No306 バーフラー/元ネタ解説

Last-modified: 2023-03-26 (日) 18:30:55
所属Royal Navy
艦種・艦型バトル級駆逐艦
正式名称HMS Barfleur (R80)→(D80)(戦後?)
名前の由来英語:Battles of Barfleur and La Hogue 仏語:Bataille de la Hougue 大同盟戦争バルフルール岬とラ・オーグの海戦
起工日1942.10.28
進水日1943.11.1
就役日(竣工日)1944.9.14
退役日(除籍後)1958 1966.9.29除籍(売却後解体)
全長(身長)115.5m
基準排水量(体重)2315英t(2352t)
出力Admiralty式重油専焼缶2基Parsons式蒸気タービン2基2軸 50000shp(50693.5PS)
最高速度34.0kt(62.96km/h)
航続距離20.0kt(37.04km/h)/4400海里(8148.8km)
乗員268名
装備(竣工時)4.5inch45口径Mk.III連装両用砲2基4門
4inchMk.V単装両用砲1門
ボフォース40mm機関砲x10(4x2+2x1)
21inch四連装魚雷2基8門
Squid対潜迫撃砲1基3門
装備(最終時?)4.5inch45口径Mk.III連装両用砲2基4門
4inchMk.V単装両用砲1門
ボフォース40mm機関砲x14(4x2+6x1)
21inch四連装魚雷2基8門
Squid対潜迫撃砲1基3門
装甲なし
建造所Swan Hunter, River Tyne, Tyne and Wear
(スワン・ハンター社 イングランド国北東イングランド地域タイン・アンド・ウィア州タイン川)
  • 本来の一番艦はHMS Armada (D14) アルマダ。ただ、起工が遅れたため、バーフラーが最初に完成している。
    バトル級はイギリスの歴史における著名な戦いの名前を艦名としている上に、1番艦からアルファベット順となかなかに凝った命名法である。
  • 名前の由来であるバルフルール岬はフランスにあるため英語読み(バーフラー)かフランス読み(バルフルール)かで呼び方が変わる。
  • バトル級駆逐艦2番艦として1942年10月28日に起工され、1943年9月14日進水、1944年9月14日に就役した。
    イギリスは1927-8年度の計画以来ずっと1400t級の駆逐艦を年度別に改良を加えながら生産し続け、第二次大戦が始まると戦時急増計画として1700t級の駆逐艦建造を進めていたが、
    これらはずっと基本の船体をベースに小改良を加えたもので、戦訓などを取り入れた大胆な新型艦の必要性に迫られていた。
    特に艦隊防衛用と自己防御用に対空砲火の充実が急務で、戦時急増駆逐艦は仰角55度の4.7インチ主砲を装備していたがこれも不充分であることから、仰角80度の新型砲架を開発していた。
    この他に新型レーダー、50000馬力のボイラーとタービン、レーダー連動の射撃管制装置など新機軸を導入しようとすると、船体は2300tクラスとなり非常に高価なものとなった。
    そのため艦隊型駆逐艦を全てバトル級で更新することはできず、廉価版のウェポン級と新型C級駆逐艦とともにハイローミックスで駆逐艦を配備した。
  • 1942年度計画艦は予定通り16隻が竣工したが、1943年度計画艦は第二次世界大戦終結により、8隻にとどまった。また、オーストラリア海軍向けに2隻が建造された。
  • 基本の形状としては、現場からの意見を反映し主砲を前方集中配備することとして4.5インチ連装両用砲(仰角80度)2基を前部に置き、その分艦橋をやや後ろに下げた。
    一本煙突の後ろには照明弾など多目的用途の4インチ単装両用砲を1基装備した。その後ろの甲板上に4連装魚雷発射管2基を縦に並べている。
  • 対空機銃はヘイズメイヤー式レーダー連動のボフォース連装40mm機銃を採用した。前後の魚雷発射管の間と、後部船体に2基ずづ計4基を装備する。
    この連装機銃は大型のスタビライザーに設置され艦が動揺していても水平を保つことが出来、レーダーが捉えた敵を自動で追尾して射撃可能という画期的なものだった。
    当時の電子機器の信頼性相応の精度ではあったがこの機能は革新的で、戦後も発展を続けることになる。
    また、艦橋の左右にも単装40mm機銃を1基ずつ装備した。こちらはスペースや重量配分の関係から通常砲架となった。
  • 対潜兵装はやや控えめであり、艦尾右側にスキッド対潜迫撃砲を1基装備した。
  • バーフラーは戦争に間に合った数少ないバトル級であり、就役後太平洋戦線で哨戒などに従事したのち、ミズーリ船上で行われた降伏調印式にも参加。
    以降はイギリス海軍の第19駆逐隊の嚮導艦を務めた他、長くイギリス海軍を支えて1960年に退役した。