No135 ロンドン/元ネタ解説

Last-modified: 2018-12-16 (日) 02:42:49
所属Royal Navy
艦種・艦型カウンティ級ロンドン型重巡洋艦
正式名称HMS London (69)
名前の由来City of London イギリス・ロンドン市
起工日1926.2.23
進水日1927.9.14
就役日(竣工日)1929.1.31
退役日(除籍後)1949.6 1950.1.3除籍(売却後解体)
全長(身長)192.8m
基準排水量(体重)9750英t(9906t)
出力Admiralty式重油専焼缶8基Parsons式蒸気タービン4基4軸 80000shp(81109.6PS)
最高速度32.5kt(60.18km/h)
航続距離12.0kt(22.22km/h)/12500海里(23150km)
乗員784名
装備(1945)8inch50口径Mk.VIII連装砲4基8門
4inch45口径Mk.V単装両用砲4門
ヴィッカース2ポンド機関砲x16(2x8)
ボフォース40mm機関砲x4(4x1)
エリコン20mm機関砲x16(6x2+4x1)
21inch四連装魚雷発射管2基8門
装甲舷側:1inch 甲板:1.375~1.5inch 砲塔:1inch バーベット:1inch 隔壁:1inch 弾薬庫:2~4.375inch
建造所Her Majesty's Naval Base, Portsmouth,Hampshire
(王立ポーツマス海軍基地 イングランド国南東イングランド地域ハンプシャー州ポーツマス市)

イギリス海軍が建造したロンドン級重巡洋艦一番艦。1926年2月22日にポーツマス工廠にて起工。1927年9月14日に進水し、1929年1月31日に竣工した。
ロンドン型は、前級のケント型を改修したもので、船体の延長やバルジの内蔵化などにより速力を向上させている。いわゆる改ケント型である。
竣工後、第一巡洋艦戦隊に編入され、地中海方面で任務に従事する事となる。
1939年3月、老朽化を鑑みてチャタム工廠で近代化改修を受ける。しかしその間に第二次世界大戦が勃発し、世界情勢は目まぐるしく変化した。
この大改修では機関部周りに装甲が追加されたのみならず、用兵側の要求を取り入れて上部構造にも大きく手を加えられている。
しかしあまりに手を加えすぎたため船体にかかる負荷が変化して歪みが発生、漏水してしまう。これを直すとまた別のところが歪み漏水、と苦労を重ねている。
同様の改修はロンドン級の姉妹艦にも施される予定だったが、あまりのコストパフォーマンスの悪さと開戦によりお流れとなった。
このため、大きな箱型艦橋と二本に減った煙突を持つ改修後のロンドンは、他のカウンティ級と一目瞭然で区別できる。

 

1941年3月、ようやく改修が終わり本国艦隊へと転属。4月2日、僚艦とともに北方海域を哨戒する。5月24日にはビスマルク追撃戦に参加した。
6月4日、中部大西洋でドイツ船団を捜索し、エッソ・ハンブルクを捕捉。自沈へと追いやった。二日後には補給船エーゲルラントを捕捉し、自沈させた。
続く24日、封鎖突破船バビドンガの突撃を阻止して自沈させた。
7月3日、クライドからフリータウンに向かう軍隊輸送船を護衛。10日、護衛任務を軽巡エディンバラと交代し、Z掃討部隊に編入。北大西洋の哨戒任務につく。
1942年6月27日、ドイツ軍の猛攻に曝されるソ連を支援するため、PQ17船団を護衛しアイスランドを出港。一路ソ連領内を目指したが
道中の7月8日、Uボート及びドイツ空軍機の襲撃に遭い船団が全滅。ソ連に引き渡す予定だった物資は全て喪失した。ロンドンは護衛の役目を果たせず、本国へ帰還。

その後は特に戦果を挙げることなく捜索や輸送、護衛任務に黙々と従事。1944年2月、東洋艦隊所属となりトリンコマリへ回航。対日戦に参加する。4月19日、スマトラ島サバン攻撃を支援。
5月17日には空母イラストリアスによるスラバヤ空襲を支援している。10月19日、ニコバル諸島を砲撃した際に日本軍機から雷撃されるも無事回避。
1945年4月11日、サバンを砲撃。トリンコマリ帰投後、5月から7月までサイモンズタウンにて整備。
8月15日、マレーシア南部上陸作戦を支援するべく作戦海域に向かっていたところで日本が降伏し、長い戦争に幕が下りた。

 

1947年、第五巡洋艦戦隊に編入され香港配備となる。1949年4月18日、中国共産党に拿捕されたアメジスト号を救援するべく駆逐艦コンソート等と作戦中、
共産党軍の砲台から攻撃を受け、乗員70名が死亡した。命からがら本国まで帰り着く事が出来たが、損傷が激しかったらしく9月8日にチャタムへ入港したのち除籍となった。
1950年1月3日、売却され解体。

小ネタ

スターゲイザーパイ伝説について

  • 16世紀、英国コーンウォール(ブリテン島の南西の端っこの飛び出したところ)の西にある小さな港町、マウスホールはクリスマスを控えた12月、嵐で漁が出来なくなっていた。
    最初はすぐに止むだろうと思っていた嵐は1週間経っても2週間経ってもやまない。
    元々毎日の漁で生活していた村の蓄えはクリスマスのパイを作る小麦粉と幾ばくかの雑多な食料のみとなってしまった。
    12月23日の朝、村の若い漁師、トム・バーコックは意を決して村人の反対を押し切り、漁船を繰り出して港を出ていった。
    暗くなってもバーコックは戻らず、村人たちは祈りを捧げて帰りを待った。
    バーコックは激しい嵐と悪魔の囁きに負けず網を打ち、手に入れた魚を持って村へ帰ってきた。
    村人たちはバーコックをたたえ、取ってきた7種類の魚をパイに詰めて焼き、みんなでクリスマスを祝った。
    翌日、嵐は消え去り、村はすっかり元通りになった。
    以来マウスホールではバーコックをたたえ、12月23日にスターゲイザーパイを作ってお祝いをするのだという。
  • コーンウォールは「地の果て」とも揶揄されるが、ある伝説がある。
    ある時英国に悪魔がやってきて、ブリテン島中を見て回った。コーンウォールの町は貧しく、悪魔は人々につけ込むにはうってつけだと町を狙ったが、
    夕飯時になると人々は「あらゆるものの肉」を詰め込んだパイを作り始め、それを皆で囲んで晩御飯にした。
    悪魔は自分が捕まったらきっとパイにされてしまうと恐れ、コーンウォールから逃げ出したという。
  • なおスターゲイザーパイは頭さえ出てればいいので、身の部分は食べやすく皮を剥いだり骨を取ったり下ごしらえや味付けしても別に良い。
    伝統的にはピルチャードという大型のイワシを用いる。