No148 M/元ネタ解説

Last-modified: 2018-02-26 (月) 19:59:02
所属Kriegsmarine
艦種・艦型M級軽巡洋艦
正式名称仮称艦名:M 候補不明
起工日1938.11.1
進水日未進水
就役日(竣工日)未就役
その後1939.9計画中止解体
全長(身長)183.0m
基準排水量(体重)7800英t(7925.2t)
出力Wagner式重油専焼缶4基Wagner式蒸気タービン2基2軸 100000PS(98632.0shp) MAN製12気筒ディーゼルエンジン4基1軸 16500PS(16274.3shp)
最高速度35.5kt(65.74km/h)
航続距離19kt(35.18km/h)/8000海里(14816km)
乗員指揮官28名 乗組員892名
装備15cm55口径SK C/28三連装砲3基9門
8.8cm76口径SK C/32連装高角砲2基4門
3.7cmSK C/30機関砲x8(4x2)
2cmC/30機関砲x4
53.3cm四連装魚雷発射管2基8門
機雷x160
艦載機x2
装甲舷側:30~50mm 甲板:20~35mm 砲塔:20~80mm 艦橋:50~100mm
建造所1番艦M Deutsche Werke, Kiel
(ドイチェヴェルケ社 ドイツ連邦共和国シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州キール市)
2番艦N Kriegsmarinewerft,Wilhelmshaven
(ヴィルヘルムスハーフェン海軍造船所 ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヴェルヘルムスハーフェン市)
  • ドイツ海軍の軽巡洋艦。実際には進水する事が無かった未完成艦である。建造費には5629万ライヒス・マルクが投入される予定だった。
  • 事の始まりは1930年代。Z計画と呼ばれるドイツ海軍のプロジェクトからすべてが始まった。
    ドイツ海軍は先の第一次世界大戦で多くの軍艦を失い、水上艦不足に悩まされていた。
    ヴェルサイユ条約の保有制限もあり、弱体化したドイツ海軍の戦力を増強すべく発動したZ計画により、水上艦の戦力強化が行われた。
    そのZ計画の中で、1938年度計画で建造される予定だったのがこのM計画ことM級軽巡洋艦である。
  • ライプツィヒ級の後継であるM級軽巡洋艦のコンセプトは通商破壊戦用の水上艦であった。
    排水量は満載10500トン、全長183メートル、最大速力35ノットを予定。航続距離は19ノットで8000海里。
    また、兵装は15cm連装砲4基、ほか高角砲、機関砲、53.3cm4連装魚雷発射管2基、爆雷を有している。
    水上機の運用能力も付与されており、計2機を搭載する事も可能とされていた。
    設計思想においては革新的な性能を狙った実験的な設計ではなく、従来の実績ある技術をふんだんに使用した堅実な設計が取られた。
  • また、周辺国にはM級の対抗馬たる軽巡洋艦も存在しており、その代表格はイギリス・フランスの巡洋艦であった。
    特に同時期、イギリスではタウン級軽巡洋艦の配備が進んでおり、対抗するかのようにM級も計6隻の建造が予定されていた。
     
  • しかし、この軽巡洋艦は実際に使用される事は無かった。建造の中止命令が下ったのである。
    第二次世界大戦の勃発に伴い、M級はそのすべてが建造または計画中止となった。
    唯一、1番艦と2番艦である仮称「M」「N」は起工され、建造自体はされていたがそちらも中止となった。
    幻と消えたM級の存在により、事実上、ドイツ海軍の軽巡洋艦の最終型はライプツィヒ級となっている。
    • Z計画自体、すべての建造プランの完了は計画開始の時点では1945年の予定であった。
      しかし第二次世界大戦が1939年に始まってしまった事により計画は思うように進まず、Z計画は頓挫した。
      結局、ドイツ海軍の壮大な水上艦隊再建プランは水泡と化してしまう事になる。
    • 建造計画中止に至った理由は、ドイツ海軍へ配分される予算・資源がドイツ陸軍・空軍にとって不都合であった事が挙げられる。
      戦況により、高コストな水上艦を計画するよりも、出番の多い陸軍・空軍に対して予算と資材を回さなければいけない事態となってしまったのだ。
      元であったZ計画自体も資源の理由で中止され、それらの資源は陸・空軍の戦力増強へと回された。
      以降、ドイツ海軍の主戦力は低コストで戦果を出せる潜水艦へとシフトしていく事になる。