https://www.youtube.com/watch?v=i3wZmDqnH4Y
98年、宝塚記念。
最速の機能美、サイレンススズカ。
速さは、自由か孤独か。
馬について*
| 名前 | サイレンススズカ |
| 生年 | 1994年 |
| 主戦騎手 | 上村洋行、河内洋、武豊 |
| CM | 宝塚記念 |
2011年宝塚記念CMより。
98年宝塚記念優勝馬。
他の勝ち鞍には中山記念、金鯱賞、毎日王冠など。
父サンデーサイレンス、母ワキア、母の父Miswaki。
武豊騎手にも『化物』と評された、快速の逃げ馬である。
トニービンの代わりに産駒デビュー前のサンデーサイレンスを父に持ち、人懐っこく明るい性格だった。
やや遅めの4歳にデビューとなるが、調教時に好時計を連発していた事もあり、実際のレースでは2着と7馬身差を空けてぶっちぎりの快勝。「遅れてきたサンデー産駒の大物」「ダービーはこの馬」とまで評価される。
二戦目にいきなり弥生賞に挑むが、気張りすぎたのかゲート内で上村騎手を振り落とすとゲート下を潜るなど大暴れし、ようやくスタートしてみれば10馬身も出遅れ、しかし何故か8着には入るという濃いエピソードを作り出す。
皐月賞出場はならなかったもののプリンシパルステークスを勝って日本ダービーへ出場。しかし抑え気味に走ったのが悪く9着と惨敗し、更に神戸新聞杯では上村騎手の慢心によりマチカネフクキタルに交わされて2着となり、上村騎手は降ろされる。
その後天皇賞(秋)では河内洋騎手を迎えて大逃げを展開するも6着、マイルチャンピオンシップでは15着と敗北を重ねてしまうが、それが後の糧となってゆく。
香港国際カップで武豊と出会い、彼の熱心な申し出を受けて鞍上に迎えると、大混戦の5着に終わりながらも才能の開花を予感。
そして98年、武豊騎手と共に中山記念、小倉大賞典と連勝すると、金鯱賞では因縁のマチカネフクキタル、連勝中のミッドナイトベットやタイキエルドラドが並ぶハイレベルな戦いの中で11馬身、1.8秒差という大勝を見せつけて才能の覚醒をアピールする。
逃げて差すという独特のスタイルを築くと、武豊騎手の代わりに南井克巳騎手を迎えて挑んだ宝塚記念で、ステイゴールドの追い込みを受けながらも一気に加速して勝利、ようやくGIホースとなる。
https://www.youtube.com/watch?v=J5mR_BuUp9U
天皇賞(秋)を見据えて出場した毎日王冠ではエルコンドルパサーやグラスワンダーと並ぶも1番人気に押され、レースではエルコンドルパサーの鞍上・蛯名正義騎手に「影さえも踏めなかった」と言わしめる圧勝を見せた。
斯くして1番人気を受けて出走した天皇賞(秋)だが、このレースは「1番人気は勝てない」というジンクスがあり、「府中には魔物が棲む」とさえ言われていたが、サイレンススズカならばひょっとしたら……という期待も受けていた。
レースはスタート直後から圧倒的な大逃げを見せ、カメラも限界まで引く程の差をつけるが……第3コーナーを過ぎたところで突然の失速。左前脚の手根骨粉砕骨折により予後不良と診断され、安楽死処分を受けた。
自身の速さに身体が追い付けずに自壊してしまい、文字通りの自由と孤独の渦中で魔物に喰われ散っていった。
https://www.youtube.com/watch?v=QT4MSb_TWdw
武豊騎手もひどく落胆してワインを煽り泥酔するなど、そのショックは甚大だった。最期の実況「沈黙の日曜日」はあまりにも有名である。
予後不良で亡くなったGI競走馬は数多いが、実は95年にライスシャワー、96年にワンダーパヒューム、97年にホクトベガ、そして98年にサイレンススズカと、一年に一頭、四年連続という前代未聞の事態が発生していた(同年に予後不良発生は85年にシャダイソフィアとノアノハコブネという例がある)。
CMについて*
宝塚記念に向け製作された。
背景は緑色を基調とし、サイレンススズカが得意であった芝のコースを彷彿とさせる。
『速さは自由か、孤独か』という台詞や、顔を一切映さないという演出も悲劇的な最期を表している。
大逃げの強さは『最速の機能美』の一言で充分であろう。
- CMで顔を一切映さなかったのはサイレンススズカは他の馬と違う大逃げで初っぱなから先頭取りに行く馬だったからじゃないかな? -- 2021-04-29 (木) 23:38:09
- 後ろの馬からは顔なんて見えないからね -- 2021-04-29 (木) 23:38:47
