No259 トンブリ/元ネタ解説

Last-modified: 2018-11-05 (月) 01:10:08
所属กองทัพเรือไทย
艦種・艦型トンブリ級海防戦艦
正式名称เรือหลวงธนบุรี(HTMS Thonburi or Dhonburi)
名前の由来ธนบุรี(1767-1782) トンブリー王朝は中国潮州系タイ人のタークシン王(鄭昭)によって創設された王朝。一代限り15年続いたが王朝末期にタークシン王が乱心し、部下に殺され、ラーマ1世(チャクリー王朝)が王に就いたことでトンブリー王朝の幕は閉じた
起工日1936.1.12
進水日1937.7.31
就役日1938.1.31
退役日(除籍後)1941.9.26 1959.6.19除籍 (除籍後解体 タイ海軍兵学校で艦橋と主砲が保存されている)
全長(身長)76.5m
基準排水量(体重)2015英t(2047.3t)
出力MAN製ディーゼルエンジン2期2軸 5200shp(5272.1PS)
最高速度15.5kt(50.93km/h)
航続距離12.0kt(29.63km/h)/5800海里(11482.4km)
乗員150~155名
装備50口径三年式20.3cm連装砲2基4門
40口径四一式8cm単装砲4門
毘式40mm機銃x2
ホ式13.2mm機関砲x2
装甲舷側:63mm 甲板:25~38mm 砲塔:102mm バーベッド:102mm 艦橋:102mm
建造所川崎造船所社 (現 川崎重工業船舶海洋カンパニー神戸工場) (日本国兵庫県神戸市)
  • タイ海軍トンブリ級海防戦艦1番艦。2番艦スリ・アユタヤも存在する。
  • 海防戦艦とは、自国の沿岸部を防衛する目的のみに特化した小型船体と高火力砲を搭載した軍艦の分類である。
    こうした艦は海軍力が少ない国家の主要海上戦力として採用されており、ヨーロッパ各国の海上戦力に乏しい国等で採用された。
    もっとも、第一次大戦後から第二次大戦前まではメジャーな艦種であったものの、第二次世界大戦の勃発により戦争の様相は激変。
    海防戦艦の存在意義も薄れ、第二次大戦以降は海防戦艦という艦種そのものが消滅している。
  • 開発当時の1930年代、タイ王国海軍の戦力は極めて貧弱であり、主要艦艇は水雷艇や砲艦等の艦しか無かった。
    この時代、タイ海軍の仮想敵は東南アジアを支配するヨーロッパの植民地軍であり、それに立ち向かえる艦も必要とされた。
    そこでタイの政治家プレーク・ピブーンソンクラーム(1897年生~1964年没)はタイ海軍の戦力強化・近代化を決定。
    こうしてラタナコシンドラ級砲艦を代替する次期主力艦として配備されたのがトンブリ級海防戦艦である。
  • しかしタイ海軍の造船ノウハウではこうした新型艦の開発・建造は難しく、外国への発注が決定。
    こうして複数の造船会社の中から日本の川崎造船所が設計・建造を引き受ける事となった。カワサキか・・・
  • 1936年1月12日に川崎造船所にでトンブリは起工され、1937年7月31日に進水。翌年1月31日にタイ海軍にて就役。
    艦橋のシルエット等は古鷹型・青葉型と近似。主武装として日本製の20.3cm連装砲2基を搭載した。
    • また、この20.3cm砲は赤城加賀に搭載されていた物だったとする説もある。
       
  • トンブリの就役後、1940年11月23日、第二次世界大戦勃発後にタイは非常事態を迎える。
    欧州でのフランス敗戦によりヴィシー政権が発足、その余波はフランスの植民地インドシナにも波及。
    これを契機に旧領土の回復に乗り出したタイとフランスの間に政治的軋轢が発生、武力衝突へと発展。
    タイ・フランス領インドシナ紛争と呼ばれる戦いの始まりである。
  • 1941年1月17日、トンブリはシャム湾西部のコーチャン島沖でフランス植民地軍と砲火を交えた。
    後にコーチャン島沖海戦と呼ばれた戦いである。だが、結果は散々な物であった。
    • 海防戦艦2隻、水雷艇6隻というタイ海軍に対して、フランス側は軽巡洋艦1隻、通報艦*12隻、砲艦2隻。
      しかしタイ海軍は練度や技術の低さという問題を抱える一方で、フランス側は事前にタイ側の動きを察知していた。
      さらにフランス海軍はこの戦いで奇襲攻撃を敢行し、不意を突かれたタイ海軍はここで敗北を喫してしまう。
    • この戦いで、トンブリはフランス艦隊の集中砲撃を受けて擱坐・座礁、沈没してしまう。
      さらに水雷艇2隻を喪失、1隻を大破という結果に終わってしまった。
      一方のフランス海軍は軽巡1隻の損傷に留まり、こうして一方的な戦いは幕を下ろした。
  • 戦闘自体は敗北したものの、タイ・フランス領インドシナ紛争は日本の仲裁により終戦。
    タイは領土獲得に成功し、戦争自体には勝利している。
  • 1941年末、タイの依頼により川崎造船と日本サルベージが沈没したトンブリの再生作業に着手。
    離礁され、サルベージに成功したトンブリであったがダメージは予想以上に激しく、現役復帰は不可能と判断、退役となった。
    その後は、繋留された上で練習艦として余生を過ごしたトンブリは、1959年6月19日に除籍。
    軍艦としての生涯に幕を下ろした。
  • 2017年現在、タイ海軍兵学校にはトンブリの艦橋と主砲が展示保存されている。
    • 兵学校の外国人の見学に制限が明かされる可能性があり、観光予定の方はタイ国政府観光庁等で確認をとる事。

*1 情報の伝達を目的とした小型軍艦