No238 ヨーク/元ネタ解説

Last-modified: 2019-05-26 (日) 21:29:14
所属Royal Navy
艦種・艦型ヨーク級重巡洋艦
正式名称HMS York (90)
名前の由来City of York イギリス・イングランド・ノースヨークシャー州ヨーク市
起工日1927.5.16
進水日1928.7.17
就役日(竣工日)1930.5.1
退役日(除籍後)1949 1950.1.3除籍(1952.3.3解体)
全長(身長)193.0m
基準排水量(体重)8250英t(8382t)
出力Admiralty式重油専焼缶8基Parsons式蒸気タービン4基4軸 80000shp(81109.6PS)
最高速度32.25kt(59.72km/h)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/10000海里(18520km)
乗員628名
装備(1945)8inch50口径Mk.VIII連装砲3基6門
4inch45口径Mk.XVI連装両用砲4基8門
ヴィッカース2ポンド機関砲x24(4×8)
21inch三連装魚雷発射管2基6門
装甲舷側:3inch 甲板:1.25~1.5inch 砲塔:1inch バーベット:1inch 隔壁:3.5inch 艦橋:1inch 弾薬庫:2.5~4.375inch
建造所Palmers Shipbuilding and Iron Company,Jarrow,Tyne and Wear
(パーマー・シップリング・アンド・アイロン社 イングランド国南東イングランド地域タイン・アンド・ウィア州サウス・タインサイド圏ジャロー町)
  • ヨーク級重巡洋艦はワシントン条約の制限により1万トン以下で建造されたカウンティ級重巡洋艦の後継として生まれたが、カウンティ級の反省点などから求められた条件はちょっと特殊であった。
    ぶっちゃけて言うと、カウンティ級は「高い」のである。
    広い植民地とそれをつなぐ広大なシーレーンの防衛に注力しなければならないイギリス海軍は各地に沢山の艦艇を配備する必要があり、そのために数を揃える必要がある巡洋艦が高額であることは悩みの種だった。
    そこで次なる重巡洋艦は船体規模を縮小し、武装を減じ、カウンティ級の欠点だった装甲を最初から強化して速力を維持した8000t級の重巡洋艦とした。
    当初5隻の建造を予定していたが、思った以上にコストの圧縮ができず予想を下回ってしまったため、以降イギリス海軍は重巡洋艦の建造を諦め、より小規模で安価なリアンダー級・アリシューザ級などの軽巡洋艦に移っていく。
    このためイギリスで建造された重巡洋艦は本級が最後となった。
  • 8200t級の船体はカウンティ級の平甲板から船首楼型としたがこれは構造材をケチりつつ凌波性を確保するためである。
    8インチ連装砲塔を3基6門とし前部に背負式で2基、艦尾に1基を置いた他、減少した砲火力の不利を補うべく4連装魚雷発射管を両舷に装備している。
    他に4インチ単装高角砲4基と対空機銃を装備しており、これらは後に増設された。
    特に単装だった40mmポンポン砲は8連装2基としている。
  • ヨークは第二次大戦の勃発後ドイツの通商破壊阻止やノルウェー侵攻への対抗措置として作戦に参加。その後イタリアのエジプトおよびギリシャ侵攻に伴い地中海へ移動した。
    しかしギリシャにドイツが侵攻した際クレタ島に脱出したギリシャ・イギリス連合軍防衛のため島内のスダ港湾に停泊中、イタリア軍駆逐艦から発進した爆装小型魚雷艇
    (艇内に300kgの爆薬を満載し命中前に方向をセットしたら乗員が飛び降りて体当りする)6隻の攻撃を受け、大破着底する。
    ヨークは沈下を食い止めるため湾内の浅瀬へ故意に着底し、その後も砲台としてドイツ・イタリア軍を迎撃していたが、クレタ島に上陸されたため、敵に渡すまいと自爆沈没した。
  • 戦後湾内から引き上げられたのち改めて解体処分されている。