No151 エンタープライズ/元ネタ解説

Last-modified: 2018-11-18 (日) 12:22:45
所属Royal Navy
艦種・艦型エメラルド級軽巡洋艦
正式名称HMS Enterprise (D52)
名前の由来Enterprise 英語で冒険心、積極性という意味
モットーSpes aspera levat(Hope lightens difficulties)
起工日1918.6.28
進水日1919.12.23
就役日(竣工日)1926.4.7
退役日(除籍後)1944.11 1946.1.13除籍(1946.4.11売却後解体)
全長(身長)170.0m
基準排水量(体重)7580英t(7702t)
出力Yarrow式重油専焼缶8基Brown-Curtis式蒸気タービン4基4軸 80000shp(81109.6PS)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/8000海里(14816km)
乗員572名
装備(1944)6inch50口径Mk.XI単装砲5門
ヴィッカース3ポンド単装高角砲4門
ヴィッカース2ポンド機関砲x8(2x4)
エリコン20mm機関砲x18(6x2+6x1)
21inch四連装魚雷発射管2基8門
装甲舷側:1.5~3inch 甲板:1inch 砲塔:1inch バーベット:1inch 艦橋:3inch
建造所John Brown and Company, Clydebank, Scotland
(ジョン・ブラウン社 スコットランド国ダンバートンシャー郡ウェスト・ダンバートンシャー州クライドバンク市)

イギリス海軍が建造したエメラルド級軽巡洋艦2番艦。同名の著名な空母がいるため、何かと影が薄い。
時は第一次世界大戦。戦時緊急計画の軽巡洋艦として建造が決定。1918年3月7日にクライドバンク造船所へ発注し6月28日、起工。
1919年12月23日に進水を果たしたが、戦争が終わってしまったため建造速度が低下。竣工は1926年1月までズレ込んだ。

 

1939年9月3日、第二次世界大戦が勃発。エンタープライズは本国艦隊第12巡洋艦戦隊に所属していた。開戦後、しばらくは船団護衛に従事。
1940年4月19日、雷撃を行ったU-65を砲撃。同月27日にはウォースパイトとともにナルヴィクとアケネスを砲撃。ドイツ軍の侵攻を阻んだ。
1941年、東洋艦隊に編入され東アジア方面に進出。同年12月8日、大日本帝國が参戦し米英に攻撃を仕掛けてきた。4月6日、セイロン沖海戦で撃沈されたドーセットシャーの乗員を救助。
幸いにもエンタープライズは帝國海軍の爪牙に引き裂かれる事は無かった。1943年、本国艦隊に転属し、再び対独任務に就く。10月まで修理を受けたあと、グラズゴーとともにビスケー湾に進出。
12月28日、封鎖突破船の支援に現れたZ27と水雷艇T22、T25、T26と交戦。T22以外全て撃沈した。
1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦に参加。ユタ海岸へ向けて砲撃している。その後は輸送任務をこなしつつ終戦を迎える。
1946年4月11日に売却され、8月に解体された。