No335 ヴォルタ/元ネタ解説

Last-modified: 2020-09-14 (月) 14:15:06
所属Marine nationale
艦種・艦型モガドール級駆逐艦
正式名称Volta
名前の由来Volta River アフリカのブルキナファソ共和国とガーナ共和国を流れる川 下流のガーナにはアソコンボダムが建設され巨大な人造湖ヴォルタ湖を形成している
起工日1931.11.15
進水日1934.3.15
就役日1936.5.1
除籍日(除籍理由)不明(1942.4.5自沈 1943.4.5浮揚されるが放棄 1949解体)
全長(身長)137.4m
基準排水量(体重)2950英t(2997t)
出力Indret式重油専焼缶4基Rateau-Bretagne式蒸気タービン2基2軸 92000PS(72987.7shp)
最高速度39.0kt(72.22km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/4345海里(8046.94km)
乗員指揮官12名 乗組員226名
装備(建造時)138mm50口径M1934連装砲4基8門
M1925 37mm機関砲x2(2x1)
オチキス13.2mm機関銃x4(2x2)
550mm魚雷発射管三連装2基連装2基10門
爆雷投射機2基
機雷x40
装甲なし
建造所Ateliers et Chantiers de Bretagne,Nantes
(ブルターニュ造船所 フランス共和国ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県ナント郡ナント)
  • モガドール級駆逐艦はフランス海軍がル・ファンタスク級駆逐艦の次に開発した大型駆逐艦である。
    基準排水量2997tはもはや立派に巡洋艦と呼んでも良い怪物駆逐艦だった。(軽巡洋艦夕張が2890tである)
  • 1920年代から配備を進めていた一連の大型巡洋艦の流れを汲むモガドール級は、前級ル・ファンタスク級からさらに武装を拡大し、航続距離も増大している。
  • 前級までの装備だった138mm砲は単装砲から連装砲になり、これを4基合計8門も装備している。
    他に三連装と連装の魚雷発射管を両舷に一基ずつ装備して片側五射線を確保していた。
    対空砲は余り重視せず37mm連装機関砲二基と13mm連装機銃二基のみである。
    本級はダンケルク級の護衛として高速で水上艦に打撃を与えることが主要な目的とされていたため、対潜装備は余り充実していない。
    ソナーも搭載しておらず、爆雷は2本の投下軌条からの投下のみであった。(必要に応じて機雷に交換できる)
  • 他に射撃管制装置も電気機械式の最新型が組み込まれており、主砲の旋回・昇降も電動など最新式の機構が盛り込まれたのだが、
    あまりにも盛りすぎたため主機関の発電機のみでは電力不足に陥り、ディーゼルの補助発電機が積み込まれている。
    (実はこれでもあんまり解消しておらず、特に主砲周りの電動装置はごっそり更新する予定だった)
  • モガドール級はそれまでの大型駆逐艦と同様に全部で6隻が建造される予定であったが、世界恐慌後の社会不安も相まってフランスの重工業は混乱しており、
    開戦までには1番艦モガドールと2番艦のヴォルタが間に合っただけだった。(3番艦以降の艦名はKléber Desaix Hoche Marceau)
    基本的に同型艦でグループを組むため、ヴォルタはモガドールと共にフランス北西の要所ブレストに配備されて開戦を迎える。
    1939年10月にはドイツのポケット戦艦ドイッチュラントが通商破壊を始めたため、船団護送に出撃、無事任務を完了する。
    翌月、今度はドイツの誇る巡洋戦艦シャルンホルスト級の2隻が出撃したとの報告を受けた。
    フェロー諸島沖海戦により補助巡洋艦ラワルピンディが命と引き換えに2隻の存在を知らせたのである。
    イギリス海軍はブチ切れて戦艦ネルソンロドニーウォースパイトレパルスフッド、さらに空母フューリアスまでもが出撃し、捜索に当たる。
    フランス艦隊も戦艦ダンケルク以下が出撃し、ヴォルタもこれの護衛として随伴したが成果はなかった。
  • 1940年の春先にはそれまでの出撃経験などから必要な装備の改修が行われ、ソナーも装備されたがこれは直後に欠陥が発覚している。
    6月にフランスが降伏した後、モガドールとヴォルタはメルセルケビール軍港に停泊していたが、ここでドイツにこの艦隊が渡ることを恐れたイギリスとの間で交渉が決裂したため
    メルセルケビール海戦が勃発。モガドールは艦尾損傷の被害を受け、ヴォルタは戦艦ストラスブールとともに脱出してトゥーロンへ向かった。
    その後損傷したモガドールもトゥーロンに曳航され修理を受けていたが、1942年11月、北アフリカ戦線が悪化するとドイツはフランス艦隊の強制的な接収に乗り出す。
    これに抵抗してフランス艦隊はトゥーロン港で一斉に自沈した。
    翌年イタリア軍が浮揚させ修理を行おうとしたが損傷が激しかったため放置したところ、今度は連合軍の爆撃により沈没。
    1948年に再び浮揚され解体された。