No272 ハイダ/元ネタ解説

Last-modified: 2019-02-03 (日) 03:10:31
所属Royal Canadian Navy
艦種・艦型トライバル級駆逐艦
正式名称HMCS Haida (G63)→(DDE-215)(1952)→(G63)(1964)
名前の由来Haida カナダ・ブリティッシュコロンビア州に住む先住民族 デザイン表現やトーテムポールなど大木を駆使した彫刻技術で知られている。
起工日1941.9.29
進水日1942.8.25
就役日(竣工日)1943.8.30
退役日(除籍後)1963.10.11 1964.2.22除籍(1964.8からオンタリオ州のカナダ海軍保護区で記念館として保存)
全長(身長)114.9m
基準排水量(体重)1854英t(1884t)
出力Admiralty式重油専焼缶3基Parsons式蒸気タービン2基2軸 44000shp(44610.3PS)
最高速度36.0kt(66.67km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/5700海里(10556.4km)
装備(1943)4.7inch45口径Mk.XII連装砲3基6門
4inchMk.XVI連装両用砲1基2門
ヴィッカース2ポンド機関砲x4(1x4)
エリコン20mm機関砲x6(6x1)
21inch四連装魚雷1基4門
爆雷投下軌条1基
爆雷投射機2基
装備(1952)4inch45口径Mk.XVI連装高角砲2基4門
ボフォース40mm機関砲x4
21inch四連装魚雷1基4門
Squid対潜迫撃砲2基6門
装甲なし
建造所Vickers-Armstrongs Limited, Elswick, Newcastle upon Tyne
(ヴィッカース・アームストロング社ニューカッスル造船所 ニューカッスル・アポン・タイン州エルスウィック)

トライバル級の中で23番目に起工した。1~16番艦までがイギリス軍へ、19、20、22~27番艦がカナダ軍へ、17、18、21番艦がオーストラリア軍に供給された。

誕生と第二次世界大戦

  • 1941年9月29日起工、翌年1942年8月25日進水、1943年8月30日に就役した。
    ちなみに、建造はヴィッカース・アームストロング社の造船所。他にも本国カナダで建造されたトライバル級も存在する。
  • カナダ海軍へ引き渡されたハイダは、イギリス本国艦隊の一員として第二次世界大戦へと投入された。
  • 1943年12月26日、北岬沖海戦に参加。他のイギリス艦と共にシャルンホルストを追い込んだ。
  • 1944年に入り、ハイダはその活動海域をフランス沿岸部に移している。
    ドイツ海軍の水上艦部隊は弱体化したとは言え、まだ活動を続けており、これ以降、ハイダは多くのドイツ軍艦艇、Uボートと交戦している。
    44年4月29日、ハイダはイギリス海峡でドイツ軍水雷艇T27と交戦し、これを大破させた。
    さらに続く6月24日には、僚艦と共に潜水艦U-971を撃沈。
    8月21日はフランスのセット島沖合いでドイツ軍水雷艇T29を撃沈する戦果を挙げた。
  • その後も1945年のドイツ敗戦までにハイダは合計14隻のドイツ艦艇を撃沈。
    総トン数も合わせて、カナダ海軍で最大の戦果を残した軍艦という記録を持つに至った。
  • ドイツ降伏後、次なる戦いである太平洋戦線への参加に向けての改装が始まったが、その最中に日本が降伏。
    第二次大戦が終結し、ハイダは戦争を生き残った。また、カナダ海軍のトライバル級駆逐艦はそのすべてが生存している。
     

第二次大戦後

  • 第二次世界大戦が終結し、生き残ったイギリス海軍のトライバル級駆逐艦は順次退役・解体していった。
    一方でカナダ海軍では旧式艦という事もあり退役が決定し、戦後は保管船や貯蔵船として使用された。
  • 東西冷戦が激化する中、カナダ海軍はトライバル級の実戦復帰を決定。1949年から50年代前半までに改装が施された。
    武装はQF4インチ Mk.XVI 連装砲とMk.33 3インチ連装砲の計3基の主砲、スキッド対戦迫撃砲に変更され、電子装備やソナーも改装されている。
  • 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。この戦争に国際連合側として参戦したカナダは艦隊を派遣。
    ハイダもカナダ海軍の一員としてこの朝鮮戦争へと参加した。
  • その後はNATO艦隊の一員として、ハイダは世界各国を旅して回っている。
     

退役と保存運動

  • 1950年代末、ハイダは改装のためにハリファックス港でドック入りをするが、この際、船体に老朽化が進んでいる事が判明する。
    1960年1月に修理を終えて港を出航したハイダだったが、すぐに操舵装置の故障が発生、直ちにハリファックスへ帰港しすぐさま点検に入った。
    この点検で船体の腐食や亀裂が発見され、老朽化による船体へのダメージから大規模な修復が行われた。
    ほぼ分解も同然の入念な修復により航行自体は可能になったが、この時点で軍艦としての生命は絶たれてしまった。
  • 1963年4月25日、ハイダは退役前の最後の航海へ出発。
    この模様はカナダ国内でテレビ中継され、これを切欠にカナダ国内では「ハイダを保存しよう」という運動が起こった。
    これによりハイダの保管を目的とした「ハイダ社」が設立された。
    1964年に退役したハイダは、カナダ海軍からハイダ社に売却され、改装を施された後に記念艦として公開に至った。
  • 2017年現在に至るまで、所有権が他の民間会社や地方自治体などに移行しつつもハイダは引き続き記念艦として今もなお現存している。
    五大湖の沿岸であるオンタリオ州ハミルトンに行けば、埠頭で静かに佇むハイダの姿を今でも見る事が出来る。