Top > へし切長谷部

へし切長谷部

Last-modified: 2017-10-31 (火) 16:49:12
118番
何をしましょうか? 家臣の手打ち? 寺社の焼き討ち? 御随意にどうぞ。へし切長谷部(へしきりはせべ)打刀
ステータス(MAX)
生存41(47)打撃42(57)
統率35(44)機動42(53)
衝力30(50)範囲
必殺33偵察34(39)
隠蔽34兵装備スロット2
装備可能刀装
投石/軽歩/重歩/盾/軽騎
ランクアップチャート
へし切長谷部へし切長谷部 特(Lv25) → へし切長谷部 極(Lv70)
刀帳説明
へし切長谷部。……変な名前でしょう?
前の主がね、茶坊主の失敗を許せずに、隠れた棚ごと圧し斬った記念の命名とか、ねえ。
……そういう男なんですよ。織田信長って奴は

※ステータスは刀帳に表示されている初期値のもの カッコ内の数値は錬結・内番で強化できる限界値

CV:新垣樽助、イラストレーター:小宮国春(クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

現在の入手方法

ステータス

  • 打刀の中で機動の初期値が1位。
  • 長曽祢虎徹と同じくレア2打刀の中では鍛刀時間が他より長く、ランクアップのレベルも蜂須賀虎徹と同じく25と高い。

他の刀剣男士との会話


その他

  • サービス開始当初「本丸(負傷時)」のセリフは二種類存在したが、2015/02/18時点で一種類しか再生されなくなったことがユーザーにより確認されている。
    なお、消されたセリフは「どうして……どうして俺じゃないんだ」(←要反転) 今後再び聞けるようになるかは不明。

小ネタ Edit

  • 不動行光との回想其の25は、織田信長が好んだとされる「敦盛」について知っていると理解が深まる。
    台詞の引用元は敦盛の一節である、(反転)「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」
    大意としては(反転)「人の生の50年は、天上世界の時間の流れからすると夢や幻のように一瞬だ。一度生を受けたら死なない者などいるはずがない」となる。
    不動行光にも関連したセリフがあるため、彼の小ネタ欄も参照のこと。

来歴

  • 織田信長にまつわる名刀であり、国宝指定されている。作者は南北朝時代の刀工、長谷部国重と伝えられている。
    長さは64.8cm、反りは0.9cm- 1.0cm、元幅は3.0cm、先幅は2.5cm、切先長は5.9cm、茎長は16.7cm。
    差表には所持銘「黒田筑前守」(黒田長政)が、差裏には極め銘「長谷部国重」および鑑定者の本阿弥光徳を示す「本阿」と彼の花押が金象嵌で入る。
  • この刀の外見的特徴は、刃紋が刀身全体に見られ鎬(しのぎ)や峰にまで焼き入れを行う「皆焼刃(ひたつらば)」となっている。
    • 皆焼は非常に難しい加工法で、失敗すると刀の品質を落としてしまうリスクがあり、国重は名工である正宗に学んだとされる皆焼の技術で迫力ある刃紋をつける事に成功した。
  • 「黒田家御重宝故実」に「へし切(圧し切り)」についての逸話が記されている。それによると、信長に無礼を働いた茶坊主「くわんない(観内)」が、信長から逃げて棚の下に隠れてしまった。斬り捨てようとしていた信長だったが、棚の下に隠れられてしまったので、刀を振りかざす事ができない。そこで刀を棚の中に突っ込んで茶坊主に押し当てたところ、大して力を掛けずとも茶坊主を斬ってしまったという。つまり刀身を当てて「圧し斬った」ことからその名があるという。
    • 「圧し斬る」とは振りかぶらずそのまま押しつけて斬るという意味。振りかぶる勢いがなくても人を斬った、凄まじい切れ味のという事だろう。
    • 文化庁の国指定文化財等データベースでは「膳の上から圧し切った」と記述しているように、隠れた御膳棚ごと斬ったと解説する刀剣書籍も多い。しかし「黒田家御重宝故実」にはそのような記述はなく、説が別れている。
  • 天正3年(1575年)7月に、黒田官兵衛(黒田如水)が信長に中国征伐(中国地方。引いては毛利家討伐)の献策を進言した際に褒美として拝領したとされる。この時期の官兵衛は小寺政職の家老であり、陪臣に直接褒美が渡されるという異例の事態であった。
    • 天正6年(1578年)7月から行われた有岡城の戦いで荒木村重が謀反を起こし主君の小寺が同調したために織田方に討伐されると、織田家臣となり豊臣秀吉の与力となった。秀吉の家臣になったのは本能寺の変後からであると思われる。
      有岡城の戦いに於いて、官兵衛は荒木村重の説得に出向くが約1年間投獄されてしまう。信長は官兵衛も自身を裏切ったと誤解し、人質に差し出されていた松寿丸(のちの黒田長政)を処刑する。のちに竹中重治(竹中半兵衛)の機転によって松寿丸は匿われていたことが判明する。
    • 「享保名物帳」に黒田長政が秀吉から拝領したとの記述があるが、現在では誤説とされている。
  • 長谷部国重作と判明したのは黒田長政が刀研師の本阿弥光徳に鑑定依頼してからで、それまでは「圧切御刀」と呼ばれていた。
  • 黒田長政の死後は、遺言書により2代藩主・忠之ではなく四男・高政が相続する。(『黒田家文書』第二巻 112ページ)
    高政は筑前東蓮寺藩の初代藩主だが、福岡藩3代藩主・光之の遺品目録にはへし切長谷部が登場するため、18世紀初めには福岡藩に戻ってきていたと見られている。
    • 忠之は祖父の如水から太刀「日光一文字」を相続するが、長政の死後一ヶ月後に日光一文字の拵を注文したときの注文書には、「へし(圧)切之刀に少もちか(違)ひ不申様ニ」、つまり「へし切長谷部の拵と違いが全く無いように作ってほしい」と書く(『黒田家文書』第二巻 234ページ)。何故そう注文したかは不明で、そのときの拵も残っていない。
  • 現存する拵は、10代藩主黒田斉清の代、文化文政期(1804〜30年)頃に制作されたとされる。
    「金霰鮫青漆打刀拵(きんあられさめあおうるしうちがたなこしらえ)」と呼ばれ、同じく黒田家に家宝として伝わった刀・名物「安宅切」の拵を写したもの。
  • 19世紀に編纂された『黒田家刀剣台帳』のへし切長谷部(壓切御刀)の名の横には、「中将様御指」(中将様=福岡藩11代藩主、黒田長溥が普段指ししている)と書いてある。
  • 1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定され、現在は、黒田家52万石の居城があった、福岡市の福岡市博物館に所蔵されている。福岡城むかし探訪館には、レプリカが公開されている。

キャラクターデザイン

  • 紋は織田氏の家紋である「五瓜に唐花」をベースとしたもの。
  • デザインを担当した小宮国春氏はへし切長谷部のデザインに関して、以下の点について言及していた。掲載元であるTwitterとTumblrのアカウントは現在は削除されている。(デザインを担当したイラストレーターではあるが、プライベートな発言であるので一応非公式であることを留意・今後の公式の発表次第では変わる可能性も有る)
    • tumblrにて、側面のデザイン・大倶利伽羅との身長比較が公開されていた。
    • twitterにて、武装解除・背面デザインが公開されていた。武装を解除するとカソックになるようだ。前の主である織田信長はキリスト教の布教の許可をしており、黒田官兵衛は洗礼名があるほどのキリシタンであった。両方からの影響とのこと。
      ...
  • 目の色は淡い青紫とのこと。
  • 長谷部の髪色について「長谷部の髪色は難しいんですけど、和色なら煤色あたりかと思ってます。明るい場所だと鈍色に光って見えるかんじです」とtwitterにて他ユーザーとの会話の中で発言していた。
  • デザイン上の外見年齢については、twitter上の他ユーザーとの会話の中で27〜29歳位か?という質問に対し、「外見年齢は20歳代、くらいしか考えてないですね……イメージされているよりは若造だと思います」と回答している。

主命という名のコメント Edit

鍛刀成果の報告はレシピ報告内に、
ドロップ報告に関してはステージドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

2015/02/02に設定されました当wikiガイドラインに基づき、入手・ダブり報告【のみ】・未入手の愚痴【のみ】のコメントはおやめ下さい。
コメントの削除・変更禁止です。荒らしやガイドラインに違反する発言を削除する場合は、提案掲示板へ報告してください。

ガイドライン周知のため、暫定的に折りたたんであります。