No315 宵月/元ネタ解説

Last-modified: 2018-03-05 (月) 18:34:43
所属大日本帝國海軍→中華民國海軍(1947)
艦種・艦型秋月型駆逐艦
正式名称宵月(よいづき/よひづき)→汾陽(Fen Yang)(1947)
名前の由来宵月 宵の月 夕月
→中華民国山西省汾陽県(現 中華人民共和国山西省汾陽市)
起工日1943.8.25
進水日1944.9.25
就役日(竣工日)(1945.1.31)
除籍日1945.10.5
中華民國海軍引き渡し日1947.8.29
中華民國海軍除籍日(除籍後)1963(解体)
全長(身長)134.2m
基準排水量(体重)2700英t(2743.3t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶3基艦本式蒸気タービン2基2軸 52000shp(52721.2PS)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/8000海里(14816km)
乗員263~452名
装備(1945)65口径八九式10cm連装高角砲4基8門
九六式25mm機銃x21(7x3)
61cm四連装魚雷発射管1基4門
爆雷投射機x2
爆雷投下軌条x2
装甲なし
建造所浦賀船渠社 (現 住友重機械工業浦賀造船所2003年廃止 整地後民間に売却予定) (日本国神奈川県横須賀市)
  • 秋月型駆逐艦の10番艦。8番艦の「冬月」以降は主に生産性向上を目的とした設計変更が行われたため、資料によっては冬月型と呼称される場合もある。
    秋月型としては唯一浦賀ドックで建造された艦である。
  • 大戦末期、既にレイテ沖海戦にて日本海軍連合艦隊が壊滅した後の1945年1月末に竣工。
    もはや組織的行動は不可能になり、燃料も枯渇した状況での誕生であった。
  • 訓練機の確保もままならず、繋留された状態で本土空襲にやって来るアメリカ軍機相手の対空戦闘に従事。
    4月の坊ノ岬沖海戦にも訓練不足で参加出来ず、しばしば空襲による損傷などを受けつつ、繋留状態で対空戦闘を続けた。
  • 8月、本土決戦に備えた温存策によって能美島に偽装繋留される。隠蔽のため対空戦闘も控えられ、繋留場所から8月6日の広島原爆投下によるキノコ雲も見届けた。
    その状態で終戦を迎え、戦後は復員輸送任務に従事。この復員輸送が本艦による数少ないまともな航海となった。
     
  • 復員輸送後、戦時賠償艦として中華民国に引き渡され、汾陽(フェンヤン)と改名される。
    しかし機関不調に悩まされて実戦配備はされず、国共内戦中に台湾・基隆市に回航されて繋留されたまま練習艦として過ごした。
    結局機関の修理が出来ず、1963年に除籍され解体。駆逐艦としての本分を果たす機会に恵まれないまま生涯を閉じた。
  • なお、同じく中華民国に引き渡された丹陽が搭載していた九八式10cm高角砲は宵月から渡されたものとする説がある(台湾・高雄市で防空砲台として用いられていたものを流用したなどの異説あり)。