷側:5~12inch 甲板:0.75~5inch 砲塔:11~15inch バーベット:5~12inch 艦橋:9~11inch 隔壁:4~5inch
建造所John Brown and Company, Clydebank, Scotland
(ジョン・ブラウン社 スコットランド国ダンバートンシャー郡ウェスト・ダンバートンシャー州クライドバンク市)
  • イギリス海軍アドミラル級巡洋戦艦1番艦。
    艦名はアメリカ独立戦争、フランス革命戦争で活躍したイギリス海軍軍人サミュエル・フッド(1724年~1816年没)に因む。
    レナウン級巡洋戦艦と同じく、イギリス近代海軍の父であるフィッシャー卿の提唱する高速戦艦構想(速力により攻撃を避ける事で防御を補う)によって建造された。
    しかし、第一次世界大戦時のユトランド沖海戦の教訓からコンセプトや設計が変更され、速度に支障が出ない範囲で装甲が追加されている。
    1916年9月1日にフッドは起工し、1918年8月22日に進水、そして1920年5月15日に就役した。
    • 本来であれば、姉妹艦が3隻建造される筈であった。
      しかし、ライバルであるドイツ軍のマッケンゼン級が全艦建造中止になり、アドミラル級の残り3隻も建造が中止。
      残り3隻に与えられる予定であった「Anson アンソン」「Howe ハウ」「Rodney ロドニー」の艦名はキングジョージ5世級とネルソン級へと引き継がれた。
  • その後、ワシントン海軍軍縮条約により廃艦の危機を迎えるが、特例によって何とか廃艦を免れた。
    これによりフッドはビスマルクの登場まで世界最大の戦艦としての記録を保持している。
  • 基本性能は高く、速力30ノットという高速性、武装、防御など当時としては高水準のスペックを備えていた。
     
  • 第二次世界大戦の勃発前まで、フッドは大英帝国の威信を示すため様々な活動を行っている。
    代表的なものでは、1921と22年の地中海巡行や、ブラジル・東インド諸島への巡行を行い、23年には1年に渡る世界巡行を行っている。
    また、重巡・足柄やアドミラル・グラーフ・シュペーも参加した1937年のジョージ6世戴冠記念観艦式にも参加した。
  • ちなみにフッド艦内ではペットが飼育されており、犬や猫(ジンジャー&フィッシュケーキ)も飼われていた。
    中にはオーストラリア寄航時に贈呈されたジョーイという名前のカンガルーも存在する。
  • 第二次大戦の勃発前までフッドは一切の大規模改修は行われず、唯一カタパルトの設置とポンポン砲の追加のみ行われている。
    さらに就役から時間が経ち、機関は老朽化し全盛期に比べて4ノット近く速力が低下している。
    これらの改修不足が、後に喪失の原因にも繋がって行く。
  • 1937年のスペイン内乱では中立哨戒のため出動。
    1938年10月1日のミュンヘン危機では駆逐艦を伴って出動し、客船アキタニアをジブラルタルまで護送している。
     
  • 1939年に第二次世界大戦が勃発。
    ドイツ軍の仮装巡洋艦*1や封鎖突破船*2などを警戒し、フッドは船団護衛や哨戒活動に従事した。
    同年9月26日にはドイツ軍爆撃機の攻撃により250kg爆弾1発を受け、損傷している。
  • 1940年6月、イタリアの宣戦布告とフランスの降伏により、フッドはジブラルタルを拠点に、地中海の戦いに参加した。
    7月2日には降伏したフランス海軍の艦隊を無力化するカタパルト作戦に参加。
    速力を生かした一撃離脱戦法により、フランス海軍の反撃をいち早くかわし、巡洋戦艦の本領を発揮している。
    この戦闘でフランス海軍戦艦ブルターニュ撃沈、ダンケルク、プロヴァンスを撃破する大戦果を挙げた*3
     
  • 翌年1941年。オーバーホールを終え、レーダーや機銃の増設を施したフッドは、ビスマルク追撃戦へと参加した。
    5月24日、アイスランド近海でビスマルクプリンツ・オイゲンを発見したイギリス艦隊は交戦を開始する。
    だが戦闘開始から6分足らず、ビスマルクの砲撃斉射がフッドの艦尾弾薬庫に命中、直撃。
    弾薬の誘爆と火災によってフッドは轟沈、大西洋の藻屑となった。
  • 乗員1419人のうち、生存者は少尉候補生、水兵、信号手のたった3人であった。
    沈没により海に投げ出され、艀に捉まり漂流し、低体温症になりかけていたものの友軍駆逐艦に救出され、生還を果たした。
  • 近代化改修も受けないまま艦が老朽化していた事等が喪失の原因のひとつとされている。
    また、本来であれば大規模近代化改修が行われる手筈であったが、大戦の勃発と激化に伴い先送りにされ、改修される事はなかった。
  • フッド撃沈の報告はイギリス海軍を激怒させ、報復として苛烈な攻撃がドイツ海軍へと加えられる事になる。
    ことビスマルクの追撃に関してはイギリス海軍の総力が結集されており、いかにフッドがイギリス海軍内で重要な艦であったかが分かる。
     
  • 史実のフッドは同型艦がいなかったことに加え、ロイヤルネイビーの象徴という役目を果たすため世界を巡回する必要があったので大規模な近代化改修を施す時間的余裕がなかった。
    その為装甲の改善が出来ず、結果ビスマルクの砲撃による轟沈に繋がってしまった。
    本艦はそんなフッドがもし大規模な近代化改修を受けていたらというIF艦なのかもしれない。
  • 1939年には実際に大規模な近代化改修案があったが、前述の通り実行に移される事は無かった。
    仮に実現していた場合、兵装の換装や機関の軽量化、甲板装甲やバルジ強化、艦橋の大型化や新型煙突の設置が実現していた。
    この改修は長期の時間が必要とされていたが、もし実行に移されていたらフッドの運命も大きく変わっていたのかもしれない。

*1 民間商船に擬装した通商破壊用軍艦
*2 海上封鎖を突破し軍需物資の輸送を目的とした船舶
*3 ただし、降伏したとはいえ、かつての同盟国という事もあってかこの攻撃自体は加減された物だった