嬉野雅道

Last-modified: 2023-08-08 (火) 15:32:43

うれしー.jpg
あぁそうか わかったわかった
じゃあカメラ回そう

嬉野雅道(うれしのまさみち)とは、「水曜どうでしょう」のカメラ担当ヒラディレクターである。

ああそうか わかったわかった じゃあ概要説明しよう

1959年7月7日、佐賀県佐賀市の真言宗の寺に生まれる。愛称は「うれしー」もしくは「嬉野先生」。
HTB(北海道テレビ)所属のディレクターで、現在は同社のコンテンツ事業室に藤村忠寿と共に所属している。
かつては東京でフリーの映像ディレクターとして活動していたが、1991年に結婚した奥さんに連れられて1996年に北海道に移住*1
北海道に移住した後はHTBの子会社である「HTB映像」に入社。1996年に「モザイクな夜V3」の製作スタッフとして参加し、同番組終了後、後継番組である「水曜どうでしょう」にて、撮影担当ディレクターとして参加する。
この件に関しては、まともな予算がなかったため、嬉野が学生時代に自主映画を撮っていた経験を生かして名乗りを上げたのだそう。
2000年には「四国R-14」というドラマの脚本を手掛け、HTB本社に転籍後は「巷のonちゃん」の題字やナレーションを担当するようになる。
その他、「嬉野珈琲店」なるコーヒーブランドを立ち上げたり、2019年には藤村Dと共に「藤やんうれしーの水曜どうでそうTV」を開設し、Youtuberデビューを果たす。

「水曜どうでしょう」での扱い

カメラ担当ディレクターとして参加している。撮影に使用しているカメラは民生品のビデオカメラ。*2
カメラ担当と言う立場上、めったに喋らず、しゃべった時は名言を連発する。
また、立場上映ることはない…のだが、「どうでしょう」記念すべき最初の企画である「サイコロの旅1」において、フェリーに乗って船酔いしてしまった姿を藤村Dによってお茶の間に晒されてしまった
カメラが回っていないときは意外とおしゃべりらしく、どれだけおしゃべりかは「藤やんうれしーの水曜どうでそうTV」の動画を見るとだいたいわかるだろう。
「マレーシアジャングル探検」の際に発した「シカでした」はあまりにも有名で、後にドラマ「踊る大捜査線」においてパロディされたほど。
どういうわけか食べ物に関しては恨みを持っており、「四国八十八ヶ所完全巡礼2」では45番礼所・岩屋寺において、大泉洋が嬉野Dのパンを勝手に食べ、「それオレのじゃねぇかよ」とキレてしまった。*3
また、「ヨーロッパ・リベンジ」においては、大泉と共にメシを食べたいって言った結果、とんでもない目に遭っている。
「原付日本列島制覇」においては、とうとう若手スタッフにカメラの座を渡してしまい、ヒラディレクター(視聴者代表)に成り下がってしまった
この時、「生でどうでしょう見てるみたい」という本末転倒な名言を残している。

お前が人のカオスバトルでの扱いと性能見て勝つわけねぇんだよ

初出は四季島モルガン氏制作の「夏の大合戦」。チーム「どうでしょう班」の一員として初出場し、準優勝という成績を残した。
主に食べ物を盗まれることが多い。
先述した通り、どうでしょう本編において、藤村D以上に発言することが少ないため、素材が少ないのが難点…なのだが、現在は藤村Dと共にYoutuberとしても活動しているため、もしかしたらYoutuberたちのように強豪になる可能性も秘めている。
性能は現時点では中の下ぐらいだが、今後の動画次第によっては性能が変動する可能性がある。

やっぱり人類のために技を説明しないとダメだ

ホワイトスネイク、カモン!
白い蛇を召喚する技。元ネタは「マレーシア ジャングル探検」。
やっぱり人類のために戦わないとダメだ
人類のために覚醒する技。元ネタは「アメリカ合衆国横断」において、機内で上映されていた「アルマゲドン」を見た時の感想。

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Tag: 水曜どうでしょう 佐賀県 佐賀市 番組ディレクター

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*1 北海道に移住した理由は奥さんが「30歳までに札幌で鍼灸院を開業するのが夢」だったかららしく、手ごろな物件が見つかったことで移住したのだそう。
*2 鈴井貴之曰く「ヨドバシで28万で買える」のだそう。
*3 しかもその件は「アメリカ合衆国横断」において、ラスベガスで大泉から金を貸せと言われた際に「四国でクリームパン食ったろお前」と言ってしまったほど、かなり引きずってる模様。