No44 大井/元ネタ解説

Last-modified: 2018-11-21 (水) 01:35:11
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型球磨型二等巡洋艦(軽巡)→二等巡洋艦(重雷装艦)(1941)→高速輸送艦(1942)
正式名称大井(おおい/おほゐ)
名前の由来大井川 日本国静岡県
起工日1919.11.24
進水日1920.7.15
就役日(竣工日)(1921.10.3)
除籍日(除籍後)1944.9.10(1944.7.19沈没)
全長(身長)162.15m
基準排水量(体重)5100英t(5181.8t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶10基ロ号艦本式石炭重油混焼缶2基Brown-Curtis式蒸気タービン4基4軸 90000shp(91248.3PS)
最高速度36.0kt(66.67km/h)→33.6kt(62.22km/h)(1941)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/5000海里(9260km)
乗員446名
装備(建造時)50口径三年式14cm単装砲7門
40口径三年式76.2cm単装高角砲2門
53cm連装魚雷発射管4基8門
艦載機x1
装備(1941)50口径三年式14cm単装砲4門
九六式25mm機銃x4(2x2)
61cm四連装魚雷発射管10基40門
装備(1942)50口径三年式14cm単装砲4門
九六式25mm機銃x10(2x3+2x2)
61cm四連装魚雷発射管6基24門
爆雷投下軌条x1
装甲舷側:63.5mm 甲板:6.35~28.6mm 艦橋:25~50.8mm
その他ゲームとの性能違い重雷装艦になる前は水上偵察機を乗せていたが、ゲームでは改造前も偵察機を装備できない
建造所川崎造船所社 (現 川崎重工業船舶海洋カンパニー神戸工場) (日本国兵庫県神戸市)
  • 大正時代に建造された球磨型軽巡洋艦の4番艦。
    ローマ字で書くと「OI」の2文字であり、鵜来型海防艦「伊王(IO)」と共に世界一短い艦名を持つ軍艦である。
  • 姉妹艦では彼女のみ川崎造船所で建造*1され、機関に技本式オールギヤードタービンを使用していた姉妹艦と異なりブラウン・カーチス式オールギヤードタービンを採用している。
    しかし、このタービンに不具合が多く、大井は長らく機関不調に悩まされることとなった。
     
  • 1919年11月24日起工、1920年7月15日進水、1921年10月3日竣工。
    しかし前述の機関トラブルが祟り、大井は就役から長い期間を練習艦として過ごした。
    日中戦争時には輸送任務の護衛なども少々行っているが、基本的に前線に出ることはなかった。
  • 1941年、太平洋戦争の開戦前に重雷装艦への改装工事を受ける。
    この重雷装艦のコンセプトとその破綻に関しては同じく改装を受けた北上の項目に詳しい。
  • その後、大井は魚雷を減らして大発動艇(艦載型の上陸用舟艇の一種)を搭載し、高速輸送艦として輸送任務に従事した。
  • 1944年7月19日、輸送任務中にアメリカ軍ガトー級潜水艦「フラッシャー」から雷撃を受け、2発が命中。1発は不発だったものの、1発が機関室を直撃してしまう。
    既に老朽化の激しかった大井には、1発の直撃でも致命傷に至るには充分すぎた。同行していた敷波が曳航しようとするも果たせず、大井は沈没。153名が戦死し、生存者は敷波に救助された。

*1 球磨と北上は佐世保、多摩と木曾は長崎