代 | 氏名 | 在日任期 | 備考欄 |
1代目 | 千田貞暁 | (1886年7月20日 - 1889年12月26日 | ) 宇品築港竣工(1889年11月30日)。 |
2代目 | 鍋島 幹 | (1889年12月26日 - 1896年4月23日) | 日清戦争への県内動員態勢に協力。 |
3代目 | 折田平内 | (1896年4月23日 - 1897年4月7日) | |
4代目 | 浅田徳則 | (1897年4月7日 - 1898年5月14日) | |
5代目 | 岩村高俊 | (1898年5月14日 - 1898年7月28日) | |
6代目 | 服部一三 | (1898年7月28日 - 1898年12月28日) | |
7代目 | 江木千之 | (1898年12月28日 - 1903年6月29日) | 官立広島高等師範学校設立(1902年4月1日)。 |
8代目 | 徳久恒範 | (1903年6月29日 - 1904年1月25日) | |
9代目 | 山田春三 | (1904年1月25日 - 1907年1月11日) | 日露戦争への県内動員態勢に協力。 |
10代目 | 宗像 政 | (1907年1月11日 - 1912年3月28日) | 「民政要綱」を定め地方改良運動の推進(1908年5月)。共同苗代設置規則制定 (同年8月7日 / 1909年12月21日撤廃)。県立三原女子師範学校設立(1909年4月1日)。 |
11代目 | 中村純九郎 | (1912年3月28日 - 1913年2月27日) | 広島県原蚕種製造所・農事講習所を芦品郡広谷村に設置(1913年2月10日)。 |
12代目 | 寺田祐之 | (1913年2月27日 - 1916年4月28日 | ) 広島県物産共進会開催(1915年4月5日より)。県植民協会設立(同年7月)。 広島県物産陳列館の開館(同年8月5日)。 |
13代目 | 馬渕鋭太郎 | (1916年4月28日 - 1918年5月7日) | 県物産陳列館で第1回広島県美術展覧会開催(1916年5月)。 神石郡油木町に広島県種畜場を設置(同年7月14日)。 |
14代目 | 安河内麻吉 | (1918年5月7日 - 1919年4月18日) | |
15代目 | 若林賚蔵 | (1919年4月18日 - 1921年7月19日) | 官立広島高等工業学校設立(1920年1月17日)。県内銀行の合同を斡旋 (同年6月30日:芸備銀行設立)。県結核予防協会設立(10月)。 |
16代目 | 依田次郎 | (1921年7月19日 - 1923年10月16日) | 県立福山師範学校設立(1922年4月1日)。 |
17代目 | 阿部亀彦 | (1923年10月16日 - 1923年10月25日) | |
18代目 | 山県治郎 | (1923年10月25日 - 1925年9月16日) | 官立広島高等学校設立(1923年12月10日)。 |
19代目 | 浜田恒之助 | (1925年9月16日 - 1926年9月28日) | 県内の郡役所廃止(1926年7月1日)。 |
20代目 | 末松偕一郎 | (1926年9月28日 - 1927年11月7日) | |
21代目 | 横山助成 | (1927年11月7日 - 1928年5月25日) | 県立広島女子専門学校設立(1928年4月1日)。 |
22代目 | 岸本正雄 | (1928年5月25日 - 1929年7月5日) | 官立広島文理科大学設立(1929年4月1日)。 |
23代目 | 川淵洽馬 | (1929年7月5日 - 1931年5月8日) | |
24代目 | 白根竹介 | (1931年5月8日 - 1931年12月18日) | |
25代目 | 千葉了 | (1931年12月18日 - 1932年6月28日) | |
26代目 | 湯沢三千男 | (1932年6月28日 - 1935年1月15日) | 農産漁村不況対策のため臨時県会を招集(1932年9月21日)。 |
27代目 | 鈴木敬一 | (1935年1月15日 - 1936年4月22日) | |
28代目 | 早川三郎 | (1936年4月22日 - 1937年1月8日) | 満州国に単独で「広島村」を建設する方針を発表(1936年10月22日)。 |
29代目 | 富田愛次郎 | (1937年1月8日 - 1938年11月9日) | 日中戦争開始に際し「知事告諭」を出し県内動員態勢に協力(1937年7月)。 |
30代目 | 飯沼一省 | (1938年11月9日 - 1939年9月5日) | |
31代目 | 相川勝六 | (1939年9月5日 - 1941年3月26日) | 県下いっせいに部落会・町内会の結成(1940年1月)。 県主催紀元2600年奉祝博覧会開催(同年11月1日より)。 |
32代目 | 吉永時次 | (1941年3月26日 - 1942年6月15日) | |
33代目 | 宮村才一郎 | (1942年6月15日 - 1943年7月1日) | |
34代目 | 横山助成 | (1943年7月1日 - 1944年8月1日) | |
35代目 | 松村光麿 | (1944年8月1日 - 1945年4月21日) | |
36代目 | 大塚惟精 | (1945年4月21日 - 1945年6月10日) | 初代中国地方総監(1945年6月設置)に転じ被爆死。 |
37代目 | 高野源進 | (1945年6月10日 - 1945年10月11日) | 被爆を免れ比治山多聞院に臨時県防空本部を設置(1945年8月6日)。 県主催の原子爆弾症講演会を初めて開催(同年9月3日)。県引揚民事務所設置(10月8日)。 |
38代目 | 児玉九一 | (1945年10月11日 - 1945年10月27日) | 中国地方総監と兼任。 |
39代目 | 楠瀬常猪 | (1945年10月27日 - 1947年3月14日) | 県庁に戦災都市復興協議会を設置(1945年12月1日)。 |
40代目 | 武若時一郎 | (1947年3月14日 - 1947年4月16日) | 第1回知事選挙(1947年4月5日)。 |