所属 | Royal Navy |
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艦種・艦型 | S級駆逐艦 |
正式名称 | HMS Saumarez (G12) |
名前の由来 | James Saumarez, 1st Baron de Saumarez(1757-1836) イギリス海軍提督 第4次英仏戦争やフランス革命戦争での戦闘を指揮した。特に第二アルヘシラスの戦い・ジブラルタルの戦いではジブラルタル海峡を制し、ロンドン市から市の自由が与えられた。*1 |
起工日 | 1941.9.8 |
進水日 | 1942.11.20 |
就役日(竣工日) | 1943.7.1 |
除籍日(除籍後) | 1948.2(1950.8.23解体) |
全長(身長) | 110.57m |
基準排水量(体重) | 1710英t(1737t) |
出力 | Admiralty式重油専焼缶2基Parsons式蒸気タービン2基2軸 40000shp(40554.8PS) |
最高速度 | 36.75kt(68.06km/h) |
航続距離 | 20.0kt(37.04km/h)/4675海里(8658.1km) |
乗員 | 225名 |
装備 | 4.7inch45口径Mk.IX単装砲4門 ボフォース40mm機関砲x2(1x2) エリコン20mm機関砲x8 21inch四連装魚雷2基8門 爆雷投下軌条1基 爆雷投射機4基 |
装甲 | なし |
建造所 | Hawthorn Leslie and Company, Hebburn, Newcastle upon Tyne (ホーソン・レスリー社 イングランド国北東イングランド地域タイン・アンド・ウィア州ニューカッスル・アポン・タイン市ヘブバーン) |
- 第5次戦時緊急計画で建造された急造駆逐艦「S型駆逐艦」の嚮導艦。日本語では「ソマレズ」とも表記される。
加入時の「あまり強くない」発言はこの急造艦という設定を踏まえてのものだろう。
O級からZ級を超えて再びC級(3代目)までめぐる戦時急増計画型駆逐艦は、それまで建造されたトライバル級・L/M級駆逐艦のような4.7inch連装砲を装備せず、より規模の小さいJ級の発展系として4.7インチ単装砲4基、533mm4連装魚雷発射管2基と少々の対空機銃で武装されたものであった。 - イギリス海軍の駆逐艦計画(戦間期~)
1924-5年度計画 「アンバスケイド」「アマゾン」(試作)
1927-8年度 A級9隻
1928-9年度 B級9隻
1929-30年度 C級5隻
1930-1年度 D級9隻
1931-2年度 E級9隻
1932-3年度 F級9隻
1933-4年度 G級9隻
1934-5年度 H級9隻
1935-6年度 I級9隻 トライバル級7隻
1936-7年度 J級8隻 トライバル級9隻
1937-8年度 K級8隻 L級8隻
1939-40年度 M級8隻 N級8隻
---戦時急増計画スタート---
1940-41年度 O級8隻 P級8隻
1941-42年度 Q級8隻 R級8隻
1942-43年度 S級8隻 T級8隻 U級8隻 V級8隻 バトル級←今ここ
しかし実はこのソーマレズ、なかなかの武勲艦でもあったりする。 - 1942年11月に進水後は、しばらく北海などで護衛任務などに従事していた。
しかしその後、1943年12月の北岬沖海戦に参加。敵失もあり孤立した戦艦シャルンホルストに肉薄、28cm砲に貫通されながらも雷撃を成功させ、シャルンホルスト撃沈に貢献した。 - 終戦近くの1945年5月には、マレーで発生したペナン沖海戦に、ヴィーナス含む4隻(ヴィーナス、ヴェルラム、ヴィラーゴ、ヴィジラント)のV級駆逐艦を率いる第26駆逐隊の旗艦として参戦。
輸送任務に従事していた日本軍第五戦隊の重巡洋艦羽黒および駆逐艦神風を強襲した。
首尾よく発見した2隻に対してヴェルラムを率い突撃、砲撃で神風を損傷させ、羽黒から機関部に命中弾を浴びつつこれを雷撃、命中させる。
その後神風には離脱されたが、合流したヴィーナスらと共に残された羽黒を集中攻撃。これを撃沈する戦果を挙げた。
(ちなみに羽黒は損傷で速度・火力とも低下しており、輸送作戦のため魚雷も載せていなかった) - 戦後の1946年10月、コルフ海峡にてアルバニアが秘密裏に敷設した機雷に触雷し、大破。
本国まで曳航されたが全損判定となり、そのまま廃艦となった。
この事件はコルフ海峡事件と呼ばれ、以前にも領海への他国軍艦通行が主権侵害と主張するアルバニア側から英国艦隊が砲撃を受けていた。
ソーマレズを曳航しようとした駆逐艦ヴォヤージュも触雷して艦首が切断され、両艦合わせて死者45名負傷者41名(43名の記録も)の大事故となった。
イギリスはアルバニアに抗議するとともに海峡の安全通行のため一方的に掃海を実施。これに抗議したアルバニアと国連安保理に持ち込まれ、国際司法裁判所で争われた。
アルバニア側はイギリスが「軍艦」を通行させようとしたとしてこれの通行は領海侵犯であると主張したが、イギリス側はこれについては無害通航の権利を主張。
またソーマレズが損傷した機雷は当初アルバニア側が第二次大戦中にドイツが敷設したもので自国に責任はないと主張したが、ソーマレズに刺さった機雷の破片から最近再整備されていたと判明。
結局イギリスの主張が認められ、かつアルバニア領海内での勝手な掃海のみ「軍事行動」による主権侵犯にあたるとした。 - アルバニア側はその後第二次大戦中国内から枢軸軍が搾取した金塊の一部が英国に保管されていることを理由に賠償金の支払いを拒否し続けていたが、1992年社会主義体制が崩壊するとイギリスと改めて国交を樹立し、金の返還と200万ドル相当の賠償金支払いで合意したことで事件はようやく決着した。
一連の事件は国際的に軍艦が他国の領海内の海峡を無害通行が可能であるかという点について一石を投じ、その後の裁判でも判例としてたびたび引用されている。