所属 | Военно-морской флот СССР |
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艦種・艦型 | 72型航空母艦 |
正式名称 | - |
起工日 | -(1945.3 計画中止) |
進水日 | -(同上) |
就役日(竣工日) | -(同上) |
全長(身長) | 273m |
基準排水量(体重) (I-B案/II-B案) | 30215t/30755t |
出力 | 不詳 202774PS(200000shp) |
最高速度 | 30.0kt(55.56km/h) |
航続距離 | 18.0kt(33.33km/h)/10000海里(19000km) |
装備 (I-B案/II-B案) | 130mm50口径Б-2-У連装砲8基16門/12基24門(ケースメイト) 85mm52口径92-К連装高角砲8基16門 37mm67口径66-К連装高角砲12基24門 23mm 2-У-23機関銃x24(12x2) 艦載機x62 |
装甲 | 舷側:90mm 飛行甲板:30mm 格納庫甲板:80mm |
建造所 | - |
- ソ連海軍の未成に終わった空母整備計画のうちの1隻。
1943年1月、「海洋や敵地で活動する戦闘部隊へのエアカバー提供」を主目的として計画されたソ連の空母である。
当時の日英装甲空母の敵制空権下における活動が可能である点を評価し、これらに倣った新型装甲空母が2~4隻検討された。
これが72号計画として命名され、第17設計局のもと研究が進められた。- ちなみに、それ以前から進行していた小型空母計画(71B号計画)も存在したが、似たような仕様のためまとめて研究された。
- 1943年の初期要求では、「排水量約30,000トン、最高航速30ノット、全長225-250m、搭載機数60機」とされていた。
また、独空母グラーフ・ツェッペリンの影響もあり、対艦・対空火力も重視され、ある程度の装甲も付与されることとなった。
- 1944年には搭載する艦上機の要件も示され、戦闘機②(40機):攻撃機①(20機)とされた。
またこの段階で、これまでの仕様に沿う30,000トン級大型空母のほか、搭載機数を半数の30機に減じた22,000トン級中型空母の案も提示された。
しかし搭載する戦闘機(Yak-9戦闘機の一種:Yak-9K)の艦上機化対応や攻撃機の開発は遅々として進まなかったうえ、設計局側も空母の設計の経験不足ゆえに作業がまとまらず、設計の改善に支障をきたしていた。 - この混乱の解消のため、造船局と航空機設計局の間で合同チームを結成、当時最新の英米空母インプラカブル級・エセックス級の視察に向かった。
この視察では、72号計画空母のサイズがおおよそこれらの艦と同じであったため、設計で参考になる部分は多々あった。
しかし英米の空母運用環境や戦闘機の指揮系統が異なっており、ソ連側の空母運用方針が未だに未熟であったことから、実質的な助言を得ることはできなかった。
さらに言うと、72号計画空母に搭載予定のカタパルトや着艦制動装置に関しても、それらの設計ノウハウを持つ技術者が当時のソ連海軍には欠如していた。
- このような困難がありながらも、同年8月には大型空母2案と中型空母1案の計3案が提示された。
当局はより効率的だと判断した大型空母案の方をまず採用した*1が、英米の空母と比較するとまだ改良の余地があるとした。
高角砲の口径統一および増備、砲弾・水雷装甲強化、巡洋艦に追随可能な航速(32kt)発揮などである。
- これらの改良が施された72号計画空母であったが、同年11月には計画が姿を消してしまう。
スターリンの「大艦隊」整備計画での空母軽視によるとも、当時の海軍総司令官の空母建造反対によるともいわれるが、この空母自体の費用対効果が低いと判断されたともされている。
というのも、巡洋艦の砲撃に耐え、巡洋艦並みの速力を持ち、戦艦並みの排水量を持ちながらも、たった60機しか艦載機を運用できないためである。
また、そもそも空母設計の経験が少ないソ連海軍において、そのような大型空母を建造するのが現実的ではないとも判断され、より小型の空母や改装空母に目が移った。
結果として、1945年3月に策定された海軍の新たな10か年計画には、空母は1隻も含まれることはなかった。