所属 | United States Navy |
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艦種・艦型 | ポーター級駆逐艦 |
正式名称 | USS Porter (DD-356) |
名前の由来 | David Porter(1780-1843) アメリカ海軍代将後にメキシコ海軍最高司令官 David Dixon Porter(1813-1891) アメリカ海軍の提督であり南北戦争の英雄の一人 |
起工日 | 1933.12.18 |
進水日 | 1935.12.12 |
就役日(竣工日) | 1936.8.27 |
除籍日(除籍理由) | 1942.11.2 (南太平洋海戦/Battle of the Santa Cruz Islands 1942.10.26自沈処分) |
全長(身長) | 165.1m |
基準排水量(体重) | 1652英t(1678t) |
出力 | Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基Parsons式蒸気タービン2基2軸 50000shp(50693.5PS) |
最高速度 | 37.0kt(68.52km/h) |
航続距離 | 12.0kt(22.22km/h)/6500海里(12038km) |
乗員 | 194名 |
装備(竣工時) | 5inch38口径Mk.12連装両用砲4基8門 21inch四連装魚雷発射管2基8門 1.1inch対空機関砲x8(4x2) 爆雷投下軌条x2 |
装備(1942) | 5inch38口径Mk.12連装両用砲2基4門 21inch四連装魚雷発射管2基8門 ボフォース40mm機関砲x2(1x2) エリコン20mm機関砲x6 爆雷投下軌条x2 |
装甲 | なし |
建造所 | New York Shipbuilding Corporation, Camden, New Jersey (ニューヨーク造船所 アメリカ合衆国ニュージャージー州カムデン郡カムデン市) |
勲章 | 不明 (1 star) |
アメリカ海軍が建造したポーター級駆逐艦一番艦。嚮導艦として設計されており、水雷戦隊の旗艦能力が盛り込まれている。
弱点と言える機関区の上甲板には12.7mmの高張力鋼が仕込まれており、機銃掃射に耐えられるようにしている。
他の部位にも仕込む予定だったが、重量の問題で断念された。
旗艦だけあって強力な兵装を有していたが、復元能力に問題があったとされている。
名前の由来は海軍功労者のデヴィット・ポーター提督。ポーターの名を冠するのは本艦で3代目である。
1933年12月18日、キャムデン造船所にて起工。1935年12月12日に進水し、1936年8月25日にフィラデルフィラで竣工した。
1937年5月、ジョージ6世即位記念観艦式に参列。その後の8月5日、パナマ運河を通過。サンフランシスコに回航され、太平洋艦隊に編入。ポーターはサンディエゴを拠点に活動した。
1941年12月8日、大東亜戦争が開幕。真珠湾攻撃の2日前にポーターは真珠湾を出港しており、紙一重で危機を回避した。攻撃後、ハワイ海域を哨戒し帝國海軍を捜索したが発見できず。
その後、しばらくは西海岸で船団護衛に従事。最前線に赴く事は無かった。やがて戦争が激化し、1942年8月にソロモン戦線が形成されるとポーターも出陣する運びとなった。
8月半ば、真珠湾に進出すると二ヶ月間訓練に従事する。ガダルカナル島争奪戦が苛烈を極めてきた10月16日、第16任務部隊の一員として真珠湾を出撃。
そして10月26日に生起した南太平洋海戦に参加する。ポーターは不時着水されたエンタープライズ所属の雷撃機を救助するべく向かっていた。
その時、救助対象の雷撃機から魚雷が誤発射され、運悪くポーターに命中。これが致命傷となり、艦の放棄が決定。僚艦のショウによって砲撃処分された。
味方に殺されるという理不尽な最期を遂げてしまった。ちなみにポーター級で死亡したのはポーターのみ。彼女は泣いていい。ポーターの死後、戦功で従軍星章1つが授与された。
彼女を撃沈したのは伊21潜とする資料が点在しているが、実際は魚雷の誤発射による沈没が真実らしい。
小ネタ
- 南太平洋海戦は珍しく米軍側が空母一隻沈没、駆逐艦ポーター沈没と国内向けにきわめて正確な損害を公表した戦いでもある。
これはルーズベルト大統領が自国の損害を隠しているのではないかという国内世論に圧されて発表したもので、
ニミッツ提督らは不快感を露わにしていた。