No197 U47/元ネタ解説

Last-modified: 2020-01-01 (水) 18:02:55
所属Kriegsmarine
艦種・艦型VII B型潜水艦
正式名称U 47
Unterseeboot Sieben und vierzig(ズィーベン ウント フィルツィヒ 7+4x10)
起工日1937.2.27
進水日1938.10.29
就役日(竣工日)1938.12.17
除籍日(除籍後)不明(1941.3.7行方不明)
全長(身長)66.5m
基準排水量(体重)753英t(765.1t)
出力浮上時:Germania製6気筒ディーゼルエンジン2基2軸 3200PS(3156.2shp)
潜水時:Brown Boveri製電気モーター2基2軸 750PS(739.7shp)
最高速度水上:17.9kt(33.15km/h) 水中:8.0kt(14.81km/h)
航続距離水上:12.0kt(22.22km/h)/6500海里(12038km)
水中:4.0kt(7.41km/h)/90海里(166.68km)
乗員指揮官4名 乗組員40~56名
装備(建造時)8.8cm45口径SK C/35単装砲1門
2cmC/30機関砲x1
53.3cm魚雷発射管5門(艦首:4門 艦尾:1門)
装甲なし
建造所Friedrich Krupp Germaniawerft, Kiel
(フリードリヒ・クルップ社ゲルマニア造船所 ドイツ連邦共和国シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州キール市)
  • ドイツ海軍のUボートVIIB型。
    Uボートはドイツ語の「Unterseeboot(ウンターゼーボート、水面下の船舶)」の略語。
    ドイツ海軍の潜水艦作戦からドイツ潜水艦全体に対する呼称となった。
  • VII型はドイツ海軍が海軍協定による制限下で開発した小型航洋潜水艦である。
    WW1で使用されたUCIII型をベースに改良が施された発展型であり、シリーズ全体で700隻以上作られたベストセラー艦であった。
    中でもそのB型は船体と燃料搭載量を増加させ、航続距離を伸ばしたタイプであり、計24隻が建造された。
  • U-47は1936年11月21日に発注され、37年2月27日に起工、38年10月29日に進水した。そして同年12月17日に就役した。
    そして、この艦の艦長として配属されたのは後のUボートエース、ギュンター・プリーン(1908~1941年没)であった。
    過去にケーニヒスベルクに配属されたギュンターは、キールで潜水艦の訓練を受けた後に潜水艦U-26に配属、その後地道に昇進と経験を重ねたベテランであった。
    39年2月1日にU-47艦長として赴任したギュンターは、U-47と部下達を率いて伝説的な戦果を残す事となる。
     

スカパ・フロー襲撃

  • 最初のパトロールで3隻を撃沈したU-47は、続く第2のパトロールですさまじい戦果を残す事になる。
    ドイツ海軍司令部はイギリス本国艦隊の潜水艦奇襲作戦を計画、この危険な作戦に臆する事なく参加したのは、他ならぬギュンター艦長であった。
    あまりに危険な任務で生還の可能性も低かったため、当時の潜水艦隊司令官であるデーニッツ大将から「任務を辞退しても問題はない」と言われた上での参加だった。
  • 39年10月14日、ギュンター艦長の指揮するU-47はイギリス海軍の主要海軍基地であるスカパ・フローへの潜入を敢行。
    敵軍基地の懐へ入り込むという大胆不敵な作戦であったが、スカパ・フローはその地形上、潜入は難しく一度発見されれば袋叩き必至の危険な任務であった。
    一度は陸上の自動車からヘッドライトで照らされかける、あやうく沈没船の多い浅瀬の海域に突っ込みかけるという危機を迎えながら、U47はついに潜入へ成功した。
  • ところが、U-47がスカパ・フローへ到着した際はイギリス本国艦隊の主力はすでに出撃した後でもぬけの空であった、しかし、運よく停泊中の戦艦・ロイヤル・オークを発見し雷撃を敢行。
    磁気信管付きの電池式魚雷4発が発射されたが、1発が艦首を掠り鎖に命中しただけで沈没はしなかった上に、もう1発はそもそも発射すらされなかった。
    さらにもう1発発射するも今度は不発、急ぎ発射された2発が艦体の中央部底で爆発、火薬庫に引火したロイヤルオークは沈没した。
    • この功績と戦果からギュンター艦長は「スカパ・フローの雄牛」との渾名を頂戴し、一躍英雄となった。
      また、艦橋にはこの渾名通り、雄牛のイラストが描かれておりU-47のシンボルマークとなっている。
      ドイツ海軍にとっては最高の戦果ではあったが、本国艦隊壊滅という主要目的は結局達成されなかった。
       
  • その後もギュンター艦長率いるU-47は引き続きパトロールを続け、多くの商船などを血祭りに上げていった。
  • 1940年4月19日、5回目のパトロールではあの戦艦ウォースパイトを捕捉、魚雷を発射した。
    しかしロイヤルオークのように上手くはいかず、この際は命中なしでウォースパイトを取り逃がしている。
  • 1940年7月2日にはイギリスの遠洋定期船アランドラ・スター号を撃沈。
    しかし、この船舶に乗船していたのは1300名ほどの抑留中のイタリア・ドイツ人とドイツ人捕虜であり、イギリス本土からカナダへ輸送中の船舶であった。
    この攻撃によりイタリア・ドイツ人含む865名が死亡するという惨事となった。
  • 1939年から1941年の間に、U-47はその哨戒で多くの艦船を撃沈した。
    イギリスを含む8ヶ国の船舶、計30隻、20万トン近くを屠ったU-47はまさにUボートエースにふさわしい活躍を果たしている。
    だが、U-47の命運は10回目のパトロールで尽きる事となる。
     

U-47の最後

  • 1941年5月7日、U-47はリバプールから北米へと向かうOB293船団を攻撃する。
    しかし、その攻撃の最中、U-47は消息を絶ってしまった。艦長のギュンター・プリーンを含む45名全員が戦死と認定される。
    その死は暫くの間は伏せられたが、暫くして「艦長が総統へ歯向かい幽閉された」と根も葉もない噂が出回り出したため、軍は正式にギュンター艦長を含む全乗員が戦死したと公表した。
  • U-47喪失に関する詳細は未だに判っていない。
    当初はイギリス駆逐艦ウォルバリンにより撃沈されたと思われていたが、後に別の潜水艦である事が判明した。
    また、船団護衛中の他のコルベットに撃沈された可能性や、触雷、タングのような魚雷の故障事故、または機関故障により喪失したとも言われている。
    何にせよ、U-47の所在は半世紀以上経った2020年現在でも確認されておらず、その最後がどのような物であったか、どこに沈んでいるかも未だに不明である。

小ネタ

  • U-47はその活躍とミステリアスな最後から、その艦そのものを扱った作品が戦後に作られている。
    1958年には西ドイツで「U47出撃せよ」(原題U47-Kapitanleutnant Prien)が製作。
    ギュンターとU-47がいかに戦ったを描いた映画であり、劇映画らしく多少の脚色が加えられている。
    撮影にはスペイン海軍で使用されたUボートことU-573が使用された。
    残念ながら国内版DVDは絶版となっている。
  • また、バンド・デシネでも「U-47」というタイトルの作品が存在。
    こちらも脚色やフィクションを交えた作品となっている。日本語版も発売されており、入手は容易。
  • ロイヤルオーク撃沈はセンセーショナルな出来事としてドイツ国内で大いに喧伝されたが、当の本人たちは再装填含めて7発も発射して命中1発のみに終わった魚雷を「木銃」と酷評している。
    また、散々な性能を露見させた不発だらけの魚雷についてはドイツ海軍内部では秘密扱いにされたという。

小ネタ

  • 改造時の台詞にある横文字は、スカパ・フロー奇襲時にギュンター・プリーン艦長が記録した台詞。
    • 上記の活躍からスカパ・フローの雄牛と渾名された。
    • 顔の横で人差し指を立てたポーズは、艦橋に書かれた鼻息を荒立てる雄牛のエンブレムに由来する。