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物吉貞宗

Last-modified: 2017-12-08 (金) 22:16:03
67番
幸運を届けますね!物吉貞宗(ものよしさだむね)脇差貞宗
ステータス(MAX)
生存34(43)打撃27(38)
統率28(53)機動38(48)
衝力38(48)範囲
必殺50偵察38(46)
隠蔽25兵装備スロット2
装備可能刀装
投石/弓/軽歩/重歩/盾
ランクアップチャート
物吉貞宗物吉貞宗 特(Lv20)→物吉貞宗 極(Lv 65)
刀帳説明
物吉貞宗と言います!
無銘のボクですが、ボクを持っていくさに行くと必ず勝てるというので、徳川家康公には大事にしていただきました!

※ステータスは刀帳に表示されている初期値のもの カッコ内の数値は錬結・内番で強化できる限界値

CV:小野賢章、イラストレーター:Izumi(クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

相州貞宗作の脇差。 徳川家康の愛刀で、これを帯びて出陣すると必ず勝利を得たことから「物吉」と名づけられたと伝わる。
好きなことはお手伝い。戦慣れした幸運の王子。(公式ツイッター本丸通信12より)

現在の入手方法

過去の入手方法

イベント報酬
イベントドロップ


ステータス

  • 特最大値では統率が低い傾向にある脇差の中で、レア2打刀を超えて統率が高い。
  • 一方で、打撃と隠蔽のステータスは脇差ワースト。
  • 必殺が極の男士を除いて全刀剣男士中1位
    • 統率の高さと相まって通常戦での二刀開眼のお供を期待できる。
    • 衝力も高く、脇差の会心の一撃の発生率の特性もあり、押し出し勝利にも貢献できる。

他の刀剣男士との会話

その他

  • 2015年10月29日から開催された第5回目のイベント「秘宝の里」で先行実装された脇差。
    • 以降イベント「戦力拡充計画」に登場することがある。
  • 2016年5月17日のメンテナンスで本実装された。

小ネタ Edit

  • 短刀 無銘 貞宗(名物 物吉貞宗)
    • 刃長33.2cm 反り0.6cm 平造
    • 表裏に彫り物があり、素剣・鍬形・蓮華・梵字が並ぶ。
    • 鎌倉時代末期〜南北朝時代初期の刀工貞宗の作で、貞宗は相州の正宗の子あるいは養子とされる。
    • 亀甲貞宗の台詞にあるように現存する貞宗の刀剣は基本的に無銘の極め品であり、物吉貞宗も無銘。
    • 1953年(昭和28年)11月14日に重要文化財に指定。
    • 徳川美術館所蔵
  • 拵の目貫及び盲亀浮木図小柄は後藤祐乗の作である。
    • 後藤祐乗は室町幕府の8代将軍足利義政に仕えた金工であり、彼を祖とした後藤家は代々武家金工として多くの作品を制作している。
    • 盲亀浮木は「大海に一眼の亀がおり、百年に一度だけ海面に顔を見せ、そのとき水面上に漂う浮木に出会うという話に基づき、千載一遇の好運に恵まれるたとえである(『家康の遺産』より引用)」という謂れから縁起物であり、物吉貞宗の逸話の形成に影響を与えた可能性がある。
    • 目貫は、「じっと見つめていると龍がまたたきをしているように見える」というので、家康が「またたきの龍」と名付けたという。
  • 尾張徳川家では代々の藩主が常に帯びる刀であった。通常は脇差として腰に差すが、狩衣以上の礼服を着用する際には帯刀できないため、短刀として懐に帯びたという。そのため、鍔のない短刀拵えになっている。
  • もともと家康がつけた「物吉」の意味は「物がよく切れる」から物吉であったのだともいう。ネーミングセンスの直球ぶりに定評のある家康のことなので説得力のある説である。

来歴

  • 「光徳刀絵図」中村本および寿斎本によれば、「貞宗 一尺一寸 大和ヨリ上」とある。大和豊臣家の秀長・秀保*3より豊臣秀吉に進上されたとされている。
    • 「豊臣家御腰物帳」によると、豊臣家では三之箱に収められていたとされる。
  • 関ヶ原の戦いの後の慶長6年10月8日、徳川家康が鷹狩を行った際に秀頼より貞宗を贈ったとしている。
    • 家康と秀頼との間の贈答については、秀頼は慶長6年3月に家康を大坂城に迎えた時に宗三左文字の刀を、同年10月に貞宗の脇指を贈ったとされる。ただし、この「貞宗」が物吉貞宗かどうかは不明である。これが物吉貞宗であった場合、回想のある三方ヶ原の戦いでは家康はまだ物吉を手にしていなかったということになる。
    • 尾張9代藩主宗睦撰刀剣付属文書「物吉記」には、「号物吉、初東照宮在参河、戦闘常以之、為備身臨陣、必帯毎獲捷云、因号物吉、邦語訓毛乃與之、猶言百事吉祥也。逮治平日嘱太夫人相応主伝諸我高祖敬侯以至于予」とある。「初東照宮在参河」は家康が三河にあった頃から所有していたということであるから、こちらの説によれば、三方ヶ原合戦も経験していることになる。
    • 物吉のセリフや設定、回想『幸運の刀』を総合して考えると刀剣乱舞はこの「物吉記」をベースとして採用していると思われる。
    • 余談であるが、家康が物吉を「在三河」時代から所持していたとする場合、現実的な範囲としては今川家からの独立以降、最大限の可能性としては「家康が生まれた頃」まで範囲に含めることができるため、家康の生誕から死没までを看取ったという解釈も可能となる。
    • どちらの来歴を取るにしろ、豊臣家にあった際には「貞宗」とのみ記載があるため、号をつけたのは家康であることがわかる。
  • 元和2年4月17日(1616年6月1日)に徳川家康が没し、形見分け(駿府御分物)として家康の九男である義直に譲られた。
    • 徳川義直は尾張藩の初代藩主で尾張徳川家の始祖。
    • 本来は物吉貞宗は形見分けの対象ではなく将軍家に残る予定であったらしい。
      これを義直の母於亀の方が我が子のもとに渡るよう手を尽くし(あるいは密かに持ち出し)、義直に貰い受けたという逸話がある。
      • 家康の十一男である水戸徳川家初代藩主義房へ譲られた太刀「児手柏包永」にも同じような逸話が伝わっている。
  • 以来尾張徳川家に伝来し、19代当主義親が設立した徳川黎明会が運営する徳川美術館に収蔵されている。

キャラクターデザイン

コメントのお手伝いですね、わっかりましたぁ! Edit

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*1 メンテナンス後〜メンテナンス前
*2 メンテナンス後〜メンテナンス前
*3 「大和より進上された」という事のみ記載されているため正確にどちらかは判断することは難しい