No307 ヴェスタル/元ネタ解説

Last-modified: 2018-02-17 (土) 21:02:48
所属United States Navy
艦種・艦型工作艦ヴェスタル
正式名称USS Vestal (AR-4)
名前の由来Vesta ローマ神話に登場する竃の神、家庭の守護神
起工日1907.3.25
進水日1908.5.19
就役日(竣工日)1913.9.3
退役日(除籍後)1946.8.14 1946.9.25除籍(1950.7.28解体)
全長(身長)141.96m
基準排水量(体重)11585英t(‪12787t)
最高速度16.0kt(29.63km/h)
建造所Brooklyn Navy Yard,Brooklyn, New York
(ブルックリン海軍工廠 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区)
改造所Boston Navy Yard,Boston, Massachusetts
(ボストン海軍工廠 アメリカ合衆国マサチューセッツ州サフォーク郡ボストン市)
勲章不明(2 stars)
  • 元々は1904年に建造が承認された給炭艦エリー。起工の1年後にヴェスタルと改名され1909年に就役する。
    大西洋艦隊の補給艦として数年間活動したのち、艦隊の移動式整備基地の必要性から整備能力を持つ工作艦として
    同型艦オンタリオと共に改造を受ける(オンタリオのみプロメテウスと改名)。
    第一次世界大戦に参戦したアメリカは大西洋に艦隊を派遣し、その修理基地としてアイルランド南のコーヴ(当時はクイーンズタウンと呼ばれていた)に停泊しながら艦艇修理に携わる。
    第一次大戦の終結後、1920年にはより大型化する将来の戦艦に対応するため新造工作艦メデューサが誕生するとともに、
    艦の番号統一が図られ、工作艦はメデューサをAR-1として、戦利艦ブリッジポート、プロメテウスに次ぎヴェスタルはAR-4となった。
    しかしブリッジポートは旧式化を理由に早々に退役、大西洋に配備されたプロメテウスも不活性化され、メデューサは輸送艦としての任務が与えられる中、ヴェスタルは石炭式ボイラーを石油式に交換。
    太平洋で沈没した潜水艦の浮揚作業を行うなど地道な活動を続ける。
  • 1941年12月6日。
    一週間の予定で戦艦アリゾナの修理その他を行う予定で、ヴェスタルは船体をアリゾナに横付けして係留され、仕事にとりかかった。
    翌7日午前7時過ぎ、日本軍の空襲によりアリゾナめがけて投下された爆弾のうち数発がヴェスタルを襲った。必死のダメコンを行うが隣の戦艦アリゾナが大爆発を起こし、艦長が海に投げ出される。
    パニックになった船内ではだれが出したのかもわからないが総員退艦の準備まで始まった。
    ところが海に落ちた艦長が泳いで戻ってくると、即座に係留を切り離して対岸まで突っ切り、浅瀬に座礁して沈没を食い止めると命令。
    乗組員たちは必死の操船で燃え盛る重油に火のついた海を突っ切り、ヴェスタルを座礁させ沈没を食い止めた。
    この艦長こそ名誉勲章を授与されのちにフレッチャー級に名を残したカッシン・ヤング大佐である。
    奇襲攻撃が終わるとヴェスタル乗員はメデューサと共に湾内の損傷艦修理に走り回った。
    転覆したオクラホマ船内に閉じ込められた乗員の救出などを行いながら自艦も修復し、1942年8月まで真珠湾で活動する。
  • 8月12日、工作艦プロメテウスの再活性化が行われ新造工作艦が大西洋へ出ていく中、ヴェスタルはメデューサと別れ一路南太平洋へ向かった。
    行き先はソロモン諸島東南東にあるトンガ王国トンガタプ。
    ここに臨時基地を設けた米海軍は工作艦ヴェスタルを用いてガダルカナル諸島の作戦艦を修復させた。
    早速ヴェスタルは損傷したノースカロライナサウスダコタ、伊26の雷撃で損傷したサラトガも修復している。
    10月26日、ニューヘブリディーズ諸島へ進出しより近くで支援を行う予定であったが、当日起きた南太平洋海戦により空母ホーネット沈没、エンタープライズが大破した。
    これにより寄港地を急遽南のヌメアに換えた。そこで大破しながらも航空機のほとんどが稼働可能だったエンタープライズを応急修理しつつ再び損傷したサウスダコタも並行して修理した。
    しかし2週間も経たぬうちに日本軍挺身隊出撃の報告を受け、エンタープライズは満身創痍のまま出撃した。
    ヴェスタルは修理要員をエンタープライズに載せたまま、発艦2時間前までずっと甲板を修理し続けていたという。
    後にこの修理要員には感状が送られた。
  • 一ヶ月後エスピリト・サント島に進出したヴェスタルはここでも精力的に修理に取り組む。
    ちょうど第三次ソロモン海戦で損害を受けた艦がこの島へ後退してきており、ヴェスタルは片っ端から修復を行った。
    その中にはかつての艦長、カッシン・ヤング大佐の新たな乗艦サンフランシスコも含まれていたが、サンフランシスコは艦橋に戦艦霧島の主砲弾が直撃し、艦長は戦死していたため再会は叶わなかった。
    さらにルンガ沖夜戦で大損害を受けたニューオーリンズペンサコーラの修復も行った。
    特にペンサコーラの損害状況は凄まじく、ヴェスタル乗員は今までこんなダメージを修理したことはないと弱音を吐くほどであった。
    しかしヴェスタルはこれを一ヶ月でなんとか本国回送可能な形にまで修復した。
  • その後もアメリカ軍の進出に伴って基地を前進させながら、ヴェスタルはひたすら修理修理の毎日であった。
    44年中盤には流石に色々と限界に達したため本国に戻り、最新式の修理用設備に載せ替えると再び太平洋に戻り、10月にはウルシーで修理を始めた。
    45年にはサイパンまで進出したが、沖縄攻略戦で特攻機の損害が増えるとヴェスタルは危険を冒して沖縄周辺海域まで進出して修理も行った。
    自衛用の装備をほとんど持たないヴェスタルは2隻のボートに煙幕発生装置を組み込み、
    修理中はそのボートに船の周りをぐるぐる回らせて煙幕で見えなくするという方法で特攻機から見つからないようにした。
  • 日本が降伏したことによりヴェスタルの仕事は終わったかに見えたが、直後にやってきた台風で損傷した船舶が増えたため、ヴェスタルはこれらの修理も行って、終戦の1年後に本国へ帰還した。
    しかし第一次大戦前から活動していた船体はもはや限界を迎えており、40年間米海軍の裏方として働き続けたヴェスタルは1950年除籍、解体された。
  • 真珠湾に眠る戦艦アリゾナ記念館の西側に、ヴェスタルの係留記念碑が残されている。