No303 オーディン/元ネタ解説

Last-modified: 2018-02-12 (月) 15:51:31
所属Landhelgisgæsla Íslands
艦種・艦型哨戒艇
正式名称ICGV Óðinn
名前の由来Óðinn 北欧神話の主神、戦争と死を司る神、詩文の神でもあり吟遊詩人のパトロン 魔術に長け、知識に対し貪欲であり、知識を得る代償に片目を差し出したこともあった。またルーン文字の秘密を得るために、ユグドラシルの木で首を吊り、グンニグルに突き刺されたまま9日9夜身を捧げたこともある。
Óðinnの語源は狂気、激怒(した者)の主を意味すると考えられている。
起工日
進水日1959.9
就役日(竣工日)1960.1
除籍日(その後)2006(アイスランド首都レイキャビクのReykjavik Maritime Museumにて記念艦として保存)
全長(身長)63.7m
基準排水量(体重)910英t(924.6t)
出力B&W製ディーゼルエンジン2基2軸 2810shp(2850PS)
最高速度18.0kt(33.33km/h)
航続距離
装備(建造時)オチキス6ポンド機関砲x1
ヘリコプターx1
装備(1989)ボフォース40mm機関砲x1
ヘリコプターx1
装甲なし
  • アイスランド沿岸警備隊に所属していた巡視船。オーディンの名を次ぐ艦船としては3代目。
    1959年9月に進水し、1960年1月にアイスランド沿岸警備隊に就役した。
    910トンの立派なもので、ヘリコプター1機を搭載可能。6ポンド(57mm)ホチキス砲を装備していた。
  • 1989年には主兵装を40mmボフォース砲へ換装された。
  • 2005年に撮影されたFlags of Our Fathers(父親たちの星条旗)という映画で背景として撮影された。
  • 2006年に退役した後はレイキャビーク港のVikin Maritime Museumで余生を過ごしている。
    彼女の推進機関であるB&Wエンジンは動態保存されたものとしては最も古く、現在も稼働可能のまま維持されている。
    非稼動状態であれば日本の氷川丸などはもう少し古いB&Wエンジンが現存している。
  • アイスランドは伝統的に海軍を持っていない。
     

アイスランド沿岸警備隊とイギリスとのタラ戦争などの経緯

  • 初代オーディンは排水量512トンで57mm砲2基を備えた立派な警備艇だったのだが、予算超過や財政上の問題を理由にスウェーデンに売却されてしまった。2代目オーディンは1938年に発注され、磁気感知機雷対策などを考慮した85トンの木造船であった。
    ところが平和なアイスランドに国家の存亡を左右する未曾有の事態が発生する。
    アイスランドは地形上極めて貧しい国家だったが、20世紀の幕開けとなる1901年、アイスランドへ希望に満ちた未来をもたらす革新が起こった。イギリスからトロール船を買ったのである。
    アイスランドの近海は当時まだ漁船の長距離航行が難しい時代にあって恵まれた漁場を独り占めできる宝の海であり、そこからとれる海産資源、すなわちタラはアイスランドに莫大な富をもたらした。
    ところが第二次世界大戦が終わると漁船の性能は飛躍的に発展し、イギリスの漁船がアイスランド近海へやってきてしまいタラの漁獲高は減ってしまった。
  • 危機感を覚えたアイスランド政府は当時4海里と定められていた領海の範囲を12海里に拡大すると主張。反対するイギリスは漁船に軍艦を警護に付け、アイスランド側と小競り合いも発生したが、結局12海里は承認された。
    この戦いの中、アイスランドは1959年から3代目オーディンを配備した。
    1972年には一向に回復しない漁獲量の回復を理由に、50海里の排他的経済水域をアイスランドが主張。対立するイギリス側に対し、オーディンは漁網カッターを装備してイギリス漁船の網を切る実力行使に出たため、イギリス海軍と衝突するも再び国際協定により50海里が認められた。
    • ちなみにこの漁網カッター、使い方はトロール船が引っ張る網に真横から突入し、海中に投入したカッターで切断するという代物。むろん、切断される事で漁師の商売道具である漁網は一発でダメになってしまう。
      オーディンに突入された漁船にとってはたまったものではなく、まさに漁師泣かせの必殺兵器であった。
  • しかしそれでも漁獲量は減少を続けたため、1975年アイスランドは200海里の排他的経済水域を主張。イギリスと三度目の衝突を起こしたが、結局国際的にも200海里水域は認められ、一連の「タラ戦争」は終結した。
    (今日の領海12海里、排他的経済水域200海里と言った取り決めはこの一連の戦争が発端である)
    冷戦下における西側陣営の戦略とその地域の重要性を承認のための材料にするなど、アイスランドの手腕は見事といえよう。

激戦を生き残ったオーディン(とイギリス海軍)は双方の死者0という奇跡的な戦果を残した。

  • タラ戦争で負けたイギリス側は千人以上にのぼる漁業関係者・漁師の失業へと発展。
    イギリスの北方漁業は大打撃を受けるに至り、イギリス国民に暗い影を落とした。
    失墜したイギリスの威信が回復されるのは、その後のフォークランド戦争における勝利まで待たねばならなかった。
  • アイスランドがこのような強硬姿勢でいられたのは、ワシントンとモスクワを結ぶ最短距離の直線上のちょうど中間に位置するという、NATOの防衛上極めて重要な拠点という意味があった。

冷戦(Cold war)下で発生したタラを巡る紛争ということで、タラ戦争(Cod war)と名付けられた。駄洒落かよ