所属 | Российский императорский флот→Военно-морской флот СССР(1917) |
---|---|
艦種・艦型 | オルフェイ級駆逐艦 |
正式名称 | Десна→Энгельс(1922) |
名前の由来 | Десна ロシアからウクライナへ流れる主要な河川の一つ ドニエプル川の左支流 古東スラブ語で右手を意味する →Friedrich Engels ドイツの政治思想家、革命家、国際的な労働運動の指導者 マルクスと協力して科学的社会主義を構築、共産主義社会による持続的発展を構想し、世界の共産主義運動の発展に指導的な役割を果たした。 |
起工日 | 1914.11.1 |
進水日 | 1915.11.7 |
就役日(竣工日) | 1916.8.29 |
除籍日(除籍後) | 1941.8.24(1941.8.25沈没) |
全長(身長) | 98.0m |
基準排水量(体重) | 1240.1英t(1260t) |
最高速度 | 35.0kt(64.81km/h) |
航続距離 | 21.0kt(38.89km/h)/1680海里(3111.36km) |
出力 | Vulcan Iron Works式4基重油専焼缶Кертис-АЕГ-Вулкан式蒸気タービン2基2軸 30000PS(29589.6shp) |
乗員 | 指揮官8名 乗組員168名 |
装備 | 102mm60口径P1911単装砲4門 76.2mm30口径M1914単装高角砲1門 ЗАУ45mm21-K単装高角砲x1 ДШК12.7mm機関銃x4(4x1) 457mm三連装魚雷発射管3基9門 |
装甲 | なし |
建造所 | Металлического завода,Ленинград\Санкт Петербург (レニングラードメタルワークス 旧ソビエト連邦レニングラード 現ロシア連邦北西連邦管区サンクトペテルブルク連邦市サンクトペテルブルク) |
- 1913年にオルフェイ級駆逐艦6番艦デスナとして起工され、3年後の1916年に就役する。
デスナとはロシアからウクライナを流れるドニエプル川の支流の一つで、古スラヴ語では右側を意味する。
年代が示すとおりロシア帝国海軍艦生まれである。 - 4インチ単装砲4基と45センチ三連装魚雷発射管3基を備えた当時としてはかなり強力な駆逐艦。
航続距離は21ノットで1680海里、最大速力の35ノットで560海里。
第一次世界大戦に参加しバルト海で機雷敷設などの任務をこなす。 - 1917年、ロシアに革命の嵐が吹き荒れた。
二月革命によりロマノフ朝が倒れ、十月革命によりソヴィエトが政権を奪取したが、
1918年3月、第一次世界大戦から離脱するべくドイツとの停戦協定(ブレスト=リトフスク条約)の屈辱的な内容と政府がそれを容認したことが国民感情を悪化させ、ロシアは内戦に突入する。
デスナは労農赤軍側に編入され、内戦終結後の1922年12月31日に名前をエンゲルスと改めた。 - 革命と内戦により重工業、造船業に壊滅的な影響を受けたソ連にとってオルフェイ級駆逐艦は貴重な戦力であり、旧式でありながら戦力として期待されていた。
- 1939年の冬戦争ではフィンランドの沿岸部へ砲撃を行っている。
その後は軍が急速な立て直しを図るなか、リガ湾で機雷敷設に従事する。 - 1941年6月、ドイツが突如大攻勢によりソ連国内へ侵攻を始めると、ドイツ軍の掃海艇などと交戦。
8月上旬ドイツ空軍からの爆撃を受けタービンを損傷するも、この時は奇跡的に死者を出さなかった。
半月後修理され出撃したが機雷に接触し、後部魚雷に誘爆して沈没。
- エンゲルスは特に際立った武勲のある駆逐艦ではないが、今日まで有名にしたのは1934年のある試験が理由である。
旧式化により退役したインペラートル・パーヴェル1世級戦艦の主砲を転用して開発された305mm無反動砲を試験するため母体に選ばれたのだ。
試験は三日間に渡って行われ、4インチ砲を降ろしてその代わりに無反動砲を搭載。位置を4箇所変えながら試験を行った。
しかし元の主砲が331.7kgの砲弾を2万mまで届かせ、毎分2発の発射を可能にしていたのに対し、本砲では1.3万m足らずと射程が大きく劣り、
速射速度に至っては1時間1発という最悪の結果となった。 - 計画を主導したレオニード・クルチェフスキーはトゥハチェフスキーとも懇意で、その権力を利用してこれ以外にも航空機搭載無反動砲やバイク搭載型、
豆戦車搭載型など様々な無反動砲を開発したが全て失敗し、トゥハチェフスキーにより「劣悪な兵器の設計による軍への背任」行為を問われて逮捕される。
その後トゥハチェフスキー自身も粛清されてしまうのだが、クルチェフスキーは1929年に一度投獄された前科持ちだったこともあって名誉回復はなされず処刑された。(1956年名誉回復)
エンゲルス自体は試験終了後武装を元に戻している。- なお試験結果が良好だった場合、更に大型化した500mm砲の開発も予定されていた。