所属 | United States Navy |
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艦種・艦型 | テネシー級戦艦 |
正式名称 | USS Tennessee (BB-43) |
名前の由来 | State of Tennessee アメリカ合衆国テネシー州 |
愛称 | Big T, Big Tenn, The Rebel Ship, The Ridge Runner, Tenny, Tenny Maru, The Volunteer State Battlewagon |
起工日 | 1917.5.14 |
進水日 | 1919.4.30 |
就役日(竣工日) | 1920.6.3 |
退役日(除籍後) | 1947.2.14 1959.3.1除籍(1959.7.10解体) |
全長(身長) | 190.2m |
基準排水量(体重) | 33190英t(33723t)→修復後40950英t(41607t) |
出力 | Babcock&Wilcox式重油専焼缶8基Westinghouse式蒸気タービン2基電気モーター4基(ターボ・エレクトリック方式)4軸 26800shp(27171.7PS)→29000shp(29402.2PS)(1942) |
最高速度 | 21.0kt(38.89km/h) |
航続距離 | 10.0kt(18.52km/h)/8000海里(14816km)→15.0kt(27.78km/h)/9200海里(17038.4km)(1942) |
乗員 | 指揮官57名 乗組員1026名(平時) 1407名(戦時) |
装備(竣工時) | 14inch50口径三連装砲4基12門 5inch51口径砲18門3inch50口径高角砲4門 21inch魚雷発射管x2 |
装備(1941) | 14inch50口径三連装砲4基12門 5inch51口径砲10門 5inch25口径高角砲4門 3inch50口径高角砲8門 ブローニング12.7mm機銃x10 偵察機x3 |
装備(1942) | 14inch50口径三連装砲4基12門 5inch38口径Mk.12連装両用砲8基16門 ボフォース40mm機関砲x40 エリコン20mm機関砲x41 |
装甲 | 舷側:8~13.5inch 甲板:3.5inch 砲塔:5~18inch バーベット:13inch 艦橋:11.5inch |
建造所 | Brooklyn Navy Yard,Brooklyn, New York (ブルックリン海軍工廠 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区) |
勲章 | Navy Unit Commendation Asiatic-Pacific Campaign Medal(10 stars) Philippine Presidential Unit Citation Philippine Liberation Medal(1 star) American Campaign Medal Navy Occupation Medal(ASIA clasp) World War II Victory Medal |
- テネシー級戦艦の一番艦。1920年の就役後、妹のカリフォルニアとともに太平洋艦隊へ編入される。(カリフォルニアは太平洋艦隊旗艦だった)
戦間期は砲術訓練などで優秀な成績を収め、1923年と24年には最優秀であるEを受賞。妹カリフォルニアは翌25年と26年にEを受賞している。
1940年に太平洋の情勢を鑑み、本拠地を真珠湾へ移す。 - 1941年の真珠湾攻撃でテネシーとカリフォルニアは日本軍の攻撃を受けた。運の良いことにテネシーに直撃した爆弾の内一発は主砲の装甲に阻まれ外側で爆発したので、大きな損害にはならなかった。
テネシーはネバダの次に真珠湾内の乾ドックで整備を受けると自力航行可能になったため、アメリカ西海岸に運ばれそこで本格的な修理を受けた。
1942年の後半には戦線復帰の目処が経ったものの、ここで太平洋艦隊は難しい問題に直面する。大規模な艦隊行動を行うためには備蓄燃料が乏しく、機動部隊と戦艦部隊を同時に運用することが極めて難しくなったのだ。
結局米海軍は機動部隊を主軸とすることを決意し、テネシーたちはさらなる近代化改装を受けながら雌伏の時を過ごした。
またこの時テネシーはアメリカ軍艦の伝統的な制約、パナマ運河通行のため全幅を30m以上に出来ないという禁を破り、35mに拡幅して太平洋の専属艦となった。
1943年前半からはアリューシャン列島で、1944年からは58任務群に再編されグアムやアンガウルなどで暴れまわる。
レイテ沖海戦ではスリガオ海峡にて突入してくる西村艦隊を迎え撃った。戦艦ミシシッピ、メリーランド、ウェストバージニア、ペンシルベニア、カリフォルニアら6隻の戦艦の内、ミシシッピ以外は真珠湾で損害を受け復旧した艦であった。
終戦後は近代化改修を終えていたとは言え船体の旧式化に加え、拡幅された船体の問題もあって予備役にまわされ、1959年に妹のカリフォルニアとともに除籍され売却・解体された。
今日その装備品の一部を博物館で見ることができる。