所属 | Kriegsmarine |
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艦種・艦型 | ビスマルク級戦艦 |
正式名称 | Tirpitz |
名前の由来 | Alfred Peter Friedrich Tirpitz(1849-1930) ドイツ帝国海軍元帥、海軍大臣 ドイツ海軍の拡充を推進し、第一次大戦までに世界二位の海軍に成長させた。 |
愛称 | The Lone Queen of The North(イギリス) |
起工日 | 1936.11.2 |
進水日 | 1939.4.1 |
就役日(竣工日) | 1941.2.25 |
除籍(除籍理由) | 1944.11.12(英:Operation Catechism(カテキズム作戦)1941.11.12沈没) |
全長(身長) | 250.5m |
基準排水量(体重) | 41700英t(42369.2t) |
出力 | Wagner重油専焼缶12基Brown Boveri式蒸気タービン3基3軸 163026PS(160795.8shp) |
乗員 | 2500名 |
装備(改装後) | 38cm52口径SK C/34連装砲4基8門 15cm55口径SK C/28連装砲6基12門 10.5cm65口径SK C/33連装高角砲8基16門 3.7cmSK C/30機関砲x16(8x2) 2cmC/30機関砲x58(58x1) 53.3cm四連装魚雷発射管2基8門 艦載機x4 |
装甲 | 舷側:145~320mm 甲板:50~80+80~120mm 砲塔:130~360mm バーベット:340mm 艦橋:200~350mm 隔壁:45~220mm |
建造所 | Kriegsmarinewerft,Wilhelmshaven (ヴィルヘルムスハーフェン海軍造船所 ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヴェルヘルムスハーフェン市) |
建造~1942
- ティルピッツはドイツ海軍(クリークスマリーネ)が運用したビスマルク級戦艦の二番艦。
- 建造中止になったシュレスヴィヒ・ホルスタインの代艦として建造が決定。
1936年10月20日、ヴィルヘルムスハーウェン工廠で起工。1939年4月1日に進水し、1941年2月25日に竣工した。
- 建造中止になったシュレスヴィヒ・ホルスタインの代艦として建造が決定。
- 姉ビスマルクと共同での通商破壊を行うはずだったが、建造の遅れなどが重なり実現する前にビスマルクは撃沈されてしまった。
- 残されたティルピッツは良く言えば温存、悪く言えば宝の持ち腐れといった消極的な運用しかされなかったが、イギリス海軍にとっては居るだけでプレッシャーとなり北海沿岸に戦力を貼り付けざるを得なくさせた。
- 1941年5月6日、ヒトラー総統から査閲を受ける。姉のビスマルクも査閲を受けており、総統閣下がかける期待は非常に大きい物だった。
- 6月22日、バルバロッサ作戦発動によりバルト海を出撃。フィンランドのオーランド諸島近海で哨戒任務に就いた。
同年9月23日、ソ連のバルト艦隊脱出を阻止するためアドミラル・シェーアとともにエーランド諸島沖へ配備される。 - 1942年1月、ノルウェー奪還を企てるイギリスに睨みを利かせるためティルピッツはキールを出港、ノルウェー中西部のアースフィヨルドに腰を下ろした。
警戒のため英重巡ロンドンとケントが出撃している。
3月6日、援ソのイギリス船団PQ12を攻撃するため第5水雷戦隊と出撃。
これがティルピッツの初陣であったが、船団から落伍した貨物船一隻を仕留めただけに終わった。
当初は霧と荒天でイギリス本国艦隊に発見されなかったが、天候が回復。
9日に英空母ヴィクトリアスから発進したアルバコア雷撃機12機から雷撃されるも、全弾外れる。
この回避運動の際、便乗していたチリアックス中将が「面舵!」と叫んだが、艦長のトップ大佐は「指揮権は私にある!」と怒鳴ったそうな。
反撃で2機を撃墜した後、ナルヴィクへ帰投。- 作戦後、ティルピッツの大西洋方面進出を恐れたイギリス軍はコマンド部隊を編成。ティルピッツを収容できる大型ドックを備えたサンナゼールを使用不能にするため
フォルム・エクルーゼ大水門の破壊を目指した。1942年3月26日午後、ファルマス港から部隊を送り出し、ドイツ軍守備隊と交戦。コマンド部隊は半壊するも、旧式駆逐艦キャンベルタウンが水門に突撃して破壊に成功した。
- 作戦後、ティルピッツの大西洋方面進出を恐れたイギリス軍はコマンド部隊を編成。ティルピッツを収容できる大型ドックを備えたサンナゼールを使用不能にするため
- 7月1日午後、PQ17船団攻撃のため出撃。しかしイギリス軍の偵察で艦隊が集結している事を知られ、船団を解散させたため攻撃中止。だが、ティルピッツの接近を恐れた護衛の巡洋艦4隻は船団を見捨てて離脱。
- 余談であるがこのPQ17船団はこの解散後、ドイツ軍の猛攻を受け事実上壊滅。
22隻の商船、数百以上の戦車・航空機や3000両以上の車輛、およそ10万トンの物資が北極海に沈んだ。
ドイツ側から見れば大勝利という結果に終わった。
- 余談であるがこのPQ17船団はこの解散後、ドイツ軍の猛攻を受け事実上壊滅。
1943~
- その後の1943年1月、ノルウェーのフィヨルドに移動。9月6日、スピッツベルゲン島の連合軍施設を砲撃。最初で最後の艦砲射撃を行った。
作戦後、アルタフィヨルドへ帰還。ソ連への航路に近い場所に陣取っていたため、その場にいるだけで脅威となった。
このためイギリスはティルピッツ用に戦力を本国に留め置かなければならず「北海の孤独な女王」と呼ばれた。
またチャーチル首相は彼女を野獣と呼んで、大いに警戒したという。あのさぁ・・・。 - いるだけで脅威となるティルピッツを撃沈するため、9月22日、イギリス軍はソース作戦を開始。
X潜航艇2隻の攻撃により大破させられる。工作艦ノイマルクの手で修理が施された。
1944年3月には試験航海が可能なほど回復したが、4月3日にタングステン作戦によりヴィクトリアス艦載機の爆撃を受ける。14発の命中弾を受け損傷。
5月14日には護衛空母群による空襲が、7月18日には空母インデファティガブル等による空襲で2発喰らい、9月15日にはロシアから飛来したアブロ・ランカスター爆撃機の至近弾で大破、航行不能。 - 滅多打ちにされた結果、完全な修復は不可能と判断され、沿岸砲台として活用される事になった。10月15日、ハーケイ島付近に投錨。
イギリス空軍の執拗な攻撃は続き、10月29日にも敵機が襲来。
これを受けて防空艦2隻と対空砲台が設置されたが、11月12日、キャティキズム作戦でトールボーイ2発を受けて遂に転覆。
乗員700名が死亡し、900名が生き残った。また工作艦ノイマルクが艦底に穴を開けて87名を救助している。