カオスバトル界隈/問題点

Last-modified: 2024-03-30 (土) 18:29:26

本項では、カオスバトル界隈が抱えている問題点をまとめたものである。

そもそものカオスバトルの問題

まず、カオスバトルとはどういうコンテンツなのかこの界隈にいる人ほど知らない者が非常に多い(詳細後述)故に誤解されている節が多いのだが、カオスバトルはクロスオーバーによる二次創作コンテンツの一種である。したがって、このコンテンツに著作権などない。むしろ著作権を侵害しているとすら言える。この時点で著作権を違反しているからやめるべきだ、と思った者もいるのだろうが、そもそもニコニコ動画?並びにYouTube?うごくメモ帳?で拡散されているMAD動画は大半が著作権をフル無視したコンテンツであり、そういう文化としてある程度許容されている。そう言ったコンテンツで売名を図ったり、収益を得ようとすれば当然批判を浴びることになるわけだが、それは著作権云々ではなく、コンテンツの私物化や売名を図る行為自体への批判であることが多いのである。その為、著作権どうのこうのによるトラブルを非常に恐れている場合はカオスバトルなど作るどころか関与しない方がいいのである。

ここまで読めば、大半の人はカオスバトルに著作権などないことは分かるのだが、あろうことかこの界隈にいる作者のほぼ全員がそれを理解しているかどうかすら怪しく、むしろこう言う形で著作権云々と言うと「じゃあダメじゃないか」とアンチに回るような性格をしており、挙句の果てには「自分をカオスバトルに参戦させること」に対してガチギレして身勝手な権利を主張し、更には無茶苦茶な理論で全員にとっての「問題児」と?レッテル貼りをして晒し上げ見世物にするという、著作権云々を言ってはいけない、ということを理解しているのならば絶対にやらないような行為を乱発。この作者たちの倫理観の終わりっぷりが後述する問題の大半を形成していると言える。

度重なる自治行為

「公式」の濫用

この界隈は四季島モルガンの登場以降、クオリティ至上主義とも言える社会が形成されてきた。普通にやっているのであれば、このような一界隈ごときが政治的、社会的問題を孕むわけがないのだが、あろうことか四季島モルガンはカオスバトルを自分のものだと血迷ったのか、はたまた本気で自分を有名人だと思い昂ってしまったのか、「公式」という単語をよく使うようになったのである。これに対して「普通、公式という名称を登録者4000人ぽっちの小物が使うこと自体おかしい」というツッコミもあるが、公式という言葉を使うこと自体には問題がない。しかし、この青森県弘前市在住の無職(?)は「カオスバトル公式サイト」などという名前を使用したのである。そうなると、うごメモを知らない人物は当然(カオスバトル=四季島さん)が作ったものであると考えるのだが、蓋を開けば「うごメモで形成された文化である」と書かれている。とどのつまり、本来カオスバトルを作っているだけの全く無関係の成人一般男性(無職・独身)が勝手にカオスバトルを語っているとしか言いようがないのである。そしてそれは当然同業者に許可を得ているものであるとされるが、これは文脈をよく読めば「四季島モルガンのカオスバトルの公式サイト」であるというのが分かる。とどのつまり公式というのは悪意の有無はともかく、四季島が無能すぎるが故に勝手にミスリードさせているだけに過ぎない。因みに現状公式を名乗っているのは洛楽特急大阪人であるが、こちらは総裁制度を作ったホムイヒトや時の総裁である2bitとの関係性故に公式であると認められていると思って作った可能性が高い上に、当初は魔剣公式を名乗っておきながらカオスバトルを公認した山下俊輔の政治主張の礼賛の為に変更した可能性が大いにある為、川井みきと同じ匂いのする非常に面倒臭い状態となっている。

総裁制度

「政治要素」とされ明確に批判されるのはホムイヒト=コイシスキーが導入した総裁制度と利用規約による立憲制を踏襲した制度である。もともと政治豚だったホムイヒトはこの界隈で革命を起こす旨の発言をしていたが、実際にこれを機に四季島による独裁を終わらせたのは事実である。しかし、自治をもって自治を制したまでは良かったものの、結論として自治行為が終わったかと言われれば答えは否であり、結果として人による界隈の支配は続いた。更には独裁ではなくなったこともあり、良識や悪意どころか知性すらない者たちが次々と入ってくるなどのトラブル発生とファルの台頭を許してしまった。実際、ホムイヒト本人も「自治にケリをつける」旨の発言をしたことから負い目を感じている可能性はなきにしもあらずである。

トラウマを引き摺りがち

この界隈にいる人物の一部は自身が何らかの被害にあったことを公表しており、それが大きく自身の性格を捻じ曲げているのではないかと考察されることが多い。

四季島モルガン度重なる自治行為やガイジムーブ極端に過度な正義を嫌う性格かつ
ApitanN1000何も知らないにも関わらず首を突っ込み、四季島を支援極端な行動や限界化した所謂〇〇ガーのアンチ
ファル個人情報をセルフ開示し、ネットの笑い者に行動だけは早く、自身を攻撃したネットミームに非常に攻撃的になる
三頭竜ガエルいじめやネグレクト…?家族愛に飢え、友達はいらないと発言
O.K同性愛を押し付けられる過激なまでの反LGBT思想を持ち、徹底的に百合文化やホモ文化を否定および誹謗中傷
洛楽特急大阪人五等分の花嫁のファンと中国のハーフにいじめられるごとはなの中でも性格の悪さが指摘されていた一花を中傷した挙句花澤香菜を売国奴呼ばわり、花澤香菜の発言次第では「花澤が出演した作品全てが嫌いになる」という理論を展開

このように、過去のトラウマから異常なまでに極端な反動思想を拗らせ、捻くれる者が非常に多く、挙句の果てにはそれらを指摘するとトラウマを言い訳にするなど、その異常性は見て取れる。

極論主義

無関係の人間の晒し上げ→一切の晒し上げを否定

晒し上げ行為を最初にスタートし、開示して荒らしを笑い物にしたのはダクスラが最初であるとされているが、それを四季島モルガンは肥大化。さんなかもといカイロをはじめとした多くの人物の悪事を開示した。しかしその問題点として「ただの自分だけのブラックリスト」であったにも関わらず界隈公共のものとして重宝されてしまい、リテラシーの低さを露呈させる結果となった。この点においては四季島を散々礼賛しておきながら私物化するなと後々になって騒ぎ出した当時の作者にも問題があると言える。その後、ダクスラはこうなってしまった全ての元凶であるという罪の意識からか極端な晒し上げの否定を実施、荒らしが出てきても無視を貫くようにと訴えた。実際これは界隈が荒れない為の必要条件として的を射た発言であり、自身が晒した動画をしっかり削除していた為、四季島のようにダブルスタンダードというわけではなかった。一方でそれを見た作者達は「晒し上げをしてはならない=他作者の問題行動は一切言及してはならない=問題行動はスルースキルを持って全てスルーするべきである」という去勢されたような考え方を持つようになり、後の反動思想に支配された魔剣派過激派が四季島一派の悪業を開示しまくるに至る情勢を孕んだ。

「全ては一人の責任」

この界隈は何故か、「明確な責任者」を作りたがる傾向にあり、それは如何なる騒動でも変わることはなかった。歴史の記事に描かれている騒動だけでも、四季島とさんなかの戦争→さんなかのせい、ファルと関与した者への迫害→ファルのせい、最強作者決定戦(第2回)→ダクスラのせい、魔剣騒動→四季島のせいなどが例に挙げられる。しかし、こういった大きな騒動には小さい騒動が含まれていることが多く、そういった事実確認を行わず、その責任の全てを思考を放棄して責任者をでっち上げ、事実を誤認識させるまたは故意に行うという行為は「歴史の改竄」とも取れる。

言う必要のない言葉にアクセント

このカオスバトル界隈は、とにかく、「蛇足」と取れる発言をする者が多く、本来不要な場面で非常に余計な発言をしてヘイトを貯める者が多い。直近であれば「山下俊輔を嫌っている」ことをわざわざ各所でばら撒き、当Wikiでも3つの記事に分けてそれを執筆した挙句思想が右に強い作者を限界保守であると罵り、「私は中道だ、お前らとは違う」と積極的にアピールしている者が該当する。彼の言っていることには一定数正当性があり、間違った発言は言っていない。ただし、当然ながら政治が全く持って無関係である場所でそういった発言をするということは自身が「政治と文化を分けられていない」ということを自ら証明していることになる。また、極右が苦手であるのも思想の自由がある為何ら問題はないが、わざわざ三つの記事に分けて執筆するまでに強調する必要はない。このような政治的な内容ではないにしても、こういう言う必要のない言葉を何度も繰り返してこう言う形で指摘される人物が非常に多い。

政治的主張の著しい流布

当然だが、カオスバトル界隈は勿論、こう言ったコンテンツにおいて政治的主張(プロパガンダ)を流すことに対して大きく非難されることが多い。実際、ホムイヒトは政治豚でありながらも自身の支持とは一切関係のない小泉純一郎を参戦させていた。もっと言えば最初に参戦させた野々村豊田立花以外の政治家は片山哲(日本社会党元委員長)である。反面、れいわ新選組を祀り上げるなどという政治的主張を含むコンテンツを作っていたとまとおにぎりは何度も復帰と休止を繰り返し、あまり話題に上がることはない。しかし、そう言った主張を全面的に押し出す人物が一人いた。洛楽特急大阪人である。彼は保守派たるホムイヒトと対談したせいか、はたまた彼のいうように独学で調べたせいか過剰な愛国心を持ち、元々真面目だった性格と相まってか自身が支持する人物であった足立康史玉木雄一郎本間奈々桜井誠、そして山下俊輔を積極的に参戦させた。これ自体は悪いことではないのだが、彼は東方を愛している。東方はしまむらいだー事件に代表されるように、プロパガンダを混ぜてはならないという考え方が非常に強い。実際にホムイヒトもホムイヒトが心酔しているゆっくり政治チャンネルも、当事件を受けて政治的主張と東方が混ざった動画の一部を削除するに至っている。しかしあろうことかこの男は思想と東方を混ぜてしまったのである。最近はストーリーに重石を置く為に非常に穏健化し、特定の思想を入れないようになっていったが、このことから洛楽をよく思わない人物も多く、「山下の神格化」などと非難を受けている。しかしそれはそれとしてこの愚行が山下のカオスバトル公認に繋がっていたりする為、擁護できないというわけではないのも確かである。因みに前述の「山下を嫌う事例」もプロパガンダの流布に当てはまる為注意。余談だが、ここで「カオスバトル界隈は政治家と関係を持っている」とでも誤解したのか、ファルは後に足立康史のスペースで足立との対談を果たしている。

派閥の違いによる対立

界隈内にも、非政治的ではあるものの、こうしたら界隈はよくなる、というイデオロギーを持つ者が一定数おり、その人物がやれブラックリスト、やれ総裁制度などを展開するわけだが、こう言う人物の取り巻きの中には当然そのイデオロギーに強く共感している者が一定数存在している。そう言う人物の中の過激派ほど他派閥の在り方を否定し、自身の派閥の在り方を正当化するのである。そうすれば当然自身が属している派閥がヘイトを買い、要らぬ反動思想を増やすことになるというのにも関わらず、取り巻きにはそれを理解できない者がおり、他派閥の人間に無茶な攻撃を仕掛け、自身の派閥を絶対視する態度を取っているのが問題である。最も、これはほんのごくわずかにしか当てはまらないが。

興味のないことはとことん無関心or否定

しかし、それ以上にこの界隈の情勢はおろか自身の興味ないことには一切として興味を示さない態度も問題である。自分から界隈に過干渉した挙句参戦作品にまでケチを付け出す作者は多く、に至っては他人の趣味を否定して自分の趣味を押し付けるなど、極めて不自然かつ不可解な妨害行為に及ぶなど、その行動は常軌を逸脱している。

著しい批判耐性の低さ

と、ここまで批判してきた訳だが、これを見た比較的真っ当な作者は深く傷ついている者も、顔を真っ赤にして限界化している者もいると思われる。というのも彼らは一切の批判耐性を持ち合わせていないからである。彼らは自分は人に散々不快な思いをさせ、人に上から目線で非難を垂れるというのにも関わらず、自分が批判された途端に「これは誹謗中傷である」と、自らの頭の悪さもしくは精神年齢の低さを堂々と熱弁を始める。まさに俺は嫌な思いしてないからセーフ」という下種のような理屈である。特にその傾向が強いのはファルであったが、当のファルが界隈から身を引き、多くの作者が何らかの不祥事を抱えていることが露呈した現在、それこそ自分を棚に上げて前述の理屈でファルを批判する者もおり、まさに複雑怪奇?とも言える状態となっている。

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