No221 飛龍/元ネタ解説

Last-modified: 2019-01-10 (木) 01:08:57
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型航空母艦飛龍
正式名称飛龍(ひりゅう/ひりう)
名前の由来飛龍 漢成語で空を飛ぶ龍という意味
起工日1936.7.8
進水日1937.11.16
就役日(竣工日)(1939.7.5)
除籍日(除籍理由)1942.9.25(ミッドウェー海戦/英Battle of Midway 1942.6.6沈没)
全長(身長)227.35m
基準排水量(体重)17300英t(17577.6t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶8基艦本式蒸気タービン4基4軸 152000shp(154108.2PS)
最高速度34.3kt(63.52km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/10250海里(18983km)
乗員1101名
装備(建造時)40口径八九式12.7cm連装高角砲6基12門
九六式25mm機銃x31(7x3+5x2)
艦載機x57+16
装甲舷側:25~65mm 甲板:50~140mm
建造所横須賀海軍工廠 (現 米海軍横須賀基地) (日本国神奈川県横須賀市)

昭和9年度海軍軍備補充計画で建造された中型空母である。当初は蒼龍型の2番艦として計画・建造されていた。だが軍縮条約破棄により設計の自由度が増したため、飛行甲板幅を1m広げ艦幅を若干太くし、さらに第四艦隊事件による船体構造溶接化の破棄、凌波性向上のため艦首1m・艦尾40cm乾舷を高めるなど蒼龍とは違う図面で建造された空母となった。
改装後の赤城と同じく島型艦橋が左舷に配置されているのが外見上の最大の特徴。
左舷艦橋には

・煙突と反対側に配置されるため船体が左右均等に近くなりバランスがよい
・士官室からの艦橋への交通が有利となる
・格納庫の形状が良好となる

といった利点があったが、実際に運用すると煤煙が艦橋に流れ込む、気流が乱れて着艦しづらくなる等のデメリットが判明したため、当初左舷艦橋で設計されていた翔鶴は急遽右舷艦橋に設計変更され、後の空母では採用されることは無かった。
また従来の日本空母より艦橋が後方に設置されたので、視界確保などの理由で羅針艦橋は蒼龍のものよりも高くなっている。
以後、日本海軍は飛龍・蒼龍を日本空母の原型として設計、建造を行った。本級を拡大させた翔鶴型や、飛龍の線図を流用した雲龍型航空母艦が有名である。

太平洋戦争では蒼龍と共に第二航空戦隊を構成し、真珠湾攻撃やウェーク島攻略、セイロン沖海戦で活躍するもミッドウェー海戦で兵装転換の隙をつかれ僚艦の赤城、加賀、蒼龍が被弾炎上。左舷艦橋故の航行序列が幸いし、雷撃隊の来襲方向とその退避行動により他の母艦から他の3隻から離れていたために被害を免れた飛龍は単独でアメリカ機動艦隊への反撃を決断。戦力をかき集め数度に渡り攻撃隊を送り空母ヨークタウンに爆弾3発、魚雷2発を命中させ航行不能に追い込んだ。だが、その代償として飛龍の航空戦力は消耗しきっており、残存戦力は零戦10、艦爆5、艦攻4しかなかった。昼間強襲をあきらめた山口少将は薄暮攻撃を決定し、日本時間6月5日午後2時3-5分、飛龍はエンタープライズとヨークタウン(艦載機のみエンタープライズに移動)の艦載機の集中攻撃を受け、1,000ポンド爆弾4発を被弾した。前部エレベーターは最初の命中弾で吹き飛ばされて艦橋の前に突き刺さったが、一種の防護壁となって残り、爆弾命中時の爆風から艦橋を守った。加来艦長は消火に努力していたが、機関科全滅の報告(誤報)を受けて飛龍の放棄を決定した。午後11時50分、軍艦旗降下。6月6日午前0時15分、総員退去命令が出る。

大破し漂流状態の飛龍を写した下記の写真は、ミッドウェー海戦での帝国海軍の敗北を示す象徴的な一枚として、歴史の教科書等でも掲載され広く知られている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/61/Hiryu_burning.jpg