No64 吹雪/元ネタ解説

Last-modified: 2020-05-17 (日) 03:15:59
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型吹雪型駆逐艦
正式名称第三十五号駆逐艦→吹雪(ふぶき)(1928)
名前の由来→吹雪 降雪中の雪や積雪した雪が、強い風によって空中に舞い上げられて、視界が損なわれている気象状態
起工日1926.6.19
進水日1927.11.15
就役日(竣工日)(1928.8.10)
除籍日(除籍理由)1942.11.15(サボ島沖海戦/Battle of Cape Esperance 1942.10.11沈没)
全長(身長)118.5m
基準排水量(体重)1680英t(1707.0t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶4基艦本式蒸気タービン2基2軸 50000shp(50693.5PS)
最高速度37.5kt(69.44km/h)→34.5kt(63.89km/h)(1935)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/5000海里(9260km)
乗員219名
装備(竣工時)50口径三年式12.7cm連装砲3基6門
九二式7.7mm機銃x2(2x1)
61cm三連装魚雷発射管3基9門
爆雷投射機x2
爆雷投下軌条x2
装備(1938)50口径三年式12.7cm連装砲3基6門
九三式13.2mm機銃x2(2x1)
61cm三連装魚雷発射管3基9門
爆雷投射機x2
爆雷投下軌条x2
装甲なし
建造所舞鶴工作部 (現 ジャパン マリンユナイテッド社舞鶴事業所)
  • 吹雪型駆逐艦は特型駆逐艦とも呼ばれる。
    1922年に世界各国の暴走する建艦競争と、国家財政すら顧みない海軍の軍拡に歯止めをかけるべく、ワシントン軍縮条約が締結された。
    この条約により主力の大型艦艇の建造・保有に大きな制限が設けられたが、日本はこの条約の制限下にない補助艦艇、すなわち駆逐艦の拡充を図って、
    英米5に対して日本3とされた海軍力の差を埋めようとした。
    このためそれまで基準排水量1400トン程度であった一等駆逐艦を更に拡大し、1700トン級の大型駆逐艦建造に踏み切った。
  • 1920年代前半の時点で英米は第一次大戦末期に大量発注・建造した1200トン前後の駆逐艦が大量配備されていた。*1
    これらの駆逐艦は4インチ(10センチ)単装砲4基に21インチ(53cm)魚雷発射管を三連装で片舷6射線分と、水雷艇や航空機対策に3インチ砲や機関銃を少々備え、速力35ノットというものであった。
    (例外はフランスの2000トン駆逐艦シャカル級であるが、これは巡洋艦の代替という側面も持っているため)
    これに対抗する特型駆逐艦の要目は5インチ(12.7センチ)連装砲3基6門、24インチ(61cm)三連装魚雷発射管3基9射線、速力37~38ノットとした、
    また航続距離も3000海里程度であった諸外国に対し4500~5000海里として充実を図った。
    この重装備を1700トンに収めるため船体は徹底して軽量化が図られている。
  • こうした厳しい要目を達成して完成した吹雪型は世界の海軍関係者に衝撃を与えた。
    しかし日本側は余り喜んでもいられなかった。
    戦艦ドレッドノートがその革新的な性能から建艦競争を誘発し、弩級戦艦が標準化されたことでその優位性を失ったように、
    吹雪型と同等の駆逐艦を英米が本気で揃えはじめたら日本は優位性を失ってしまう。
    このため日本は特型駆逐艦の建造を24隻と決め、1930年のロンドン海軍軍縮会議では駆逐艦の排水量や保有制限にも賛同した。
    英国は広大なシーレーンのために保有制限を数に割かねばならず、米も太平洋と大西洋の二方面に展開することを考えるとこれで日本は吹雪型の優位性を維持できると考えたためである。
  • しかし高性能と引き換えに吹雪型のしわ寄せは全て船体に集中した。
    軽量化を徹底したため強度に余裕がなく、台風により吹雪型二隻の艦首切断という大事故が発生(第四艦隊事件)。
    前年の水雷艇転覆事故(友鶴事件)と合わせて構造物の見直しと船体補強が図られた結果重量は増大し、速力は34ノット程度に低下した。
  • 1930年代に入ると各国は新型駆逐艦の建造を始めたが、その中にあっても吹雪型の火力は水準以上、速力は水準並であり航続距離が唯一の不満点だった。
    日中戦争および太平洋戦争の勃発に伴い吹雪型は帝国海軍の主力駆逐艦の一端を担って出撃したが、対空火器や電探など不足する設備が逐次増強されるに従いしわ寄せは燃料にも波及。
    計画当時の14ノットで5000海里から1943年にが行った公試では17ノットと高速を出したとは言え1600海里と1/3にまで落ち込んだ。
    これは装備の重量増大により燃費が悪化した以上に、喫水の低下などを避けるため搭載燃料が減らされているためでもある。
 
  • 栄えある特型駆逐艦一番艦吹雪は太平洋戦争時南方作戦に参加し、緒戦の快進撃を支えた。
    バタビア沖海戦では重巡ヒューストン撃沈に貢献した他、油槽船や駆逐艦などを初雪とともに撃沈する。
    しかし艦隊型駆逐艦であり水上艦との決戦を目指して建造された特型の性能が活かされる機会は殆どなかった。
    ミッドウェー海戦では主力部隊の一因として参加するも空母機動部隊の壊滅により撤退。
    その後南方で敵の商船探索とその拿捕を命ぜられる。しかしガダルカナル島での戦闘により1942年8月、吹雪たちは任務を中止しガ島へ急行した。
  • ガダルカナル島周辺の状況は良くなかった。アメリカ軍はヘンダーソン飛行場を完成させ、そこに輸送した航空部隊で制空権を確保してしまっていた。
    敵の制空権下で低速な輸送船による上陸部隊への支援は自殺行為であり、これの実施には高速な輸送船が求められたが、そんなものは南方戦線になかった。*2
    高速性能を発揮できる艦艇は駆逐艦しかいなかった。そこで駆逐艦に輸送物資や人員を分配した「鼠輸送」作戦が実施されることになったのである。
    輸送任務になど対応していない駆逐艦にこのような作戦を行わせることは非効率的であったが他に方法はなかった。
    吹雪は8月27日から9月16日まで、記録に残っているだけでのべ3週間で8回も輸送作戦に出撃した。
    その後10月1日から7日までまた3回出撃している。
  • 10月11日、吹雪は初雪青葉古鷹衣笠とともに出撃した。
    今回は吹雪自身は輸送部隊ではなく、輸送部隊を支援し帰り道にヘンダーソン飛行場を砲撃する支援艦隊としてであった。
    今回は重火器の輸送が必要なため、大型の水上機母艦が輸送本隊に選定されたためである。
    乗員は疲労していたがそれを押しての出撃であった。
    当時偵察機の状況やその前の輸送船団が妨害を受けなかったことも有り、アメリカ軍の存在は小規模なものと判断していた。
    しかしアメリカ軍は自分たちの輸送部隊護衛に重巡2隻(サンフランシスコソルトレイクシティー)、更に重巡並のブルックリン級ボイシとヘレナ他駆逐艦5隻を投入していた。
    これらの艦隊との夜間遭遇戦となったサボ島沖海戦において、艦隊の先頭を進んでいた吹雪は旗艦青葉ともども集中砲火を受け爆発炎上、生存者わずか8名を残して沈没した。

*1 英はヴァンパイアに代表されるV/W級駆逐艦、米は通称フラッシュデッカーズと呼ばれるウィックス/クレムソン級
*2 正確にはあったのだが沈没してしまった。この時点で開戦前の輸送船の15%以上をすでに喪失している